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第六夜

 時計が十二時を指して、新たな一日が始まる。

庭の軒下の石段に、昼間山田さんが忘れていったタオルが置いてあった。

あの枯木はどうして切ってしまったのだろう。

確かあの木の下に、友達とタイムカプセルを埋めた記憶がある。

切り倒された木は、納屋の横に寝かされたまま、腐った幹の間に蟻が湧いていた。

 今晩は少し涼しい。畳がひんやりとして気持ちよかった。千佐が窓を開けて寝ているのはわかっていた。しかし網戸も開けなければ、小さな彼女の力ではそれさえ開けることはできない。

 先ほど千佐が眠ったのを確認して、そっと網戸を開けに行った。蚊が入るだろうが、そんなことはどうでもいい。マリがあの部屋を出ることさえできればいいのだ。

 何か理由を付けて、自分がその部屋で寝ればよかったな。

そう思いながら、夕夜は今夜も小さな女の子を待っている。

そして今日はもうひとり。

 襖をノックする音。

夕夜が返事をするのを待たずに、その戸は開けられた。

「来てしまったわ」

静かにスリッパを履いたまま、祖母が入ってきた。

時刻は十二時三十分。

「起きられたんだ」

「眠れなかったの」

夕夜は椅子に、ユキはベッドに腰を下ろす。

「マリちゃん怒ってないかしら。ずっとほったらかしで」

「怒ってはないよ。大丈夫。でもちょっと寂しそうだったから、おはなししてあげると喜ぶんじゃないかな」

「そうね。…ひとつ思い出したのよ。さっき眠れなくて、どうしてマリちゃんいなくなった後お父さんのところに行ったのか、すぐに探してあげられなかったのか。

 当時は季節労働者といって、冬の間だけ出稼ぎに出る人がたくさんいて、お父さんも寒い時期には毎年都市部へ出稼ぎに行ってたわ。私は三日間遊びに行くことが決まってて、汽車に乗り遅れるからってマリちゃん探す間もなくうちを出たのよ。

 でもずっと神社の裏山にいたんでしょうね。寒かったでしょうね。それでマリちゃんを見つけてから、お父さんのところで見た、田舎にはない珍しいこととか、いろいろお話したわ。

 それでね、流れ星のことも。

都会の方が星が見えるって、今では反対でしょうけど、私が育った山間部は積雪量がとても多くて、冬はずっと曇り空。だからあまり雪の降らない、今よりずっと明かりの少ない都会の方がよく星が見えたの。

 もっとも、私のお父さんが働いていた工場はそんなに都会でもなかったんだけど」

夕夜は想像する。そんなに雪の積もったことはこの辺りでは一度もない。

しかし窓の外の木々の揺れや星の数は変わっていないはずである。

「もうそろそろかな」

そう言って夕夜は窓を開ける。

「その工場での星空って、こんなの?」

窓際にもたれ夕夜は問うが、祖母は小さく首をふった。

「私の目が悪くなったのもあるだろうけど、もっともっとたくさん星があったわ。ここはそんなに街の灯りは届かないけど、あの時代の冬の夜空にはやっぱり負けるわよ」

およそ六十年以上前の記憶を鮮明に思い出したユキは、夕夜の隣に立ち、空を見上げる。

「あ」

「何?」

「今流れ星が」

ユキは空を見つめる。しかしその瞬間は一度きりで、その後いくら眺めても星が降ることはなかった。

「だめよ。私約束したのよ。マリちゃんと」

ユキは心なしか困った顔をして、落ち着かない様子で外を見ている。

「早く来ないかしら」

「どうしたの?」

「流れ星なんてそうそう落ちないでしょ。私マリちゃんと約束してて」

そう言いかけたとき、ユキの目は何かをとらえていた。

 月明かりの下、はっきりとした輪郭が浮かび上がったのは、随分とそれが近くに来てからだった。

「ユキちゃん」

ユキは目を細め、その声の発せられた方を凝視する。

 夜に紛れた小さな影。

声はやはり儚く、今にも暗闇に溶けて無くなってしまいそうなほど小さかった。

そしてその姿も。

「マリちゃん」

ユキは涙する。柔らかく、少し黄ばんだ手を取り、自分の方へと引き寄せた。

「ごめんなさいね、ずっとあなたのこと忘れていたの」

人形は何も言わない。

「約束したのにね。ごめんなさいね」

どんな赤ちゃんよりも小さな手で、マリはユキの皺のよった頬を撫でる。

「ユキちゃん、人間は生きているうちにたくさんの事をしなくちゃいけないの。わたし知ってるの。今こうやって思い出してくれただけで、わたし嬉しいの」

「夕夜に聞いたわ。あなたが強い想いを持って今までひとりで時間と戦ってきたこと。それは私がした約束、守れてなかったからよね」

「わたしもよくわからない。けれど、どうしてわたしが今ユキちゃんたちとお話しできるのかって、その理由を聞かれたら、それが原因かもしれない。こうやってお話をするのは夢みたいに素敵なことだけど、本当の目的は、」

