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日本を出発してからの航海は、天候にも恵まれ順調だった。唯一の問題と言えば船の作り出す円が一時邪魔した程度。
それ以外の妨害を受けることもなかった一行は、ついにその島を補足していた。
鬼怒川がいった通り、僅かにずれたその軌道の先に、その島はあった。
「ようやく……ようやく……!あぁ、そう……そうだね……わかってるよ」
船の先端で、鬼怒川は薄く笑みを浮かべていた。
その体からわずかに燃えるように揺らめく桃色の毛が顕現し始める。胸元から光が漏れ始めている。
感情の高ぶりにより能力が暴走しかけている。いや、鬼怒川自身暴走させるつもりはないのだ。気が逸っているだけの話。もうすぐ、爆発させられるとわかって肉体がそれに先んじようとしているだけの話である。
もう、抑えられない。
今まで我慢してきた。今まで塞いでいた。今まで加減してきた。内に秘めていた全てをぶちまけることができる場所が、あそこにある。
「ここまで近づいて、ようやく気付けるレベルだ……確かに、あの感じは百枝君の気配だね」
ギリギリ目視できるレベルの距離にまで近づいて、ようやく周介の気配を感じ取ることができるものが何人か出始める。大門もその一人だった。
「鬼怒川君。あともうちょっと我慢してくれるかい?ギリギリまで接近する。それから攻撃開始だよ」
他の大太刀部隊の人間も準備を始めている状態で今にも攻撃を開始しそうな鬼怒川に対してドクが注意するが、鬼怒川は一切そちらへ振り返ろうとはしなかった。
視線は真っすぐに、周介がいるであろう島へと注がれている。
その先にいる、自分の獲物に向けられている。
事前に打ち合わせで決めていたのは、船をある程度まで近づけてからカタパルトなどによって攪乱部隊を射出。そこから目立たないような形、小船、ないし潜水状態で救助部隊が島に上陸。行動を開始するというものだった。
島が目視できた段階では攻撃を開始するつもりはなかった。だが、鬼怒川と何人かの大太刀部隊はそれを否定する考えを抱いていた。
「それじゃ遅い。こっちが向こうを捕捉できてるんだから、向こうもこっちを捕捉できてるって考えたほうがいいでしょ。先制攻撃をするなら早めにしないとダメだよ」
自分たちができることは相手もできると考えたほうがいい。それが鬼怒川の考え方だった。その考え方は否定できない。すでに微かではあるが目視できているのだ。相手だってこの船を視認していても不思議はない。
なにより、鬼怒川が周介の気配を感じ取ったように、相手も能力者の気配を感じ取っていても不思議はないのだ。
何人かの大太刀部隊はその考えに同意していた。これは戦闘を是とする大太刀部隊の、その中でも何度も現場を経験してきたものの勘のようなものだ。
ここを逃がせば先制攻撃の機会は失われると。
ミーティア隊の隊長の射場も同様の意見だった。
「確かに鬼怒川の言う通りだ。俺たちの能力で射出はできる。人員を届けるだけならできるぞ。島まで直接は無理でも、高度とってそこから空挺降下の真似事すれば行けるだろ?パラシュートの使い方は全員わかってるだろうし」
ミーティア隊の能力であれば、物体の射出と軌道の操作ができる。さすがに現状では射程距離から少し離れているが、高度を取る形で射出すればそこから放物線を描く形でギリギリまで移動し、パラシュートなりで着地すればいい。
「パラシュートを使ってる間に撃ち落とされたらどうするんだい?戦力は一度に投下して、相手を制圧、できなければかく乱しなきゃいけないんだよ?やっぱり近づいてから一気に攻め込んだほうが」
「戦力は一度に。それはわかるけど、早く先制攻撃しないといけないのはわかってるでしょ?打ち合わせ通り、うちらかく乱部隊が先に突っ込んでから、その後に救助隊が向かうって形でいいでしょ?」
彼女の視線は島から外れない。敵がいると、自分の獲物があそこにいると確信しているが故の反応だ。
燃えるように揺らめく桃色の毛が早くしろと急かしているようだった。
「一番槍はうちが貰うよ。あいにくうちは飛行機の上から落ちても大丈夫だからね」
そう言えばそんな事やってたなぁと、ラビット隊の何人かが思い出す。
オーガ隊の運搬をやった時、九州の上空の飛行機からオーガ隊の面々はパラシュートの類をつけずにそのまま落下していった。
彼女ならばただ放り投げるだけでも問題なくあの島に着地できるだろう。
「それに、相手にはあの爆発男がいるんでしょ?長距離からでも攻撃されかねない。先に相手の意識を、うちに向けさせる必要がある。他の皆は後から来てもいいけど、誰よりも先にうちが突っ込まなきゃ」
楽しそうに笑っている鬼怒川に対し、それが結局理由なのかと多くの者が苦笑する。
だが道理でもある。
インクバォの射程距離は異常だ。そしてその攻撃精度も、攻撃力も高すぎる。
この距離で攻撃されることはないと思いたいが、それだって定かではないのだ。
これ以上近づいたら船を攻撃される可能性もある。その辺りを含めて、鬼怒川は自分が先に行くべきだと、そう確信していた。
「お願い。うちに行かせて」
