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■ 名古屋1・東 ■

『本日のプロ野球 巨人 三 対 〇 阪神(一回裏)』

 隣の車両に移る扉の上、電光掲示板を流れていく文字を見て朋夏は大きな溜め息を吐いた。まだ試合は始まったばかりとはいえ、早速の三失点。昨日の試合では良いとこなんて全く無かったので、精神的にそれを引きずってしまっているのかもしれないが、だからと言ってそれでお金を稼いでいるのだから、気持ちの切り替えくらいしっかりして欲しいものである。全くもって腹立たしい。マッテンローのアホ!

 だいたい、今日の先発は誰やねん。そう思ってスマートフォンでそれを調べようとするも、生憎それは朋夏のものでないことを思い出す。あー、もう! ほんま最悪やわ!

 イライラする気持ちを抑えようと目を瞑り、息を整える。とにかく、さっさとこのスマートフォンを交換してしまわないと。そうするためにはこの持ち主と連絡を取らなくてはならない。新幹線に乗り込んだ時は、京都駅に着くまで待ってからと考えていたが、関西弁で言う所のイラチな性格である朋夏にとって、とてもそこまで我慢できそうにはなかった。しゃーない。デッキまで出て、電話するか。そう思って立ち上がり、不快な試合結果を表示していた電光掲示板の下を潜った。自動ドアが閉まると、ゴーッと流れる空気が地鳴りのように響いていた。窓の外を、景色が高速で流れていく。街並みの遠くの方には太平洋が見えた。

 先程のスマートフォンを取り出して、ホームボタンを押す。画面をスライドするとロック画面が現れて戸惑った。

「どないしよ、パスワード分からへんやん……」

 これではどうしようもない。困り果てて天を仰いだ朋夏であったが、すぐにあることを思い出した。それは、新幹線に乗り込んだ時のことだ。まだこれが自分のスマートフォンではないということに気付く前、いつも通りにロックを解除して、アプリの並んだ画面が表示された。そう、表示されたのだ。他人のスマートフォンにも関わらず、朋夏のそれと同じパスワードで。

「ゼロ、ナナ、ニィ、ゼロ……」

 指でその番号を押してみると、並んでいた数字はシューッと収束して小さくなり、一時間ほど前に見たオリオン座の写真の前にアイコンが並ぶ画面が現れた。驚いた。同じ柄のスマートフォンが入れ替わったということだけでも奇跡に近い出来事なのに、まさかロックパスワードまで同じだなんて。しかし、ここまでしておいて今更かもしれないが、他人のスマートフォンの中身を勝手に見ているような気がして(いや、実際に勝手に見ている訳であるが)、なんとなくいたたまれない気持ちになった。一瞬、公衆電話を探そうかと思ったが、今時の新幹線に公衆電話があるのかどうか分からなかった。少なくとも今朋夏がいるデッキには無いようである。仮に他の車両に行けばあったとしても、新幹線車内だからなのかかなりお金の消費が早かったような記憶があった。このスマートフォンから電話すれば、朋夏が消費するお金はゼロである。申し訳ない気もしたが、少しだけ考えた末、このまま彼のスマートフォンを借りることにした。その方がきっと、自分の電話番号から掛かってきているのだから彼も気付きやすいというのもある。だからごめんなさい、サラリーマンのお兄さん。どうせお金稼いでいるんやし、ちょっとくらいえーやろ。

 朋夏はそう思いながら自分自身のスマートフォンの電話番号を入力し、通話ボタンを押した。

 見知らぬ男性に電話を掛けていることに少し緊張しながら、相手が通話に応じるのを待った。しかし、相手はなかなか出てくれず、しばらくして留守番電話サービスに繋がってしまった。もしかして仕事中で電話に出られないのだろうか。相手が折り返しの電話を掛けてくれることにも期待したいところであるが、彼も朋夏のようにスマートフォンのロックパスワードが同じ番号であることに気付いているという保証はない。もし気付いていなければ、折り返し掛けることはできないだろう。あるいはもしパスワードが同じであると彼が気付いていて朋夏へ電話ができるとすると、その通話料を払うのは朋夏になってしまう。それは少し嫌だったので、すぐさまもう一度掛け直してみることにした。これで繋がらなかったら、素直に京都駅に着くまで諦めよう。

 しばらく待っていると、不意にコール音が途切れた。

「あ、もしもし?」

 繋がった! 良かった、これでスマホを交換できる。しかしその期待は一瞬で打ち砕かれてしまった。

「……もしもし?」

 ドキリとした。違う。あのサラリーマンの男性じゃない。そのことは、相手の顔を見ることができない電話越しでもすぐに分かった。なぜなら、相手の声は明らかに女性のものであったからだ。

「え、あ、えっと、すみません! 間違えました!」

 朋夏は慌てて通話を切って、そして番号を確認する。しかし、何度確認してもその十一桁の数字の羅列は朋夏のスマートフォンの電話番号で間違いなかった。なんで、どうして、どういうこと? 朋夏は困惑した。

「まもなく、名古屋に着きます。名古屋を出ますと、次は、岐阜羽島に止まります」

 軽快な音楽の後、アナウンスが流れたことで、朋夏は我に返る。とりあえず、自分の席に戻ろう。そう思って、すぐ傍の自動ドアを開けた。

 朋夏は、確かに自分のスマートフォンに電話を掛けた。しかし、電話に出たのは、朋夏のスマートフォンを持っているはずの男ではなく、別の女性であった。あの新宿の交差点で落とした時に、今電話に応じた女性が拾ってくれたのであろうか。いや、違う。朋夏の記憶の片隅に、サラリーマンの男が朋夏のスマートフォンを拾っていた映像が確かに残っている。間違いない。じゃあ、あの女性は誰なのだろう。もしかして、あの男性の彼女さん、あるいは奥さんなのではないだろうか。そうだとすると、とても申し訳ない気持ちになる。ごめんなさい、彼は浮気なんてしてへんよ。誤解やで。しかし、そう心の中で謝ったところでその弁解が彼女に届くことはない。そもそも、よく考えたら今はまだ十五時を回ったところではないか。普通なら仕事をしている真最中のはずである。なんや、あのサラリーマンは仕事もせずに女の所に足を運んでるっちゅうことか? そうやとしたら、そんな不設楽な男に私が申し訳なく思う必要なんてこれっぽっちもあらへんやないか。

 そう考えると、再び怒りが朋夏の中に芽生えてくる。気持ちを落ち着けようと窓の外を見てみるが、通路側の席なので景色はあまりよく見えなかった。辛うじて見えるビルの合間を縫うように新幹線は走り、すぐに名古屋駅のホームが現れた。しばらく停車した後に、朋夏を乗せた新幹線は再びゆっくりと動き出す。イライラは治まらない。チッ、と舌打ちをすると、隣りに座っていたキャリアウーマンが驚いた表情で朋夏を見た。しまったと思い、朋夏はそれに気付かないふりをして目を逸らす。電光掲示板にしばらく業務的な内容が流れた後、再び今日のニュースが流れ始めた。

『本日のプロ野球 巨人 七 対 〇 阪神 (三回裏)』

 朋夏はそっと目を閉じて、ゆっくりと息を吸った。

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