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贖罪とケリをつけた過去

 俺は今の自分に驚いていた。

 以前の俺ならば、誰が見ても分かるほどにまで動揺していただろうが、今は過去のトラウマとも呼べるべき男を前にしてもこの状況を冷静に受け止めていた。


 恐怖心がなくなったわけじゃない。

 しかし、呼吸が浅く荒くなることも、手足が震えることも、頭が真っ白になって思考が止まることもなく、ただただ落ち着いていた。


 理由はきっと、隣にいる少女が俺の弱さを全て受け止めてくれたから。

 心に秘めた弱さを悟られるのが怖くて、それを見せれば親友である斗真ですら離れていくんじゃないかと勝手に思い込み、誰にも心の内を明かさなかった。

 

 それがきっかけで、一度は優奈すらも傷つけた。それでも彼女は太陽のように俺の弱さを受け入れてくれた。氷の中に閉じこもっていた俺の心を溶かしてくれた。

 優奈だけじゃない。斗真も瀬尾さんも俺の情けない姿を見てもなお、普段通りに接してくれた。


 俺がやるべきことは、あいつから逃げることでも優奈を遠ざけることでもない。


 俺に絡まる過去の鎖を完全に断ち切ることだったーー


☆ ★ ☆


 目の前に立つ男ーー古畑は、相変わらず鋭い目つきでこちらを見ていた。


 向かい合う俺たちを見て、生徒や外客もこちらに視線を送っていて、中には立ち止まっている者もいた。


 優奈は俺の様子を確認していた。以前あいつに出くわしたときの俺の弱った姿を間近で見ていたから心配だったのだろう。俺は柔らかく微笑みを見せて、「大丈夫」っと小さく言った。


 服装はいたってシンプルで、特に目立った装飾品は身につけていない。だがどうしてもその見た目から、ヤンチャなイメージはどうしても拭うことはできなかった。


「へぇ。柿谷。ここの高校に通ってんだなぁ。それで、なんだよその格好は?」


「ん?あぁこれか。友達のクラスの出し物の衣装だよ。これで文化祭回ってこいって言われてな。全く参ったよ」


 古畑の問いに、俺は苦笑を浮かべて肩をすくめる。


「ハッ。隣を歩いてて恥ずかしいと思わねぇの?ダッセェ。マジで月とスッポンだぜ」


「お前もそう思う?天野さんは何を着ても似合うけど、この衣装なんて本当のお姫様みたいだからな。そう思うのは仕方ないさ」


 浴びせてくる罵詈を微笑を湛えながらゆるりと躱す俺に、古畑は舌打ちをして忌々しくこちらを見てくる。


「まぁいいや。それで彼女さん。まだこんなやつと絡んでいるとか、時間の無駄だと思うけどなぁ。根暗だし弱いしすぐ泣くし。あんな情けない姿を見てまだ一緒にいるとか、相当な物好きなんだね」


「彼女の悪口を言うな。そんなもの今までどれだけ見せてきたと思ってる。一度は目の前で号泣してんだぞ」


「わたしは滅多に見せないレアな姿を見ることができて嬉しかったですよ」


 反論する俺に反して、悪口を言われたはずの優奈は対して気にかける様子もなく、過去の俺の姿を懐かしむようにしてクスッと笑みをこぼしていた。


「情けない……ですか……わたしはそうは思いませんよ。昔も今も」


 優奈から先ほどまでの笑みが消える。まるで氷の女王のように凍てついた表情だ。


「はぁ?こいつの過去の何も知らないくせに……」


「全部彼から聞きましたよ。過去にあった出来事。そして彼が何を想い、行動したのか。もちろんあなたが行った卑劣極まりない行動のすべてを」


優奈がこれほどまでに怒りを露わにしている姿を見るのは初めてだった。


「あなたは彼を、そして倉橋さんを虐めていたそうですね。誰かを虐めるその行為こそが人間として下劣、情けないと思います」


 冷えた声でそう言い放つ。


「はん。だったら庇ってやりゃいいだけじゃん。実際倉橋はそいつを庇ってた。でもあいつは庇わなかった。自分がまた巻き込まれるのが嫌だから庇わなかったんだろ?」


 あくまで自分は悪くない。そう言いたいのだろうか。


「彼女さんもさ。こいつと絡んだらろくなことがないよ。結構なトラブルメーカーだから。柿谷のことだ。帰ったあと何かしら変なことでも言い始めたんじゃない?」


 何か確証でもあったのだろうか。そう言って不敵な笑みを浮かべる。何かあったのは事実ではある。


「そうだな。確かに言ったよ。俺と一緒にいたら傷つけるから離れてくれって。関わらないでくれって。変わろうとしたのに変わっていない。変わったつもりで変わっていなかった」


「やっぱりな。お前はどうしようもない女々しい人間なんだよ。だから彼女さん、こんなやつはもう捨てるべきだって」


 ほら見ろ、と言いたげに古畑の口角がさらに上がる。


「でもさ。こんなどうしようもない人間に『負けないで』って。『頑張ったね』って優しい言葉をかけてくれる人もいるんだよ。その想いに応えたい。だからもう逃げない。お前からも、自分自身の弱さにも」


