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「おぉ!?百枝!?もう大丈夫なのか!?さっきまで面会謝絶だったのに!」
「ご迷惑おかけしました!とりあえず大丈夫です!」
「本当に大丈夫なのか?もうちょっと休んでてもいいんじゃねえの?」
「そういう訳にもいかないですよ。今までむしろ休み過ぎました!」
鬼怒川に引きずられながら、周介は通りがかりに出会った組織メンバーに挨拶と感謝をしていた。自分を助けるために行動してくれたものは皆、心配して行動してくれたのだ。感謝してもし足りない。
引きずられている今も、多くの者が周介のことを心配していた。たぶん、心配しているのは別の意味合いもあったのだろうが。
「あれ?百枝君?もう大丈夫なのかい?」
「あ、大門さん!その節は本当にお世話になりました。すいません、俺がへまこいたせいでご迷惑を……」
周介は一旦鬼怒川に引きずられるのを止めて姿勢を正す。さすがの鬼怒川も大門を前にしてそのまま引きずり続けるつもりはないのか、歩みを止めてくれていた。
「何を言うんだい。あの時僕らがフォローできなかった。あの時僕らが君を助けられなかった。だから助けに来た。それだけのことだよ」
大門も、そしてこの船に乗っているほとんどのものが同じことを考えたのだ。
何度も何度も周介に力を借りて、何度も何度も周介に助けられて、必ず力になると、そう約束した。だというのに、あの時助けられなかった。力になれなかった。
この船の、いや、拠点の、組織のほとんどの者があの映像を見た。
血を流しながら一般人を守る周介を。
傷つきながら敵に向かう周介を。
小太刀部隊でありながら、小柄な体躯でありながら、戦いなど嫌いだと言いながら、誰も味方がいない中、たった一人で。その体が限界を迎えるまで。
周介を助けたくない、そんな風に考える人間はこの船にはいない。誰もが、周介を助けるためにここに来たのだ。
あの時、助けられなかったことを後悔して。あの時、力になれなかったことに憤慨して。
「無事と言っていいのかわからないけれど、君が生きていてくれて、すごく嬉しいよ。本当に、本当に、ありがとう」
大門は周介の両肩を力強くつかむと、僅かに震えながら精一杯笑みを作って見せる。その目じりに僅かに涙が滲んでいるのは、周介を助けることができたと、こうして話していてようやく実感がわいたからか、心の底から安堵したからか。
「ほら、そろそろ行くよ」
「じゃあ大門さん、またあとで。しばらく訓練してるんで」
再び鬼怒川に引きずられて船の外に出ると、周介は目を見開いた。
広大な、深い青とオレンジの二つの色を携えた空。視界の一角にある、黒い煙を上げている島。そして海に沈もうとしている夕日と、そのオレンジを反射する大海原。
空に浮かぶ雲が、夕日の光によって影を作り、橙、白、黒、青と、様々な色を広げていた。
「……すごい……」
「綺麗だね。いやはや、こういう景色が見られるってのは、ある種の役得だね」
周介の記憶に、僅かにノイズが走る。
自分の手を引く鬼怒川が、一瞬全く別の女性のように見えた。
金色の髪に白い肌。白人の女性だ。今まであったことがないようなタイプの女性である。
屈託のない笑顔を向けながら、その手を引いているその人物に、周介は目を見開いてしまっていた。
夕焼けに染まる世界の中で、その女性がいったい誰だったのか、周介には分らない。覚えていないはずだ。知らない人のはずだ。
だが、一瞬見えたその人物と、夕日に紛れてもう一人、いや二人誰かがいるような、そんな錯覚をしてしまう。
その二人は男性だろうか。そして、夕焼けに溶けるように、その影は消えていく。
「ん?あれ?ど、どうしたの?百枝君?どっか痛い?」
「え?いえ、どこも?」
「だって、ほら、泣いてるじゃん」
「え?」
鬼怒川に頬を撫でられ、それが涙をぬぐってくれた動作なのだと知り、周介はようやく自分が泣いていたのだということに気付く。
何故泣いているのか。周介にもわからない。
一瞬見えた謎の女性と、二人の男性。夕日に溶けるように見えなくなった三人のその姿が、周介には妙に印象的だった。
三人とも、笑っているように見えた。自分の方を見て、何か嬉しそうにしているように見えた。
あの三人はいったい何だったのだろう。何者だったのだろう。周介の記憶の中には、あんな人物たちはいない。
「どうしたの?大丈夫?」
「おい鬼怒川、お前なに大将泣かせてんだよ」
「違う違う!うちなんもしてないよ!?」
追いついた瞳と猛が涙を流し続ける周介の様子を見て心配そうにしてくるが、周介としては何がどうして泣いているのか理解できなかった。
何かが悲しかったわけではない。何か思うところがあったわけでもない。この景色に感動したにしても、別に泣きたいと思ったこともない。
だがどういう訳か、涙が止まらなかったのだ。
「わかんない。なんか涙が止まらん。涙腺壊れたかな?」
拭っても拭っても、涙はしばらく止まってくれなかった。精神的に不安定になっているということなのかもしれないと、瞳たちは周介のことを気遣いながら、鬼怒川から守るように周介の両脇を固めていた。まだ何もしていない鬼怒川はあたふたと慌てることしかできずにいた。




