0012
周介たちが乗った車が走り出すと、周介はまずアイマスクを着用させられた。これから行く場所をばれないようにするためだろう。
まだ仲間になったわけではないのだから当たり前かもしれない。周介がこの組織に所属したとしても裏切りが容易い以上、必要以上に警戒するのは当然だろう。
どれくらい走っただろうか、周介は車が動いていることはわかっても、どこに向かっているのかまではわからなかった。
もっとも、視界をふさがれていなくても今自分がどこに向かっているのか、場合によってはわからなかったかもしれないが。
「なんかこうしてると、攫われているみたいですね」
沈黙に耐え切れず皮肉めいた悪態をついた周介に対し井巻は鼻を鳴らす。
「そういじめてくれるな。これから我々が行くところは重要拠点の一つでもあるんだ。おいそれと場所を知られるわけにはいかない」
そう言いながら進み続けると、車が一旦停止し、わずかな振動とともに何やら車の外から音が聞こえてくる。
機械の音であるのは間違いないのだが、それが何の音であるのか、周介は理解できなかった。
「さて周介君。これからの君のスケジュールについて話しておこう」
「……メモとか取れないんでわかりやすく覚えやすくお願いしますね」
「善処しよう。まずこれから、君のバイタルのチェックなどを行い、君の能力を正確に把握するためにいくつかテストを行う」
「テストって、具体的には?」
「やってみればわかる。我々の中に専門家がいる。その人物に君を任せることになる。彼は少なくとも私よりは良識的な人間だ。聞きたいことがあれば彼に聞くといいだろう」
自分で言っていては世話ないなと思いながらも、周介はこの井巻という人物がどのような人物であるのかわかってきていた。
何となくではあるが、不器用な人だと感じた。少なくとも悪い人間ではないのだろうが、皮肉を言うのをやめられないのだろう。
何というか損をしている人物だなと思いながら、周介は何も見えないながら車の外を眺めようとしていた。
車はすでに走りだしている。そう感じた。
「あんたはどうするんだ?」
「私は私の仕事に戻る。君をここに連れてきた時点で、もう私の仕事は終わった。本来の仕事に戻るだけだ」
「本来の仕事?」
「私にだって仕事がある。君のことに関しては……私の上司が君のことを気にしていたからにすぎない。本来このようなことは私の仕事ではないのだ」
そう言いながら井巻はため息をつく。この組織がどのような体制をとっているのかは知らないが、少なくとも上司の命令にはあまり逆らうことはできないらしい。
堅苦しい組織なのかもしれないなと思っていると、車はゆっくりと停止し、周介はアイマスクを外される。
「ついたぞ、ここだ」
いきなり暗闇から解放されたことで、周介は目をこすりかけるが、その必要があまりないということにすぐ気づけた。
薄暗い場所だった。建物の中であるということはわかるのだが、あまり明かりがついていない。
電灯などの照明器具はあるのだが、それらすべてが稼働しているわけではないようだった。
打ちっぱなしのコンクリートの壁と床、そしてところどころにある照明といくつもの扉。窓はほとんどなく、これだけではここがいったいどこなのかを知ることは難しそうだった。
「暗いな……」
「仕方がない。ここでは電気は貴重なんだ。そういう意味でも、頑張ってきなさい」
そう言って井巻はある部屋の中に入るように促す。
そこは漏れ出る光から、比較的明るいということがわかる。
周介は一瞬井巻を見て、そして扉の前に立つ。井巻が扉に手をかけ、奥にいるであろう人物に声をかけた。
「ドクター、入ります」
井巻に先導されて周介が中に入ると、その中は先ほどまでの打ちっぱなしのコンクリートの床や壁とは一変し、周介も何度か見たことがある保健室のような装いに代わっていた。
この場所は明るく、天井にある照明器具もすべてが機能しているようだった。先ほどの場所が廊下で、この場所が部屋であるということからこういった場所に電力を回してるのだろうということが予想できる。
「やぁいらっしゃい。君が例の子だね。初めまして、僕は風見徹。みんなにはドクターやドクって呼ばれてる。君もそう呼んでくれると嬉しいね」
奥から現れたのは細身で茶色い髪をした背の高い男性だった。
軽快な早口とともに話しながら入り口にいた周介を出迎え、同時にその手を取って軽く握手をしてくる人物に、周介は目を白黒させてしまっていた。
井巻とは全く別のタイプの人間であったために、少々面食らってしまっているのである。
「えと……初めまして。百枝周介です。えと、よろしくお願いします、ドク」
「うん、いいね。それで副長、君はどうするんだい?」
「私はもう送り届けました。あとは任せます」
「それはいいけどさ、少しくらい見ていったほうがいいんじゃないのかい?お茶かコーヒーくらいなら出すよ?」
「結構。まだ仕事が溜まっていますので。では、後を頼みます」
足早にこの部屋から去っていた井巻を見て、ドクこと風見は肩をすくめる。
「まったく恥ずかしがり屋なんだから。百枝周介君だったね、これからよろしく。コーヒー飲む?それとも紅茶のほうがいいかな?ミルクと砂糖はどれくらい必要?」
「えと…じゃあ紅茶を、ストレートで」
「んん、いい趣味だ。それじゃあちょっといい葉っぱを使おうか。ちょっとその辺に座って待っていてくれるかい?すぐに用意するから」
そう言いながら軽い足取りで部屋の奥に行ってから数秒して、部屋の中に紅茶の香りが広がり始める。
