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複数の推進剤を一度に起動し、体に纏わりつく沼と化した床部分を一気に突破すると、周介は近くにある柱を跳躍してその場から離れようとする。当然そうはさせまいと、無数の棘が周介に襲い掛かってくるが、脅威を有した攻撃であれば周介は問題なく感知し、回避はできる。
問題があるとすれば、体を動かすごとに出血が激しくなり、体力が失われているという点と、転移能力者の周介の近くへの転移を察知できないことだ。
「ドク!相手の目的一つ、仮説です。相手の目標は、俺を生かして捕らえること……前の一件と!同じだと思われます」
『っていうか周介君!そんなこと報告する前にその場から離脱して!負傷してるのこっちでも把握してるんだからね!?』
「今逃げたら一般人に攻撃が向く…………俺を逃がしたければ、援軍をとっととここによこしてください」
ドクはぞっとしていた。周介の言葉にではなく、周介の声にだ。今まで聞いたことがないほどに黒く、そして威圧感のある声だった。
先程、あの棘を操っている能力者は子供を攻撃しようとして見せた。しかもそれをこれ見よがしにやって見せたのだ。
周介が庇わなければ、間違いなく子供は串刺しにされていただろう。それだけの殺意を周介は直に感じた。
あれはまた同じことをやる。周介がこの場から離れたら、何度でも同じことをやる。先ほどの見せつけるような攻撃はそれを周介に教えるための行動だ。
周介は、久しぶりに頭に来ていた。
徐々に体から血がなくなっているというのに、頭に血が上るほどに怒りが腹の底から湧き上がってくる。
腹に空いた穴の部分から怒りが漏れ出ることはなく、むしろアドレナリンを分泌し続けていた身を一時的に麻痺させている。
食いしばった歯の奥から血がにじみ出る。喉の奥からせり上がってくる血のせいで呼吸がしにくい。
徐々に力が入らなくなっている。手や足の末端部分が小さく痙攣を繰り返し続ける。だがそんな事より、周介は今目の前にいるであろう、この沼のように変質した一角のどこかにいるであろうこの変換能力者を許すことができなかった。
『ダメだ、まだそっちには人を回せない。例の爆発が……インクバォと思われる能力者が……暴れてるんだ……だから……だからすぐにその場から離脱してくれ!君が失われたらどれだけの損失になるかわかっているのか!?』
「冗談じゃない。誰が簡単に連れ去られてやるもんですか……それに……」
襲い掛かってくる棘をアームですべて叩き落しながら、周介は睨む。アームから蒸気が噴き上がり、よほどの勢いと力を込めて叩きつけたのだろうということがすぐに明らかになっていく。
転移能力者が再び周介の体の上に転移し、抱き着くような形でまとわりつくと同時に再び転移を発動する。
今度は周囲に展開していた棘の目の前に転移させられた。攻撃が当たるように調整をしたのだろう。
周介は脅威を持たないただの転移を察知することが難しい。あまりにも弱すぎる感覚に反応できない。
だが、脅威がある攻撃ならば別だ。転移前であろうと、周介はその攻撃を察知する。
未来予知に匹敵すると言われたほどの周介の感知は、物理的な事象であろうと能力的な現象であろうと全て察知する。
それが自らに迫る脅威であればなおのことだ。
アームを駆使して攻撃を伏せ回避して見せると同時に、周介は転移能力者を思いきりアームで殴りつける。
空中で殴打したために互いに空中で弾かれそれぞれ壁と床に叩きつけられる。
今見つけたいのは変換能力者だ。本体を見つけない限り周介に勝利はない。
そもそも勝利など求めようとは思っていない。ただむかついた。ただ腹が立った。その感情を直接拳に乗せて叩きつけたいと思った。
だが時間もない。腹部に突き刺さっている棘の部分から、徐々に血は失われているのだ。
全力で動けるのもあと何分あるか分かったものではない。
そんな周介のわずかな迷いを感じ取ったのか、あるいは先程のような転移からの追撃でも対応されるとわかり、周介への攻め方を変えたのか、無数に存在している棘の鞭がその方向を変える。
少し離れた位置で、こちらを観察、いや、遠巻きに見守っている一般人に。
「この……クソが……!」
また同じことをやる。あれは同じことをする。その証拠に棘の触手の群れはこれ見よがしに狙いを定めている。
その動作が『これからあいつらを狙うぞと』と、そう言っている。
周りの人間をどのように認識しているのか、そもそも本体がどこにいるのか、周介にはそのあたりはわかりようがなかったが、棘触手の群れが一般人たちを襲うよりも早く跳びかかり、その触手をへし折っていく。
だが全てをへし折るよりも早く、攻撃が一般人目掛けて襲い掛かる。もちろん周介も追い、棘を破壊しながら一般人の眼前に飛び出した。
間に合うかどうか、本当にギリギリのタイミングでアームを叩きつけて一般人への攻撃を全て防ぐが、その反応を待っていましたと言わんばかりに追加の攻撃が襲い掛かる。もちろんその攻撃の目標は周介ではなく一般人だ。
