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「どういうことだい?周介君がいる場所だなんて、なんで、わかるのさ?」
「ん?だって向こうの方から、すごいプレッシャーが出てますもん。しかも妙な……殺気とも違う。威圧とも違う。気迫っていうのかな?百枝君の感じです。諦めが悪いっていうか……なんかそんな感じの」
鬼怒川は真っすぐにその先を見ながら、それを感じていた。
この船に乗る中で、いや、この世界中で誰よりも多く周介を追い詰め、誰よりも多く周介を攻撃し、誰よりも多く周介に殺気を向け、誰よりも多く周介の気配を感じ続けた鬼怒川だからこそ、感じ取れるものがあった。
獲物を追う肉食獣のそれに近い鬼怒川が保有する、相手の位置を感じ取る感覚。それに加えて周介を執拗に追い続ける彼女の感性が、知与の索敵も届かない、レーダーの範囲すら超えるその距離でも周介の強すぎる気配を感じ取っていた。
絶対に思い通りになってやるものか。そんな風に主張しているかのようにすら感じられる気迫に、鬼怒川は心底、歓喜に打ち震えていた。
「周介君の……プレッシャー?そんなの……」
ドクがどんなに神経をとがらせても、感覚を鋭くしようとしても、そんなものは一切感じることができなかった。
だが、鬼怒川の言うことだ。決して無視することもできない。
あれほど周介と訓練をした人間だ。ドクは周介と鬼怒川の訓練を映像でしか見たことがないため、本人同士でしかわからないような何かがあっても不思議はない。
ただ、それだけが理由で進行方向を変えることもできなかった。
「……鬼怒川君、今夜もう一度位置確認とかをするよ。その時に、もう一度方向の確認をさせてもらえるかい?」
「もちろん。いつでもいいですよ。うちはもうちょっとここにいますから」
そう言って鬼怒川はその場に座り込む。胡坐をかいて体を揺らしながら楽しそうに鼻歌を奏でるその姿は、遊ぶのが待ち遠しい子供それにそっくりだった。
鬼怒川の張りつめた空気は一切なくなっている。まるで、本当に周介がこの先にいることに関して確信が持てたような、そんな様子だった。
「鬼怒川君、聞いてもいいかい?気配っていうけど……そういうのって、大太刀の人だったら結構わかるものなのかな?」
「どうだろ?でも少なくとも結構な人が感じられると思いますよ?アカちゃんとかも感じ取れてたみたいだし、それに百枝君と訓練した何人かも、感じてたみたいですし」
周介が本気で気迫を放てば、一般人でさえそれを感じ取ることができるのだ。ドクはそういった経験がなかったために、眉唾でしかないのだが、それを感じ取ったことがある人間は少なくない。
「なんなら他の大太刀の人たちも集めて確認してみます?何度か百枝君と訓練したことがある人なら、百枝君が生きてるって、ちゃんと確認できるでしょ」
「……そういうものかなぁ……?僕にはちょっとよくわからない世界だ」
「さすがにこれだけの気配垂れ流して、死んでるってことはないですよ。どんな状態かはわからないですけど……うん。間違いなく、生きてる」
鬼怒川はこの気配が好きだった。この圧力が好きだった。
殺気でも、威圧でも、敵意でもない。ただ自分に対して拮抗してくれる、抗おうとしてくれるその気迫。
鬼怒川に向けられる感情に一番多かったのが諦めや恐怖というものばかりだったからというのも大きい。
訓練する際に、必ずと言っていいほどに向けられる感情がこの二つだけだった。周介にも恐怖という感情はもちろんあった。むしろ常にあった。
だがそれ以上に、決してあきらめないという不屈の感情があった。
だからこそ、周介との訓練を好ましく思ったし、それを屈服させたいという欲求が強くなったのも事実だ。
ドクからすればそういったことは全くわからない話だった。戦闘などからはかけ離れた場所にいる。気配を垂れ流してとか言われても、パッと理解できないのがもどかしいところだった。
「気配……気配かぁ……そのあたり僕は完全に門外漢だからなぁ……この場にいる人たちでわかるかどうか……」
「どうでしょう……他だと……ラビット隊の皆ならもしかしたらわかるかも?結構まだ遠いっぽいから、わかる人は限られると思いますよ」
「ラビット隊の皆か……何となくなぁ……ちょっと今のラビット隊は大人しくしててほしい感はあるんだよね。特に安形君」
「あぁ……」
瞳の精神状態を考慮しているが故に、これ以上精神的に動揺させることは避けたいと考えているのだろう。
その考えが理解できるだけに、鬼怒川も納得するほかなかった。
これ以上期待させないほうがいい。その考えはわかる。
鬼怒川も、周介がまともな状態で生きているとは思っていなかったからこそ、先ほど思いのほか喜んでしまった。
だがどうだろう。気配を垂れ流しているからと言って、その状態がまともなのかどうかは全くと言っていいほどわからないのだ。
無責任に期待させて、大きく落胆させることが良い事とはとても思えない。
「今いる人たちで、百枝君と何回も訓練してた人ってなると……誰だろ?パッとイメージできないんですけど」
「それは僕もだよ。射撃系の人は結構相手をしてたみたいだけど……気配とかそういうのわかる人いるのかな……?」
誰にこの話をするべきか。ドクとしても悩むところではあった。
周介の気配。それがわかる人間は組織内でもかなり限られる。
