0214
「なるほどね。それで、僕のところに相談に来たと」
チームメイトとの話し合いを終えた後、周介はドクの下にやってきていた。相談をしたいという話をしたところ、ドクは小さな会議室、談話室に近い場所に案内してくれ、そこで話をすることにした。
そこにはパイプ椅子に長椅子があるだけの質素な部屋だ。取調室のようにも見えるその部屋で、周介は今回のことを大まかに説明していた。
「はい、度々相談してしまってすいません」
「なに、子供の相談に乗るのは大人の務めでもあるさ。にしても、なかなかどうして素っ頓狂なことを考えついたものだね。ルールを捻じ曲げるんじゃなくて、ルールそのものを変えさせようだなんて」
ドクは周介の考えに驚きながらもうれしそうにしていた。
「すいません、毎度面倒なことを考えて」
「いやいや、むしろ感心しているところさ。君たちくらいの歳の子だと、短絡的な、もとい簡単な手段に出ようとするものだからね。具体的に言えば暴力的だったり、脅しだったりと、先を見ない考えだ。でも君は前回の件を含め、先を見た考え方をしてる。しっかりチームメイトとも話をできているところを見ると考えなしってわけでもない」
実際はチームメイトとの相談をしたほうがいいというのは、前回の依頼の際に手越から受けた助言からくる行動なのだが、そのあたりはドクにとってはどうでもよいことなのだろう。
それを実践しているということこそが重要なのだ。
「さて、話を戻そうか。君の考えをまとめると、組織の方針自体に何か納得いかないこと……まぁ、仕方のないことではあるけれど、倫理的、あるいは道徳的になにか納得できないことがあった時、組織の方針から多少なりとも逸脱した行動をできるようにしたい。そういうことだね?」
「はい、そういうことです。その方法について考えてました」
「その方法としては二通り。一つは君たち自身が力と実績、味方をつけ、組織に例外的にその行動を認めさせること。ただしこの場合、組織の規律が乱れることが考えられるために、あまり推奨はしていない、と」
「はい、俺一人の我儘で組織そのものの運営が危うくなるというのは、正直避けたいです。それによって生じる問題の方が大きいと思うので……」
周介だって自分の我儘をすべて通したいと思うわけではない。組織の中で、どうしても納得がいかないことがあれば、それを変えたいと思っているだけだ。
もちろん、すべてが納得できないというわけではない。この間のペットのことはともかく、以前運んだ死体のことに関して言えば仕方がないといえなくもないのだ。
そういった、事情を知らないからこそ納得がいかないと思ってしまうだけで、その事情を知れば納得せざるを得ないというものもある。
それらをどのように受け取るのか、それは周介の感じ方次第になってしまう。感情論の問題になってしまうために曖昧になる。だからこそルールから逸脱しやすくなってしまっているのだ。
「もう一つは、ルールそのものに君たちのことを明記すること。具体的には特定の条件下において、組織の規律を逸脱した行為をしても良いように、特殊な立ち位置に置く。こうすることで、ルールを尊重しながらも、君達が特別な、規律から逸脱した行為をできるようにすると」
「はい。拳銃を警察や自衛隊がもってもいいように、俺たちのチーム、あるいはいくつかのチームにそういう権限を持たせるのもありなのでは……と、思いました」
「その逸脱の度合いは、まだ草案はないんだね?」
「はい……まだ本当に考えついただけで、組織としてどの規律ならば破ってもいいものか、そのあたりが全くわからなかったもので。ですが、とりあえず誰かを助けるという方向で進めたいなと、思ってます」
周介は組織の規律については疎い。どういう方針で動いているのかというのも、ある程度はわかっていても、それらすべてを知っているわけではない。
瞳に少しずつ教えてもらっているとはいえ、おそらく瞳もすべてを知っているというわけではないだろう。
しかし周介の中では、誰かを助けることができたらなと思っていた。
