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いきなりピンチ! それともミンチ?(4)

 ――青い月と赤い月

 

 建物の出口から一歩外に踏み出した途端、僕の足は止まりました。

 

 そこは森の中でした。

 暮れなずむ空にこれまで一度も見たことがない光景が展開しています。

 地表にのしかからんばかりに巨大な蒼月。その脇には、ひっそり控えるように赤色の月が浮かんでいます。

 明らかに地球の光景ではありません。

 

 背後を振り返ると、納骨堂を彷彿とさせる建築物が、半ば地に埋もれるように横たわっていました。月光が地下へと続く階段をひっそりと照らし出しています。

 この奥から、僕とこの奇妙な人たちは地上へと昇ってきたのです。


「おーい、なにやってんのよ?」


 不意に、すぐ側で声があがりました。


「行くわよ?」


 少女はそう告げて、親指で背後を示します。そちらに視線を向けると、木陰に一台の馬車がとめられているのが映りました。

 どうやら異世界にきたという感傷に浸る暇は、与えてくれないようです。

 僕は嘆息を洩らすと、少女のあとに続いて馬車へと乗り込みました。


 ――とりあえず我々の館へと移動する


 青年は短くそう告げました。

 半ば連行されるような気分で、馬車に揺られ続けること、しばし。

 僕は外から、喧噪が聞こえ始めたことに気付きました。幌の隙間からそっと外の様子をうかがってみます。

 思わず息を呑みました。

 

 馬車は見たこともない街を疾走していました。

 全体から受ける印象をたとえるなら、ヨーロッパの街並みが近いでしょうか。

 といっても、現代のヨーロッパではありません。一昔前――映画などで見たことのある中世時代のヨーロッパを彷彿とさせるのです。

 道も建物も石造りで、通りを行き交うのは馬車。往来を歩く人々は、みな民族衣装じみた服装をしています。誰もジーパンをはいていませんし、スーツも着ていません。

 忍者さんの操る馬車は、夜の喧噪に包まれた通りを、どんどん進んでゆきます。


「どう? でっかい街でしょー」


 ひょいと、少女が僕の隣に顔を突き出します。


「ここはね、魔族の王都サンカレドニアっていうの。この大陸で一番大きい都市なんだからねっ!」


 僕は返事をすることもできません。街の風景の方に意識を奪われていたからです。

 この街には、ばっと見ただけでもいくつもの異様な点が、見受けられました。

 たとえば、いたるところにある街灯。一番目に付くのは、大通りに据えられている石灯籠のようなものなのですが、その中にともっている灯が、僕が知るいかなる照明とも似ていないのです。なにかを燃やしているようでもなく、かといって電気が引いてあるようにも見えない。ただ青い光の玉が石灯籠の中に浮かんでいます。 こんな技術、見たこともありません。

 

 そして、ちらほら見受けられる奇妙な生物。

 僕たちの乗っている馬車は、普通に馬が引いているのですが、通りを行き交う馬車の中には、鼻が四本ある象みたいな生物に引かれているものもありました。

 他にも、僕の既存の知識では対応しきれないような色々なものが存在しましたが、実は、僕がもっとも強く感じた違和感は別のところにありました。

 それは、目にしている街の風景になにかこう……とても嫌なものがごく自然に混じっているという感覚です。

 

 当たり前のように存在する。

 でも、僕にとっては当たり前じゃない。

 

 その違和感の正体を突き止めようと、僕はなおしばらく、馬車の外を眺めていました。

 そして、ほどなくあること気付きました。

 手ぶらで露店を物色する女性。その後ろには大量に荷物を抱えた僕と同じ年くらいの少女の姿があります。

 彼らの隣には、なにやら交渉をしているらしい二人の商人の姿もありましたが、やはりすぐ近くに重そうな荷物を抱えた中年男性たちが立ち尽くしています。

 そう。通りを行く人々は、よく観察すると二種類にわかれていたのです。

 すなわち、使役する人と使役されている人に。もちろん、労働者と雇用者なのでしょうが、僕には彼らの関係がどうにも歪に見えて仕方がありませんでした。

 まるで、一方がもう一方を当然の権利のようにこき使っているような……使われている方もそれを当然のこととして受け入れているような。


「見物もよいが、そろそろ我が屋敷だぞ」


 青年が告げました。

 この時点では、まだ自分の見た光景にどういう意味があるのかなど、僕には知る由もありませんでした。


      ◆◆◆◆◆◆◆


「つまり、僕が生れつき『勇者』だったから、死ななかった。そういうことだね」

「そうだよ」


 エリザベートはようやく理解したか、という顔で、ベッドに背中から倒れこみます。豪奢な天蓋の付いたベッドは、大人が三人は寝られそうなサイズです。彼女はごろりと寝返りを打って、無防備な姿を僕の目にさらします。

