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旧作・駄作・ほぼ没

クレンペラー指揮、ドヴォルザーク交響曲第九番『新世界より』

作者: 住友


オットー・クレンペラー(1885~1973)

という指揮者ほど

レパートリーの少ない指揮者はいないだろう。

いわゆる『地雷』が多い、

演奏の出来の当たり外れが激しい、

得意不得意が極端に振り切きれており、

リスナーを失望させ裏切ることも少なくない。

だがひとたび作品との共鳴が成功すると

良し悪しや他との比較といった矮小な評価など

全く無意味な、深淵の世界が立ち現れてくる。

この『新世界』の演奏は

その数少ない成功例なのだ。


ドヴォルザーク作曲

交響曲第九番ホ短調作品95『新世界より』、

他に『新世界交響曲』などとも言う。

ドヴォルザークの代表作であり

クラシック音楽の中でも最も有名といっていい曲である。

第二楽章の叙情的旋律は

夕方のチャイムの音楽として知られており、

第四楽章の壮大かつ疾走感あるフレーズは

最早曲名自体や作曲者の名前より有名である。

恐らく誰もが第二か第四楽章のどちらかは

聴いたことがあるであろう曲だ。


クレンペラーが

この手垢にまみれた作品を通して語るのは

期待と不安に彩られた新大陸ではない。

死にゆく者にとっての新世界、すなわち『無』だ。

他の演奏者の演奏と比べて

鈍重すぎると思えるこのテンポは、

死者の歩くテンポなのだ。

クレンペラーによるこの演奏は

虚しい『新世界』を提示することで、

陶酔したがっている聴衆の頬を張り飛ばす。

美しいもの、派手なもの、前向きなものへの

懐疑と嫌悪の芸術を示すのである。






世の中は『マルチな人材』を求めている。

個人個人に多様な技能を身につけるよう要求し

また不安を煽って駆り立てている。

『何でもできないと仕事に就けないぞ』という具合に。

個人はせっせと資格取得や

語学教育やセミナー受講に奔走する。

社会はそうした個人の消費傾向を

積極的に促す方向に成長していく。

現代人はありもしない新人類や新世界を

求めて迷走している。

無数の可能性を突きつけられ

自分を見失っている。

欲望に忠実、というよりは

本当に必要なものが何なのか分からなくて

空気や雰囲気に流されるがままになっている。


自分に要求されるもの、

要請の本質を理解するのならば、

プロとはレパートリーが

少ないのが当然ではないか?

一流の人間ほどできることが

少ないのは当たり前であるどころか、

それこそ一流であることの証明ではないか?


『自分がしたいことではなく

自分にできることをすることだ。』

(ジョルジュ・ブラック)


現代人はクレンペラーを聴くべきです。


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