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「今回、君が何とかしたいと思っているのはあれだろう?人間の都合で動物が殺されるのは気が引けるとか、そういう理由だろう?それはとても良い感性だと思うよ。人間だけではなく、動物にも優しくできる、とても良い考えだと思う。その代わりに犠牲になるかもしれない人間の数を勘定に入れられていれば、なおよかったけれどね」
ドクは周介の意見を否定はしない。そういった考えがあるのも事実だ、それはドクにだってわかっている。
だがドクはその代わりに犠牲になるかもしれない人間のことを考える。ドクにとって人間と動物、どちらを優先するべきなのかと問われれば当然人間の方なのだ。そしてそれは周介だって同じだ。
人間と動物、どちらも善良なものであるのなら、どちらを生かすか。単純に同族だからというのもあるかもしれないが、周介も同じように、人間を選ぶだろう。
だが周介が考えているのはそういうことではないのだ。もちろんそういうことでもあるのだが、人間に被害を出さず、動物も殺すことがないようにしたいのである。
もっと言えば、飼い主と引き離すことだって、あまりしたくはない。
周介だって、願ったことがすべて叶うと思っているほど子供ではない。どうしようもないことだってあるのだろう。
少なくとも能力を持ってしまった動物があのまま一般人である人物のもとにいるのは危険すぎる。だがだからと言って何のためらいもなく殺していいはずがないのだ。
周介は、そんなに簡単に命をあきらめることはできなかった。
「でも、それでも何とかしたいんです。教えてくださいドク、さっき動物が能力を持っている例は他にもあったって言ってましたよね?どんな例があったんですか?」
周介はまだ、能力に関する事情はほとんど知らないといってもいい。特に今まであった事象や事件などは自身が関わったものを除き全く知らなかった。
だからまずは知らなければならない。どういうことがあり、どのように物事が変異していったのか。
どのような原因があってそのようになったのかを知らなければ、別の道を模索することなどできないと考えたのだ。
周介の言葉を聞いて、ドクも周介の考えを察したのか面白そうに笑みを浮かべて小さくうなずく。
「なるほどなるほど。わかった、君に協力しよう。僕が知る限りのことを教えてあげるよ。ただ、その結果、ペットを殺さなければいけない状況になっても恨まないでおくれよ?僕はあくまで知識を貸すだけだ。そのあとどんな判断をするのかは、君次第だ」
ここでこの少年の思いを無碍にするのは大人として格好悪いと思ったのだろうか、それとも単純に周介の成長と事実を知ってから掴み取る選択に興味がわいたのか、周介の背中を強く叩いて激励する。
まだまだ未熟な少年が足掻くその様を見ていたい、すでに道の限られた場所から新たな道を見つけるのを待っているのか、ドクの表情は面白そうなおもちゃを見つけたかのようだった。もっとも、ドクは今までも割と周介をお玩具扱いしていた気がしなくもないが。
「ではまず、動物が能力を発動した事象について紹介していこうか。僕の記憶に新しいのは山間部での登山客の事故だね。これはニュースにも上げられたよ。もっともその時はただの落石事故と伝えられたけどね」
「落石……ですか。っていうかよくそれ動物の仕業ってわかりましたね」
「そりゃね。割と整備された登山道で、しかもしっかりと壁面を落石しないように処理してあったのにいきなりどでかい落石があればそりゃ何かあるんじゃないかって思うさ。少なくとも、その山では場所は若干違うけども同様のことが何度か起きていたしね」
そう言ってドクはもっていた端末を操作して画面を周介に見せる。そこには直径一メートルほどはあろうという巨大な岩があった。
これが登山道に落ちてきたのだという。こんなものが人間に直撃した日には間違いなく即死だ。
「このサイズの岩が何度も落ちてくる。こんな状況は自然界でもなかなかない。国と連動して熊が出るっていう情報を流させてから登山道を閉鎖、うちの調査班がこの山に足を踏み入れてすぐに同じ事象が起きた。意図的にそれが起こされているっていうのはすぐにわかったよ。おかげですぐに解決できた」
「結局どんな動物が……それこそ熊とかですか?」
「いいや、熊なんかじゃない。それをやっていたのは猿だったのさ。そのあたりに生息しているという報告はなかったんだけどね……まぁ野生動物なんてどこに住んでいるかわからないから、そのあたりは仕方がない。所謂ボス猿ってやつなのか、山の中に入ってくる生き物を縄張りに入れないように行動してたようでね」
「能力を、自発的に使ってたんですか?」
「偶然なのかはわからないけどね。攻撃の意志を持って行っていたのは間違いなかった。小太刀部隊と大太刀部隊が連携して処分したよ。被害者がそれほどでなくてよかった」
それほど、という言葉に周介は引っかかりを感じる。
つまり被害者は出たのだ。どの程度なのかは不明だが、誰かがその被害に遭ったのだ。あれほどの落石を起こすことができる能力に晒され、どのような結果になったのか、想像もしたくはないが、能力を使うようになった動物に善悪などというものはない。
あるのは弱肉強食の自然の掟だけだ。人間の薄っぺらい倫理観や道徳など、彼らには通じない。通じるはずもない。
