5 疑念? 義心! 抱き始めた疑問
「イオ……おまえはさ、これからの人生設計とか、考えてるか?」
朝食の後片付けをしてくれているイオの背中に、わたしはそんなことを問いかけてみた。
「え? どうしたのお姉ちゃん、急にそんなこと」
イオは一瞬振り返り、わたしをちらりと見てから、再び手を動かし始める。
「い、いや、その……! ほら、このまま《探索者》として働き続けていても、出会いとか無さそうじゃないか。だから……け、結婚、とか……さ」
慌ててそう返すと、イオは片付けの手は止めずに「うーん……」と考え込む様子を見せ始めた。
こんなことをイオに聞こうと思ったのは、1つは、この世界……塔の中での暮らしがどんなものなのか、わたしが知りたかったから。《前》とはあまりにも違いすぎる生活環境で、エイナとしての人生設計……というほど大層なものでもないが、今後どうやって生きていけばいいかの指針が欲しい。
もう1つは、純粋な興味だ。
「普通は、1つの町……同じ階層の人どうしで結ばれることが多いみたいだよ。住宅階とか商業階とか、階層ごとに地区の役割が分かれてるからね」
イオは言った。……《前》の常識でいうところの、住宅地とか商業地みたいな、1つの町が1つの階層に入っている感じか。
イオは続ける。
「わたしは……今のところ、お姉ちゃんとの暮らしに満足しちゃってるからなー。お父さんやお母さんには悪いけど、子供も欲しいとは思わないし」
「そ……! そうか」
《子供》の一言に、つい、昨日寝る前に考えていたことを思い出してしまった。
熱くなりかけた顔面をぱたぱたと手であおぎつつ、わたしは、
「こ、この話はこれで終わりにしようか」
イオにそう告げた。
……ふと思う。
《前の俺》は高校1年だった。結婚だの人生設計だの、あの時の《俺》は、少なくともあの時点では、そんなことを考えてはいなかった。
なぜ、今になって急にこんなことを考えるようになったのか。生活環境が変わって、自立して生きていかざるを得ない状況に立たされたからだろうか。
自立した生活。
毎日、129階の魔物を探索のついでに2~3匹狩っていれば、その死骸を素材として売って、生活に困らない程度には稼げる。……あれ?
「なあイオ。129階の探索が始まったのって、正確には今から何年前だ?」
「んー、2年……3年前だったかな。それが何か?」
片付けを終えてわたしの方に振り向くイオに、わたしは、さっき抱いた疑問をぶつけてみた。
「2~3年、か。それだけ探索を続けていて、いまだに129階を調べきれていないのか? 魔物を狩り尽くせていないのか?」
。
一瞬。ほんの一瞬、イオは硬直した。
「……今居る《探索者》たちの中で、お姉ちゃんが一番強い、つまりレベルが高いんだよ。そのお姉ちゃんでさえ、倒すのに苦戦する時があるでしょ? ほかの《探索者》は……お姉ちゃんやわたしもレベルが低い時はそうだったんだけど、何人かで1体の魔物をどうにか倒せる、って有様なんだよ」
説明してくれるイオは、いつもの調子に戻っていた。
さっきの硬直に気になるところはあるが、話してくれた内容に矛盾は無い。と思う。
イオは続ける。
「今のトコ、探索のついでに魔物を2~3匹狩っていれば、わたしたち2人が食べてくぐらいには稼げてるけど、その《探索のついでに2~3匹狩る》ってことさえ、普通の《探索者》には難しいことだからね?」
語尾を上げてはいたが、疑問というよりはわたしへの念押しだろう。それだけ魔物は脅威なのだ、探索が進まない原因なのだ、と。
なぜ魔物が128階へ降りてはこないのか、という疑問も、あるにはある。だが、イオを含め、この塔の住人たちはそのことに疑問を持っている様子は無い。……ん? 128階?
