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第五夜

「ねえ、母さんはマリって知ってる?」

朝食の後、忙しなく仕事の支度している千佐に夕夜は尋ねる。

「は?夏木?園?」

「人形だよ」

一瞬間が空く。

「ごめん、わかんない。あんたが何言ってんのか。母さんもう行かなくちゃ」

慌ただしく化粧を終え、「悪いけど洗濯物干しといて」とだけ言い残し、出ていってしまった。

「忙しい子だね」

見ていた祖母は呆れた様子で呟いた。

そして夕夜の顔をじっと見つめる。

「夕夜、マリちゃん知ってるの?」

祖母は懐かしむようにその名を口にした。

「知ってる。小さな人形の女の子」

「そういや夕夜、よく遊んでたな、小さい頃。あれは二歳くらいだったかな」

「お父さん、よく覚えてたわね。そうだわ。懐かしいわね」

「お前があんまりマリちゃんマリちゃん言うもんだから、千佐がお前のこと心配して隠したんだな。あいつ忘れてるだろうけど」

読んでいた新聞をたたみ、アゴヒゲを撫でながら普段寡黙な祖父が訥々と喋り出す。

 まったく覚えていなかったが、夕夜は二歳の頃、人形と結婚式を挙げたそうだ。マリに白いガーゼを被せ、自分と手を繋いで。

(二歳だったら覚えてないな)

夕夜は、自分の記憶がないことに得心した。

「テレビで見たんだろうな。あんまりしつこいからおばあちゃんが夕夜の蝶ネクタイもハンカチで作ったんだよ」

「…まったく覚えてない」

そんなことまでしていて覚えていないとは。マリが言いづらい気持ちがわかる気がした。

「あんたマリちゃんの名前知ってたのね。またどうして急に」

「うん、ちょっとね」

夕夜は誤魔化すと、いそいそと食器を片付ける祖母を手伝う。

「そうそう、今日、山田さんが窓を直しにきてくれるって。二時くらいに来るっておっしゃってたわ。お部屋片付けとかないとね」

誰にともなく祖母はそう言ったのだが、夕夜は内心慌てる。

「今日中に直るの?」

「ええ、直るでしょうね。どうしたの、変な顔して」

直ってしまっても、こっそり行って開けておけばいい。でも母がそこで寝ていたら?

「網戸もついでにつけてもらうわ。あの部屋だけ付けてなかったから」

(マリに会えなくなる)

「おばあちゃん、ちょっと話があるんだけど」

夕夜は祖母をマリが置かれている部屋へ促した。




 祖母はその部屋に入ると、すぐに箪笥の上に置かれている小さな人形に目をやった。

「千佐ちゃんがマリちゃんをこの部屋に置いてたの、私知らなかったわ。何度か片付けに入ったのに、どうして気づかなかったんだろ。

そう、あなたも、ひいばあちゃんのお部屋にはあまり近づかなかったものね」

久しぶりの友人と邂合を果たした祖母は、うっすら目に涙を溜めているように見える。

「ひいばあちゃんはずっと寝たきりだったから、いなくなったマリちゃんのことも全然気にする時間もなくって、ごめんね」

「マリは、おばあちゃんの一番の仲良しだったんでしょ?」

祖母は不思議そうに夕夜の顔を見る。

「どうして知ってるの?」

マリを懐に抱え、愛しそうに撫でながら。

「僕は、マリがすごく強い想いを抱えて、この部屋にずっと眠っていたことを知ってるんだ」

「マリが強い想いを…」

人形が意思を持っているという前提で話す孫の目はとても真剣で、冗談を言っている風ではないのは見てとれた。

 祖母は何かを思い出そうとしている。

 マリの顔をしげしげと眺め、「そういえば」と、ぽつりと思い当たるふしがあることに気付いた。

「昔、私もマリちゃんと仲良くしすぎて、近所のさっちゃんに隠されたことがあったわ。

 私はきれいな着物を着てるマリちゃんが大好きで、子供のようにどこへ行くにもつれて回ったのよ。そしたらある日、お便所にいってる間にマリちゃんが居なくなってて。でも私はその後すぐにお父さんのところへ行かなくちゃならなくって、三日間離れていたのよ。家に帰ってもやっぱりなくって、それで神社にお願いをしに行こうと思って。

 だけど神社は子供がひとりで行っちゃいけないことになってたから、私夜中にこっそり家を抜け出したんだわ。

 雪はやんでたけどすごく積もってて、何度か埋もれそうになりながら、必死で。

 そうしてらマリちゃんも私のこと探してたって、歩いてひょっこり出てきたの」

余程の執念で神社へたどり着いたのだろう。帰った祖母の手足は霜焼けだらけだったと言う。

「どうしても伝えたいことがあっから」

そしてぽつりと、

「あれは、夢じゃなかったのね」

そう呟いた。

夕夜は何も言わなかった。

「お星さまが私のお願いを叶えてくれたんだわ」

祖母の表情が曇りだす。

「お父さんの所で流れ星を見たのよ。私必死で『マリちゃんとホントのお友達になれますように』って。心で念じたの」

しかし大人になるにつれ、ユキは人形遊びもしなくなり、働き、結婚して子供を育て、母の介護。

マリに目を向ける間もなく、こうして何十年ぶりかの再会を果たしてしまったのである。

「ごめんね、こんなところでずっとひとりで寂しかったわよね。…でも、どうして夕夜は私とマリちゃんが友達だったことを知ってたの?」

言うべきか悩んだが、今更隠しても仕方がないと思った。

「マリから聞いた」

祖母はきょとんとして孫の顔を見る。

「僕も覚えてはいなかったけど、マリにとても執着していたから、おばあちゃんと同じ思いの僕の心がマリの心と共鳴したのかな」

言っておいてなんて非現実的な事を言っているのかと自分で自分を疑う。

「よくわかんないけど、僕が隣の部屋で寝てたら、決まって一時頃に話し声が聞こえるんだ。こないだから僕の名前を呼び出して、そしたらそれがマリだったんだよ」

長い沈黙のあと、夕夜は続ける。

「マリはおばあちゃんに会いたいのかなって思って。僕にも会いたかったみたいだけど。それが目的じゃないみたいなんだ。僕がたまたま先に気付いただけで」

祖母は物言わず抱き抱えられている人形を見て言った。

「今も私たちの会話、マリちゃん聞いてるのかしら」

「わかんない。今晩おばあちゃん、隣においでよ。たぶん、来てくれるよ」

祖母は少し考えた後、

「そうね、だけど起きられるかしら」

そう言って静かに笑った。


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