■ 品川1・東 ■
東山朋夏とひかり515号が新幹線のホームに着いたのは、ほぼ同時であった。あれから新宿の街を散々彷徨って、駅に着いた頃には既に十三時をとっくに回っていた。
「あっぶな……ほんま、間に合わへんかと思ったわ……」
座席の位置を確認すると十六号車で、目の前に止まったのは九号車だった。慌ててホームの後方へ移動するが程なくして発車予告のベルが鳴った。やむを得ず十二号車から乗り込んで、後は車内の人混みを掻き分けるようにして最後尾を目指す。自分の座席を発見して席についた頃には、新幹線は既に動き出してかなりのスピードを出していた。肩に下げていたボストンバッグは頭上の棚に載せて、二人掛けの通路側の席に腰を下ろした。ようやく落ち着いて、フゥと安堵の溜め息。なんとか間に合ったものの、スマートフォンさえ壊れなければここまで慌てなくて済んだのにと恨めしく思いながら、上着のポケットに入れていたそれを取り出す。相変わらず画面は真っ暗なままだ。ホームボタンを押してもやはりうんともすんともいわない。と、そこでふと一つの可能性に思い当たる。そういえば、電源ボタンを押していない。画面右上の側面にチョコンと出っ張ったボタンを長押しすると、しばらくして画面中央に白いリンゴのマークが表示された。
「嘘やん……」
落下した衝撃で、電源が落ちてしまっていたのだろうか。呆れてしまい思わず声が漏れたが、壊れていなかっただけ良かったと思うことにした。少し時間が経ってようやく画面が表示されたので、朋夏は0720と入力しロックを解除した。七月二十日は、朋夏が今の彼氏と付き合った記念日だった。一年前の当時は、初めてできた彼氏に舞い上がり、その日付をスマートフォンのパスワードにしてしまうほどだったのだが、いざ付き合ってみると毎日のように「今何してるの?」と確認の連絡は来るし、飲み会に行けばそこに男は居ないのかと確認の電話が入るしで束縛がとても強く、次第に一緒に居るのが息苦しくなっていった。今では正直、別れようかどうか迷っている。
朋夏が異変を感じたのは、その直後のことであった。ホーム画面に並ぶアプリのアイコンがいつもと違っていたのだ。ふと、左下の電話のアイコンに赤丸で数字の一が付いているのに気付く。どうやら電源が切れている間に電話があったらしい、確認したが、そこには見覚えのない十一桁の番号が表示されていた。画面下の□が描かれたボタンを再度押し、ホーム画面に戻る。やはり、アイコンの並びも、背景の写真にも見覚えはない。バックに表示されているのは、オリオン座の写真だろうか。大学院で地学を専攻し天文学を勉強している彼女であったが、こんな写真を撮った記憶もなければ、待ち受けに設定した覚えもなかった。どないなってんねん。あーでもない、こーでもないと考えを巡らせていると、手の中でスマートフォンが振動する。
「まもなく、新横浜に着きます」
唐突に軽快な音楽とともにそうアナウンスされ、驚いて顔を上げた後、まだ振動を続けているスマートフォンの画面に視線を戻した。そこに表示されていたのは、履歴に残っていた見覚えのない電話番号である。090始まりだから、携帯電話であることは間違いない。誰やろう。新幹線の車内であり、通話に応じることに戸惑っていると、しばらくして相手も諦めたのか、着信が途絶えた。新幹線は、緩やかにスピードを落とす。
「もしかしてこれ、私のスマホとちゃうんちゃうかな……」
むくむくとそんな不安がこみ上げてきて、そしてひとつの結論に至る。そうや、あの時や。新宿五丁目東交差点で、サラリーマンの男にぶつかった時や。間違いない。あの時に、入れ替わったんや。
「うわあ、どないしよ……もう新幹線乗ってもうたし……」
朋夏は頭を抱えた。関西に住んでいながら遠く離れた東京にスマートフォンを落としてしまったのだ。一億人以上いる日本人の中から、さっきぶつかったサラリーマンの男性を見つけることなんて不可能に近い。いや、近いどころか完全に不可能である。
新横浜から乗った乗客の声で少し車内が賑やかになる。すぐ横の通路をゴロゴロとキャリーバッグを引き摺ったスーツ姿の男が通りすぎるのを視界の端に捉え、朋夏はハッと顔を上げる。振り返ってみたが、そこに立っていたのはメガネを掛けた初老の男で、当然ながら新宿ですれ違った彼とは別の人物であった。当たり前か、つい先程東京でぶつかった男が新横浜から新幹線に乗ってくるなんてことあるはずがない。
「あの、すみません……」
不意に声のした方を見ると、いかにも仕事ができるといった感じのキャリアウーマンらしい女性がそこにいた。申し訳なさそうな笑顔を浮かべている。
「席、隣なんですよ」
「あ、はい、すみません」
彼女が隣の空席を指さしたことで状況を理解した朋夏は、立ち上がって窓側の席を譲った。持っていた紙袋を上の台に載せて腰を下ろした彼女に続いて、朋夏も再び着席する。不意にピリリリと何処か懐かしい着信音が響いて、彼女はスーツのポケットから携帯電話を取り出した。折りたたみ式ですらない、アンテナが伸びるタイプの物である。マナーモードの設定もできないほど古いものなのだろうかと怪訝に思っていると、彼女はなんのためらいもなく電話に出たので朋夏は目を丸くした。ああ、そういう常識のない人なのか。スーツもバッチシ決まっていて、仕事もできそうなのにな。もったいない。
「もしもし、本州銀行大阪支部営業部長の角脇です」
彼女がそう言いながら電話に出ているのを見て、朋夏は閃いた。そうか。電話があったなと思い出す。自分のスマートフォンに電話すればえーんや。ひょっとすると、さっき二度ほどあった電話も同じことを考えたサラリーマンの男からだったかもしれない。それに気付かせてくれたという意味では、非常識な彼女にも感謝したいと思う。ありがとう、本州銀行の角脇さん。