「ふたりで流れ星を見ることね」

 夕夜は気づく。

その強い目的を達成しなければという推進力に押され、この人形は意思をもったのだ。

強固な友情も、人間の生きる上でのあらゆる営みからしたらあやふやなもので、ひとつの執着心、流れ星をふたりで見るというその目的への確固たる執念が、今までマリに意思を与え続けていたのだと思った。


「お外に出ましょう」

マリが促す。

「窓から出るのね。裸足のまま」

ユキは大人には見つかってはいけない秘密を持った子供のように、楽しそうに、そう高くない窓辺りを跨いだ。

「僕も行ってもいい?」

遠慮がちに夕夜は問う。

「おいでなさいよ。もちろん夕夜も裸足で」

悪戯っ子が笑っている。

どちらかと言うと物静かな祖母の、その中に眠っていた少女が夜の魔法にかかり、表へ出てきたのだ。

「あそこ、あそこに座りましょう」

そこは一ヶ月も前に切り倒された枯木の上だった。

 祖母はマリを膝に乗せ、空を見上げる。

「私の小さなお人形さん、ずっとお友達でいてくれた。私はいつか死ぬけれど、それまで一緒にいてくれるかしら」

「もちろん、あなたが中学校を卒業して遠い学校に行ったときも、帰ってきてすぐに結婚して出ていくって言ったときも、チサが産まれてあまりの元気さに戸惑っていたときも、ずっと見ていたわ。そしてゆうやが産まれて、ゆうやのお父さんがすぐに亡くなって、あなたはゆうやの気をまぎらわせようと私を与えたの。それまではやっぱり寂しかったけど、あなたは私を覚えていてくれた。それからチサに隠されるまで、すっごく楽しかったわ。そしてね、こうやって三人で流れ星を待てるなんて」

星空から目を逸らすことなく続ける。

「世界で一番幸せな人形だと思うの」

一気にしゃべると、疲れたのか、それから電池が切れたようにしゃべらなくなった。

「あ」

先ほどと同じ、そう言ったのは祖母だった。

「見たよ。今流れたね」

夕夜も見逃すまいと瞬きを極力少なめに空を見ていた甲斐があった。

二人は確かに見た。

まるで天から糸が伝うように、それは長い尾を引いて落ちた。

もちろんマリも見たはずだ。それはボタンの目だけれども、この空間に居てその瞬間を見ていないはずがなかった。

「マリちゃん?」

声をかけるが返事がない。

ああ、もう時間が過ぎたんだ。

「おばあちゃん、うちに入ろう。マリは少しの間しかしゃべれないんだ」

祖母は残念そうにマリを見つめ、土が付いた足の裏を神経質に叩いた。

「でも楽しかった。三人のひみつね」

ちょうどいいわと、山田さんが昼間忘れていったタオルで二人は足を拭き、再び窓から家屋へと入った。

「静かね。この辺は車もあんまり通らないし。だからマリちゃんの声が聞こえたのね。私ももっと早く気付いていたら」

「でもおばあちゃんが気付かなかったから、僕が気付いたんだよ。そうでないと、三人で流れ星は見られなかったと思う」

祖母はマリをいっそう愛しそうに抱きしめ、

「そうね、夕夜はマリちゃんのお婿さんだものね」

そう言って祖母は人形を学習机の上に置いた。

「おばあちゃんの部屋に置いときなよ。せっかく久しぶりに再会したんだから」

「そう?私明日も起きれるかしら。もっとお話はしたいけど」

「おばあちゃん、ひょっとするとマリはもう普通の人形に戻ったかもしれないよ」

「どうして?」

「マリは目的を遂げたもの」

天から伸びた糸を伝って落ちてきた流れ星。

マリはそれを手繰って夜空の向こうに行ってしまったのではないか。

「強い想いがなくなっちゃったから?」

「うん、わかんないけど。僕は流れ星を一緒に見ようっていう約束がマリを動かしたと思ったけど、おばあちゃんの流れ星に託した願いが天に届いたのかもしれないし」

「私、明日もこの時間起きているわ」

祖母はマリを抱え「おやすみ、ありがとね」と言って、部屋を出た。

 

魔法の時間はいつか解けるもの。

夕夜はこの家に来てから毎晩不思議の世界に足を踏み入れていたけど、マリにかかった魔法はまだ解けていないのだろうか。


そして目を閉じ、朝、また味噌汁の匂いで起きるのだ。




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