「さて。それじゃあ、そろそろ支度してね、お姉ちゃん」
「あ、ああ……」
イオに促され、わたしはとりあえず自室へ戻った。
●
今日の仕事の準備を進めながら、ふと思う。《128階までが居住区で、それ以上の階には魔物が出る》という事実。
俺はエイナとして今ここに生きている──と思いたい──が、ステータスだのスキルだのといった、ゲームみたいなギミックが存在しているのも事実だ。だからこそ、魔物が出るか出ないかの境界が、128という、いかにもゲームらしい数字であることが妙に気になってくる。
わたしが持っているスキルに《鑑定》というものがある。基本的に、これ系統のスキルはアイテムに使うのだろうが、フロアに使ったらどうなるのか。
無意識に唾を飲み込んでいたことに気づいてから、わたしは、《鑑定》を使ってみた。目の前にステータスの時と同じウィンドウが現れて……
================================
マップ名:女神の塔
現在地:126F アルテスの家
================================
おい、ちょっと待て。わたしとイオの家がある《この階》は127階のはずだ。……いや。ちょっと待て。
塔にしろビルにしろ、地上1階のすぐ下は《地下1階》であり、《0階》は普通は存在しない。だが、ゲーム……というよりプログラミングで扱う数値では、例えば符号付き8ビット整数は、-128~+127だ。1の下は0であり、その下がマイナス1。
この《女神の塔》の地下階はそのまま、人々が認識している《階数》と数値上のFは一致しているだろう。しかし、地上は1階をフロア0として、《階数》とFとが1つずれているのだとすれば。
現在地の《F》が符号付き8ビット整数で表せる上限の127になるのは、わたしたちが認識している階数表記で言えば128階。たまたま129階から上だけに魔物が生息していて、128階から下へもたまたま降りてきていないだけと考えるか、それとも、負フロアにだけエンカウントが設定されていて……
「……くそ。嫌なことを想像しちまった。ていうか、何バカなことを考えてるんだ、わたしは」
この人生がゲームな訳がない。仮に女神が実在するとして、フロア管理を8ビットで、ラップアラウンドのバグも残したまま実装するなんて考えたくもない。……いや、だったら32ビットや64ビットならいいのかという訳でもないが。
「とにかく……まずは129階でもう1度《鑑定》を使ってみるか」
そう呟き、わたしは自室を後にした。
●
128階にある《探索者》用の拠点で、わたしは1人の少年に声を掛けられた。少女のような、というほどではないが、中性的な顔立ちの少年だ。
「あ、あの……! 《探索者》のエイナ・アルテスさん……ですよね!?」
憧れの先輩に話しかけるような、緊張で裏返った声を出す彼。
「……あー、えっと……まあ、うん」
わたしもわたしで、初めて異性に話しかけられた少女みたいな対応になってしまった。イオに半眼を向けられる。
彼が抱いているであろう《以前のエイナ》像と、《前の俺》のままで対応した時との落差で彼を混乱させてしまわないか。一瞬、そんなことを考えてしまったからだ。
彼の話をまとめると、まず、彼の名前はエルドリッツ・フォルスティーア。長いので《エル》と呼んでくれ、とのことだが、そんな彼も《探索者》であり、今は129階の踏破を目標としているそうだ。
その目標に、どんな形でもいいから協力してほしい、エルはそう言って、わたしに頭を下げた。
「どんな形でも……って、例えば? ……あ、いや。まだその話を受けるって訳じゃなくて、まずは話を聞こうかな、って」
「例えば、ですか……と言われましても、本当にどんな形でもいいんです。僕とパーティを組んで一緒に踏破を目指してくださっても。僕のレベルアップに付き合って……一緒に魔物を倒したり、稽古を付けてくださったりでも。とにかく、なんでも」
エルは言った。その表情は真剣そのもので、129階を踏破したいというのも、おそらく本気だろう。わたしは、《探索のついでに魔物を2~3匹狩っていれば生活に困らない程度には稼げる》と、生活の安定だけを考えていた自分を、少し恥じた。
わたしが1人暮らしだったら……自分の好きなように生きても誰にも迷惑がかからないのなら、たぶん協力していただろう。
「……どうしよう、イオ」
「どうしよう、ってお姉ちゃん、それが《探索者》の仕事じゃない」
イオにまた半眼を向けられた。だが、その仕草が、今は嬉しかった。
わたしは改めてエルの方を向き、言った。
「分かった。それじゃあ、とりあえずパーティを組もうか。具体的にどうするかは、これから考えよう」
「あ、ありがとうございます!」
エルに協力して129階の探索をすることになり、わたしは、フロアに《鑑定》をかけることをすっかり忘れていた。