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両者ともにたどたどしい英会話で情報共有した結果わかったことはあまり多くはない。
聞きたいことを聞くにはどのような英語を使えばいいのかわからない日本人の周介。
情報を伝えたいが、伝えたい情報を日本人の子供にも伝わるようにするにはどの程度の英語を使えばいいのかわからないトイトニー。
両者があまり慣れていない状態での情報共有では伝えられることも最低限になってしまう。
トイトニー曰く、彼がこの場所に連れてこられたのはだいぶ前。少なくとも一カ月以上は前である事。時計もカレンダーも窓もなく、時間感覚が非常に曖昧になってしまっているせいで正確な時間がわからないとのことだった。
そして連中の目的は不明。複数人。最低でも十人は確認できたこと。
相手の中には爆発を使う能力者が少なくとも一人はいること。
ここは船であること。かなり大きな船で、時折どこかに停泊しているようだがそこがどこなのかはわからないこと。
結局のところいろいろわからないことだらけだ。だがいくつかの情報は周介が既に知っていた情報と一致する。
特にトイトニーが誘拐されたであろう時期から、既にかなりの時間が経過している。そんな状態で、ずっとこの牢屋の中に入れられていたら精神的に不安定になってもおかしくはない。むしろ精神的に不安定にならずにはいられないだろう。
外の様子は見えず、常に船の揺れを感じ、ただこの部屋に居続けるしかない。会話ができるかどうかも怪しいようなこの薄暗い環境でずっと過ごす。周介だったら一週間持つかどうかも怪しい。
だというのに目の前のトイトニーは非常に理知的に対応しようとしている。これが軍人なのだろうかと、周介もその在り方については見習いたかった。
「あー……状況は最悪……この船がいつ停泊するかもわからないうえに……今どこにいるかもわからない……んで現在位置を知らせるようなものもない……川木さんさ……俺の道具とかは全部捨てられたの?」
「さぁ、その辺りは教えられないよ。残念ながらね」
「あぁ……そう……」
さすがに敵側である周介にそんな情報は漏らせないのだろう。人の良さそうな対応をしておきながら、その辺りは立場をわかっている。
元公務員とのことだったが、一体どういう立場の人間だったのだろうかと周介の中で疑問は募っていく。
ただ、そんな会話をしていると、独特な足音が聞こえてくる。
金属製の階段を歩く時の、どこか甲高い足音だ。それも一人ではない。複数人の誰かがこの場所にやってきているのだとわかって、周介は警戒する。
同様にトイトニーも警戒して鉄格子から若干離れていった。周介もそれにならい鉄格子から離れる。
聞こえてきたのは周介の知らない言語だ。日本語ではないし英語でもない。一体どこの言語だろうかと何とか聞き取ろうとしていると、その人物たちがやってくる。
一人は四十代か五十代程度の男性。一人は若い男。二十台くらいだろうか。そして一人は、やや腰の曲がった老人。
その老人を、周介は見たことがあった。
「スカァキ……ラーリス……!」
そう、その人物はスカァキ・ラーリス。以前周介が運んだことのある、最悪の能力者。かつては痴呆が進み、歩くことすらままならなかった人物が、今は平然と歩き、そして話をしている。その言語が何なのかはわからないが、周介にとっては目を疑うような状況だった。
周介がその声を出した瞬間、相手もそれに気づいたのだろう。細い目を周介の方に向け、何か話す。
途中何度か言語が変わり、最終的に日本語のそれに代わった。
「あぁ、すまない。日本語はこれだったな。私も年だな。慣れ親しんだ言語だというのに、すぐに出てこない」
流暢な日本語だ。かつて日本でも活動していたということもあって日本語も堪能なのだろう。
誤算ではあったが、少なくとも何もわからない状況からは脱することができると、周介は内心少しだけ安堵していた。
「久しぶり、なのかな。ラビット01。以前に、私を飛行機で運んだ時、世話になった。あの時は迷惑をかけた。何せ体を、いろいろ……そういじってあった時だったのでね」
若干日本語の喋り方がたどたどしいのは、彼自身も日本語を思い出している最中なのだろう。
それなのにこれほど簡単に日本語を話すことができるというのは驚異的だ。
いや、そんなことは今はどうでもいい。スカァキ・ラーリスがこの場にいる。そのことの方が重要だ。
予想はされていたし、周介もその情報も知っていた。スカァキ・ラーリスの存在がある事はわかっていた。
だがこうして目にして、しかも平然と話している姿を見ると、今まで痴呆の状態だったのが演技か何かだったのだろうということがわかってしまう。
世界中の誰もが、この男に騙されていたということなのだろう。
「なんで……お前がここに……!何が目的だ……!?」
周介のその言葉を聞いて、スカァキ・ラーリスは小さくうなずきながら笑っていた。
何がおかしいのか、その内容を知るよりも早く、中年の男性が前に出てくる。
いったい何だと周介が考えた瞬間
避けろ
周介の感覚が回避を命令する。自分の顔、顔部分が危険だと判断した周介はとっさに床に転がるようにして回避行動をとる。
