0131
「スタート十秒前、リーダー!勝ってくださいよ!」
何と私情に満ちたスターターだろうかと周介は眉をひそめながら、バイクの準備を整え、大きく深呼吸する。
首都高を一周、全速力で走れば一体どれくらいで一周できるだろうかと考えながら、周介は頭の中にある地図を思い浮かべていた。
深夜でしかも出入り口を封鎖している関係上一般車両は限りなく少ない。速度を出せばおそらくあっという間に終わるだろう。
その間に確実にこの加賀という男を捕らえなければならない。
「3、2、1、ゼロ!」
勢いよく手が振り下ろされると同時に周介と加賀の乗るバイクが急発進し、一気に加速していく。
周介は持ち前の能力で、加賀は改造したバイクによる猛烈な加速で一気に夜の首都高をかけていく。
周介はまず加賀に前を走らせることにした。相手がどのような能力を使うのかがわかっていても、どのようなタイミングで能力を使うのかがよくわかっていない以上最初は様子見をするのが一番だと考えたのである。
幸いにしてまだ周介はまだ速度に余裕を持っている。相手がどの程度加速しているのかは不明だが、現在の速度を鑑みる限りまだ加速するだろう。
加賀もまだ様子見の段階のようだった。周介があえて後ろを走っていることを察知したからか、まずは周介の出方をうかがっている。
自分と同じ、何か力を持っているのだということを察したのだろうか、加賀は妙に慎重だった。
いや、慎重になるのも無理もないだろう、周介は加賀の身柄を捕えることを口にしたのだ。どのような存在なのかもわかっていない状態で、周介の存在は加賀にとってとにかく不気味に映っていた。能力を使うことを誘っているのか、それとも単純に警戒しているのか。
加賀は少し考えたが、その考えに意味がないということを即座に理解しハンドルを握る手に力を込める。
考えたところでわからないこともある。加賀は即座に自分の迷いを振り切りバイクを思いきり加速させた。
何か狙っているならばそれもいいだろう。どんなことをするつもりなのかは知らないが、振り切ってしまえばいいだけの話だと、加賀は意気込みながらバイクを操っていく。
急激に加速していく加賀のバイクを、周介は冷静に追っていた。相手の速度と相手の距離をしっかりと確認しながら、そしてこれから通る道のルートやカーブやその曲がりの強さなどをメイト隊の人間からの報告により把握しながら適切に加速していく。
スタート直後の時よりは離されてしまっていたが、それでも加賀の加速に十分ついていけている。
伊達に周介だって訓練を積んでいるわけではないのだ。通常の走りではなく、少々荒っぽい運転ではあるが、だからこそ周介はどの程度まで荒っぽい運転をしても問題がないという確信があった。
無駄に何度も何度も転んで事故を起こして痛い目を見ているわけではないのだ。
カーブを超えるごとに、加賀は背後にぴったりと張り付いている周介の姿をバックミラーで確認してわずかに舌打ちする。
決して手を抜いているつもりはない。少なくとも今加賀は全力で走っていた。バイクのアクセルも全開にしているし、コーナリングも車が少ないおかげで最短の道を選択できている。
体の調子もいい。だがそれでも引き離せない。
単純に車両の性能の差かとも思ったが、周介が乗っているバイクは見た目は中型クラスの大きさに見えた。対して加賀が乗っているバイクは大型のそれだ。速度を決めるのが排気量がすべてとは言わないが、単純な最高速度では幾重にも改造を重ねているこの車両にただのバイクが勝てるとは思えなかった。
この時点で加賀は、周介が何かをしているのだろうということを勘付いていた。
自分がそうすることができるように、相手も何かをしているのだろうという考えに行き着いていた。
それを卑怯だというつもりはない。加賀自身もそうするつもりだったのだから。それが早いか遅いかの違いだけだ。
「上等だ……ついてこれるもんならついてきてみろ」
そうつぶやくと、ヘルメットの奥にある加賀の瞳がゆっくりと、だが確実に蒼く輝きだす。
カーブを超え、直線区間に入ると同時にそれは起きた。
先ほどまで、一定の法則、バイクの安定した加速を見せていた加賀の車体の動きが一気に変化する。先ほどまでの機械による加速ではない、不自然な、何かに押されているかのような加速を見せていた。
それを見て周介は目を細める。
『使いだしたようだね。不自然な加速だ。間違いなく能力を使っているね』
「直線区間だとちょっと分が悪いですかね」
周介は相手の加速を見て内心舌打ちをする。確かに速い。周介が全力で加速したとして、あの速度に追い付けるかどうか。
単純な最高速度が問題なのではない、最高速度に到達するまでの時間、加速度が問題なのだ。
トップスピードでいられる時間が違えば、当然同じ距離を走っても離されて行ってしまう。このままいけば置いていかれるのは必至だった。
「じゃあこっちも、ちょっとズルをしましょうか」
周介は集中力を高めさらに加速していく。能力を使っての戦いで勝てる自信はない。だがただ負けるのは癪だった。
