旅は肉(ミンチ)連れ、世は情け容赦なし(1)
三日後。僕の体は完全に元に戻っていました。
「で、結局、どういうことだったんですか?」
僕は肩をこきこきさせながら、雅さんに尋ねます。
僕と彼女は、エリーの部屋で対峙していました(ちなみに奴隷の僕がなんでエリーの部屋で寝起きしているかというと、半ばペット扱いされているからです)。
「わたくしがなんらかの手を打ったわけではありません。ただ自然にそうなったというだけの話です」
「はぁ……」
「新陳代謝が、今回の要だったのです」
雅さんは淡々とした口調で、解説します。
「すべての生物は、絶えず体内で新しい細胞を作り続け、その一方で古くなった細胞を排出しています。我々魔族の新陳代謝は、非常に活発で、三日ですべての細胞が入れ替わるのです。つまり、三日前にエリザベート様の細胞になったあなたの肉が、古くなって排出されたというわけなのです」
実は、今回の再生はゴーレムのときのように瞬く間に終了したわけではありません。
変化が始まったのは、三日目の朝方――つまり今朝でした。
まず僕の首の下から、植物の球根のように肉の根が生えました。
肉の根は、時間とともに少しずつ生長していき、次第に内臓や骨、神経や筋肉を形成していきました。
そして数時間前に、ついに元通りのところまで体が再生し終わったというわけです。
「要するに、老廃物の段階になってようやく『再生現象』が起こったわけですね」
「しかり」
「すべてが『排出→再生』されるためには、新陳代謝のサイクルである三日間を要する。だから、あなたは三日待てと言ったわけだ」
僕はようやく合点がいきました。
なんとまあ……。このおかしな世界に来て以来、様々なことに直面したため、もうなにがあっても驚かないと思っていましたが、こんな事態はさすがに予想の斜め上を行き過ぎています。
果たして僕は元の平凡な高校生に戻れるんでしょうか。
「しかし、不思議ですね」
雅さんのあげた声が、僕を物思いから引き戻しました。
「あなたは、今まで自分が不死身であることにまったく気付かなかったのですか?」
「はあ、まあ……いや、体がけっこう丈夫なのかな、とは思ってましたよ? でも、こんな特殊な体質だなんてことは……」
「なぜ、丈夫だと思ったのですか?」
「えーとですね、実は僕、最近、不良の先輩たちに暴力をふるわれてたんですよ」
「………………」
「で、けっこう派手に顔面を殴られたりしてたんですけど、不思議なことに怪我を負ったことが一度もなかったんです。普通だったら青あざになったり、切り傷になったりするでしょ? でも、いつも元の綺麗な顔のままだったんです」
「それは、おそらく、あなたが再生していること事態に、気付いていなかったのでしょう」
「え?」
雅さんの言葉に、僕は眉をひそめます。
「あなたの顔は、殴られている側から再生していたのです。ただそのスピードがあまりに速かったために、傷を負っていることにさえ、気付かなかったのです」
「速い……ですか」
「考えてもみてください。あれほど原型をとどめず破壊されても、あなたの肉体は数分もかからずに再生したのですよ。殴られて生じる程度の傷なら、それこそ瞬きする間に治ってもおかしくはないでしょう」
「なるほど……」
言われて納得です。たしかにゴーレムのパンチに比べれば、先輩たちのリンチなんて、蚊がとまった程度でしかありません。
なんとも驚くべきことですが、僕は怪我をしていなかったのではなく、あまりにも超スピードで再生していたため、怪我を負ったこと自体に気付かなかったというわけです。
「他には、奇妙に思ったことはないのですか?」
さらに尋ねる雅さん。
「うーん、なんかあったかなぁ……」
「例えば、事故にあって大怪我を負ったことなどは? そのような事態に直面すれば、必然的に、自身の体質に気付くかと思いますが」
「大怪我もないなあ……あんたらにゴーレムでやられた以外は。あ、でも一回だけあるか。僕、子供の頃、交通事故に遭ったことがあるらしいんです」
「らしい?」
「実はそのときのことを全然覚えてないんですよ。どうも頭を派手に打ったらしくて、それ以前の記憶も思い出せなくなっちゃったんです」
「では、そのときのことは、他者から?」
「うん。母からです。あ、でも、このほっぺたの穴は、そのときに出来たらしいんですよ」
右頬を雅さんに向けてみせる僕。
彼女は、こちらをしばしの間、見つめます。
「なにか?」
「自分で気付いていないのですか?」
「は?」
「…………まあ、この話はこれぐらいでいいでしょう」
秀麗な顔が、ドアの方へと向けられます。
「そろそろ、エリザベート様がお戻りになられる頃です。あなたもマルタとはいえ、正装をしなければなりません」
「やっぱり、僕もいかないといけないんですか?」
おずおずと尋ねる僕。
「当然です。御自らのご指名を、マルタごときが断れるはずがないでしょう。我らが君主、ネオテニア陛下の――」
◆◆◆◆◆◆◆
壮麗なレリーフの施された壁面。
その手前には純白の美しい椅子が置かれています。
重々しい扉から室内に入った途端、僕は全身を畏怖で打たれました。
