0291
暗闇の中、遠くでヘリの音が聞こえた気がした。静寂の中にあった彼女は、そのヘリの音で目を覚ましていた。
彼女が意識を失っていたのはどれほどの時間だっただろうか。
何が起きたのか、彼女自身理解しきれていなかった。
確か昼近くまで寝てしまい、両親が出掛けているということを知ったため、とりあえず遅めの朝食兼昼食を取ろうと自分の部屋から冷蔵庫のある場所まで移動していたはずだった。
だがその時に、地面が揺れた。
地震はそこまで珍しくはなかった。つい先日も同じようなことがあったはずだった。
だが今回の地震は一つ違うところがあった。それは地震が起きてから少しして、大きな音とともに家そのものが大きく揺れ、そして甲高い音や何かがきしむ音とともに強い衝撃が加わったことである。
彼女はそれがどういうことなのか理解はできなかった。だが衝撃が加わって少ししてその体が投げ出され、何かに頭をぶつけて気を失ってしまっていた。
気を失っていた時間がどれほどなのかはわからなかった。自分が今どういう状況なのかもわからなかった。
一つ一つ、彼女は自分の体を確認していく。
手は動く。足も動く。頭はやや痛みを覚えているが、血などは出ていないようだった。
彼女は自分の周りを手で探るが、どうやら机か椅子の下にいるようだが、その周りには今まで触ったことがない何かが塞いでいるようだった。
触り続けてそれが一体何であるのか、彼女は何となく判断でき始めていた。
家が崩れたのだと。
周りにあるのは家だったもの。そして自分は衝撃によって椅子か机の下に潜り込む形で倒れたため潰されることがなかったのだろう。
どうなってしまうのだろうか。そんなことを考えてとにかく助けを呼ばなければならないと携帯を探す。
ポケットの中に入っていた携帯を取り出し操作しても、携帯は全く反応してくれなかった。
「ヘイ!緊急ダイヤル!」
身動きが取れない中、指での操作よりも音声による操作の方が確実だと感じたため声を上げるが、それでも携帯は反応してくれなかった。
どうやら地震で倒れてしまった際にどこかにぶつけたからか、壊れてしまっているようだった。
彼女は絶望するが、それでも何かしなければと思い、何とか動いてくれないものかと携帯を操作しようとする。すると、万が一のためにつけてあったストラップ型の笛を思い出す。
防犯用、というより災害用に用いられる小さなストラップの笛だ。
彼女は、縋りつく思いでその笛を吹いた。
といっても、笛を吹いたところでこの家の残骸をどかすことができるとも限らない。
だが、彼女の耳に届いているヘリの音はずいぶんと近いように聞こえた。
報道などのヘリではないと思われる。これだけ近くに居続けるということは何かしら目的をもって飛んでいる。
とにかく彼女は笛を吹き続けた。ヘリの音でかき消されることがないように、強く、大きく。
僅かに頬を撫でる空気の流れが、どこかに通じて空気を送り込んでくれていることはすぐに分かった。空気の心配はない。怪我をしているわけでもない。だが、彼女は不安で仕方がなかった。
自分が普段持ち歩くものがない。それがないだけで、彼女の知覚できる範囲はかなり狭まってしまう。
周りに何があるのかわからない。そんなことは当たり前だった彼女にとっても、身動きが満足にとれず、閉鎖空間に閉じ込められるというのは初めての経験だった。
笛を吹き続ける彼女のもとに、一体いつ助けが来るのか、それはわからない。そのわからない不安が、彼女を押し潰しそうになっていた。
少なくとも家族は無事のはずだ。自分の家にいたのは自分だけだったはずだ。そう言い聞かせながら、それでもどこかに誰かいないかと、彼女は耳を傾け続けた。
周りに助けられる誰かはいないか、自分を助けてくれる誰かはいないか。そして何よりも、自分の家族は本当に無事なのだろうかと、彼女は疑問と、同時に祈りを捧げ続けた。
どうか無事でありますようにと。
腹の奥がチリチリと焼けるような感覚がする。胸の奥が締め付けられるような感覚がする。強く不安を覚えた時に、よくある感覚だった。
だがそれでも彼女は不安を止められなかった。
瞬間、彼女の脳に不意に今までなかったものが、唐突に叩き込まれ始めた。
僅かな痛みさえ伴って送り込まれていく情報に、彼女は困惑した。
「え?なに……?なに……!?」
暗闇の中、ヘリの音だけが聞こえるその場所の中で、彼女はそれを理解しつつあった。だがそれが一体何なのか全く理解できなかった。
自分の周りにある物体。そして少し遠くにある物、位置が違いすぎる。地面ではない、地面から離れた場所に何かがある。
なにかが高速で動き続けているが、それは部分的であってその物体そのものは動いていなかった。
近くにいるのは五つに分かれた物体がいくつも。それが一体何なのか。そして自分の体、それが同じ形をしているということに気付く。