この組織は能力の隠匿に重点を置きすぎているせいで、命を軽視する傾向がある。いや、道徳的な部分をかなり見ないようにしているというべきだろうか。
組織内における人的資材には気を使っていても、それ以外の存在にあまり気を使っていないような、そんな風に周介には見えたのだ。
そこを変えることができたらと、周介は考えていた。
話をまとめたうえで、ドクは口元に手を当てて何やら考え始めていた。いったい何を考えているのかまではわからないが、周介の考えを咀嚼したうえでどうしたらいいのかを考えているのだろう。
「君のその考えはとても良いことだと思うよ。実際、この組織の方針に不満を持っている者も多い。如何せん規模の大きい組織だ。そういうところで規律を強くすることで、結束、いや、拘束力を高めている面も大きい。何分個人の能力に重きを置いた組織でもあるからね」
「はい、個人の暴走を抑えるために規則を厳しくしているというのは理解できています」
武器などではなく、個人などが内包する能力を使うことを前提とした組織だ。規律で雁字搦めにしなければ個人における暴走を引き起こす。
井巻が新人を組織に入れる際に精神的な圧力をかけるのもそういった側面が大きい。ストレスをかけられた時の対応によって、組織にふさわしいか否かを確認するというのも含まれるのだ。
「そういった部分を含め、君の言ったことが可能かどうかといわれれば……結論から言えば可能だ」
ドクの言葉に、周介は目を見開いていた。
てっきり不可能だといわれると思っていただけにその驚きは大きかった。
「さっきも言ったけど、組織の方針に不満を持っている者は多い。それはこの拠点内だけの話ってわけでも、この日本に限った話でもない。他の拠点、他の国の同組織でも、同様の考えを持っている人間はいるんだよ」
周介たちが所属している組織『五輪正典』これは日本における組織の名前だ。他の国の組織にはまた別の名前がついている。
正確には、同じ目的を持った組織というべきなのか、姉妹組織というべきなのか、そのあたりの正確なところは周介には分らないが、同じ目的を持った組織で、周介と同じ考えを持つ者は多いようだった。
「そういった人物の中に、例外的な行動を可能にする部隊、ないし、僕らの組織とはまた別の組織を設立して、それを行わせるという意見もあるくらいだ。ただ、まだそれに至るには問題が多い」
「問題というのは?」
「簡単に言えば、現場における指揮命令系統とその優先度。これは特に逸脱した行動をした場合に起きやすくなる。例えばAを助けるという目的を逸脱班がしたとしよう。けど、本隊はAを殺すという目的で行動していた場合、どちらを優先するべきかな?」
「それは……」
それは必ず起こるだろう事柄だ。組織の方針に従う本隊が、特定の何かを殺そうとして動いていた時、組織の方針に逸脱した部隊がそれを助けようとした際、必ず衝突することになってしまう。
先のペットの捜索が同じような状態だといえるだろう。組織はペットの処分、殺害を念頭に入れていた。だが周介たちはペットを助けたかった。
異なる二つの考えがあった時、必ず衝突することは想像に難くない。
そういう場合に、どちらを優先するべきなのか。
「この場合で言うと君が言うところの不満は、たぶんだけど、感情的な部分だろう。可哀そうだから助けたい。そんな感情があるんだと思う。けど組織のルールは、あくまでそれを放置することでこのような被害が起きる可能性があるという客観的想定に基づいている。あくまで殺すか生かすかという話に限定されるけどね」
それは、守ることを念頭に置いた組織の考えだ。小より大を生かすために必要な措置だ。天秤の傾きによってどちらを生かすのかを変える。それは理屈によって成り立つものだ。
だが周介が感じているのはあくまで感情の話だ。理屈を覆すことができるような感情というものは、ある種理不尽でしかない。