静謐。まるで誰も立ち入ったことがない高山のように、限りなく澄んだ空気が大広間を満たしています。磨き抜かれた石柱と美しい深紅のカーペット。魔族の王の謁見の間です。
僕は、これから、彼らの女王であるというネオテニアなる人物と謁見するのです。
ベオウルフさんが先頭になって、荘厳な空間を進んでいきます。彼の傍らにはエリーがいて、その少し後ろを雅さん、さらに後ろを僕がついて行くという図です。
主である女王は、まだ姿を見せていないらしく、玉座は無人でした。
魔族の女王ネオテニア。
彼女が王位についたのは、十年ほど前のことです。なんでも当時、マルタ――この世界の人間たちと戦争をしていた魔族は、極めて劣勢に立たされていたそうです。
しかし、彼女が忽然と戦場に姿を現すようになってから、状況は一変。魔族優位となり、ついには戦争に勝利したとのこと。
まだ幼かったネオテニアが、なぜそれほどの偉業を成し遂げることができたか。
その理由は二つあります。
一つは、彼女が桁違いの魔法を行使できたこと。通常、どれほど強い魔力を持つ魔族でも、使用できる魔法は限られてしまうそうです。術者の体が、魔力の行使に耐えられないからです。
しかし、彼女は違いました。誰の手も借りず、事前の準備さえせずに、大魔法を行使することができたのです。それも、何発も無尽蔵にです。
もう一つは――不死身だったこと。
ネオテニア女王は、いくども人間側の暗殺者に狙われましたが、護衛一つ付けずにそれをすべて切り抜けてきました。
そんなことが可能だったのは、ひとえに彼女も僕と同じ不死身体質だったからです。
あるときなど、入念に毒を塗られた刃が心臓付近に突き立てられたのに、他人事のようにその様子を眺めるばかりだったとか。
どれほど重傷を負っても死なず、傷がたちまち治癒する。それは、人間側が待ち望んでいた存在――あたかかも勇者が顕現したかのような不死性でした。
これが決定打となり、ついに人間側は戦争を継続する意志を喪失。
少女は英雄となり、そのまま世界を統べる女王となったのでした。
――というのが、僕が事前に雅さんから聞いた女王ネオテニアに関するエピソードです。
それから十年。彼女は、数々の善政により、いまや史上有数と言われるほど、徳の高い王として名をとどろかせているとのことですが……
「――以上が勇者召還についての報告となります」
ベオウルフさんの恭しい声が響き渡ります。
「丁寧にありがとう」
高い声がこたえました。ちなみに、今の僕は額を床にこすりつけ、文字通りの平身低頭ポーズのため、声の主である女王の姿をうかがうことはできません。
「だいたいのところは把握しました。エリザベート――」
「は!」
普段とは打って変わった凛としたエリーの声。
「よいでしょう。このような例は今までありませんでしたが、特例として、あなたがその勇者を保持することを認めます」
「ありがたき幸せに存じます」
「ただし、彼は極めて稀かつ特殊な体質を持つマルタです。世間にその正体を気付かれることがないよう、十分気をつけること」
「かしこまりました」
そこまでで、頭上からの会話が途絶えました。
広間に静寂がおります。
けっこう長い時間が経過しますが、誰もなにも言いません。
いい加減顔をあげてもいいのかな、と思った僕は、そっと頭を持ち上げてみました。
十センチくらいの至近距離で、もろに女王と目が合いました。
「――――!?」
かろうじて声を押さえる僕。
女王はそんな僕の様子に頓着せず、ひたすら僕の顔に視線を注ぎ続けます。
いったいこれはどういうことでしょう?
ちらっと助けを求めてエリーらの方へ目を向けますが、ベオウルフさんは強ばった表情を浮かべ、エリーは口をぱかりと開いた間抜け面を晒しているだけです。雅さんに至ってはなぜか大理石の柱の表面を服で一心に磨いています。なにかの逃避でしょうか。
平たく言えば、三人ともどん引きしていました。
ぐいっ。不意に僕の顔を華奢な手がつかみます。強制的に引き戻された視線の先には、もちろん女王の姿がありました。
この状況でどうでもいいかもしれませんが、この人、すごく若いです。たぶん僕やエリーと同年代ではないでしょうか。
彼女は控えめに言っても、とてつもない美人でした。
柔和そうな目。ゆるくウエーブのかかった髪。羊のように巻き上がった角……。
ふいに僕の脳裡にある光景がフラッシュバックします。
泣いている女の子。それを慰める僕。
――お腹がすいたよう
そういう彼女に、僕は笑って言います
――それじゃあ、僕を○○ていいよ
記憶の中の少女の顔が、なぜか眼前の女性へと――
「いえ、違うわね……」
女王が目を伏せました。
「彼じゃない。彼だったら、頬に穴が開いているはずだもの……」
女王は、僕の頬から手を離すと、立ち上がりました。その顔には、今までのことが嘘だったかのように、毅然とした女王としての表情が浮かんでいます。
「では、これにて本日の謁見を終了します」
そう告げてさっそうと身を翻し、玉座の奥へと姿を消す女王。
あとには、僕たちだけが残されました。
「えーと……」
僕は、気まずい空気をごまかすように、頬を掻きます。
そして初めて気付きました。右頬の丸い穴が、いつの間にやら塞がっていることに。