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「さて、ラビット01、大丈夫かね?体に異常は?髪が焦げた程度かな?傷は塞いでおいたのだが」
驚くほどに優しげな声でスカァキ・ラーリスが語り掛ける。何を企んでいるかもわからないような状態であるために、相手に情報は伝えたくない。
だがこの状況下で何かができるほど周介も馬鹿ではない。
先程のようなことがある以上、能力を使えばたちどころに封殺されるだろう。最悪殺されることだってあり得る。
能力を使えば船だって容易に操れるが、ここでそれをしたところで逃げられる保証はない。まずは焦らず情報収集に徹し脱出できる機会をうかがうべきだと、周介は自分に言い聞かせていた。
「穴が開いてた場所が痛いくらいだよ。あと血が足りない。貧血気味だ」
「それはそうだろう。生きている組織を繋げただけの応急処置だ。血が足りないということに関しては、栄養を摂って安静にしておけばそのうち何とかなるだろう。もっとも我々からすれば少し弱っているくらいの方がありがたいわけだけれども」
そんな老人の言葉に周介は舌打ちする。この状況で周介達に満足に食事など与えるはずもない。仮に周介が同じ立場なら、捕虜、ないし人質に与える食事は最低限にして弱らせる。
生かした状態で何かをさせたいのであれば、生きてさえいればいいのであれば、それこそ水と適当な栄養剤でも与えておけばしばらくは生きていられるのだ。
負傷した周介がそんな状況でどれだけ生きていられるかは正直わからない。そもそも周介が意識を失ってからどれほどの時間が経過したのかもわからないのだ。
情報が圧倒的に不足している。行動を起こそうにも情報不足のせいで正しい行動が何なのか判断もできない。
痛みと貧血で思考回路もだいぶ鈍っている。しっかり栄養を摂って睡眠をとりたいところだが、この状況ではそう簡単にはいかなそうだった。
「お前……なんでそんなに流ちょうに話ができている……?痴呆で……碌に動くこともできていなかったはずだ……」
「あぁ、もちろんその通りだ。なかなかの経験だった。いたれりつくせりという日本語はあの時のことを言うのだろうな」
「……演技か……?」
「演技、というのは正確ではない。実際そういう風に体を弄っていただけの話だ。私は体を弄るのがとても得意でね」
スカァキ・ラーリスの能力は生物に対する変換だ。それこそ遺伝子情報レベルでの変換が可能になるという。
つまりは自分の体を変換し、痴呆による肉体能力の衰えなどを再現していたのだろう。脳機能までそれを行っていたかどうかは不明だが、そういった行動をとって世の中の医療機関も含めすべての人間をだましていたのだ。
何故?と聞かれてもその答えはわからない。今こうして何か計画をしている、その計画の準備の一つだったのだろうということしか想像できなかった。
「お前らは……俺たちを捕まえて何をやらせたいんだ……なにが目的だ……」
「何が目的……か……」
周介の問いにスカァキ・ラーリスは少し考えてから周りにいる面々の方に視線を向ける。
「到着まであとどれくらいだったか?」
「えっと……あと二日くらいって言ってたと思いますよ?」
「ふむ……ではラビット01、私たちの目的は、後に話してあげよう。だがもう少し休んでいたまえ。今はまだ混乱していることだろう。君、彼に少しだけ良い食事を与えておいてくれ。考えることもできない状態になっては意味がない」
「え?あ、はい……」
唐突に川木にそのように告げたスカァキ・ラーリスはその場を去っていく。一緒にこの場に来た能力者たちも同様だ。
この場に残されたのは牢に入れられている周介にトイトニー、そして川木とエッジリップだけになっていた。
あのまま情報収集を続けたかったが、どこかに行かれてしまってはどうしようもない。周介は床に倒れるように横になっていた。
「Hey boy!Rabbit!Are you all right!?」
切羽詰まったような声音のトイトニーの声が聞こえてくる。幸いにして周介に負傷らしい負傷はない。髪の毛が少し焦げた程度だ。
「あー……オーライ……オーライトイトニー……あの野郎いきなり爆破してきやがって……死ぬかと思った……」
周介はトイトニーに返事をすると同時に仰向けになって天井を見る。
変換によって雑に作られた牢屋ではあるが元は船室だったのだろうか。少なくとも部屋であった名残が確かに残っていた。
「えっと……本当に大丈夫なのかい?小さいけど爆発が起きてたのに……」
「ギリギリ避けたんで……それよりも……」
周介は牢の壁の影にいるその人物の方に意識を向けていた。
今はもうほとんど動いていない、じっとしたままのエッジリップ。あまりの存在感のなさに先ほど刀が向けられるまで周介はそこにいることすら気付けていなかったのだ。
「エッジリップ……なんでこいつがここに……?」
「エッジ?何だって?」
エッジリップというのは組織内でしか使われていないレッドネームの呼称でしかない。他の人間がそのことを知っているはずもない。川木が知らないのも無理もなかった。
「……そこの刀を持ってるやつのことです……前に、一度相手をしたことがあるんですが……」
「……あぁ、井草刃の事か。こいつそんな風に呼ばれていたんだね」
井草刃。その名前に周介は記憶が刺激される。井草刃翔。それがエッジリップの本名だった。そしてその名前を思い出したのと同時に川木譲。という名前の記憶もよみがえってくる。