 このまま逃げ続けて距離を置いてしまえば、二人が俺に託してくれた想いまでも無下にしてしまう。本当にあの頃の自分に逆戻りにしてしまう。

 それだけは、絶対に嫌だ。


「古畑。さっき彼女に言ったよな。俺と絡むべきじゃないって。悪いけど、それは俺が嫌なんだ」


 優奈は言ってくれた。隣にいてくれると。俺に隣を立ってほしいと。その言葉に俺は救われた。

 それと同時に、俺も優奈に隣に立ってほしいと強く思うようになった。


「もう二度と同じ過ちは繰り返さない。どんなことがあっても守ってみせる。優奈は俺の(もの)だ。誰にも渡さない。手放したりするものか」


 俺は瞳に強い意志を込めて、そう言い切った。

 その場にいた生徒や外客も、ほぼ告白とも受け取れる宣言に驚きの色を見せていた。


「それに俺のことを女々しいと言っていたが、俺から言わせてみればお前の方がよっぽど女々しいぞ」


「あぁ?」


 ギロっと鋭い目つきで俺を睨みつける。

 それに恐怖する俺はもういなかった。


「小学校のときのことを今でも根に持って。自分より下だと思っていたやつに負けたのが嫌だったんだろ。だから俺を虐めて、自分が優位になったって思いたかった。違うか?まぁ俺を虐めていたことをとやかく言うつもりはない。でもな……」


 俺は真っ直ぐ古畑を見る。


「お前が倉橋さんを虐めてた……そのことだけはどうしても許せないんだよ……」


 溢れ出そうになる殺気を必死に抑えて、俺は発する。


「じゃあなんだよ。頭を下げて詫びろってか」


 古畑のあのヘラヘラした軽い態度。

 身体は高校生らしい逞しい体つきだが、精神面は小学校時代から全く変わっていない。本当に自分が悪いことをしたのだと思っているのなら、こんな態度にはならない。あのふわふわとした態度で謝罪の言葉を述べてもそんなものに価値はない。


 俺は深く息を吸って吐く。


「俺はお前を許さない。でも、俺も俺自身を許さない。倉橋さんを助けることができなかった。だからこれまでも、そしてこれからも困っている人は必ず助ける」


 ただの自己満足に過ぎない。そんなもので俺が犯した罪が消えることは一生ない。倉橋さんの傷ついた心が癒えることはない。

 でも、それでもそれが俺のすべきことなのだ。


「謝れ……と言っても謝罪の言葉を述べるつもりはないんだろ。じゃあ一つだけ。これ以上俺と、俺たちと関わらないでくれ」


 半ば俺は呆れていた。

 

「お前が彼女にしてきたことも含めて俺が贖罪を果たす。俺はもうお前と関わりたくないし、関わり合う気もない。文化祭にまでとやかく言うつもりはない。だが明日以降、もう俺と接することはやめてくれ」


「てめぇ。さっきから何偉そうに命令してんだよぉ。小学校のときはメソメソ泣くことしか能のない弱虫だったくせによぉ」


「いつまで小学生気分でいるつもりだ。少しは大人になれよ。俺たちはもう高校生だぞ」


「うるせぇっ!」


 そう言って古畑は床を蹴って俺へと向かい、拳を振り上げる。


 その拳を俺は真正面から受け止めた。その拳を離すことなく、強く握りしめる。


「やっぱり小学校のときから変わらないな。何か自分に都合が悪いことがあれば暴力で。それでもダメなら束になって心をじわじわといたぶって……」


「イダダダダダダッッッッ!!おい!離せ!」


 哀れむような目で古畑を視界に捉えつつ、ミシミシと骨が軋むようほどの力で古畑の拳を握り続け、やつは悲鳴の声を上げた。


「ただでさえ大きいトラブルが一件起きているんだ。俺だけになら構わないけど、他の人にまで迷惑をかけることはするな」


パッと手を離せば、古畑は荒く呼吸をして、握られていた手を開いては握ってを繰り返して感覚を取り戻そうと必死だった。


「最後の忠告だ。もうこれ以上俺とは関わらないでくれ……」


 いつも間にか、古畑に怒りも悲しみも哀れみの感情も抱かなくなり、無関心へと変わっていた。

 俺は冷徹な瞳をあいつに向けて冷たくぶっきらぼうに言い放てば、古畑は不快そうに睨みつけてくるが、やがてこの場に居づらくなったのか早足でこの場を去った。


 過去とのケリをつけた……そう思っていいだろう。自分の言いたいことは言えたし、忠告もした。それでも絡んできた場合は……そのとき考えればいいだろう。


 俺はホッと吐息をして、優奈の方へと向ける。  

 自然と自宅で見せる柔らかな笑顔を浮かべることができている気がした。


「怖い思いをさせてしまってごめん。もう大丈夫だから……優奈?」


「え……あ、はい……」


 俺の呼びかけに、優奈は少し惚けた様子を見せたのちに慌てて返事をした。


「優奈。俺と一緒に文化祭、回ってくれるか?」


 俺は優奈に手を差し伸べる。

 それは俺が彼女の隣に本当に立ってもいいのかという最後の確認だった。

 

「……はい。よろしくお願いします……」


 優奈は頬を桜色に染めながら小さくコクリと頷いて、俺の手をとった。大勢の観衆の視線を浴びながら、俺たちは廊下を歩いていた。

お読みいただきありがとうございます。

ブクマ、評価等いただけたら嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今頃ですがちょっと物足りないですな古畑への制裁 できなかったのが正解か まぁもう出す気ないでしょうがこんなクズw [一言] 精神が子供なんだよなぁ ろくな大人にならない典型 もう絡んでく…
[一言] 余計な口出しですが、拳はいくら強く握られても、人間の握力では、それほど痛みは感じないですよ。手首をひねって関節技で痛めつける方が現実的かと、、、
[良い点] よう言うた!それでこそ漢や! [一言] どう聞いても公開告白である
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