「そういった時、じゃあどちらを優先させるのかという、そういった条件設定が難しすぎるのさ。どういう場合は生かす、どういう場合は殺す。今までのように機械的な判断ではなく、状況的判断を求められる。それは簡単なことじゃあない。それは、わかるね?」
「はい。この間のようなこともありますし、逆に犯罪者を助けたいって思うような人が出てくる可能性だって……」
「そう、そして話がその先に進むのさ。その逸脱した部隊、あるいは組織を作る際、誰を選定するのか。誰がその部隊ないし組織に入るのか、その選定の基準がないのさ」
規律から逸脱した部隊。それをどのようにして選定するのか。それは特殊な規律を作るのと同じくらいに難易度の高い問題だった。
人間の性質を見極めなければできない、人間の本質を見極めなければできないことだ。
それが一体、どれほど時間がかかることなのか、それがわからないほど周介は馬鹿ではなかった。
「組織の規律を逸脱する以上、自分の行動をある程度自制することができる人間であるべきだ。自らの善性を疑いながら、自問自答しながら、誰かのためにこそ尽くすことができる人間でなければならない。独善的な人間や、悪意を秘めた人間には決してそれを務めさせることはできない。その選定そのものが、現段階ではできないのさ。もちろん自白剤とか能力を使って本心を話させることはできるかもしれないけど、それだって絶対ではないんだよ」
人間が常に本心を話す生き物であれば、そこまで難しくはなかっただろう。だが人間は嘘をつく生き物だ。それは時に、自らの本心を隠し、自らすらも欺くことができてしまう。
ドクの言うように薬や能力などでそういった部分を話させることができるかもしれないが、特定の手段には必ず対抗手段が存在する。薬や能力だって万能ではないのだ。
その中で、一種の善性だけを持つ人間を見極めるというのは困難この上極まりない。
これでもし、一種の悪の心を持っている人間が組織の規律を逸脱した部隊ないし組織に入ったらどのようなことが起きるか。
その危険性を想像した時、周介は背筋が凍る。
「さらに言えば、その人物の能力面での選定もしなければならない。能力面というのは、僕らが有している固有の『能力』だけではなく、判断力、身体能力、知力、そういった部分の総合面だと思ってほしい。それの選定基準もないんだ。うちの組織、というか日本に関してはある種のコンセプトチームの方が多くてね、どのチームをそれに当てるのかというのも、基本的には基準がない」
恥ずかしい話だけどねとドクは困ったように笑う。すでに能力という存在が判明し、組織ができてから半世紀以上が経過しているというのにそのようなこともできていないということを恥じているのかもしれない。
だがそれでも、変えようとしている動きがあること自体は周介にとっては嬉しく感じられることだった。
「つまり、そういった、逸脱できるチームの構想はあっても、それを実現できるだけの具体的な規則や規定が決められてないって言うのが一番の問題ってところなんですね?」
「そういうことさ。もともとそういった想定の下に生まれた組織ではないからね。あくまで能力を制御するために生まれた組織だ。誰かのためにとか、そういう人道的な行動だとかを求めてのものではないから、ある程度度外視になってしまうのは仕方のない事さ」
この組織が出来上がったのがそもそも何十年も前の話だ。海外の組織に至ってはもっと古いかもしれない。
古い組織であれば古い規則も山ほどある。現代の考え方に即したものを作れというほうが難しいのはよくわかる。
何より目的が違うのだ。慈善活動を行う組織であればそういう規則があってもおかしくはないのだろうが、この組織はあくまで能力を統制するためにある。
一般人を巻き込まないように、能力者だけを対象とした組織だ。
一般人への被害を減らすために、一般人への協力を求めることもあるが、そのあたりの情報統制は最低限行っている。そしてその見返りを与えることもあるが、あくまでそれはギブアンドテイク。人を助けるという理念の下に行っているわけではない。
