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今度はいったい何だとその方角を見ると、空港内の一角が異様な形で変化しているのだ。変換系能力によるものだと判断した周介は急遽その場所目掛けて方向転換する。
空港の床、そして壁が本来の形を失ったかのようにうねり、形を変えて波打ち始めている。そしてそのうねりの中に何人もの一般人が取り込まれ始めているのだ。いや、床や壁の中に沈んでいっていると言ったほうがいい。
「くっそ!今度はなんだ!」
周介は転移能力者を近くの鉢植えに放り投げ、沈みかけている一般人の下に跳躍すると噴出装置を最大まで動かして何とか引きずり出す。
「大丈夫ですか!?怪我は!?」
「は、はい……大丈夫、です……!」
周介に抱え上げられた女性は狼狽しながら何度も頷いて自分の無事を伝える。
一人に構っている暇はないと、即座に近くの蠢いていない床のところに女性を立たせると即座に逃げるように伝えて次の一般人の救助へと向かおうとする。
「ドク!空港内にもう一人能力者!一般人が巻き込まれています!変換能力者の可能性大!応援呼べますか!?」
『あぁもうどっちもこっちも!今そっちには周介君しかいないのかい!?羽田空港の人員確認!……爆発!?どこで!?』
どうやらほかの場所も混乱しているようで遠くの方から爆発のような音が聞こえてきていた。
先程海ほたるの方でしていた音に似ている。恐らくはインクバォだ。一体今度はどこに出たのか。そんなことを考えていられるだけの余裕は今の周介にはなかった。底なし沼のように変化している床や壁に沈み込んでいる人数は多い。沈んでいく速度から一人一人対応していたのでは間に合わない。周介は内心舌打ちしながら指示を出す。
「05!ロープ出せ!人を引きずり出せるようにベルトみたいなものも!全員一気に引き上げる!」
『了解っす。ありもので何とかしましょう!』
周介の手元にあるバックからいくつものロープと、ハーネスもどきのようなベルトがいくつも出てくる。
周介はそれを手に取って沈みかけている全員の下に向かうとそれらを胴体などに取り付けていく。
「それをしっかりつかんでください!全員引きずり出しますよ!」
周介は屋内の柱をアームで掴んで体を固定すると、取り込まれつつある一般人たちとつながったロープを残ったアームで引っ張っていく。
人間を十人近く引きずり出そうとする力は、予想以上に必要なのか、アームから蒸気が噴き上がっている。
何人かが既に変化していない、しっかりと歩くことができる場所にたどり着いて変化する床や壁から抜け出して逃げ始めている。
このままいけば全員助けられる。
そう確信していたところに、周介の脅威を察知する感覚に反応がある。
襲い掛かってきたのは床を触手上にし先端を棘のように変化させたものだった。
体を固定している状態で避けられるはずもなく、周介は一度ロープを持っているアームの一つを盾にして攻撃を弾く。
この能力は暴発ではなく、敵だ。そう判断した周介はあの中に本体がいるのだと考えて舌打ちする。もしかしたら今助けようとしている人物の中に本体がいるかもしれない。
この場に知与がいればそのあたりすぐに判別できるのだが、それができないのがもどかしくて仕方がなかった。
「ドク!空港内変換能力者は暴発ではなく敵です!攻撃されています!05!αはまだあるか!?一機だけでもいい!」
『一機だけ残ってます!初期の機体っす!Δは出しますか!?』
「こんな狭い場所じゃΔはまともに動かせない!それに相手の能力との相性が悪い!沈められるだけだ!今は防御の手が欲しい!盾も持たせてくれ!」
『了解っす!α出します!』
周介のカバンの中からαの手が出てきた瞬間、能力でそれを操って即座に飛び出させる。αは盾を担いでおり、いつでも防御に回れるようにしてくれていた。
いつもながら言音の手際の良さには本当に感謝しかなかった。
「引き上げられた人はすぐにその場から離れてください!危険です!」
襲い掛かる棘をαの盾で防ぎながら、周介は一般人たちを引き上げていく。引き上げられた、あるいは無事に抜け出せた一般人は自分の脚でその場から離れていく。さすがに自分たちの命も危険に晒されたということもあってか悠長に写真を撮るような人間はいなかった。
まともな考えを持っている人間であれば、まともな判断力がある人間であれば、そのような行動がとれるはずもなかった。
だがこの中で、そういった常識的な行動がとれないものが存在している。
「らびっと!がんばれ!」
それは子供だ。
自分が危険な場所に行ったら、一体何が起きるか、どうなってしまうのか。そういったことを想像できない子供が、親の目を離したすきに行動を起こしてしまう。
良かれと思って。あるいは良かれとも思っていないかもしれない。衝動的に、ただ感情と本能に任せて行動する。
その結果どうなるか、それが今から起きる。
