■ 篠山4・西 ■
麻衣子がそれに気付いたのは、篠山駅を発車した特急電車に乗り込んだ直後のことであった。暇潰しにゲームでもしようとスマートフォンを取り出した時、そのスマートフォンが自分のものではないことを知った。うそ、やっちゃった。どうしよう……。
麻衣子は昔からよく、忘れ物をする子だった。その原因のひとつに、持ってくる物を間違えてしまうということがしばしばあった。例えば、算数の教科書を持ってきたつもりが理科の教科書を鞄に入れていたり、バレーボール部の試合の日にユニフォームと間違えて学校の体操服を持ってきてしまったり、そんな間違いをしょっちゅう犯していたので、昔から怒られてばかりだった。その悪い癖は、おとなになった今でも治っていないらしい。掌の上の水色のスマートフォンを見て、麻衣子は頭を抱えた。この持ち主は今、時速百キロメートル以上の凄まじいスピードで麻衣子から遠ざかっている。
さぁ、困ったことになった。スマートフォンが入れ替わってしまった事はとても頭が痛い出来事である。しかしながら、好きな人の情報が詰め込まれたそれが手元にあるということは、非常に心が浮ついてしまう出来事でもあった。つい先程、篠山駅のホームで感じていたドキドキが再びぶり返す。この中を見れば、彼のことが分かってしまうかもしれない。彼女がいるかどうか、例えばゲームやSNSなど、どんなアプリを使っているのか、写真フォルダを覗けばどんなご飯を食べたりどこに出かけたりしているのかも分かるかもしれない。そんな彼のことを知りたいという好奇心と、知りたくない現実を知ってしまうのではないかという恐怖心とが麻衣子の心の中でぶつかり合う。
ポチッと、画面下にあるホームボタンを押してみる。現在時刻と同時に表示される、橋が掛かった海の写真。これは、何処の海だろう。橋が掛かっているので、瀬戸内海か、関門海峡か、それともレインボーブリッジ? そのどれも本物を見たことが無いので、麻衣子にはとんと検討がつかなかった。いやでも、よくよく見てみると、思ったより向こう岸までの距離は遠くないようにも思える。ということは、ただの川?
いずれにしてもとても綺麗な景色で、彼が一体誰とここへ足を運んだのか、それが気になって仕方がなかった。一人旅で見た光景なのか、それとも恋人と出かけたのか。できれば前者であって欲しいと願うが、それを確認する術は麻衣子には無い。
──いや、あるではないか。それは、本来ならとても難しく、でも今ならとても簡単にできること。すなわち、このスマートフォンの中身を覗いてしまえば良いのだ。カタンカタンと音がする。麻衣子は、ゴクリと息を呑んだ。
これはきっと、恋の神様が麻衣子に課した試練に違いない。篠山駅のホームでの出来事を思い返す。麻衣子は和也のスマートフォンのロックパスワードを解除してしまい、それに動揺して彼との別れ際、うまく会話をすることができなかった。だから、よく考えなくてはならない。これからのことを冷静に思い描いてみる。きっと、二人のスマートフォンを交換するために再び連絡を取ることになるだろう。その時、もしかすると顔を合わせることもできるかもしれない。ならば、清々しい気持ちでこれを返してあげることができた方が良いに決まっている。そうすれば、麻衣子の気持ちを和也に伝えるチャンスだって巡ってくるに違いない。
そう考えて、麻衣子はそのパンドラの箱をショルダーバッグの奥に仕舞い込んだ。これで良し。変な気を起こす前に、気を紛らわせるため代わりに家から持ってきていた小説を取り出しそれを読むことにした。麻衣子が今読んでいたのは、家の裏山を散歩していた主人公の男の子が、たまたま高校のクラスメイトで飼い犬を散歩させていた女の子と遭遇したことをきっかけに、少しずつ惹かれあっていくという二人を描いた恋の物語だった。ヒロインの女の子が主人公の男の子に片思いをしていて、そのことに気付いた同級生カップルが二人に協力しようともうじきある修学旅行に向けて計画を立て始めたところまで物語を読み進めていたのだが、同じ班員の女の子も実は主人公の男の子の事を密かに思っていて、恋の行方がそう一筋縄ではいかないだろうことが想像できた。ひねくれた心で読めば、所詮作られた物語である以上はどうせこの主人公とヒロインは最終的に結ばれるのであろうが、例え筋書きが決まっていたとしても、恋愛とはとてもむず痒く、ハラハラしてしまうものである。だからこそ魅力的で、世の中の女性は恋することに惹かれるのであろう。
とはいえ、現実世界の恋愛では嫌な意味でのハラハラは体験したくないものであった。自分がもし小説の中のヒロインであったら、片思いをするあの人と結ばれる道筋を歩むことができるのに。そう願っても、人生そんなに上手くいくはずもないので、せめて小説を読む間だけでも幸せな気持ちを味わいたい。パラパラとページをめくり、挟んでいたしおりを取り出して続きを読み始めながら、麻衣子はその先の幸せなラブストーリーに期待することにした。
現在所有しているスマートフォン
南野和也→西 東山朋夏→南 西島麻衣子→東 北本太一→北
※記号の意味は、「※ 前書き ※」を参照ください。
※入れ替わりが発覚するまではネタバレ要素になってしまうため、
全話に記載している訳ではありません。
※入れ替わりが発覚する度に、あるいは必要に応じて記載していきます。