1708
「というわけだ。アメリカに行く」
いつもの通り、端的に告げられた周介の言葉にラビット隊の面々は各々作業の手を止めていた。
アメリカ。日本から行くにはそこまで近いとは言えない。ただ現代であれば行くことにそこまで苦労はしない。
ただそれは個人的な旅行などでの話だ。仕事でとなると話が違ってくる。
特に周介達ラビット隊は日本の中でも最上位の知名度を有している部隊だ。実力云々はともかく、この世界でラビット隊を知らないものの方が少数だろうという程度には名が知れ渡っている。
そんな部隊が海外に行けば、当然話題になるだろう。ここ最近の活動においてそこまで簡単に海外に行くぞなどと言ったことはない。
少なくとも、雄太がラビット隊に入ってからは初めての事だった。
「兄さん、アメリカに行くって……俺パスポートなんて持ってないですよ?そういうのもっと早く言ってくれないと……今から取りに行くんじゃ時間が……」
「安心しろ。俺の部隊の人間のパスポートはあらかじめ用意してある。あ、ちなみにアメリカに行くとは言ったけど、実際行くのはパナマだからな」
「これ全員の分のパスポートね。みんな中身確認して」
瞳は人形に部隊の部屋の一角にある棚からパスポートの束を取り出すとそれぞれに配っていく。
いつの間にこんなものを作ったのだろうかと、雄太をはじめ出向者組の響と萌子も驚いていた。
「いつの間に……作った覚えないんだけど?勝手に作ったんすか?」
「そりゃそうだろ。いざって時いつでも海外に行けるように、俺の部隊にはいる人間は全員パスポートの取得が義務だ。みんな大事に管理しなさい」
これでいつでも海外に行けるのかという感動と同時にこういうのを勝手に作れてしまうのはどうなのだろうかという疑念が浮かぶ。
ただ、今はそこはどうでもいいのだ。
「兄貴、てっきり俺はアフリカの方に行くことになると思ってたんですが、そっちは放置でいいんすか?」
「あぁ、聞いたところによると、スエズ運河の関係で周辺諸国やら関係してる国が滅茶苦茶やる気を出してるらしい。俺らが行かなくても、たぶん黒幕は見つかるだろうって」
「見つかりますかね……?連中、あれだけ派手なことをやってるにもかかわらず、捕まえられなかったような連中ですよ?何かしらの種があると思ったほうが……」
玄徳の言葉は正論だ。周介も同様のことを考えている。だが同時に、もう一つ別のことも考えていた。
「確かに今までの内容だと捕まりにくいと思ったほうがいいだろうな。ただ、たぶんだけど、今回のスエズ運河で起きたやつは、準備段階か、ただの囮だ」
「どういうことですか?」
今回のスエズの一件、確かに発生した規模とその被害を考えれば間違いなく甚大なものである。そこは間違いない。だが、特殊個体のいない、人類が安息を得られるような土地を作るには圧倒的に足りない。何より、出力が弱すぎる。
大陸プレートやマントルを操作して大陸ごと動かそうなどという計画を立て、一度は実行に起こした研究者がやるには、スエズの一件はあまりにも弱いし小さい。あれでは変換能力者が大量に集まればできてしまうことだ。
「連中は魔石を持ち出したんだぞ?それも各地の研究所から結構な量を。それにしては、スエズの一件は大人しすぎる」
「確かに。報告で確認した限りだと、スエズ運河を広げるような形でしか発動していなかったと……周介さんの言うように、もし囮、ないし準備段階だとすれば……」
「もっと大きな能力発動の前段階。あるいは慣らし運転。あとは意識を集めるための囮……あれだけの経済効果のある運河だもの、各国も無視できない。事実、周りの国が滅茶苦茶注目してるもの」
この世界において輸送というものがどれだけ重要な意味を持っていたか、十年前の事件でこの世界のほとんどの人間が理解した。
物が動かせなければ何もできない。そんな当たり前ではあるが意識しにくかったことをようやく理解することができたのだ。
だからこそ、運河を狙った行動というのは良くも悪くも意識を集めるのには最適だ。もちろん相手の目的にも合致する場所であったのかもしれないが。
「魔石を使った能力発動がそう簡単にできるとは思えないけど、俺みたいな体質を持っていないとも限らないんだ。そう考えると、まだ慣れてない魔石の力に慣れるために使ったって考えても不思議はない。まぁ、そんな奴がいるかって言われると微妙だけど」
自分で言っておきながら周介は自分の意見を否定していた。
魔石を持つものだからこそ分かる。魔石を扱うのは普通の人間では無理だ。鬼怒川達のように生まれ持った人物か、あるいは周介のように肉体そのものを改造されて無理矢理適合させられるか。
どちらにせよこの世界の中でいったいどれほどの割合でそんな人間がいるだろうか。
「俺は囮だと思ってる。スエズと、同じような条件のパナマで、同様なことが起きるんじゃないかと思う。そして、その先がある」
「その先っていうと?」
「たぶん、どこかの大陸を分断する。本番が起きるんじゃないかって思ってるんだよ。もしその研究者が、本当に諦めてなかったら」
普通ならばあり得ない考えだ。大陸を作り替えるなどあり得るはずがない。だが、ラビット隊の面々はよく知っている。
