最初に話した場所は……四月の公園でした
「ハアッ」
四月とはいえまだ寒さが残る夜。近くの公園に設置されているベンチに俺ーー柿谷良介はため息を吐いた。
小さい頃……十二歳の頃の話だ。
父さんと母さん、そして俺の三人で、県外に温泉旅行へと出掛けた。
両親にとって俺は大事な一人息子だ。とても可愛がってくれていた。露天風呂から見上げる夜空の星はとても美しく、旅館で食べる夕飯は豪勢だった。
とても楽しく有意義な時間だった。
だがーーそれは一瞬で悲劇へと変わり果てた。
その帰り道。
交差点の青信号を渡っていたところ、信号無視をした車に横から追突された。
その事故で父さんがこの世を去った。
母さんと俺は重症だったのだが、なんとか一命を取り留めた。生活に影響を与えるほどの障害は負っておらず、今も普通に生活できている。
そこから母さんは再就職した。女性の再就職はかなり厳しいと聞いていたのだが、元々多くの資格を持っておりまた結婚する前は有名な企業に勤めていただけあって、再就職先も評判の良い会社に入社できたそうだ。母さんから一言だけ言っていた。相当頑張ったらしい。
それだけではない。料理に洗濯に掃除。それら全てを完璧にこなしてしまうのだ。そのおかげで今の俺があるのだから母さんには本当に感謝している。
小さい頃母さんに家事のイロハを叩き込んでもらっていたため、一通りの家事ならできるようになった。
高校入学を機に、俺は一人暮らしをすることにした。母さんには最初は猛反対されてしまったが、根気強く説得してなんとか納得してもらった。
俺が住んでいるのは公園の目の前に建っているアパートだ。
「ハアッ」
息を吐くたびに、白い息が出る。本日二度目のため息。なんでこんな寒い四月の夜に一人でいるのかと言うとーー
今日は父さんの命日だ。
厳しくも明るかった父。将来は一緒に酒を飲みたいと言ってくれた父。
こんなことを言ってはファザコンと言われるかもしれないが、もっと一緒にいたかった。
そんなことを言っても父が蘇ってくるわけでもない。とはいえ、たまに公園で父親とキャッチボールをしている男の子を見ると、寂しさを感じてしまうのだ。
「ハアッ」
本日三度目のため息。寒さのあまり、ブルッと身体を震わせた。
防寒対策をしてきたつもりだが、肌を刺すような寒さに襲われる。「戻るか」と心の中で呟き、ベンチから立ちあがろうとすると、
「こんな時間にこんな寒いところでなにをやっているんですか?柿谷くん」
俺はその声の主の方へと顔を向ける。
肩ほどまでに伸ばしたクリーム色の髪。くりくりとした大きな瞳。綺麗な鼻筋に色白な肌には毛穴一つすら見当たらず、日頃から手入れしていることが見てとれる。長くて多い睫毛。誰しもが憧れる顔立ちの少女だった。
その少女の片手にはエコバックで塞がっており、そこからはネギがぴょこんと飛び出ている。おそらく買い物帰りといったところだろう。
「別に。あんたには関係ないと思うけど」
ぶっきらぼうに言う。
そう。俺はその少女の名を知っている。
名は天野優奈。俺と同じ青蘭高校に通っている。同級生で同じクラスでもある。
県内でも有名な進学校でもある青藍高校。
偏差値は六十を優に超えるその学校で、新入生テストでは学年二位だった。スポーツも人並みにこなすそうだ。
可愛らしい顔立ちに、落ち着いたその雰囲気はギャップを感じさせ男子生徒だけではなく、女子生徒にも人気がある。
頭良くて運動も人並みにできて人柄もいいとか、一体前世でどれだけの徳を積めばそうなれるのだろうか。
とは言え、俺と天野さんは話したことがない。
今この瞬間、俺たちは初めて会話を交わしたのだ。
苗字を覚えてくれていたのかと嬉しいと思った反面、心境が心境なだけに放っておいてほしいという苛立ちもあり、冷たい言葉になってしまった。彼女の俺に対する第一印象は最悪となってしまっただろう。
「確かにわたしに関係はないですけど、同級生がこんな時間に一人で少し心配になっただけです」
「御気遣いありがとう。でも天野さんが気にするほどではないのでご心配なく」
「そうですか」
「うん」
「でしたらせめてこれを。この時間は冷えるので」
そう言って、天野さんはエコバックから一本の缶を取り出した。
「そこの自動販売機で買ったココアです。買ったばかりですから暖かいはずですよ」
そう言って俺に手渡す。
「いや、いいよ」
「他人のご厚意には甘えた方がいいですよ」
言葉に詰まった俺は、渋々それを受け取った。
「じゃあ……悪い。もらうわ」
「ぜひそうしてください」
天野さんは静かに言った。
俺は彼女が持っているバックに目を向ける。
「買い物帰りとは大変だな」
「いえ、もう慣れたので。スーパーもここから近いですし」
「慣れた?」
「一人暮らしなので」
その発言に少々驚きを隠せなかった。
「そ、そうなのか」
「そうなんです。では」
踵を返して、天野さんはこの公園から去っていった。まさか同級生に一人暮らしがいるとは思わず驚いてしまった。
彼女からもらった缶ココアを開ける。甘ったくるくて温い。俺は缶を片手に夜空を見上げた。
その日の夜空は、露天風呂で見たぐらいの美しい星々が輝いていた。