井草刃と共に消息不明になった、恐らく協力者だった、元警察官の名前だ。
「川木……川木譲……!」
「え?なんだい?何か用でも……」
周介がその事実に気付いた、というか思い出したことに川木は全く気付いていないようだった。
そんな川木の反応に周介は自分の記憶力のなさにあきれていた。大量殺人を行ったエッジリップこと井草刃翔。そしてそれを助けた川木譲。
日本で言えば指名手配されているレベルの犯罪者が二人。特にその片方は周介を直接殺そうとした人間だ。
そんな人間の気配にも気づけないほどに周介は今、自分で思っている以上に動揺しているのだということを把握しつつあった。
今は落ち着くべきだ。まだまだ知らない情報が山ほどある。焦って行動すれば取り返しがつかないことになると、周介は自分に言い聞かせながら深呼吸する。
「そいつ……エッジリップ……井草刃は……一体いつからそうしてるんだ……?」
「あぁ、ずっとだよ」
「ずっと?」
「君が運び込まれてきたときからずっと、君から離れようとしないんだ。もう三日くらいかな?」
「三日!?」
自分が三日も意識を失っていたのだという事実に周介が驚愕してしまう。
体の痛みのせいもあって、空腹を自覚できていない。あるいは無理矢理に食わされていたのだろうか。どちらにせよ三日もここで寝ていたという事実を自覚したからか、急激に倦怠感が襲い掛かってくる。
だが何よりも問題なのは、エッジリップが、井草刃翔が、どういう訳か周介の近くから離れないという点だ。
周介の顔を、確かにエッジリップは知っていた。一度、言音の家に突っ込んだあの日、不運にもヘルメットが外れてその顔を見ていたはずだ。
だが、周介と戦ったということに関しては、覚えているかどうかは定かではない。
何せあの時でさえ、エッジリップは正気ではなかった。赤目の、過剰供給状態が引き起こされたせいで自我が崩壊したのか、それとも正気を保てなくなったのか。
どちらにせよ会話も碌に成り立たなかったのだ。そんな人物がなぜ、あの時自分たちすらも殺そうとした男がなぜ、今こうしてこの場にいるのか。
周介を誘拐したグループと行動を共にしているその経緯もそうだが、先ほどのインクバォに刀を向けた行為。まるで周介を守ろうとしているかのような行動だった。
状況判断ができない。何がどうなっているのやら。周介は混乱してばかりだ。
船に運ばれてから三日も経っているのであれば、なおのこと自分がどこにいるのかもわかりはしない。
せめて情報を伝える手段でもあればいいのだが、三日も周介の周りで変化がないのであればそれらは既に放棄された後なのだろう。
面倒なことだと、周介は内心舌打ちしていた。
「そいつは……井草刃は。なんで俺の近くに?」
「さぁね?こいつ、最近ずっとぼーっとしてるか独り言ずっと言ってるかって感じだったんだけど、ボロボロの君が来てから様子が変わったんだよ。どういう訳か、君の傍から離れようとしないんだ。ただ今までと違うのは、少し目元がしっかりしているってところかな……?」
周介の側からは見ることができないが、エッジリップの顔つきが変わっているのだという。
どうしてそんな行動をとっているのかまではわからないが、エッジリップは過剰供給状態によって正気を失っている能力者だ。
そんな人間の行動に対して、いちいち理屈を求める方がナンセンスなのだろうと、周介は自分を納得させることにする。
「こいつは、一体いつ頃からここに?いつからあいつらと行動を?」
「尋問かい?捕まってる方が尋問とは、なんというかあれだけど」
「情報がないと、碌に判断できないんですよ」
「まぁいいか。行動を共にし始めたのは……去年の六月だったか。こいつが……ちょっとまぁ、いろいろあってね。こいつに協力してその……いろいろとやってて」
「ヤクザの事務所襲撃、皆殺し……でしょう?元警察のあなたが、それを助けた……」
周介の言葉に一瞬だけ川木は驚いたような表情を浮かべていた。
薄暗い室内ではその表情の詳細までを知ることはできないが、どこか後悔するような、だが仕方がないとあきらめているような、そんな感情を読み取ることはできた。
「あぁ、知っているんだね。そう、そうだよ。けど、それを決めたのは俺たちだ。こいつが、こいつがそれをすると決めた時から、俺は……こいつの手助けをすると決めたんだ」
それは、二人の間の中でだけある関係の話だ。友情か、あるいは相棒としての信頼か。
もはや人としてまともな思考すらできなくなった同僚を助け続けようとするのは、彼自身のけじめか何かか。
今もなお、エッジリップこと井草刃は周介の牢の近くに座り続けている。先ほど放たれた殺気は感じない。それどころか気配すら、そこにいるとわかっていても周介は感じ取ることができなかった。
「……あいつらが何をしようとしているのか、知ってるんですか?」
「さぁね。けど、少なくとも俺たちがやったこととそう変わりはないだろう」
つまりは、たくさん人を殺すことと同義であると、川木はわかっているのだろう。それでも手を貸すのは、同僚を見捨てることができないからか。
そんな状況に巻き込まれた周介としてはたまったものではない。
そう言うのは自分の関係のないところでやってくれと、周介は床に転がりながら少しでも体力を回復させようと努めていた。組織の仲間が自分の位置を見つけ出してくれることを祈りながら。