そう言う、普通に考えたらやらないようなことを現実にやってしまった、頭のおかしい技術者がいることを。
そしてその人物と同じように、自分の研究を信じて突き進む男がいても不思議はないと、そう思ってしまっていた。
「とまぁそんな事情で、まず俺たちはパナマに行く。今回の連中がパナマ運河に手を出す可能性が高いってのが理由」
パナマ運河がスエズ運河と同様の条件に近いこともあって、次の標的になる可能性は非常に高い。
「兄貴、ちなみにどれくらいの期間行動することになるんです?相手の動きが不明だと、結構長丁場になると思うんですが」
玄徳の言うように現時点でいつ相手が動くのかもわからないというのが問題でもある。
「あぁ。今アメリカの予知能力者にそのあたりを洗ってもらってる。場所が限定されるから読みやすいだろうとは言ってた」
「なら、美鈴にも見てもらったほうがいいんじゃないですか?その、さっきパスポートは渡してなかったですけど……」
この場にも美鈴はいるがパスポートは先ほど渡されていなかった。彼女がラビット隊ではないため、パスポートを用意していなかった、ということではなく、周介が意図的に渡さなかったのである。
「未来は見てほしいけど、今回美鈴は連れていけない」
「そんな……でも、それじゃ……」
美鈴が可哀そうと口に出しかけて、雄太はその言葉を飲み込む。今回のこれが仲良しグループの旅行などであれば仲間外れはよくないなどと言ったかもしれない。
だが今回のこれは世界規模で問題になっている事件の一端なのだ。そんな事柄に遊び半分で行くかのような言葉はふさわしくはない。
美鈴を連れていけるような現場ではないことは、前衛である雄太もよくわかっていた。
「美鈴、何で連れていけないかはわかるか?」
「危険だから、ですか?」
「それもある。今回の敵は、高確率で魔石持ちだ。研究者の一団とはいえ、研究所を襲うことを成功させてるだけの戦闘能力も持ち合わせてる。まず間違いなく、簡単にはいかない仕事になる。お前を守ってやれるだけの余裕がないかもしれない」
周介達が守ってやれるのであれば、また少し話は違っていたのだろう。
だが今回周介たちが守ってやれるだけの余裕がない可能性が非常に高い。編成上、ただでさえ少ない前衛の雄太を美鈴の護衛にしてやれるだけの余裕がないのが実際のところである。
「あとはお前が貴重な予知能力者だから海外での活動はさせられないっていうのも理由の一つだ。自分がどれだけ貴重な存在か、わかってるな?」
つい先日の問答でも同様のものがあった。だからこそそれに関して今更とやかく言うつもりは美鈴としてもなかった。
ただ、同時に悔しさもある。これだけ大きな事件だ。今後世の中を変えていく一つの分水嶺になることは想像に難くない。
そんな事件の中で足手まといだから連れていけないと明言されたのだ。それが仕方のないことだとは理解できる。だが素直にうなずけるほど美鈴はまだ大人になり切れていなかった。
「ただ、手伝ってほしいことはある」
「予知、ですか」
「そうだ。これから俺達が行くパナマの状況を調べてほしいっていうのもあるけど、お前には俺たちが現地で活動してる時のオペレーターもやってほしい」
「オペレーター……?メイト隊やツクモみたいなことをすればいいんですか?」
現場で活動する部隊には必ずと言っていいほどにツクモやメイト隊のフォローが入る。現地で活動しやすいように状況を伝えたり周辺のデータをまとめたり、あるいは周辺の設備や機関との調整をしたりと、必ず現場活動に必要なサポートをしてくれる。
だが今回周介がやってほしいのはそういうことではなかった。
「そう言う専門のサポートはメイト隊の人たちに任せる。お前にやってもらいたいのは俺たち現地で活動する人間の未来視だ。拠点から俺たちの装備についてるカメラを通じて、その未来を観測し続けてほしい」
「未来を……ずっと?」
「そうだ。活動時間もわからない、どういうことが起きるかもわからないような現場になるからだいぶハードになる。できるか?」
周介は命令はしなかった。あくまでお願いという形をとっている。
単純に美鈴はクエスト隊であり、ラビット隊の隊長である周介に命令するだけの権限がないというのも理由の一つなのだろう。
だがそれを差し引いても、強制したくないという周介の心遣い程度は美鈴も察することができた。
ハードになると言いながらも、一番きついのは現場で動く周介達だ。それを眺めているだけでハードなどと言っていられない。
膨大な未来を見ることになるだろう。もちろん疲れるだろう。だがその程度何のことはない。
現場に出ればそんな疲労は当たり前になるのだ。これもまた現場で役立つための行為だと、美鈴は割り切っていた。
「でも、私が手伝ってもいいの?」
正直なことを言えば、全く関わらせないと、そんな風に言われると思っていただけに美鈴は少しだけ不安も抱いていた。
過保護すぎる程度には組織は美鈴のことをかなり厳重に管理している。それそのものを咎めるつもりはない。むしろ美鈴としても感謝しているほどだ。
ただ、こういう事態に、どこまで行動を許されるのかは未知数であるため、正直関わる事すら許されないとも思っていたのだ。