周介めがけて襲い掛かっていた触手棘のうちの一本が、その子供の方を向く。そしてゆっくりと、じっくりと、狙いを定める。
周介に『今狙っているぞ』と教えるかのように。
他人にまつわる脅威も若干ではあるが感じ取れるようになっていた周介の行動は早かった。棘が子供に襲い掛かるよりも早くロープをαに握らせ柱を掴ませる。そして手が空いたところで子供目掛けて飛びかかる。
瞬間、周介の全身を脅威の感覚が襲う。
逃げろ。逃げろ。当たるな。危険だ。
避ければ子供が貫かれる。子供を突き飛ばすか。あるいは抱きかかえて跳躍するか。
そんな思考にすら割り込むように感覚が告げてくる。
間に合わないと。逃げろと。
だがそれすらも埋めつくす思いが周介にはあった。
今度は助ける。助けて見せる。もう二度と間に合わないなんてことは嫌だ。目の前で誰かが殺されるなんてのは、まっぴらごめんだと。
目の前で白部が貫かれた時、周介は強い後悔に襲われた。あんな思いは二度とごめんだった。
手を伸ばす。
子供を何とか助けようと手を伸ばす。そしてその小さな体を抱え上げた瞬間、襲い掛かっていた棘が周介の体を貫いた。
急所はアームで守っていた。だが守りから外れて、なおかつ装甲が若干薄くなっている脇腹をつらぬいた棘は、周介の体を貫通し、大量の血を床に溢れさせた。
瞬間、口の奥から鉄の味が広がってくる。貫いた棘が内蔵のいくつかを傷つけたのだろうということは想像に難くなかった。
だが、そんなことは今はどうでもよかった。
子供の親らしき人物が顔を真っ青にしてこちらに駆け寄ってきている。周介は子供を立たせると親の方に体を向けてその背を押した。
「行きなさい……走れ!」
周介の声に驚いたのか、怯えたのか、それとも母親が見えてそちらに向かっただけか、子供は母親目掛けて走り出す。
口の中から液体が溢れ出す。唾液ではないのはわかる。鉄分の強い味だ。それが血だということは周介にもわかった。
まず第一に血を止める。周介は即座に突き刺さっている棘をアームでへし折ると装備のベルト部分を強く締め上げ、胴体部分の圧迫を強くする。
棘を引き抜くようなことはしない。そんなことをすれば即座に大量失血し意識を保てなくなるだろう。
同時にαを操作してロープを引っ張り上げさせる。先ほどまでの速度はないが、確実にロープの先にいる一般人を引き上げることができていた。
そんな中でも、床や壁を変換した無数の触手棘が鞭のように襲い掛かってくる。
腕、足、胴体、頭など、回避しなければ直撃してしまうであろう位置目掛けて襲い掛かってくる攻撃の脅威をを周介はすべて感じ取っていた。
周りに一般人がいないのであれば、この程度何の問題にもならないと、周介はアームを使って跳躍し、それらすべてを回避する。
アームで弾き、足場にし、体を捻り跳躍を繰り返し全て体に掠らせもせずに避けきって見せる。
脇腹に刺さったままの棘が強い痛みを放ってくるが、そんなもので周介を止められるはずもなかった。
一人、また一人と壁や床の沼に引きずり込まれていた人々がロープを辿って安全圏に逃げ出していく。
あともう少し、あともう少しで何とかなる。そう考えていた瞬間、周介の体に、再び影が落ちた。
脅威は、感じとれなかった。
自分の上に転移しただけ。そして自分に自由落下してくるだけ。攻撃とすら呼べないようなそんな行動を、周介は脅威として感じとることができなかったのだ。
それ故に、反応が遅れる。普段の周介であればあり得ないほどに反応が遅れ、転移能力者の体が周介の体に落ちてきたとき、ようやくその行動に気付いたほどだった。
空中にいた周介はバランスを崩す。またこの男かと歯噛みするが、今はそんなことをしている場合でもないのだ。
最後の一人をαが引っ張るロープを使って逃げ出したのを確認すると、周介は転移能力者を掴んでその体にアームを叩き込む。どれほど効いているのかもわからないが、攻撃を受けてもその能力者は気絶することなく能力を発動した。
周介と転移能力者の体が、別の場所へと移る
そこは、先ほどまで一般人たちが捕らえられていた床が変質した場所の直上だった。
重力に引かれて落下すると同時に、その変質した部分が周介の体を取り込んでいく。
このままではまずい。だが先ほどから脅威はそこまで強く感じないのだ。先ほどまでのドットノッカーのそれに加え、この能力者たちも脅威が妙に鈍い。
先程子供を刺そうとした一撃以外、攻撃に込められる殺意が鈍い。何故。そこまで考えて、周介は推進剤を起動し、強引に沼のように変質した場所から脱出しようとする。
だが周介を捉えて離そうとしない床を、推進剤一回だけではなかなか抜け出せなかった。
「にが……さない……!連れていく……!」
転移能力者がこぼした言葉に、周介の中で何かが合致する。
もしかして、という憶測も含むが、その考えが浮かんだ時に、何となく腑に落ちてしまうところがいくつかあるのだ。
相手の目的が一体何なのか。何を目的として今回一同が動き出したのか。
相手の狙いは『自分を攫うこと』だと周介は気づいてしまっていた。




