0137
美しい姿勢からなる、堂々たる土下座だった。土下座というものをあまり見たことがない周介でもわかるほどの清々しい土下座だ。
頭を下げ、地面に額をこすりつけた状態から微動だにしない。自分で頭を上げることは、この男はしないだろう。そう確信できるほどの、確固たる意志を感じさせる姿だった。
彼の後ろからは頭を上げてくれと叫ぶ仲間たちの声が飛ぶ。だがそれでも、加賀は全く動かなかった。
「ドク、どうします?」
『ふむ……アルファ01、君の意見を聞こうか。今回は君の行動を支持すると、他のチームも支持してくれている。君の思うことを言ってごらん』
「……こいつは確保します。ですが、後ろの一般人は逃がしてやってもいいように思います」
『その後、彼らがまた暴走行為で他の人に迷惑をかけるかもしれないよ?ここで一網打尽にして、警察という組織に恩を売るというのも一つの手だと思うけど?』
ドクの言うように、確かにそれも一つの手だ。
今回の件が警察の手に余るからこそ、今回痺れを切らせた国交省が組織に依頼を持ち掛けてきた。
だがそれは同時に、警察の面子を潰す行為でもある。今回の依頼が警察ではなく国交省からのものだったのも、面子によるものが大きかったのだろう。あるいは警察の持つプライドというものが邪魔をしたのかもしれない。
それらがなければ、単純に警察からの依頼で最大限の協力体制をとれていたはずだ。それができていないのはつまり、警察としてはこの組織に手柄を取られるのが面白くはないのだろう。
ドラマなどでよくある展開だ。周介はそんなことを考えながら、ドクの言葉を否定する。
「いいえドク、多分ですけど、このままこいつらを一網打尽にしたら、警察の面子を潰します。俺たちの依頼はあくまで能力者の確保。他の仕事は警察に任せておいたほうがいいと思います」
『警察への手向けで恩を売る、あるいは借りを作るよりも、彼らを助けたほうが今後の利益につながると?』
「利益につながるかは……正直わかりません。でも、この場でこいつらを見逃さなかったら、目の前にいるこいつがどう出るか……」
それは眼前にいる者にしか感じられないような感覚だった。目の前で土下座を続けているこの男からは、一種の覚悟のようなものが感じ取れる。
もし、この願いが叶わなければ、致し方ない。
そんなことを考えているのではないかと思えるほどの、鋭い覚悟が周介には感じられた。肌を刺す、威圧感とでもいえばいいだろうか。そういったものがこの土下座からは感じられる。
『なるほど……能力者を安全に確保できるのであれば、この場におけるメリットとしては十分だね。ついでに言えば、少しは彼も従順になってくれるかもしれない』
「はい。どうでしょうか?」
周介の問いに、ドクは数秒何かを考えるように間の抜けた声を出して、何かを思いついたのか、小さく笑いだす。
『オーケー、オーケーだ。君の好きなようにやりなさい。ビルド隊へは、一度解散指示を出したほうがいいかな?』
「えぇ、それとノーマン隊にお願いを。おそらくこの首都高の近辺を警察がマークしていると思うんです。警察のマークが薄いところを教えていただけますか?」
今回の作戦に表立って参戦はしていないものの、警察だってこのまま手をこまねいているというわけではないだろう。
走っているとき、下の道に何度か警察の車両が首都高の周辺に駐車しているのが見えた。
周辺を走ってパトロールをしているならまだしも、停まっているだけというのは少々違和感がある。
おそらくは、今回の作戦が終わった後、残った連中をすべて捕らえようとしているのだろう。
能力者は組織の管轄だが、一般人は警察の管轄だ。そういった分け前のようなものを求めているのだろう。
警察として手柄を上げることが、彼らの仕事なのだから。
『それは構わないけれど、そこまで肩入れをする必要はあるのかい?』
「肩入れするのはここまでです。後どうなるかはこいつら次第のほうがいいでしょう。それで恩を感じてくれれば良し。何も感じないならもうこれから関わることもないでしょうし」
周介としては特に何も恩を感じずに、普通の生活を送ってほしいと思っていた。暴走族であった以上、再び暴走行為に及ぶ可能性は高いが、それでも能力者に近づくよりはずっとましだ。
周介はノーマン隊からの情報をメイト15から聞きながら、どの方角が安全であるのかを確認していた。
この後どうなるかは、周介には分らなかった。
「頭を上げろ、加賀玄徳」
周介の言葉に、加賀は一瞬だけ反応し、そしてゆっくりと頭を上げた。
「もとより、俺たちが捕まえたいのはお前だけだ。他の連中は、どこに行こうと好きにしろ。ただ警告しておく。周辺の出入り口は開放してもらえるように言っておいたが、首都高の出入り口は警察が待ち伏せしてる。逃げるなら、中央道か関越道に抜けろ。そこが一番警察のマークが薄い。けど、警察がいないわけじゃない。あとは、お前ら次第だ」
「それは、本当か?」
「信じる信じないはお前ら次第だ。お前が筋を通そうとしている以上、俺も、約束を破るようなことはしたくない」
それは周介の本心だった。本当なら、ここで全員捕らえたほうが世の中のためにはなるのだろう。