「次に騒ぎになったのは、川の事故だね。ただこれはこの近辺、ぶっちゃけ僕らの管轄外の話になるけども、雨期でもないのにとある川で鉄砲水がいきなり襲い掛かってバーベキューしてた若者が流されたってやつなんだけど」
「あぁ、なんかニュースになってますよね何回か。え?あれってそういうことなんですか?」
「いや全部が全部そういうわけではないけどさ、そう言ったことがあったって話なんだよ」
若者が川辺でバーベキューなどをしていて川に泳ぎに行ったのかよくはわからないが溺れるという事故は毎年夏ごろになると起こっている。それらすべてが能力によって引き起こされたということはないようだが、それでも水の中、あるいはその周辺で生きる動物にも同様の能力の発動があるとは思わなかっただけに周介は驚いていた。
「その時の対象はそれなりに大きな水辺に棲む鳥でさ、結構探すのが大変だったらしいんだよ。捜索班勢ぞろい。ここからも乾君が出張で出ていったくらいだからね」
「この組織出張とかあるんですか」
「そりゃあるさ。僕らが今いるこの場所は関東中越のあたりを活動範囲にしている。そこから外に出ることもある。他の拠点に協力を求められれば当然協力するよ。もっとも、そういうのはピーキーな能力者か、あるいはよほどの実力者じゃないとないけどね」
状況に適した能力を持っていれば当然求められる場面が来れば外に出ることも多くなる。
とはいえそういう状況があるとは言っても周介にとってはまだまだ先のことであり、当分そのようなことはないだろうという考えがあった。
「っと、話がそれたね。まぁそういうこともあって、野生の能力保有動物にはとても手を焼いたのさ。そのすべてで、動物は殺処分されているよ」
「ちなみに、今まで人に飼われていて能力を発現した例はあるんですか?」
「人に飼われていた……という表現が適切かどうかはわからないけれど、海外において自然保護区っていう場所があるんだ。そこに住んでいる動物の一匹、えっと種類は何だったかな?確か哺乳類だったと思う。群れを作ってたらしいから、たぶん草食動物かな?それが能力を保有したことが確認されている」
「その動物は、どうなったんですか?」
「能力を発動した時に、群れを半壊させたとのことだよ。肉片だらけで酷いものだったらしい。報告書のデータは、一部閲覧制限がかけられる程度には凄惨な状況だったようだよ。僕も写真だけは見たけど、あれはちょっと、酷い、という言葉だけでは表現できないね」
人間ならばできたかもしれない能力の加減。最低限のストッパー。動物にはそれがない。それを証明するかのような事象だったのだという。
その場に人間がいたら、群れの動物と同じようにただの肉片になっていたのかもわからない。
「それで、君の意見をもう一度聞こうか。今の話を聞いて、君はまだペットを生かしておかなければいけないと思うかい?万が一が起きたら、それこそ何十人も被害に遭うかもしれない危険物、失礼、危険な生物を生かしておくと」
「……」
曖昧な返事はできなかった。だがドクが聞きたいことに答えなければならなかった。半端な答えは出せない。周介は考えた。どうすればいいのかを。
飼い主のもとに戻せないのは確定事項だ。飼い主が能力者であったなら、まだ多少は心得があったのかもしれないが、残念ながら飼い主である吉野は一般人。
そして一度能力を発動してしまった動物は、以降能力を発動しやすくなってしまうだろう。能力発動の原理が同じであるならば、人間と原理が異なるということは考えにくい。
つまりいつ発動しても不思議はない。そういう状況にあるということだ。
危険は多い。だがだからこそ、危険だからこそ、やる価値があるのではないかとも周介は考えていた。
「この組織は、能力を持っている動物に対しての実験はどの程度行ってきていますか?」
「……それこそそれなりに前……戦争とかを行っていた時代の話だけれど、そう言ったことを大々的に行っていた時期はあったよ。国によっては、動物だけじゃない、人間でも実験を行った記録がある。ただ、行われたというだけで、詳しい情報なんかはほとんど消去されているんだ。道徳に反する、人道に反するようなものも多く行われたということだけれど……」
「能力のことはまだ詳しくわかっていない。原理の解明とかも、ほとんどできていない、そうですよね?」
「……そうだね、その通りだ。マウス実験などをしたいところだけれど、マナの性質自体が未だ不明瞭なうえに、マナに対して耐性を持った、もとい能力を持ったマウスというのも見つかっていないからね」
「じゃあ、今回のペットはどうなんですか?」
「さっきも言ったけれど、危険が多すぎる。能力をいつ発動するかわからないような生き物を手元に置いておけば、それこそいつ暴発するかわからない。拠点への被害が出てしまう可能性がある以上、飼う、あるいは実験用として置いておくこともはばかられるんだよ。はく製にするっていうことなら、話は別かもしれないけれど」
生かしておいたとしてもメリットはなくデメリットはない。能力を保有させた状態にするのであれば、まだ殺したほうが可能性はあるということなのだ。別に死体でも能力を発動し続ける事例も確認できているのだから。
もっとも、周介としては生きていればいいというわけではない。実験動物としていじくりまわすというのも可能な限り避けたかった。
だが、この時点で周介には一つの可能性が見えていた。うまくいく保証はないが、試す価値はあるのではないか。そう思えた。