大太刀部隊全ての人間の先駆け。周介を助けるという意味だけではない。全員を守るために、自分が盾になる必要があるのだと、彼女は本能で察している。
そして、多くの大太刀部隊がそれを認めていた。彼女こそが、全ての先鋒にふさわしいと。
大太刀部隊の面々が多く認めているというのに、ドクだけが反対していても仕方がない。何より今回の指揮官は大太刀部隊大隊長の勝木だ。
ドクはあくまでアドバイザーと船を動かすための機関要員でしかない。
視線で勝木大隊長に意見を求めると、彼も鬼怒川と同様の考えを持っていたからか、小さくうなずいていた。
ここまできたら、さすがに反対するのは無粋というものだと、ドクも諦めた。
「わかった。射場君、射出頼めるかい?鬼怒川君が突っ込んだのち、かく乱部隊を射出。タイミングを見誤らないようにね。その後接近して救助部隊を向かわせる。それまでの時間稼ぎと陽動を頼むよ」
「ふっふっふ。うちが時間稼ぎで終わらせるとでも?」
森林地帯や山などが見えている島だが、鬼怒川が本気で暴れたらどうなるかわからない。
おそらくあの島が更地になるか、あるいは島としての原形をとどめなくなるかの二択だろうということは全員理解していた。
「あと一つ。みんな鬼怒川君の戦闘に巻き込まれないように注意してね。難しいとは思うけど」
「それは雨の中走るけど濡れるなって言われてるようなもんじゃね?」
「確かに。難易度高いってレベルじゃねえぞ」
鬼怒川の戦闘に巻き込まれないようにする。言葉で言うのは簡単だが実際簡単にできるようなことではない。
何より鬼怒川はいつもの訓練のように加減をするつもりがない。全力で戦うつもりだ。
そんな能力者が近くにいて、巻き込まれないようにするなどと、できることは祈ることくらいのものである。
「そんじゃ行くよ。細かい調整任せるから、空中に撃ち出してくれればいいや」
鬼怒川が能力を発動してその姿を鬼のそれへと変化させていく。
周りを囲むようにミーティア隊の面々が射出角度などの相談などをしてから、鬼怒川に能力を掛けていく。
「気を付けろよ。相手だって攻撃してくるぞ」
「わかってるよ。うちに攻撃を通したかったら、アカちゃんでも連れてくるんだね」
自分にダメージを与えられるのは同格である辰巳だけであると確信している鬼怒川だが、その目には一切の油断がない。
能力をどんどん強めていき、その出力が最大に近づこうというところでその肉体が勢いよく射出された。
急激な加速により鬼怒川は最初驚いたが、この程度の加速であれば問題はないと、視線の先にある島を見る。
そして徐々に高度が上がっていくと、島の一角から蒼い光が放たれていることに気付く。
島の外側から、水平からではちょうど見ることのできなかった光に鬼怒川は一瞬疑問符を抱くが、そんな事を考えている余裕はなかった。
あと半分。船と島のちょうど間までやって来たところで、鬼怒川の体の周りで唐突に爆発が巻き起こった。
それを見ていた全員が驚愕する。
あれほどの距離でも攻撃可能であることに加え、鬼怒川の位置を正確に把握して爆破した。
恐ろしい能力の精度と察知能力だ。
爆破された鬼怒川にはダメージこそないものの、射場達の能力から外れ、海の方へと落下していく。
あのまま船で近づいていたら、間違いなく先に攻撃されていたことだろう。鬼怒川や他の大太刀部隊の面々の考えは正しかった。
そして鬼怒川を先に撃ち出さなければ、パラシュートで降下中に全滅していたかもしれない。
それほどの射程距離を有しているのかと、全員が歯噛みする。
だが、誰一人として心配はしていなかった。
その体が海面に着水した瞬間、水面が爆発したかのような水しぶきを上げる。
鬼怒川がただの強化能力者であれば、その身の安全を考えただろう。
鬼怒川がただの変貌能力者であれば、次の手段を考えなければならなかっただろう。
だが、鬼怒川という能力者は、ただの能力者ではないのだ。
海水が断続的に爆発したかのような巨大な水しぶきを上げる。そしてその水飛沫をまき散らしながら、鬼怒川は海面を水平に移動していた。
高速での水面の移動。やっていることは単純だ。水を蹴って走っているのである。
それに気づいた相手も、鬼怒川目掛けて攻撃を仕掛ける。何度か爆発が水面近くで起きるが、鬼怒川は全く止まらない。それどころかさらに加速して一直線に島へと向かっていた。
海面での爆発と水飛沫が船からでも目視できる。
この結果はわかりきっていたことだ。鬼怒川の身体能力であれば、海面を走るくらいのことは容易である。以前他の変貌能力者に水の上の走り方を指導をしていたくらいだ。
爆発と、それによりまき散らされる爆炎と海水を引き千切りながら鬼怒川は一直線に進み、そして、衝撃波が島中に響いた。
いくつかの建物を粉砕し、島の一角には巨大なクレーターができている。
隕石でも落ちて来たのではないかと錯覚するほどのその威力に、島にいた者たちは唖然としてしまっていた。
家から火の手が上がり、砕けた家屋とクレーターのできた一角から、強烈な殺気を放つ鬼が姿を現す。
「さぁて……うちらに喧嘩を売った阿呆ども……覚悟はいいかい?」
もはや手加減などする気は一切ない。
咆哮を上げるその姿を、人間と認識できるものは、その島の中にはいなかった。




