7 執心 終息 この世界の真実
たぶん、わたしは呆然としていたのだろう。目の前の光景を、目には入っていたが理解はしていなかった。いや、理解はしていた。
その事実を受け入れるのを、心が拒んでいた。
イオが死んだ。
前世……《前の俺》は1人っ子だった。だから、エイナになってからも妹とどう接すればいいのか分からなかったし、ましてそのイオを失うことなんて想像もしなかった。
「……どうすればいいんだよ」
わたしは誰にともなく呟いた。《前の常識》で考えるなら、まずは葬儀……いや、通夜か? それとも……
「この世界ではフロア値がラップアラウンドするってんなら、デバッグツールとかで人の死も書き換えられないのかよ……!」
そんなあり得ないことを虚空に向かって呟くほどには、イオのことを……妹という存在を心に受け入れ──
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スキル《デバッグツール》の取得には、スキルポイントが100必要です。
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たぶん、わたしは呆然としていたのだろう。目の前の光景を、目には入っていたが理解はしていなかった。いや、理解はしていた。
その事実を受け入れるのを、心は拒まなかった。
スキルポイントたった100で、《デバッグツール》なるスキルを取得できるらしい。
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それは文字どおりの《デバッグツール》だった。自分のステータスを見る時のように、イオのステータスを見ることができる。
《鑑定》のスキルでも他者のステータスを覗き見ることはできるが、その場合は《鑑定》のスキルレベルに応じて見られる項目に制限がかかる。だが、《デバッグツール》ではそれが無い。本当に自分のステータスのように全ての項目が表示されていた。
そして、《HP:0/191》を《HP:191/191》に書き換えると……
「ん……あれ? お姉ちゃん……?」
「イオ……! よかった、生き返っ……いや、目が覚めたんだな!」
わたしは両手でイオの肩を抱き、イオの右腕が再生していることにもその時に気づく。イオは……え?
イオはわたしの手首を掴んで、ゆっくりと自分の肩から引き剥がしていく。何かを躊躇うような、苦しみの顔で。
「お姉ちゃん……ううん、高瀬和也君。そんなスキルを手に入れて、まだ気づか……いや、思い出さないの?」
……イオは、今、何と?
動けずにいるわたしに構わず、イオは続ける。
数日前にわたしが自分の部屋で見つけた、わたしの日記。アレが《セーブポイント》だ、と。あの日、わたしは《探索者》の仕事中に遭遇した魔物の攻撃をかわしきれず、死んだ。そして、セーブポイントまで戻ってやり直し、ではなく、エイナ・アルテスから高瀬和也に生まれ変わって、人生を続行。
「──君は高瀬和也からエイナ・アルテスに生まれ変わったと思ってるかもしれないけどさ、そうなる直前、《最新のセーブデータから再開します》みたいな神の声、聞こえなかった?」
言われて、思い出す。……そうだ。確かにそんな声を聞いた気がする。
「じゃ、じゃあ、今の《この人生》は……本当にゲームの中、なのか?」
「ちょっと違うね。……個人的には、君には思い出さないままでいてほしいんだけど……それだと君は納得しないよね?」
そう説明するイオの表情はつらそうだ。しかし。
わたしには、イオが言うように《納得する》かどうか以前に、そもそも今がどういう状況なのかが分からない。例えば、実はわたしは既に死んでいて、今《生きている》と感じているこの人生は、神様が用意してくれた《本当に死んでしまう前に少しだけ体験できる人生のエクストラステージ》という可能性──
「ほぼ正解だよ」
わたしの思考を遮り、放たれるイオの言葉。
たぶん、わたしは呆然としていたのだろう。目の前の光景を、目には入っていたが理解はしていなかった。いや、理解はしていた。……と思う。
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気づいた時には、わたしは不思議な場所に居た。わたしは……わたしは誰だ? エイナ・アルテス? それとも高瀬和也?
役者は、その演技を終えれば、キャラクターから人間に戻る。同じ人物が、まったく別作品の別キャラクターを演じることもある。
ここがどこなのかは分からない。でも、わたしは今、演技を終えた役者のような気分だった。演技を終えて、迎えに来てくれた母さんに抱きかかえられた時のような……
「ようやく気づきましたか」
どこか呆れたような母さんの声。……母さんって誰だ?
まどろみから眠りへ落ちていきたい気持ちから一気に覚醒し、声が聞こえてきた方へ視線を向け……た気になる。自分の体がきちんと存在しているのかも怪しいが、この意識だけははっきりしている。
その方向には、母……高瀬和也の母親と同じ姿をした《何か》が居た。
「わたしは冥王。全ての魂が還る場所である、この《魂の源泉》の管理者です。今は、あなたにとって最も馴染みのある《この姿》をとっていますが、本来、わたしは肉体を持つ存在ではありません」
冥王は言った。高瀬和也は生前、横断歩道を歩いていた小学生を、信号無視のトラックから救おうとして、死んだ。そして、その魂は《自分が死んだ》ことを認識できず、《魂の源泉》に還ることを拒んだ、と。
そこまで説明されたところで、冥王の隣にイオが……イオの姿をしたモノが現れた。
《イオ》は言う。
「だったら、お姉……あんたが好きだったゲームみたいな世界で人生を仮想的に体験させて、その中で《自分はもう死んでいる》ってことを認識させればいいかな、って、わたしから冥王様に進言したんだよ。……ま、そういうわたしも偉そうなことは言えないけどね」
言葉の最後のほうは自嘲気味に笑っていた。その理由を、イオは、自分もわたしと同じく、《魂の源泉》に還ることを拒んでいた魂だからだと言った。
イオは続ける。
「あんたと姉妹ごっこをしてれば、わたしも源泉へ還る決心がつくかな、って思ってさ」
そこで一旦わたしから視線をそらし、再び目を合わせてくる。
「ねえ、《お姉ちゃん》……一緒に、眠ろう?」
「……わ、わたしは……」
即答できなかった。
生前の記憶なんて無い。トラックに轢かれて死んだというのも、この《冥王》とやらに初めて聞かされた。
さっきまで、エイナとして生きてきたあの世界では、魔法なるものがあった。だったら、今ここに居る冥王だのイオだのが、幻ではないという証拠はどこにも無い。
実はわたしはまだ生きていて、今ここで首を縦に振ってしまったら、その時こそ本当に死んでしまうのかもしれない。……ゲームやラノベなんかで《自分の死を理解していない》という表現はお約束だが、いざ自分がそうなってみると、確かにこれは受け入れがたいものがある。
……聞き分けの良いゾンビとして、終わってみるか。
「分かった、イオ。本当に短い間だったけど、わたしの妹になってくれて、ありがとう」
「お姉ちゃん……!」
わたしたちは抱き合った。
イオさえ居てくれれば、ほかには何も要らない。そんな幸せな気持ちに……もしかしたら、この感情も冥王とやらに作られたものかもしれなかったが、もはやそんなことはどっちでも良くなっていた。
イオ。もし、転生というものがあるのなら、次もまた、俺の妹として生まれてきてくれ。その時は──
終