「逆に言えば、そういう構想を具体的にしていけば、そういうチームができるってことですよね?」
「それがチームなのか、あるいは別動隊なのか、はたまた別の組織なのかはわからないけどね。うちで言えば大太刀、小太刀、それにプラスして新しい部隊ができるとか、そういうイメージかなぁ」
戦闘部隊である大太刀部隊。各種支援を行う小太刀部隊。そこに新たな部隊ができるとすればどのような部隊だろうかと周介は考える。
単純に名前で言えば鎧兜や脇差などになるのだろうかと考えて本筋がそこではないということを思い出して首を横に振る。
「でもドク、今後能力の存在が知られちゃうこともあるかもしれないじゃないですか、どっかの一般人に。そういう時のために外聞だけは良くしといたほうがいいんじゃないですか?」
「そういう時は記憶を消せばいいから大丈夫だよ」
「記憶消せるんですか!?」
「そういう能力者もいるからね。使い勝手はだいぶ悪いけれど、そういう能力もあるから一般人にばれても問題はないよ。問題があるとすればネットに上げられちゃうことくらいだよ。一度拡散されちゃったらどうしようもないからね」
「そうなる前に潰す必要があると……携帯とかで撮られてたら一発ですけど」
「まぁぶっちゃけ、そういうのは白部君とかの電子機器系に強い能力者たちにかなり予防してもらってるから割と安全なんだけどね。完璧とは言えないけど」
取れる手段は既にとっているということなのだろう。実際に写真を撮られたとしても多少の予防線を張ることくらいはできるようだが、それでも絶対ではない。
人の口に戸は立てられぬという言葉があるように、少しずつではあるが噂は拡散されている。
うまく都市伝説のように偽装しているが、それが表に出るのも時間の問題なのだろう。
「とはいえ、生放送とかのテレビとかで映っちゃったらどうしようもないですよ。嫌ですよ俺、どっかの着ぐるみとかが天気予報とかやってるときに突撃しちゃうの」
「あははは、もしそうなったらそのマスコットは気の毒だね。完全に仕事を奪われて……」
周介の発言に笑っていたドクは、不意になにかを思いついたのか笑顔のまま停止する。そして徐々に笑顔が真顔になっていき、何やら考え始める。
「ドク?どうしました?」
なにか不味い事でもいっただろうかと周介は不安だったが、ドクはそんな周介の心配を完全に無視して何やら呟きだす。
「そうか、そうだ、実際それが……でも今後……いや、ここだけじゃない……もっと……組織全体で……うん、そうすれば他の……彼らの牽制にも……」
全てを聞くことはできないほどに小さな声で、ドクは何かを高速で考えているようだった。頭がフル回転してしまっているせいで、目の前にいる、先ほどまで一緒に話をしていた周介が完全に目に入っていない。
これは悪い癖が出てしまったなと、周介はため息をつく。一度考えだすと自分の中に没頭してしまうのも、またドクの悪い癖だ。
この状態になったらしばらくかかるかなと思い、周介が携帯を取り出したところでドクはハッと顔を上げる。
「周介君!」
「はい!?あ、ドク、正気に戻りま」
「わかったんだよ!そうだよそうすればよかったんだ!ありがとう君のおかげだ!君のおかげで計画を先に進めることができる!これまであきらめかけていたことを実現できるんだ!君のおかげだ!これほどの幸運がいったいどこに転がっているだろうか!僕は世界一の幸せものさ!」
周介の両肩を掴み、鬼気迫る勢いで話し始めるドクに、周介は悪い癖がまた出ているなと眩暈を起こしながらドクを見る。
完全に正気を失っているのか、その眼は完全に瞳孔が開いてしまっている。素直な感想を言えば、少し怖いほどだった。
「……えっと、何の話ですか?」
「こうしちゃいられない!僕はこれで失礼するよ!早速この話を上の人間にもしなければ!忙しくなるぞ!」
「……話聞いてくれよ……」
談話室から勢いよく飛び出すドクと、その場に取り残された周介。結局周介の中で話は全く進まないまま、そのまま置いてけぼりを食らってしまっていた。




