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「本当に、周介が出撃しなきゃいけないんですか?」
打ち合わせを終えた周介たちはラビット隊の部屋に戻ってきていた。その中で瞳は一緒にやってきていたドクに問いかける。
「そりゃ僕だって可能なら周介君に出撃させるのは反対だよ?けど……僕が、僕たちがそういう風に仕向けたのもあってさ、長距離運輸に関して周介君以上の逸材はこの拠点や組織にいないんだよ」
ドクは周介が組織内での立場を確立しやすいように周介に、ラビット隊に仕事を与え続けた。
その結果、周介以上の適性があるものがいなくなった。いや、周介の実績と経験がほかの能力者をはるかに凌駕してしまったのだ。
そのおかげでマーカー部隊という組織の顔役になることができたのだから、一概に悪い事ばかりとは言えないのが厄介なところである。
「正直に言えば、周介君の精密検査ができるようになるまでは待っていてほしかったんだけどね……体力だって完璧に戻っているわけではないだろう?」
「んー……感覚的にはどうなんでしょう?軽く体を動かしてみてもだるさとかはないんですよね。ただ、体の内側っていうんでしょうか、そこから力が湧いてくる感じはします。悪い気分ではないですよ」
悪い気分ではないからと言ってそれが正常で、よい傾向かどうかはわからないのだ。その心配を周介は理解していない。
「血を抜くくらいだったらいいんじゃないですか?健康診断で血を抜くことだってあるでしょ?」
「少なくとも体重は以前よりは増えてるし、君の感覚で言えば万全のそれに近いんだろうけども、君わかってる?少し前まで魔石と一体化してたんだよ?ついでに言えば、今も君の心臓は止まったままなんだ。そんな状態で血を抜くってリスクでしかないよ」
「そんな大げさな……いや、心臓が止まってるんだから大げさでもないのか」
未だに周介の心臓は動いていない。血液が血管内で勝手に動いて、蠢いているような状態なのだ。
さらに言えばその血液が全身にいきわたりしっかりと酸素を届けているというのだから恐ろしい。
血液が今までの周介のそれとは全く異なるものになってしまっているのは間違いない。
それをどのように解釈するのかが問題なのだ。生物としては間違いなく異常だ。だが周介の肉体を果たして生物ととっていいのかがわからない。
魔石と同化し、肉体そのものも大きく弄られていることだろう。全身が高濃度のマナを許容できる受容体になっている状態が、果たして人間と言えるのか。
少なくともドクはそんな生き物は知らない。もちろん本人である周介もである。
「いっそのことささくれとか作ってみますか。そこから血をにじませて採取するとか、それくらいだったらいいんじゃないですかね?」
「あー……採血レベルじゃなくてって話?んー……注射するよりはましだけど、余分なものが入りそうだよね……ちゃんと検査用のとして使えるかなぁ……」
「知与、ちょっとナイフ借りるぞ」
「あ!ちょっともう待ってよ!」
ドクの制止なんて全く聞かずに周介はさっさと自分の手の一部、皮膚の表面程度を傷つけてそれを爪で広げていく。
皮膚をはぐような形で広げた傷から赤い血が滲み始める。
「よかった、ちゃんと血は赤い。蒼くなってたらどうしようかと思った」
「あぁもう……後でエイド隊のところに……いや待て、そうだエイド隊の治療もできないかもしれないのか……自己治癒力がどの程度のものなのかわからないけど、最悪の場合は怪我しても治せないってことわかってる?」
「まぁまぁ、ほら、血落としますから。回収してください」
周介は傷のついた指に血を集めるように手で圧迫していく。ドクがシャーレを用意したところで血の雫を落とすが、その瞬間全員が目を見開いた。
血の雫が数滴周介の指先から落ちた瞬間、空中でゆっくりと制止し再び指に戻っていったのだ。
まるで落下の逆再生を見ているような光景に、全員が放心する。唯一状況を理解していないのは血を落とそうとしている周介だけだ。
「あれ?まだ落ちてない?もっと絞らなきゃダメか」
「待った!待って!今何が起きた!?なにした!?」
「え?いや指絞って血を出そうと」
「ちょ、ちょっと待って理解が追い付かない。えぇ……?何?ちょっと待って撮影する。もう一回やってくれる?」
「は、はぁ……じゃあ……」
周介は指の先に血を集めるように手で圧力をかけていくと、先ほどよりも多い血が指先から垂れてシャーレに落ちようとする。だがその途中で再び止まり、周介の指の傷の中に戻っていった。
滲むように指先から漏れていた血液も、体外に出てはいけないことを理解したかのように体内へと戻っている。
その様子を見たドクは頭を抱えてしまっていた。
能力を発動したようなそぶりはなかった。つまりこれは能力ではなく、周介の肉体そのものが持つ性能ということになる。
物理法則に逆らうようなそんなことはあり得ない。だが血液が勝手に動くだなどという現状を思い返すと、何でもありなように思えてしまうのが困ったところである。
「うわなにこれ……気持ち悪!え?血が戻ってく」
