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「えっと……そもそも血液を送り出すためには心臓が動いてなきゃいけない。ポンプの役割をしてるわけだから。けど……周介君の心臓は動いていないにもかかわらず、血液が勝手に動き続けてる」
心臓が動いているからこそ、血液が動き、肺に取り込まれた酸素を全身に運ぶことができるのだ。
心臓が動いていないにもかかわらず血液だけが動くなどということは決してあり得ない。普通ならば。
「普通なら、あり得ないですよね」
「そう。あり得ないんだ。普通に考えて、心臓が動いてないのに血液が勝手に動くなんてありえない。重力に従って動くならまだしも……小島君、血液の動きは?」
「……私たちの体とほとんど同じです。動脈から細胞へ、そして静脈へ……」
「血液そのものの動きは正常……呼吸をしているようなそぶりはないけれど……いやもうほんとどうなってるんだこの体……」
「ドク、周介は……大丈夫なんですか?」
「……すまない。何も断言できないよ。今の状態が生きているのか死んでいるのか、それすらも定かじゃないんだ……生きていると、思いたいんだけど……」
血液は動き続けている。脳波もある。だが心臓は止まっている。
これほど素っ頓狂な状態もない。血液が勝手に動いているという時点でだいぶおかしな話ではあるが、これが一体どういう状態と言っていいのか、ドクも判別できなかった。
「瞳孔は開いていないから、多少期待したいところだけれど……」
「いったいどうしてそんなことに?」
「……たぶんだけど、例の老人が原因じゃないかな?スカァキ・ラーリス。あれが何かしらの悪さをしたとしか考えられないんだよね……もっと細かな調査をすれば、もうちょっと詳しくわかるかもしれないけれど……」
「……周介……!」
瞳が周介の手を掴む。一瞬誰かが止めようとしたが、間に合うことはなかった。瞳は周介の手を取ってその名を呼びかけ続ける。
だが周介には何の反応もない。瞳の体にも何の影響もなさそうだった。
「……瞳さんが触っても大丈夫っていうことは……魔石とは性質が異なっているって思うべきなんでしょうか?」
「そうだね。どちらかというと鬼怒川君や葛城先生のそれに近いのかもしれない。個人の体の一部として成り立っていて、外部に流れ出すとかそういうことがないのか……どっちにしろ危ないから触らないでほしかったんだけどなぁ……」
触るなと言われても、攫われてずっと安否を心配していた恋人にようやく会えて触るなというほうが酷な話だ。
少なくとも現時点で瞳を引きはがそうとする者はこの場にはいなかった。
ただ、これ以上できることがないというのもまた問題ではある。
「先生、周介さんの治療は……」
「治療、というけどね……どこをどう治療すればいいのか見当もつかないんだよ。今の周介君の体は、普通の人間のそれじゃなくなってる。どんだけ弄繰り回されたんだか……」
スカァキ・ラーリスの手によって弄り回されたと思われる周介の肉体は、もはや普通の人間のそれとは異なりすぎている。
人間の肉体は絶妙なバランスを保って成り立っている。臓器の一つ二つが無くなっても大丈夫な場合もあるが、特定の症状だけを除いただけでは解決しないような場合も存在する。
周介のように全身がそもそも別の存在に作り替えられてしまっている場合、もはや人間と定義していいのかも怪しいものだった。
「とりあえず、こっちから拠点に報告だけはしておこう。それとフシグロ君、世界中の機械の暴走、もう止まってる?」
『現在確認中です。ですが先程の段階で、その効果範囲はかなり狭まっていました。能力発動の発光もなくなったこともあって、ある程度は収まったかと思われます。情報が確定したら都度報告します』
「頼むよ。あー……これどう報告したもんだろうなぁ……周介君の関係は毎回報告するのが億劫になるよ……今回はお金の話じゃないからなおの事」
ドクが携帯を取り出してコールし始めた当たりで、瞳がその手を強くつかみながらその体に触れる。
体に作り出され、体表面にもわかるようになっている妙な形状の筋。能力発動時にはこれらが発光していた。
いったい周介の体がどうなってしまったのか、瞳は不安で仕方がなかった。
「お願い周介……早く起きて……!」
もはや懇願するような瞳の声に、周りの面々は気の毒そうに見ている事しかできなかった。
だがその周りの面々の視線が、驚愕に染まる。
周介の手に顔を擦り付けるようにしている瞳はそれを見ることができていなかった。
扉の向こうから様子を窺っている玄徳たちもまた、目を見開いてしまっている。
「……あれ?ここ何処だ……?」
上半身を起こした周介が、寝ぼけたように呆けた表情をしたままで辺りを見渡していた。
「周……介……?」
「んぁ……?瞳?何?これ?どういうこと?どうなってんの?」
自分の体にあまり見慣れない機械が大量に繋がれていることに気付いたからか、周介は自分の手を掴んで泣きそうになっている瞳を見ても状況が判断できずにいた。
周介が状況を把握するよりも、瞳がその体に抱き着き、扉の向こうにいた面々が部屋になだれ込んでくる方が早かった。
「ぉぉおおぉお!兄貴!兄貴!よくぞ御無事で!!」
「若!よかったっす!うああぁああ!」
「うるせぇ!少し声落とせ!大将この野郎!何考えてんだこのボケ!もうちょっと立場ってもんをだなぁ!」