「逃げろ!」
周介は叫びながら襲い掛かる攻撃を叩き落そうとアームを操り始めた。
一般人目掛けて襲い掛かる攻撃を叩き落そうとするも、圧倒的に手が足りない。いや、防ぎきれる範囲が狭すぎる。通路いっぱいに広がっている一般人を守るには周介一人では足りな過ぎた。
自分たちが攻撃の標的になっているということを自覚したからか、一般人は我先にと逃げ始めている。
もっと早くにそういった行動に出てほしかったと周介は内心舌打ちをするが、圧倒的に遅い。もし周介がこの場にいなければ、一般人が射程外に逃げるまでに、少なくとも十人は殺されている。
手が足りない。
六本のアームを駆使してても、そう感じたのは数えるほどだ。体ごと増やしてほしいと感じるほどにはもっとやりたいことが、やらなければならないことが多い。
回避ではなく、防御となると勝手が違う。しかも自分の体を守るのであればともかく、まともに回避行動もとれないような一般人を守るとなると、周介も自分の体を盾にする以外の方法がない。
周介はαが持っていた盾を投擲させると、それを空中でキャッチして、襲い掛かってくる棘を防御する。
だが周介の能力の適用外であるただの盾は、攻撃を受ける度に次々と破損していく。
攻撃の密度は変わっていない。周介の体一つであれば突破して回避もできるというのに後ろにいる一般人を守るためにそれができない。
なんともどかしいのかと、周介は普段自分を守る猛の気持ちが少しわかったような気がした。
もし次があったなら、猛に謝って、もう少し前に出るのは控えようと。そんな事すら考えてしまう程度には。
襲い掛かってくる棘が、周介の背後にいる一般人目掛けて襲い掛かる。だがそれを、周介は盾とアームを使って叩き落した。
「……そこまでだ……!ここから先は、行かせねえぞ……!」
猛がそうしたように、いつでも前に出て盾になるあの姿のように、周介は腕を広げて背後にいる者たちを守る。
あの変換能力者の効果範囲は十数メートル。その範囲の床や壁、建物そのものを変換して沼のように状態を変化させている。
そして時に硬質化させ、形状を殺傷能力の高いものに変えて攻撃を仕掛けてくる。その射程距離は数十メートル。少なくともまだ一般人が逃げきれていない。建物の入り口部分や、人が人を押しのけ合って、通路が完全に詰まってしまっているのだ。変に周介の姿を確認しようとした人間がいたのも原因の一つでもある。
だがその攻撃の範囲内からは徐々に人が少なくなってはいる。このままいけば無事に一般人を逃がしきることができるだろう。
そうなれば周介もこの場から離脱すればいい。一般人がいないのであればわざわざ戦うだけの理由もない。
場所と能力の詳細を告げて、一度離脱すればいいだけの話だ。ただでさえ重傷を負っているのだ。そのくらいのことは許してもらいたいと考えていると、再び転移能力者が消える。
いったいどこに行ったのかと、そう考えていると背後から悲鳴が上がる。そして、再び転移能力者がその場に現れた。その手には、女性が一人、担がれている。折れた腕でよくやるものだと感心するが、その感情もあっという間に怒りで埋め尽くされる。
転移した場所は変換によって作り出された沼の上。その周りにはすでに棘の鞭が大量に作り出されていた。
あの体勢を崩せばどうなるか、馬鹿でもわかる。
串刺しになって、あの女性は死ぬだろう。また、また同じことをやりやがったと、周介は跳びかかる。
意図的に放り投げられ、女性が落下していく。そして無数の棘がその女性目掛けて襲い掛かっていった。
周介は即座に反応して跳躍し落下予測地点に向かい、女性を抱きかかえて避けようとするが、当然避けきれない。
一般人を利用されると、周介の回避能力が著しく低下することを相手は知っているのだ。
既に情報が共有されているのだ。
急所は守り、腕や足の部分にいくつもの棘が刺さっていく中、周介の視線は先ほど転移してきた男に向けられていた。
女性を抱えて跳躍し、床に転がすと周介は即座に叫ぶ。
「逃げろ!走れ!」
短い言葉でも周介の必死さは伝わったのか、先ほど死にかけたということを理解してるのか女性の動き出しは早かった。
だがそんな女性よりも早く、周介は動いていた。
壁、床、天井、それらすべてを足場に跳躍し、転移能力者の背後に回り込む。
「お前はもう動くな」
その側頭部をアームの一撃で強打すると、折れた腕を掴んでそのまま推進剤を起動し壁まで一気に加速する。
推進剤の勢いそのままにその体を壁に叩きつけ、その両足にアームに仕込まれた弾丸をそれぞれ打ち込んでいった。
両腕両足がこれで使い物にならなくなっただろう。もうこれ以上動けないように、周介はワイヤーをその体に巻き付けると杭を打ち込んで床に固定した。
もうこれ以上付き合っていられない。一般人の安全が確保できたら早々にこの場を離脱する必要がある。
組織の増援が来るまでいつまでかかるかもわからないのだ。周介は満身創痍の体を引きずって、未だ逃げきれていない一般人の盾になるべく動き出す。だが、一歩前に踏み出そうとした瞬間、膝が落ちた。