周介もドクが撮影した映像を見せてもらってはじめてその状況を理解していた。血液が勝手に体内に戻っていくなどと普通ならあり得ない。だが普通ではないことが今こうして起きているのだ。
自分の体の中で勝手に動き回る血液に関しては周介としては何も思うところはなかったのだが、こうして異常な状況を見せつけられるとさすがに背筋が寒くなる。
「ドクター、やっぱり周介の出撃、取り下げられませんか?さすがにこんな何が起きてるかもわからない状態じゃ……」
「僕もそう思うよ。今から覆すの骨が折れるけど……どうだろうなぁ……できるかなぁ……」
既にロシアの方にも救援をする部隊を送るという形で話を通しているだろう。今更できませんなどと言ったらどのような反応をされるか分かったものではない。
そんな中、周介は自分の傷跡を眺めながら能力を発動する。すると傷跡からわずかに滲んでいる血が蒼く発光しているのが見えた。
「なるほど、血液も光ってるのか。この体の模様も実は血液が光ってるのかな?」
「うわぁお……どうなってるのそれ……ちょっと待って、周介君、さっき引っぺがした皮膚どこにやったの?」
「え?えっと……その辺に……」
「あれもサンプルにするから回収するよ?いやもうどうなってるのさ……あぁあった。この皮膚もくっついたりしないよね?」
ドクは恐る恐る引きちぎられた周介の皮膚を傷ができている指先に近づけてみる。すると僅かに引き付けられているように感じられた。
「うわ、戻ろうとしてるよ。戻しておく?」
「まぁ、一応痛いんで。できるなら」
指先に近づけた皮膚から手を離すと、周介の傷の部分とぴたりと重なるように再び元に戻る。
「これさ、ひょっとして髪の毛も同様かな?ちょっと本格的に一度切っておいたほうがいい気がする」
「でも鬼怒川先輩が引っ張っても千切れなかったんですよ?簡単に切れますかね?」
「……私やってみていいですか?」
手を上げたのは知与だった。知与がこういうことに立候補するというのは非常に珍しい。
何故かと疑問符を浮かべていると、彼女は自分の小太刀を取り出していた。
「断髪っていうより、別の形になりますけど、はさみより切れ味がいいことは保証しますよ」
「おぉ、校長先生直伝の。やってみる価値はあるか」
知与の太刀筋は葛城校長の直伝だ。免許皆伝すら貰っている彼女の技量は本当に高い。
逆に言えば彼女に切れなければ何の能力もかかっていない人間では周介の髪を切るのは不可能ということになる。
一本だけしっかりと押さえて知与の斬撃を待つ。部屋が静寂に包まれる中、知与が目を見開いた瞬間その刀が振るわれた。
音もなく、刀が通り過ぎたかと思えば周介の髪が力なく垂れる。切断できたと喜んだのも一瞬で、垂れた髪が空中で止まり、再びくっついてしまう。先ほどの血液や皮膚と同じ反応だった。
こんな現象が起きていいものかと、ドクは混乱していた。
「体が元に戻る……修復とは違うんだろうけど……んー?どういうことなんだこれ。治癒ではないよね。痛みとかはあるのかい?」
「皮膚を引き千切った時は痛かったですよ?髪は別に痛くはないですけど」
「そうかぁ……痛覚は普通の人と同じ感じか……あれだな……人の反応として考えるからダメなのか。魔石、そうか、魔石の反応として考えればいいのか」
ドクは頭の中でいろいろと考えているようで、何やらぶつぶつと呟いていた。周介はいったい何を考えているのかわからなくて首をかしげてしまう。
「ドク、なんか心当たり在る感じですか?」
「うん。魔石実験の一つに、魔石同士の結合っていうのがあるんだよ。小さな魔石同士をくっつけると、物によってはくっついて同化することがあるってやつなんだけど」
「へぇ……じゃあ今の状態も?」
「可能性はあるよね。周介君の体は高濃度のマナの受容体としての性質と、魔石としての性質を持ち合わせてるのかもしれない」
「魔石と同じって……なんかすごい人間離れしましたね……」
「うん。いやまぁ心臓が止まってる時点でなかなか人間離れしてると思うけどね。ともかく、周介君、現場では本当にお願いだから怪我しないでね。君を治せるかどうかわからないんだから」
「気を付けます。ただ血液が体の中に戻っていくってなったら他のはどうなるんでしょうね?トイレは普通にできてたんで大丈夫だと思ってたんですけど」
「そうだよね……そういえば確認してなかったけど、トイレは大きい方も小さい方も大丈夫だったのかい?」
「はい問題なく。それも検体として採取するなんて言いませんよね?」
「……一度タイミング見て採取したほうがいいかもしれないね。あと、以前研究所でやってもらったことと同じことをしてもらうかもしれない」
研究所でやったことをもう一度。一瞬何を言っているのかわからなかったが、それが自分の精液の採取であるということを理解して周介はものすごく嫌そうな顔をする。
あれは一種のトラウマになるようなものだった。周介のように思春期真っ盛りの男子からすれば周りの人間に自分の精液を見られるなんてことに喜びを感じるようなことはない。
少なくとも周介にはそんな癖はなかった。