カーブを超えても、周介の姿が見えなくなったことで、加賀はわずかに気を緩めていた。
高速道路という比較的速度を出しやすいコースであれば、彼を抜くことができる車もバイクも今まで存在しなかった。
一般的な車両であれば加速に限度があり、どうしても最高速度でいられる時間にも限度がある。
加賀自身の能力を使えばその最高速度さえも超えることができるが、それは同時にバイクの寿命を著しく削ることになってしまう。
加賀はバイクが好きだった。単純に好きだった。だからこそ壊すようなことはしたくないし、意図的に壊れやすくするような行為もしたくはなかった。
本来であればこういった加速も可能な限りやりたくはなかったのだ。能力など、可能ならば持ちたくなかったのだ。
加賀がこうしてバイクに乗るようになった原因が能力であるために、なおさらこの能力に頼りたくなかったというのが本音ではある。
だが今はそれを押してでも手に入れたいものがあった。手に入れなければいけないことがあった。
この特殊な能力を得て、能力を発動しているときに起きる目の発光、そのことについて知っていると思われる人物にようやく会えたのだ。
この機を逃す手はない。勝利を確信しながらも加賀は速度を緩めることなく最高速度で走り続ける。
さすがにもう追いつくことはないだろうと考えていると、バックミラーに光が映る。
それが誰なのかと、そんな悠長なことを考えることはなかった。直感的に、まだ勝負がついていないことを悟った加賀はバックミラーに移るその姿を確認する。
それは周介のバイクだった。先ほどよりも早く、そして先ほどよりも何か形を変えながら迫ってきているのがわかる。
先ほどまでは手を抜いていたということだろうと考えて、加賀は自分でその考えを否定する。自分がそうしていたように様子見をしていただけだ。そしてその様子見をやめた。それだけのことだと理解し舌打ちしながらわずかに笑う。
少ししてあっという間に周介のバイクは加賀に追い付き、並走する。この時点で最高速度は加賀よりも周介の方が上であることを物語っていた。
「悪かったな一人で走らせてて。寂しかったか?」
「冗談、ついてこれないかと思ったぞ。随分とのんびり走ってたんだな」
「あぁ、こっからはちょっと本気出す。巻き込まれて事故ったりすんなよ?」
会話をしながら加賀は周介のバイクを見ていた。フレーム部分が外れ、何か別の機械のようなものが見えている。それが一体何なのか加賀は理解できなかった。
加賀のバイクだってそれなり以上に改造してある。最高速度ならば通常のバイクに追い付けるはずはない。
つまり周介のバイクも自身のそれと同じ、あるいはそれ以上に特注品なのだろうということを加賀は理解していた。
「んじゃ今度は俺が先に行くぜ。ついてきたきゃついて来い。ついてこられるならな!」
周介はさらに加速し始めて加賀の前を走る。その走り方は加賀から見ると素人のそれに近かった。
乗り方というか、操作の仕方というか、まだそのあたりが体に染みついていないように見える。
だが速い。単純にマシンの性能の差なのだということを理解し、加賀は舌打ちする。
警察の関係者ではないようだったが、どこかのチーム、というより何かの組織に所属しているのであろうということは先ほどまでの会話から加賀にも理解できている。
そう言った組織が金をかけて作ったものだろうと考え、わずかに苛立ちさえ浮かんできたのだ。
加賀は、自分で作った思い入れのあるバイクならば、どんなに優れたマシンに乗ってもよいと思っていた。
そこにはこだわりがあり、技術があり、思い入れがある。だが目の前の男にはそのような素振りは微塵もないことを察して苛立ちが収まらなかった。
カーブに差し掛かる。どんなに最高速度で劣っていようと、コーナリングで差をつけてやろうと加賀はタイミングを見計らう。
急速な加減速、加賀の能力はそれを行うことができる。機械に頼った加速と減速ではなく、能力による加速と減速によって単純にカーブまでにかけるブレーキの制動距離、そして最高速度に達するまでの必要加速距離、それらを著しく短くできるのが加賀の能力の特徴だった。
周介の乗るバイクが特別だろうと、機械である限り加速と減速には限界がある。そう考え、カーブで周介を抜き去り、あとは一気に追い抜きそこからは抜かせないような走りをするつもりだった。
そう、つもりだった。
加賀はいつまで経っても減速しない周介を見て、わずかに焦っていた。通常の車やバイクであれば、このまま最高速度を維持し続ければ曲がりきることはできない。この先のカーブのことも加賀は知っているために、事故が起きてしまう可能性を考えてわずかに冷や汗が垂れていた。
声をかけるべきか、これ以上加速すれば事故を起こすと、曲がり切れないと、一言告げるべきか。
だが勝負をしている相手にそんなことを言うのはあまりにも失礼であるようにも思えた。だが命には代えられないとも思えた。
加賀がそんなことを考えていると、周介のバイクの両脇から何かが生えてくる。それが羽のような挙動をするのを見て、加賀は完全に目を丸くしてしまっていた。