周介はとりあえず近くにあった椅子に座って待つことにした。紅茶が周介の前に出されたのは、それから一分後のことだった。
「さて、では本題に入ろうか。君の能力のことについていろいろと調査していくわけなんだけれど、君は自分の能力がどんなものか理解しているかい?どんな力があるのかとか、どんな法則があるのかとか」
ドクに出された紅茶を飲みながら、周介はドクの言葉を聞き、なおかつ考え始めるが、そういった情報を全く与えられていなかったためにどうこたえたものかと困ってしまっていた。
とりあえず、知っている情報をもとに素直に答えるしかないと、そう考えた。
「えっと…すいません、そもそも能力がどういうものなのかとか、そういうこともわかっていなくて…超能力?っていう風に言われたんですけど」
「んんんん!?ってことはあれかい?ひょっとして僕らがどういう組織なのかとか能力がそもそもなんなのかとかそのあたり全然説明されずに来た感じかい?」
「はい……借金を盾に連れてこられました」
周介の返答にドクは呆れかえるようなリアクションをとって大きくのけぞって見せる。なかなかのオーバーリアクションだ。だが周介はこのリアクションが嫌いではなかった。
洋画のそれを見ているようだと思いながら、ころころ変わるドクの表情を見て紅茶を少し口に含む。
深く、澄んだ香りが口を通して鼻に伝わる中、十分にリアクションしたのか、ドクは大きくため息をついて両手を上げる。
「おいおい副長、シャイにもほどがある。中学生にちゃんと説明もせずにこんなところに連れてくるなんて、彼もまだまだ青いってことかな?いやすまない。じゃあそうだね、一から説明していくことにしよう。ある程度話したら質問タイムを設けるから、わからないことがあったらその都度、質問してくれるかい?」
「わ、わかりました。お願いします」
勢いよく話すドクを前に、周介は完全に気圧されてしまっていた。話すのが好きなのか説明するのが好きなのか、独特の抑揚を含んだ話し方に周介は全く先手をとれる気がしなかった。
「ではそもそもの始まりから話していこう。まずは能力の話からだ。君が能力をどのようなものでとらえているかわからないけれど、結論から言おう。能力というのはある種の代謝反応のひとつ、みたいなものだと思ってくれ」
「代謝……ですか」
代謝というのは人間だけではなく、生き物であればたいていは有している反応のことを指す。それは汗をかくことだったり、エネルギーとして脂肪を燃焼することだったりと、何かを代償として行われる反応の総称である。
能力が代謝であり、汗などと同様のものであるということに周介はあまり納得はできなかった。
「では何を使って代謝をしているかという話に移るけれど、その話に行く前にちょっとしたクイズだ。周介君は受験生だったね。ではそんな君にクエスチョン。今僕らが見ている月があるよね?あれが蒼くなったのはいつでしょうか?」
本格的な説明に入るよりも早く唐突に始まったクイズに周介は目を白黒させながら、自分の受験生としての知識をより起こしていく。
月が蒼くなった年数は、一種の有名な問題だ。これを外しているようでは受験生などとはとても名乗れない。
「西暦千九百二十一年です」
「オーケー、どうやら君はまじめに近代史の勉強をしていたようだね。喜ばしいことだ。ではもひとつクエスチョン。月が蒼くなった原因は何でしょうか?」
月が蒼くなった原因。この問題は理科の科目に入るのだが、実はこの内容は高校で習うような内容であるために周介は詳しくは知らない。
だが授業中に軽く説明されていたり、周介自身が気になって調べたということもあってある程度は知っていた。
「えっと、確か月に特殊な鉱石?成分?を含んだ隕石群が衝突して、それが月の表面にあるから太陽の反射で光ってる月の光だけが蒼くなってる、とかでしたっけ?」
あくまで雑な認識ではあるが、周介が記憶しているのはその程度の内容だった。太陽の光は白いままで、月の光だけが蒼いという状態を検証した科学者の発表やら、子供にもわかるような化学説明サイトなどを見た結果の知識だった。
説明や問題に対する回答としてはあまりにもお粗末ではあったが、ドクは先ほどの回答で満足したようだった。
「うんうん、君は非常に勉強熱心なようだね。知識欲が旺盛なのかな?それはさておき正解だよ。一般常識においては君の答えはほぼ正解といっていいだろう。けど、残念ながら事実は少し違うんだ」
「違う……っていうと?」
「その情報は僕らの組織が意図的に作ったカバーストーリーなんだ。ドラマとかでよくあるだろう?情報を改竄して一般人には別の物語や筋書きを信じさせるっていうあれさ。さらに言うなら、原因は月ではないんだよ」
ドクの言葉は軽く、だが淀みない。嘘を言っていないからか、それとも周介に話すことそのものがそこまで重要ではないと考えているからか、その表情もそこまで変化していない。
世間一般で信じられているようなことを簡単に違うと言ってのけることが、そこまで重要ではないというのは、周介からすれば微妙な心持だった。
「じゃあ、なんで月は蒼くて、太陽の光は白いんですか?月に原因がないのなら、どうして?」
「そこで能力の説明に戻ってくるわけさ。僕らが使用する能力、これに関してはある物質…いや、正確に言えば物質ではないのだけれど、まぁそのあたりは置いておこう。とある成分が関わっている。その成分が初めて確認されたのが、先ほど君が言ったように、西暦千九百二十一年の九月」
「じゃあ」
「そう、月が蒼くなった原因こそ、能力の源でもある、その成分なのさ」