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姫からの祝福を受けて

「じゃあ行ってくるわ」


 チャイムが鳴り響くと同時に、俺は鞄を肩にかけて斗真に声をかける。最初は俺がどこに行くのか全く分からなかったようで、しばらく考え込む様子を見せたあと「あー」と思い出したように声を上げる。


「そっか。今日からバイトだもんな。昨日面接やって即出社とかなんかウケる」


「ウケねーよ。面白いところなんて何一つねぇじゃんか」


「バイトかー。学生から金を稼げるってのはいいな。俺もやりたいけど部活との両立は不可能だからなー」


「別に遊ぶためにバイト始めたわけじゃないけどな。まぁ多少は使うかもだけど、そっちメインじゃないし」


 バイトで稼いだお金は、大学での授業料や将来のための貯蓄として基本的には貯金に回す方向だ。

 俺が働くファミレスの時給は九百円前後。休日出勤等も加味した上でざっと計算したところ、給料は七〜八万といったところだろうか。

 学生である俺からしたらそれだけでも十分すぎるほどの金額だし、この先も続けていればそこそこ貯まるだろう。


「なぁなぁ。今度バイトしてる時間帯に遊びに行ってもいい?」


「別に構わないけど、俺はキッチン希望だからホールに出ることなんてほぼないと思うぞ」


 面接時にホールかキッチンのどっちがいいかと聞かれたとき、俺は迷わずキッチンを選択したのだ。


「マジ?確かに料理上手だけど、文化祭のときは普通に接客できてたしホールでも行けんじゃないの?」


「文化祭でやったからこそ、接客は向いてないって改めて分かったんだよ」


 そう尋ねてくる斗真に、俺はキッチンを選んだ理由の一つを述べた。


 文化祭でやった喫茶店では、みんな「言葉遣いが丁寧」とか「礼儀正しくて接しやすい」とか褒めてくれてはいたが、接客業を行う上では最低限のスキルだと思うしそれができなければ接客業は成り立たない。

 それでも褒めてくれるのはありがたいのだが、人とコミュニケーションをとるのがあまり得意でない俺にとってはやはりホールは向いていないのだと感じたのだ。


 それと比べてキッチンでは、料理は最低限できれば問題ないらしく、コミュニケーションも他の店員だけととれば良い。

 

 それでも接客している姿を見たいのか、「じゃあ俺が来たときだけでもー」と駄々をこねてくるのだが、「仮にホールをやったとしても知り合いの対応は絶対に嫌だ」と首を横に振って突っぱねた。


 俺は視線を時計に向けて時間を確認する。

 時刻は午後四時前。少し話し込んでしまっただろうか。

 初日のため挨拶なり色々とやらなければいけないこともあるだろうし、少し早めに着いておきたい。バイト先は家と同じ方向にあるので、学校の荷物を置いてから向かうことができる。


「それじゃあな」と言葉を交わして、今度こそ俺は優奈の元へと向かう。斗真も荷物を持ってグラウンドへと走っていった。


☆ ★ ☆


「なぁ優奈。なんか帰りに買ってきてほしいものとかあるか?」


 俺は優奈に問いかける。

 バイトの帰り道には二十四時間営業のドラッグストアもある。事前に言ってくれれば買いに行くことは可能である。


「いえ。必要な生活用品は切らさないように常に常備しているので問題ないです」


「そうっすか」


「そんなことよりも良くんに早く帰ってきてほしいです」


「帰るときは連絡入れるよ」


「連絡があったそのタイミングでご飯温め直しますから」


「了解。楽しみにしてる」


 などと話しているうちに、アパートに着いてしまった。今日は無駄な体力を使いたくないのでエレベーターで五階まで移動するのだが、


「ん?なんで着いてきてんの?」


 ボタンを押してエレベーターのドアが開き乗り込めば、優奈も一緒に乗っていたのだ。


「少しでも一緒にいたいもん……」


 そう言って腕に手を回して抱きついてくる。誰も乗ってこないことを祈りながら、俺は優奈の頭に手を置く。艶のある髪が指に絡まり、それを愛おしげに撫でれば、優奈は気持ち良さげに目を瞑ってされるがままになっていた。


「優奈の髪、綺麗だな。いくら触ってても飽きない」


「ちゃんとケアしていますから」


「そっか。大変だな」


「良くんが触れて喜んでくれるなら、全然苦じゃないですよ。むしろもっと触れてくれるように努力してるんですから」


 このサラサラな髪を維持するために、きっと自宅で相当の手入れを行なっているのだろう。俺なら髪を軽く乾かすだけで終わってしまうので、そんな努力をできる女子が凄いと心の底からそう思う。

 そんな美しい髪を傷つけないように、優しく撫でた。


 誰にもエレベーターに乗り込むことなく、五階へと辿り着いた音が鳴り、扉が開いた。

 家鍵を開けて、必要な貴重品とメモ帳とペンをポケットにしまってあとは家へと置いていく。


 再び一階に降りると、俺は優奈に微笑みを見せながら「行ってくる」と口にしようとすると、


 優奈は背伸びをして、桜色の艶めいた唇が俺の頬に触れた。優奈からキスされたのだ。

 告白したときにキスは済ませたとはいえ、まだその行為に耐性がついていない俺にとっては、突然すぎて理解が追いつかない。頭の中がぐるぐると渦を巻いていた。キスされた頬に手を当てて、まるで鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべていた。


「優奈……今のは……?」


 当の本人は恥ずかしそうに俯きながらチラチラとこちらを確認してはすぐに視線を落としていた。そしてゆっくりと口を開き、


「お、お仕事頑張ってきてくださいの……キス……です……」


 自身の唇に手を軽く当てながら、彼女は言った。不意を突かれた彼女の行動とその言葉に、胸が熱くなると同時に苦しくなる。


「それは反則すぎる……心臓に悪い……」


「ご、ごめんなさい……」


 そう言って肩を窄める彼女の腕を両手で掴んで、「お返しだ」とだけ言うと、彼女の朱色に染まっている頬にキスを落とす。


「これは行ってきますのキスだ……文句は言うなよ。優奈が最初にやったんだから」


「するのも恥ずかしいですけど、されるのはもっと恥ずかしいですね……」


「じゃあなんでやったんだよ」


「やった方が良くんが喜んでくれるのかなって……それよりも顔、あまり見ないでください……」


「なんで?」


「絶対……変な顔してるから……」


 優奈はそっぽを向いていた。本当は手で顔を覆いたいのだろうが、俺が腕を掴んでいるせいで隠すことができず、俺から顔を逸らすことだけが精一杯の抵抗なのだろう。


「そんなことない。可愛いよ」


「またそんなことを言う……早く行かないと遅れちゃいますよ……」


「誰かさんが俺にキスなんてするからだろうよ」


「……したかったんです。したらだめでした?」


「だめじゃない。とても嬉しい。ありがとう優奈」


 クリーム色の髪を掻き分けて、彼女の額にもう一度だけキスを落として「行ってきます」と雲一つない満面の笑顔を見せる。


 優奈は額に手を当てて恥ずかしそうにこちらを見つめるも、目を細めて「いってらっしゃい」と軽く手を振って俺を見送ってくれた。

お読みいただきありがとうございます。

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