周介が体を床に転がした次の瞬間には、先ほどまで周介の顔面があった場所に小規模の爆発が起きていた。
完全に周介の顔面を狙った攻撃だった。それが起きた瞬間、スカァキ・ラーリスが咎めるような声を上げる。その言語は日本語ではなかったために何を言ったのかまでは周介はわからなかったが、床を転がりながらも次の回避に備えて態勢を整える。
だが次も同様に回避できるかは怪しかった。全身に走る激痛と失血による倦怠感。鈍くなった体の状態で今の攻撃を避けられたのもほとんど運に近い。
その証拠に小さな爆発に焼かれ、周介の髪が僅かに焦げ臭いにおいを漂わせている。あとほんのゼロコンマ数秒遅れていただけで、周介の顔面は焼け爛れ、最悪死んでいたかもわからなかった。
その場にいた全員が驚き目を見開いているのは、周介に攻撃したことだけではない。周介が攻撃を避けたことにも起因している。
あの攻撃を避けた。何の事前動作もなかった能力の発動を、いったいどうやって避けたのか。誰もその理屈が理解できていない。
唯一、爆発を仕向けた男だけが楽しそうに笑っていた。
爆発。そしてその攻撃を向けられた感覚から、周介は確信する。あの男が、あの笑っている男がブラックネーム『インクバォ』なのだと。
自らに向けられる威圧感、そして圧迫感、殺気。どれをとってもあの時の感覚と酷似していた。
これほどの圧力と殺気を間違えるほど周介の感性は鈍くはなかった。
同時にインクバォも、周介がいったい何者であるのかを把握したようだった。
記憶の中にある、嵐の中のどこかの誰か。顔も名前も、ましてや人種すらも知らなかった、だが記憶に残るある人物。
自分の攻撃を完璧な形で回避して見せたあの能力者。目の前にいるのがその人物なのだと、インクバォは確信していた。
「あんた何考えてんだ!?せっかく生け捕りできたってのに殺す気か!?」
どうやら川木以外にも日本の能力者がいたのか、日本語で咎めだす。やはり周介を生かして捕らえることが目的だったのだろう。しばらくの間殺されることはないとわかりながらも、少しでも気を抜けば先程のような攻撃が飛んでくると確信し、周介は警戒を最大限に高めていた。
インクバォの放つ殺気と、周介の気迫がぶつかり合う。
数少ない牢屋のある空間、鉄筋の鉄格子を挟んで互いの圧がその場の全員の肌を貫いていく。
そんな中、爆発を仕向けた男の首筋目掛け、何かが伸びる。
「……子供に……手を……出すな……!」
首筋に伸びるそれが、刀であると気付くのに少し時間がかかった。そして周介はその声をどこかで聞いたことああった。
その記憶は周介にとってあまりにも強烈なものだったため、すぐに思い出すことができていた。
刀、そしてその声。忘れられるはずもない。かつて周介を殺しかけた、大量殺人犯にしてレッドネーム『エッジリップ』のものだ。
まさかこんなところにいるとは思わず、周介は目を見張るしかなかった。
周介の牢からはちょうど死角になる入り口部分の壁に、ずっといたのだろう。強烈な殺気を放ちながら向けられる刀に、その場の空気が一変する。
いつ戦闘が始まってもおかしくない緊張感がこの空間を支配する。
よりにもよって装備のない状態でこの男がいるのかと、どうしてこの状況下でこいつらと一緒にいるのかと、周介は歯噛みしていた。
このままではぶつかる。どちらかが先に仕掛ければそれで始まってしまう。
全員の緊張が最高潮に達しようという時、先に動いたのはインクバォだった。両手を上げて肩をすくめ、ここは引いてやると言わんばかりに一歩引いて踵を返していた。
この場からいなくなる前に一度歩を止め、周介の方を見る。
その目は楽しそうだった。本当に楽しそうで、嬉しそうだった。新しいおもちゃを得たような、新しい獲物を得たような、そんなものを与えられた子供のようで野獣のような目をしていた。
その目を周介は知っている。周介の身近であの目をしているものがいた。
鬼怒川桜花。周介の先輩で、周介を獲物と言ってはばからない大太刀部隊きっての傑物。
鬼怒川と同じ目をしているという時点で、周介の中でのインクバォの評価は恐ろしいほどの危険人物だと定義されていた。
少なくとも現時点で、この周辺に存在している中で、誰よりも危険で恐ろしい人物であると確信してしまう。
インクバォがいなくなったことで、この場の空気は僅かに弛緩していた。その空気を感じ取ったのか、エッジリップは刀を降ろし、その場に座り込んだ。周介の方からは見ることはできないが、先ほどまでもずっと、このように周介の牢の前で座り続けていたのである。
周介がこの場に運び込まれてからずっと。ボロボロの周介がこの牢に入れられてからずっと、エッジリップはこの場所にいるのだ。
「なんなんだあいつ……この作戦理解してねえわけじゃねえだろうに……」
「まったくあの子は……私も肝が冷えた。あとで私から叱っておこう。ここは気を静めてくれるかね?」
憤る能力者に対してスカァキ・ラーリスがなだめるように言うと、さすがに何も言い返せないのか、文句は言わなくなるも小さく舌打ちしていた。
この場の連中の力関係が若干わかってくる。恐らく頂点にいるのがスカァキ・ラーリスで、その下にいるのがインクバォ。どういった関係なのかは不明だが、そのような形で取りまとめられているのは間違いなかった。




