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暗闇の中、僅かに揺れを感じる中、微睡からゆっくりとその意識が覚醒していく。
目を開けると、そこはどこかの小さな部屋だった。
薄暗く、目を覚ましたばかりだからか視界は未だぼやけていて周囲の詳細を確認することができなかった。
体を動かそうとすると、いつの間にか腕が後ろに回され、ロープか何かで縛られているようで上手く体を動かすことができなかった。
だが、動かすことができなかったのは幸運だったかもしれない。僅かに体をよじっただけで、腹部に走る激痛。そしてそれに次いで腕や足に同様の痛みが走る。
「っぁ……!……つぅ……!」
脳まで痺れるほどの痛みが骨の内側をのたうち回っているかのようだった。
そしてその激痛からいったい何があったのかを周介は思い出していく。
羽田空港での戦闘。その際に負傷し、意識を失ったのだ。
今自分がどこにいるのか、どうなっているのかもわからない。まずは情報を確認しなければと、自分が転がされている部屋と自分の状況を確認しようとする。
いつの間にか、装備は外されているのだろう。周介が今身に着けているのはいつも装備の下に身に着けているインナーだけにされていた。上半身、及び下半身の装備関係もすべて外されてしまっているようだった。
頭部の装備も外されている。これでは無線などで助けを呼ぶこともできない。
部屋は三メートル四方の小さな部屋だ。いや、部屋と言っていいのかもわからない。よくよく見れば変換能力によって無理矢理部屋の形に作られただけのもののようで、能力の変換による細かな痕が残っている。
そしてその出入り口は、所謂牢屋のそれのように鉄格子のようなものが作られてる。
その鉄格子自体も鉄筋で作られたものでだいぶ粗雑だ。あり物で作ったというのがありありとわかる程度のものである。
周辺の状況を観察しているうちに、体にかかる僅かな重力の変化を感じる。大きく、だが確実に揺れているのだとわかる。周介は以前この感覚を何度か感じたことがあった。
大型の船だ。大きな船特有の大きなゆっくりとした揺れ。周介は何度も乗ったことがあるためにそのことにすぐに気付けた。
自分の中の記憶では転移した後、飛行機に運ばれたはずだった。だがその後に再び転移して船の方に転移したのだろうということを周介は想像する。
この船こそが敵の拠点なのか、それともこの船も無理矢理に奪ったものなのか。今の段階では判断できない。
周介は能力を発動して状況判断しようとするも、腹部をはじめとする全身の痛みのせいで上手く能力を発動できない。
血を多く失っているせいもあってか意識も朦朧とする。だがそれでも能力を遣わなければ状況を把握できないと、目を閉じて大きく深呼吸して集中を高める。
回転する能力は使わない。あくまで使うのは僅かに存在している知覚能力だ。
回転させられる物体を何となく知覚できる索敵能力。周介にとって実は生命線といってもいいような能力を発動し、周辺の状況の把握に努める。
すると不可思議なことに、自分のいる場所のすぐそば、距離にすれば十メートルも離れていない場所に慣れ親しんだ形がある事に気付く。
周介の装備だ。取り外された装備がこの近くに置かれている。無造作に転がされているのだろうが、それほど遠い距離ではない。
とはいえまだ脱出できるかどうかもわからない状態で装備を操るわけにはいかないと、さらに状況把握に努める。
今周介のいる位置と、船の大まかな形を部品から把握していく。痛みと出血で集中が乱されているせいか、船全体の大きさを把握することはできない。だがスクリューの位置は把握できた。
そして船の中に何回か使ったことがあるような形のものがある事に気付く。クレーンだ。
船にクレーンが搭載されている形というのは珍しくはない。特に貨物船などではよくある形状だ。
この船が貨物船で、それなり以上の大きさを保有していることはわかった。そして周介がいる位置も、船の半分よりは後方に位置していることも。
そこまで考えて周介は一旦能力を解除する。そして自分の体の状態を確認しようとした。
記憶では腹を貫かれていたはずだった。今の状態はどうだろうと考えながら腹を見ると、そこにはすでに突き刺さっていたはずの棘はなかった。
腹に空いているはずの穴もない。出血も止められているようで、何かしらの手段で治癒を施されたのは明らかだった。
だが、痛みはある。どうやらだいぶ乱暴な治療方法をしたらしい。傷口を見ることはできなかったが、強引に出血を止めることさえできればいいというような方法をとったようだった。
その証拠に、エイド隊などが治療した時などではありえないような痛みが未だ強く残っている。
出血と穴が塞がっているという自覚が生まれたためか、先ほどよりは少し痛みはましになっているとはいえ、それでも上手く動けないことに変わりはなかった。
「ぁ……くそ……」
自分は捕まったのだ。誘拐されているのだと理解して自分の間抜けさに苛立ちを隠せなかった。
あの場でもう少し、もう少し耐えることができていれば増援が間に合ったかもしれないのに。