その気配は周介が本気で集中した時にしか出ない、あるいは本気で威嚇しようとしたときにしか出せないものだ。
それほどに周介を追い詰めたものが、そもそも少ないというのもある。
この船に乗っている人物の中でもそれを味わったことがある人間はかなり少ない。そんな少ない人物の中で、大門が呼び出されていた。
「ね?するでしょ?百枝君の気配」
「んー……んんー……?するかなぁ……?えー……?本当に?」
「本当に!感覚鈍ってるんじゃないですか?」
「んんん……!」
大門は決して感覚が鋭い方ではない。能力者としての経験から、そういった感覚がないとまでは言わないが、遠すぎる気配を感じ取ることはできないようだった。
鬼怒川のように周介に強い執着も抱いていないのも理由の一つかもしれない。少なくとも船の先端まで来ても、周介の放つ気配を感じ取ることはできないようだった。
「これじゃ正しいかどうかはわからないね……鬼怒川君、本当にそんな気配あるのかい?」
「あるんです!本当に!百枝君の気配をうちが間違えるわけないじゃないですか!」
鬼怒川が言うと確かに妙な説得力がある。
周介のことを自らの獲物と言って憚らないこの少女は、どのような状況においても周介との訓練を熱望してきた。
自分が仕留めるのだと、自分こそが周介を倒すのだと。
一種の執着すらも見せたその反応に、一部の者は周介に罪悪感すら抱いたほどだ。大太刀部隊が迷惑をかけてしまって申し訳ないと。
ただそんな執着を見せた鬼怒川がこれほど断言するというのは無視できない。他の大太刀部隊の人間に感じ取れたのであれば、鬼怒川の言葉が真実だということがわかるのだが、その辺りは本人の言であるために第三者の確認が取れなければどうにもわからないところだった。
「でもさ鬼怒川君、周介君の気迫?気配?っていうの?そういうのが感じ取れたからって僕らにできることは全速力を出すことくらいだよ?今のところ変わらないよ」
「だからずれてる進路を直してくれればいいですって。少しでも百枝君のところに行くのを早くしなきゃ」
ずれているというのが具体的にどの程度なのかと言われれば、ほんの僅からしいのだが、実際それがどれくらいのロスを生むのかはわからない。
こうして大門に来てもらったはいいものの、鬼怒川が言うところの気迫と気配を感じ取れなかったということもあってどうしたものかとドクは迷っていた。
「でも、本当に百枝君が無事なら急いだほうがいいでしょうね。それと、ラビット隊の人たちにもこのことを教えてあげたほうがいいんじゃ……」
「それはやめておいたほうがいいと思うな。変にぬか喜びさせるくらいなら、伏せておいたほうがいい。これ以上精神的に不安定にさせるのは得策じゃないよ」
「あぁ……なるほど」
大門も瞳の状態を何度か拠点で見ていた。酷いという以外の言葉が見当たらないほどに憔悴しきった彼女の状態を考えると、今のように少しでも前に向いている状態は少しはましになった程度ではあるが、かなり重要なことでもあった。
そんな彼女を、上げて落とすようなことはしたくない。ドクたちだってそのくらいの分別は持ち合わせているということだ。
「けど、それなら精神的に安定してる人にだけは伝えておいたほうがいいんじゃないですか?何人かはいるでしょう?」
「まぁ……安形君以外のメンバーは比較的落ち着いてはいるよ。加賀君はちょっと空回りしてる感あるけど……それでも自分を落ち着けようとはしてる。それでも、無理してるよ。いろんな意味でね」
玄徳はラビット隊の中で初期メンバーとでもいうべき人間の一人だ。瞳の次に周介との付き合いが長い。
そんな玄徳も、周介がいなくなったことに少なからずショックは受けていた。だが、それでもなんとか自分の役割だけはこなそうと努めていた。
ただそれは表向きだけだ。実際はかなり不安な点も多い。
周介の気配というものを感じ取っているという事実を聞けば、この船の限界を超えて加速しかねない。
この船の限界速度というか、安全に航行できる速度の問題だ。玄徳はあの周介と一緒にあらゆる場所に移動してきた。加速の限界というものも感覚的に理解しているだろう。もし万が一限界を超えるようなことがあればこの船が転覆しかねない。
それはダメだ。この船は現状、この世界に残された唯一といってもいい希望だ。
位置の特定ができても、これだけの人員を派遣できる国はもはや世界には数少ない。そして、相手の実力を考えるとそれを制圧できるだけの戦力を有している国はさらに少ないだろう。
鬼怒川、そして大門。この二人という圧倒的な戦力を有している日本が最後の希望と言ってもよい状況であることは間違いないのだ。
「ラビット隊にこの事は告げられない、教えたら、間違いなく安形君と加賀君の耳にも入る。あの二人は、今この船を動かしている大事な機関員だ。そんな二人が暴走すれば、どうなるかはわかるだろう?」
「それは……まぁ……」
人形を操り船を操作するための人員となっている瞳。船を加速させ机上の速力よりも大幅な加速を行っている玄徳。
この二人がいなくなる、ないし暴走することによって受ける被害は甚大だ。
一日二日の遅れでは取り返せないほどの、最悪たどり着くこともできなくなるかもしれないのだ。
「隠されてても、それはそれで気分が悪いんですけど」
そんな状態にするわけにはいかないと全員が考えていた時、聞き慣れた声がする。そこにいたのはいつの間にか船首にまでやってきていた瞳だった。




