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旦那様

 ショッピングモールから帰宅した俺たちは、荷物なりを軽く整理したのち、俺の家で夕食を食べていた。


「え?バイトですか?」


 優奈が少し驚いたようにクリーム色の瞳を大きく開いて、進めていた箸の手を止める。


「そそ。明後日面接だからまだ決まったわけじゃないんだけど、一応報告」


「ちなみになんのバイトなんですか?」


「ここのアパートから少し離れたところにファミレスがあるだろ?求人サイト見てたらあそこが募集かかってて応募したら面接したいから来てくれって」


 青蘭高校はバイトを禁止とはしていない。

 学校では学べないことも、社会という現場で学ぶことができる。そこで目にしたことや経験したことを己の糧にして更なる成長を促すというのが学校側の考えらしい。


 その代わり、提示されている条件を満たした上で学校側からの許可書を貰わなければならない。

 その条件とは、ある一定以上の成績を残している者というもの。一定という定義は曖昧だが、おそらく各学年の平均成績以上というものだろう。


 学校側も許可しているとはいえ名だたる有名な進学校。成績が一定以下の学生に勉強の時間を割かせてまでバイトをさせる理由などない。

 過去に学校側が提示している成績に達していない生徒が無断でバイトをしていたのを青蘭高校の教師が見かけて、その生徒は大目玉を喰らったとか。

 つまりバイトをしたければ成績上位をとれということだ。

 

 その条件を俺は満たしているため、許可証は既に貰っている。履歴書も既に作成しており、されるであろう質問の対策もしてある。あとは面接時の身だしなみや言葉遣いに気をつければ問題ないだろう。


「お義母さま。よく許可を出してくださいましたね。良くんがバイトするのかなり反対なさっていたのに。いつそのお話をされてたのですか?」


「最初に話をしたのはお墓参りに行ったときに車の中で母さんと二人でいたときに軽く。そこから電話で話し合いしてテストの順位十位以上の維持の条件付きで許可をもらったんだよ」


「いつの間に……」


「優奈がいない時間帯に。この話はある程度固まるまで優奈には話さないようにしてたんだ。もちろん母さんにも口止めはしておいた」


「なんでわたしがいないときに?」


 優奈は首を横に傾げた。


「まぁ……色々と……」


「言えない理由でもあるのですか?」


 声音からして怒っている様子ではない。ただ疑問をそのまま俺にぶつけているようだった。


「言えないというか言いたくないというか……決して変な目的があってバイトするって決めたわけじゃないからそれだけは分かってくれ。その理由聞いたら、優奈どんな反応するか分からないっていうか……」


 ちなみに母さんにバイトをしたいと相談したとき最初は反対されたのだが、この理由を言った途端、母さんは急に笑い出して「良介、優奈ちゃんのこと好きすぎでしょ。引かれても知らないよ。まぁ、そこまで考えているなら分かった。条件付きでならいいよ」と許可を出してくれた。


 他者から聞けば、大爆笑されたり場合によっては引かれたりする理由なのだ。


「言いたくないのなら言わなくても大丈夫ですよ。良くんのことですから何かしら考えがあってのことでしょうし」


 優奈は笑みを見せて、味噌汁を飲んだ。


「いや、言うよ」


 優奈にはあまり隠し事はしたくない。

 いや、ついさっきまでこのことは隠し事にしていたのだが、今こうして言うのだからチャラでいいだろう。


「言っておくけど、笑ったり引いたりはしないでくれると助かる」


「はい。笑ったり引いたりしません」


「……その、将来のためといいますか……」


「え?」


 俺の発した言葉は、向かい合うようにして座っている彼女にすら聞こえない消え入りそうな小声だった。


「今のうちから自分が働いた金の貯金を始めようと思ったんだよ……中学のときから貯めてたやつはあるけど、やっぱり母さんに頼りきりというのもやっぱり良くないと前から思っていたし……やっぱり将来のことを考えたら、少しでも貯蓄は多い方がいいと思ったから……」


 話しているうちに段々と恥ずかしくなって、俺は視線を逸らしながら頬を掻く。


「その、将来というのは……」


「あんま言わせんな……そうだよ。大学の学費とかもあるけど、将来のことってのはつまりそういうことだよ……前にも言ったろ、優奈のような女の子はこの世にいないし、手放すつもりはないって」


 金はいくらあっても困らない。貯金そのものは早くからやっておいて損はない。

 まだ社会も知らない高校一年生がこんなことを思うのもあれだが、蓮とご両親のあの仲の良い姿を見せられては、どうしても意識してしまうし憧れを抱いてしまうものである。

 

「……ふふっ」


「っ……だから笑うなって……」


 口元を抑えながら小さく笑う優奈に、俺は言った。


「すみません。理由が思ったよりも可愛くて。良くんの気が早いところは、お義母さま譲りなのかもしれませんね」


「悪かったな。気が早くて」


 そう言って、俺はわざとらしくそっぽを向いて拗ねる。


「そういうところも好きですよ……あなた……」


 あまりの言葉の破壊力にそっぽを向いていた顔を優奈へと向ければ、顔を沸騰させたように赤くして恥ずかしげながらも、蕩けきった表情を浮かべてこちらを見つめていた。


「その呼び方は……反則だろ……」


「一度言ってみたかったんですよ……結構恥ずかしいですね……」


「こっちは耳と心が満足しすぎて爆発寸前なんだが……」


 優奈の甘い魅力的なその言葉に、耳が機能しなくなり、脳すらもやられて思考が停止させられる。心臓はバクバクとうるさくて、だがあっという間に幸福で満たされていく感覚に襲われていた。


「ではご飯食べ終わったら、爆発するまでずっと言ってあげます。良くんにはいっぱい満たされてほしいですから」


「……いつかそうなれたらその時に呼んでくれ。今の内から呼ばれ慣れしたくないし、今耳元で呼ばれたら普通に死ねる」


 これ以上言われたら、俺の頭も耳も心も全て崩壊する自信があった。「分かりました」と返事をする優奈は再び味噌汁を口にする。そして茶碗から桜色の唇を離して、


「明後日の面接、頑張ってくださいね」


「おう」


「応援していますよ。わたしの旦那様」


 まるで天使のような、俺だけに向けてくれる笑顔。悪戯心で言ったであろうその言葉は、俺の頭と耳と心をオーバーヒートさせるのには充分すぎるもので、その反動からか俺はしばらく動けなくなった。

お読みいただきありがとうございます。

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