あまりの情報の多さに、彼女はめまいを起こし、吐き気さえ催してしまう。目が回るというのは、こういうことを言うのだろうか。そんな感想を抱いたのもほんのわずかな間だった。ありとあらゆる情報が、今まで知り得なかった情報が彼女の頭の中に直接入ってくる。手を通さずに、耳を通さずに、脳に直接襲い掛かる。
彼女が最初に抱いたのは恐怖だった。
今まで知らなかった感覚が、知らなかったことが唐突に彼女に襲い掛かり、強い恐怖と、不安を覚えていた。
そして、彼女自身も気づいていないことだった。彼女が開いた眼が、蒼く輝いていたことを。
「おい、なんか聞こえないか?」
「え?なんかって?」
家屋の撤去の為にワイヤーなどを通している際、周介はその音を聞いていた。何か甲高い、鳥の鳴き声のような音。
だがその音は空から聞こえてきてはいなかった。どこかから反響するように届くその音がいったい何なのか、周介はわからなかった。
「ヘリの音がうるさくて聞こえねえよ。もうちょっと遠くにやってくれ」
「あいよ。メイト16、ヘリの高度を上げます。百程度まで上げますんで」
『了解しました。周辺問題ありません。どうぞ』
周介は即座にヘリの高度をある程度まで上げると同時に耳を傾ける。
どこかから聞こえる甲高い音は、確かに聞こえていた。そしてそれは周介だけではなくほかの耳にも届いている。
「これあれじゃないのか?笛」
「笛?なんで笛?」
「ほら、自分の場所を知らせるためのやつだろ。防災グッズの中にある奴!やっぱ埋まってる奴いるんだ!」
「マジか!04!索敵!この辺りから聞こえてるぞ!」
「いる!確かにいる!瓦礫の隙間に入ってるから、たぶん怪我とかは大丈夫だけど、でもなんかもだえてる?」
「そりゃ生き埋めになってりゃもだえもするだろうよ。早く出してやろう。ラビット!ヘリを降ろせ!ワイヤーで瓦礫を持ち上げろ!」
「了解!動かすと別の瓦礫が動くかもしれないから注意。アイヴィー02!先に手を入れといてくれるか?できるだけたくさん!内側から支えてくれ!」
「わかった!けどあんまり期待するなよ?」
周介がヘリを、大網がワイヤーを、手越が手をそれぞれ操る中、スペース隊の人間と瞳たちはとにかく上部の建物をどかし続けていた。
人手で動かせるものをとにかくどかし、大きな残骸をどかした時に崩れることを防止していく。
手越は自分の操る手を使ってまずは被災者のもとに手を届けようとしていた。桐谷の索敵によって案内されながらまずは手で被災者のもとに手を送り届け、小さな破片が万が一にも崩れないようにしようとするのだ。
その間に大網が瓦礫の部分に糸を張り巡らせ小堤が固定する。こうすることで大きな残骸が崩れるのを防止する。
簡易的な対策ではあるが、これが今できる最善の方法でもあった。
「オッケーだ。ゆっくり上げろ。勢い着けるなよ?」
「了解です。上げるぞ!」
周介がヘリをゆっくりと上昇させると、ヘリと結びつけられたワイヤーによって家の残骸がゆっくりと退かされていく。
とはいえ完全な固縛でもないためにいくつかの残骸がこぼれるように落ちてくるが、そのあたりの衝撃は小堤の固定によって完全に防がれているようだった。
「よしよし、この調子で行くぞ。次のワイヤーのセットは?」
「もう終わってる。いつでも」
「適当な場所に残骸降ろしたらすぐにやります!被災者の状況は?」
「02の手にびっくりしてる。無理もないけど」
いきなり体と切り離された手が大量にやってきたらそれは驚きもするだろう。それは無理もない話だ。
手越の操る手に慣れてきた周介も大量の手に襲い掛かられるときはかなり恐怖を覚える。それが初見であれば無理もないだろう。
「ただ、なんか変な感じなのよね」
「変な感じ?」
「うん、なんか、手が迫ってるって言うのがわかってる感じ?まだ到着してない部分にまで意識が向いてる気がする……」
桐谷の索敵はあくまで形状を大まかに把握する程度の性能しかないためにそこまで確かなことは言えないようなのだが、それでも長年索敵をしてきたからか、そういったところまで感知できているようだった。
そして、そうこう話しているといくつもの大きな残骸が取り除かれ、ようやく人が通れる程度の道を作ることに成功していた。
「よし、これくらいならいけるだろ。02!運び出せ!固定済みだから多少乱暴でもいい!怪我はさせるなよ?」
「了解です。04、ナビ頼むぞ。細かいところまではわかんねえからな?」
「わかってる。ゆっくり動かして。暴れないでよ?お願いだから」
助けようとしているという意図は向こうにも伝わっているためか、助けられている人物は動こうとはしないようだった。
だが同時に強い違和感も覚える。その違和感がはっきりと分かったのは、その人物が瓦礫の奥から現れた時だった。
小柄な少女だ。身長は百四十もないであろう程の小柄。小学生だろうかと思えるほどの体格。
だが何よりも周介たちの目を引いたのは、彼女の目だった。
僅かに開いたその眼には、蒼い光が宿っていた。




