0055
時計が鳴る。その意味を察して周介は自分の時計に耳を当てる。時計から放たれる小さいが確実に聞こえる機械音に、周介は一瞬顔をしかめた。
緊急事態の通告。こんなタイミングでいったいなぜと思ったが事件や事故など誰かの都合を待って起きるわけでもないなと思いながら、とりあえず周介は友人たちから離れたほうがいいかと思いつく。
「悪い、家から電話入ったわ。ちょっと電話してる」
「おう。んじゃ俺らちょうどいいからトイレ行ってくるわ」
「俺さっきのでちょっとやばかったんだよな。ビビると漏らすって結構がちなんだな」
「お前らが何であんなに普通にしてたのかがわかんねえよ。マジで」
友人たちと離れてから、周介は携帯でドクと連絡を取ろうとする。
数回のコールの後、ドクは周介の電話に出てくれた。
『やぁ周介君。スカイツリー見学は楽しんでいるかい?』
「また俺の携帯の位置情報追ってるんですか?プライバシーって何でしょうね」
『まぁまぁ、今日君が卒業旅行ってわかってたから追ってただけさ。それで、どうだい?楽しんでいるかい?』
「あの、さっきの緊急信号は?一応それ聞いてかけたんですけど」
『さっきのはテストのようなものだよ。実際君がしっかり聞いて、連絡を取ってくれるかどうかの練習ってところさ。人ごみの中にいても聞いてくれるかどうかって結構重要だからね。しっかり聞こえていたようで何よりだよ』
一体何が起きたのかと不安ではいたが、まさかそんな理由で緊急信号を使っていたとは思わなかったため、少しだけ安堵する。
何もなくてよかったと思う反面、訓練ではないが、しっかりと聞こえるかどうかを確認するのは大事なことだ。
責められるような内容ではないために、周介はため息をついてしまう。
『それでどうだい?そこからの景色はかなりいいんじゃないかな?』
「えぇ、まぁ。そうですね」
『これから君が住む場所だ。よく見ておくといい。君はこれから、主にこれらの場所を活動拠点にするんだ。それらがどういう場所なのか、どういうところなのかをよく見ておいてほしい』
「……それって必要なことですか?」
『必要なことさ。人が作った街だ。人が作った場所だ。それを壊さないように、それが壊れないようにするのが僕らの役目さ。君にはそれを良く理解してほしい。何よりも君の能力は人の文明に強く関わりがあるんだからね』
文明という言葉に周介は目の前に広がる光景を再び見る。
立ち並ぶ背の高い建物。そしてその間にある道。そしてそこを走る車、歩く人、それらすべてが作り成す社会そのもの。
それらをこれから周介は守るのだと、ドクは言った。
そんなことを言われても実感がわかないというのが正直なところでもある。だが、それをしなければいけないのだと周介も理解していた。
「ドク、俺らみたいなのって、大体どれくらいいるんですか?」
『総数の話かい?僕だってそれらをすべて把握しているわけではないけれど……どうだろうね。全体の一パーセントにも満たないんじゃないかと思っているよ。でもそれらが引き起こすことができる被害が多いというのは君もわかるだろう?』
一パーセントに満たない。それでもかなりの数だ。この場にいる、この建物にいる人間がいったい何人いるだろう。千人だろうか、一万人だろうか。
それであれば、十人から百人の能力者がいることになってしまう。
能力の強弱はさておき、少なくともそれだけの人間が能力を持っているということになりかねない。
正確な統計もできておらず、何よりどれほどの人間が潜在的な能力者であるのかもわかっていない。
仮に一万人に一人だとしても、今日通ってきた東京駅。あの中にいったい何人の能力者がいただろうか。
それら一人一人が、周介のように多大な被害を及ぼすことができるような能力だったらどうなるか。
未曽有の事態が起きるだろうと想像するに難くない。それだけの危険を秘めた街であるということだ。
「人口が密集しているからこそ、被害も大きくなりかねないってことですよね」
『その通り。僕らも先回りしたいところだけど、どうしたってそのあたりは限度がある。君が考えている以上に、この東京という街は危険に満ちているのさ。そこから見えるその景色が、一瞬で焦土と化す可能性もあるってこと、それを良く覚えておいてほしい』
最悪な想像ではある。だがそれは十分にあり得ることなのだとドクは言う。
一つ間違えれば、少し遅れればそういうことになる。ドクはそれを教えたくて今回の緊急信号の訓練をしたのだろう。
「それならドク、音が鳴るだけじゃなくて、電気を流すとかできないんですか?そうすれば即座に気付けるでしょう?」
『そこまでの電力をどうやって確保するかだよね。電池をつけるだけでいいけど、それだけの大きさの腕時計は目立つからね。今はその音が精いっぱいさ。日常的に耳を澄ませていてくれるとありがたいよ』
それじゃあ、卒業旅行、楽しんでねというだけ言ってドクは通話を切る。周介は携帯を耳から離し、再び目の前に広がる景色を見た。
この光景が、一瞬のうちに。
そんなことを考えて、周介は一瞬首を振ってから友人たちの待つトイレの方へと向かっていた。