全員捕まえて警察に貸しを作ったほうが後々のためにはなるのだろう。周介の選んだ答えが間違っているのかどうか、それは今の周介には分らない。
また子供のような考えをしているのだろうかと、そんなことを考えて周介は複雑な気分になる。
そんなやり取りをしていると、一台の車が周介たちのすぐ近くにやってきた。その車には瞳が乗っており、周介たちの近くで止まると軽くクラクションを鳴らす。
「加賀玄徳、行くぞ。それとも、少し待つか?」
周介は一瞬、加賀の後ろで呆然としてしまっている暴走族のメンバーに視線を向ける。
加賀もその意図を理解したのだろう。僅かに、礼を言うかのように首を垂れると勢いよく立ち上がり胸を張る。
「お前ら!俺は今日を持って、このチームを抜ける!この後チームを存続するも、解散するもお前らの好きにしろ!俺は、この人についていく!お前らとは、もう会えないかもしれない!けど気にすんな!お前らは好きに生きろ!」
堂々と胸を張り叫ぶその姿に、チームの人間の中には涙を流している者もいる。本当に好かれていたのだろう。慕われていたのだろう。チームの中で誰一人、彼がいなくなることを喜ぶ者はおらず、チームの中で誰一人、彼がいなくなることを悲しまない者はいなかった。
「お前らはここからまずは逃げろ!この人を信じて逃げろ!まずは無事に逃げ切って、それから好きに走れ!忘れんな!俺らは最速を目指す!走ることが好きだからこうしてるんだ!わかったな!」
もうすでに覚悟を決めた彼を、それ以上引き留める者はいなかった。うなだれ、泣いていた者たちは次第に顔を上げ、胸を張って大声で返事をしていた。
最後の別れになるかもしれないリーダーに情けない姿は見せまいとする男たちの姿がそこにあった。
「もういい。これでいい」
「……いいのか?もうちょっと待つくらいはかまわないぞ?」
「いいんだ。これ以上は必要ない。さぁ、どこにでも連れて行ってくれ」
逃げも隠れもしないというその堂々たる姿に、周介は苦笑しながら瞳の乗る車の扉を開け、加賀を乗せる。
後部座席にはすでに人形が待機しており、加賀の両脇を固めるように座り込んだ。
そして周介もまた車の中に乗り込む。助手席に乗り込むと、運転席に座っている瞳が一瞬だけこちらを見てため息をつく。
「大丈夫?腕、折れてないでしょうね」
「わからない。こんな風になったのは初めてだからなぁ。めっちゃ痛いから、安全運転で頼むぞ」
ある程度興奮しており、運動中だったこともあって痛みは緩和されていたが、徐々にその痛みが強くなってきているのを周介は感じていた。同時に痛みの感覚が徐々に麻痺しているようにも。
骨折などはしたことがなかったために、これが骨が折れている状態なのか、周介には判断ができなかった。
瞳は周介の腕の状態を確認し、周介の後ろに座っている人形にシートベルトを締めさせるとゆっくりと車を走らせていた。
だが途中、背後から追走するように多くのバイクが瞳の運転する車を追っていた。
だが必要以上に距離を詰めてくることはなかった。まるで見送りをしているかのようである。
「メイト15、ルートの指定をお願いします。後ろについてきてるのは無視していいです」
『了解しました。それではアルファ02、次の出口から高速道路を降りてください。ビルド隊の封鎖は既に解いてあります』
『あぁそれとアルファ隊、悪いけど彼に何か目隠しのようなものをつけてくれるかな?彼に拠点の場所を知られるのはまずいんでね』
「了解。あんた、悪いけど、目隠しさせてもらうから」
「は?なんむが!」
加賀の両脇を固めていた人形が加賀の腕を押さえると同時に、さらに後ろに乗り込んでいたと思われる人形が加賀の頭に何か袋のようなものをかぶせた。それが工事用車両を偽造するために置いてあった土嚢袋であったことを周介は後になって知ることになる。
「悪いな。俺らの拠点の位置を知られるわけにはいかないんだ。窮屈だろうけど、しばらくそのままでいてくれ」
「……くそ、もう煮るなり焼くなり好きにしろ」
「ふぅん、じゃあ後でローストしてやるから覚悟しなさいよ。言っとくけど、あたしはこいつみたいに甘くないから」
瞳は怒っているのか、それともイラついているのか、周介はその言葉の節々に何やら棘のようなものを感じていた。
隣に座っていてとてもつらい。独特の威圧感を感じていた。そしてそれは後ろに座っている加賀も同じだった。
周介とは別の意味で、恐ろしさのようなものを感じていた。何せ近くに居る謎の人物たちは、彼女の言葉に従っているのだ。彼女がこれだけの人を操ることができるだけの人物だと思えているのである。
加賀は人形だと気付いていないため、このような勘違いをするのも無理はなかった。
周介たちを乗せた車が首都高を降りるタイミングで、後方からついてきていたバイクの群れは減速し、道を違えていた。
周介たちは高速を降り、バイクたちは別方向へとむけて走り出す。彼らがどこへ向かうのか、周介には分らない。
加賀は見えないながらも、遠ざかっていくバイクの音を聞きながら祈っていた。彼らが無事にこの場から逃げ出してくれることを。