いざというところで戦闘能力の低さが露呈した。今頃組織はどうなっているのだろうかと緩やかに揺れる船の一室で周介は歯噛みしていた。
「起きたかい?」
周介が歯を食いしばって荒く息を吐いていると、不意に声が聞こえる。日本語だ。だが聞いたことのない声だった。
いったい誰だ。周介が目を向けると、薄暗い部屋の、鉄格子の向こうに一人の男性がいるのがわかる。
薄暗いせいでその顔はよく見えない。未だ周介の視界が霞んでいるというのもあるが、少なくともその男性の声からは敵意のようなものは感じられなかった。
「……あんた……は……んぐ…………!」
「動かないほうがいい。傷は塞いだと言っていたけれど、たぶん本当に塞いだだけなんだろう。出血も酷かった。安静にしておいたほうが身のためだよ」
その声は本気で周介のことを気遣っているように聞こえる。だが傷を塞いだ、などということを知っているということは敵の、周介と戦った連中の仲間である可能性が非常に高い。
余計なことを話すべきではないが、とにかく情報が欲しい。
「ここはどこだ……あんたは……」
「ここは船の上だよ。今どのあたりかまではわからない。太平洋のどこかだっていうのはわかるかな。あぁ、僕は川木。川木譲。日本人だよ。君と同じね」
川木譲。周介の記憶の中に引っかかるものがある。一体どこだったか、その名前を聞いたことがある。
だが朦朧とする意識と目覚めたばかりの脳ではその名前を思い出すことはできなかった。
「にしても驚いたよ。映像で見ていたラビット隊の隊長が、君みたいな子供だったなんて……少し、意外だった」
周介の素性は知らないようだが、ラビット隊の隊長であるということは知っている。やはり周介が戦った人間の仲間である可能性が非常に高い。装備を脱がされたタイミングにもよるだろうが、少なくとも偶然この場に居合わせたわけではないのだろう。
わざわざこの牢屋の近くで待機していたということは、恐らくは周介の見張りのためにやってきたのだということくらいはわかる。
「……あんたたちは……なにが……目的なんだ……?」
「あぁ、ごめんよ。その辺りはよくわかってないんだ。俺は体のいい雑用として使われてるだけさ。ここの連中が何をしたいのかなんて、わかってないんだ」
仲間ではあるが、信用はされていないのか。だからこそこんな対応をとっているのか。あるいは周介が子供ように見えたからこのように対応しているのか。
どちらにせよ、周介からすれば情報を知らない人間というのははっきり言って意味がない。
そんな事を考えていると、船室の、少しだけ遠いどこかからか声が聞こえてくる。だがそれは日本語ではなかった。
何やら叫んでいる。それがいったい何を言っているのかはわからなかったが、周介はその声をどこかで聞いたことがあった。
船室を反響して聞こえてくる声は、周介の脳のどこかにある記憶を刺激するが、それを思い出すことはできなかった。
「あぁ、また喚きだした。君より先にここにいるやつでね。アメリカの方の奴なんだけど……君が運ばれてきたときもあぁやって叫び散らしてたよ。怒ってたっていうべきなのかな?あいにく英語は苦手で、あんなに早く話されると何を言っているのかわからないんだけどね」
周介が床をはいずって鉄格子の近くに行くと、同じように鉄格子がいくつかあった。そしてその中の一つ、向かい側にある鉄格子の中にその人物がいる。
その人物の姿は薄暗くてよく見ることはできないが、大柄で、明るい髪の色をしているということくらいはわかった。
「アメリカの……?」
「あぁ、なんて呼んでたっけかな?トイ……トイ……」
「……トイトニー……?」
「あぁそうトイトニーだ。知り合いかい?」
トイトニー。その名前が出てきたときに周介はその声が聞いたことがあるはずだと理解した。
周介は一度、世界一周する時にトイトニーに絡まれた時に無線でその声を聴いているのだ。
嫌な予想ほど、当たってしまうものだ。トイトニーは裏切ったのではなく、捕まっていた。周介と同じように誘拐されていたのだ。
「おい……トイトニー!」
周介がその名を呼んだことで、相手も反応した。だがまくしたてるような早口の英語では何を言っているのかわからない。
こういう時にもっとちゃんと英語を勉強しておくべきだったと後悔してしまう。せめて携帯があればツクモに翻訳してもらえたのだが、恐らく携帯も早い段階で奪われたのだろう。手元には機械らしいものは一切なかった。
自分で解読するしかないのだと理解して、周介は自分が知っている英語で何とか対応するしかなかった。
「カームダウン!あと……えっと……アイム……ジャパニーズ……組織ってなんていうんだ……あと能力者って英語なんて言えばいいんだ……?えっと……エスパー!」
能力者をエスパーと称していいかは正直微妙ではあったが、今は意味が通じてくれればいい。
だが幸いにして、周介の拙い発音でも相手には伝わったのか、『OK,OK』と何度も自分に言い聞かせるような言葉が聞こえてくる。
どうやら相手も混乱ないし動揺はしていても、落ち着こうと努めようとはしているようだった。