「なに?なんだよ!?なんだよこれ?!何事!?」
ラビット隊の他の面々が叫んだことで、近くにいた周介の無事が船内にも届いていくのだが、あまりにも状況が変化し過ぎたこともあってドクは報告に迷っていた。
「えっとごめんなさい。さっきのなしで。目を覚ましました。普通に会話してます。えぇ、心臓は止まったままなんですけど……はい。もうちょっと後になったらもう一回報告入れます。はい」
最初はいつ目が覚めるかもわからない、そしてそもそも生きていると定義していいのかもわからないという風に話をしていたために、まさかそんな報告をしている最中に目を覚まされるとは思っておらずドクとしても混乱してしまっていた。
なんでそんな状態なのに目を覚ますことができるのか。そんなことを言われてもドクだってわからない。
正直に言えば、ドクだって手放しで喜びたいところなのだが、周介の肉体の異様さを理解できていないために不安の方が大きくなってしまっていた。
「ドク、ドク!この状況説明してください!何がどうなってるんですか?!っていうかここ何処ですか?この感じ……船の中ですか?」
「あぁ、そういうのわかるんだね。えっと……とりあえずみんな落ち着こうか。まぁ、んな事言っても無理か、とりあえず周介君、無事?でよかったよ」
「なんですかその妙な言い方。え?どうなってるんですか?っていうか何この髪の毛!邪魔!うざ!っていうか色もちょっと変わってない!?ドクなに勝手に人の髪染めてくれてんですか!?」
「僕じゃないよ!?失礼だな!いくら僕だってそんなことしないよ!たまにしか」
目が覚めたら自分の髪が異様に長くなっていることに気付いて周介はさらに混乱してしまっていた。
そんな最中にも玄徳達ラビット隊の面々が騒ぎ散らし、その騒ぎを聞きつけて今回の救助作戦に参加した面々が様子を見に来てこの部屋の一帯の人口密度が一気に高くなってしまっていた。
状況が把握できない周介に必死に抱き着き続ける瞳以外のほとんどの人間が周介の意識が戻ったことに大いに感動し、そして喜んでいた。
騒ぎがどんどんと伝播していく中、少しずつ落ち着きを取り戻しつつある部屋の中の人間をまずは周介が落ち着かせようとしていた。
「玄徳もう落ち着け。言音もいい加減泣き止んでくれ。猛、いつもの文句は後で聞くから。とりあえずだれか俺に状況を説明してくれ。ここはどこ?俺はなんでこんなところで寝てたの?この無駄に長くなった髪は何?」
今目が覚めたばかりの周介は、どうやら気を失う直前、あるいはそれよりもさらに前の記憶がだいぶ欠落しているのか、状況が全く理解できていないようだった。
無理もない。あれほど巨大な魔石と同化し、恐らく周介の体積分魔石と今も同化した状態に近いのだ。意識が戻っただけでも奇跡的で、記憶が多少欠落してしまっていても不思議はない。
「あー……まずその前に確認だね。周介君。君が意識を失う前の最後の記憶はどこだい?」
「え?えーっと……ブルームライダーがまた活動始めるって話になって……会議して……そんで……あれ?」
自分の頭の中の記憶を辿ろうとするも、周介の中でもだいぶ必要な記憶がなくなっていることに気付いているようで多少混乱しているようだった。
ブルームライダーの対策会議のあたりから記憶が飛んでいるというのはかなりの時間の記憶がなくなっていることになる。
単純に一時的なものであればいいが、思い出せなくなったとなると少々面倒なことになりかねなかった。
「いや待って……ブルームライダーが出てきて……そうだ、手越が追加で出てきた能力者と戦って……そのあと……そのあと……どうなったんだっけ……?爆発が起きて……?」
周介は自分で自分の記憶を思い出すことに慣れている。
鬼怒川との訓練で何度も気絶して、その度に記憶を辿る作業を繰り返してきたのだ。
周介自身に思い出させるのが一番手っ取り早く確実だ。逆にそれでも思い出せないような記憶があった時が問題である。
特に組織の人間として行動していた時は、装備の映像などで何があったのかを把握するのはそこまで難しくはない。だが、そのあとに何があったのかを知るのが難しくなる。
無論、無理に思い出させる必要があるかと言えばない。何故ならトイトニーとの会話で幸いにして周介がどのような状態であったのかは判明しているのだから。
周介の表情が僅かに歪む。何かを思い出したのだろう、その記憶が決して良いものではないことも何となく想像がつく。
いきなり多くのことを思い出すのはよくない。特に周介には負担が大きいことを思い出しすぎる。
「周介君、ゆっくりでいい。ゆっくり思い出していけばいい。今は休んでくれ。君の体はかなり痛んでいるんだ。まずは体を休めることが先決だよ」
「……はぁ……そう……ですか……?」
周介は起き上がっていた体を横にされ、それに従った。周介自身も体に残る疲労に抗うことができなかったというのも大きいが、今ここでそれを思い出すのは危険だと判断したのかもしれない。
「はいはい。みんな周介君の生還を喜ぶのはいいけど、まだ全快してないんだから静かにね。当面は面会謝絶だよ。しばらくは関係者以外立ち入り禁止だ」
ドクの言葉に何人かは不満の声が上がるが、それも仕方がないことだと理解もしていた。
周介の状態がどのようなものであるにせよ、かなり危険な状態であったということくらいはわかっているのだ。
多くの者が周介のいる部屋から追い出されることになる。