 ここは彼女の居室です。

 当初は自分が勇者であるということを受け入れがたかった僕でしたが、時間が経つにつれ、今までの出来事を客観的に顧みることができるようになり、不承不承ながらその事実を受け入れつつありました。


「君たちの伝承によると、勇者は不死身なんだよね?」

「そうだよ。まあ、あたしも実物を見たのは、今日が初めてだけどね」

「どんなにひどい怪我をしても、たちどころに治る?」

「うん」

「たとえぺっちゃんこになろうが、細切れにされようが絶対に死なない?」

「そーだってば」


 クレイジーです。普通なら相手の精神を疑うところですが、なにしろ僕はその『不死身』とやらを文字通り体験したのです。いかに信じ難くても、信じざるを得ません。

 そこで、僕は肝心なことを聞き忘れているのに気付きました。


「じゃあさ、なんで勇者(ぼく)を呼んだの?」


 勇者だったら『世界を救うため』とか『魔王を倒すため』などという理由で召還されたのでしょうか。正直そんな使命を背負わされるのは、まっぴらなのですが。

 そこでエリザベートは、にまーっと意味ありげな笑みを浮かべました。


「なんで、あたしが呼んだと思うー?」

「それがわからないから、聞いてるんだよ」


 なにか得体の知れない悪寒を覚えつつも、僕は言葉を返します。


「それはね、奴隷が欲しかったから!」

「はあ?」

「正確に言うと、あたし専用の奴隷が欲しかったの。ほら、さっき兄貴が言ってたでしょ? あたしが名門貴族の娘で、すごい魔力を持ってるって」


 その話なら、たしかに聞きました。

 この屋敷に到着した直後、彼らは簡単な自己紹介をしてくれました。

 青年の名は、ベオウルフ・帝・ハインライン。

 彼の妹である、この少女は、エリザベート・帝・ハインライン。

 彼ら兄弟は、魔族の中でも上流階級――俗に言う貴族ということでした。

 特に妹の方は、一族の中でも飛び抜けた魔力の持ち主で、僕を召還するのも彼女の魔力なくしては、不可能だったとか。


「だからさ、すっごい奴隷が欲しかったのよ。その辺の魔族が持ってる普通のマルタじゃなくて、超レアで、超強いマルタをねっ♪」


 目をきらきらさせて、無邪気に語るエリザベート。反対に僕の背筋は凍り付きます。


「奴隷……? つまり僕を奴隷にするってこと? そのために呼んだの?」

「うん」

「冗談じゃないっ! なんで、僕が奴隷にならなきゃいけないんだ!」

「は? あ、あんた、なにいきなりキレてんの? マルタなんだから、奴隷になるのは、当たり前じゃない」

「な、なに? どういうこと?」

「あれ? 言ってなかったっけ? この世界では、マルタは魔族の奴隷なんだよ」

 

 僕は、しばしの間、沈黙しました。

 それからゆっくり口を開きます。


「……じゃあ、人間はみんな奴隷になってるのか? 一人の例外もなく?」

「基本的にはね」


 なんて……なんてことでしょう。僕は目の前が暗くなりました。先程の雑踏の光景を思い出します。使役している側の人たちは、そういえば全員頭に角を生やしていました。

 当然のように使役していたのではありません。文字通り当然だったのです。彼らは、みな魔族だった。そして当たり前の権利として、人間を酷使していた……。


「元の世界に帰してくれ」

「は?」

「君が僕を召還したんだろう? なら、君の手で今すぐ僕を元の世界に戻してくれ!」


 エリザベートはきょとんとした顔になります。次いで、腹を抱えて大笑いしました。


「あははははははははははははは。あ、あんたなに言ってんのよ」

「――な」

「そんなの無理に決まってるじゃん。あんたを召還すんのに、どんだけ手間がかかったと思ってんのよ」


 僕の顔から、一気に血の気が引きました。彼女の力でこの世界にきた。それはすなわち彼女の力がないと元の世界に帰れないということを意味します。

 そして、この魔族の少女は、僕を帰してくれるつもりは一切ないのです。


「さ、もうわかったでしょ?」


 魔族の少女はきらきらした目でこちらを見つめ、そわそわと膝を揺らし始めました。


「今日からあたしがご主人様だから。わかったら、まずは口のきき方から改めなさい」


 無言で固まっている僕に、なにか勘違いしたのか、急に優しげな口調になります。


「そんなに心配しなくても大丈夫よ。今まであたしにため口をきいてたのは、許してあげるから。あたしは、寛大な心を持ってる魔族だからね。ほんとはぶち切れそうだったけど」


 彼女はもう待ちきれないとばかりに、僕の元まで来て、満面の笑みを浮かべました。


「ほら、ご主人様って、言ってごらん♪」

「…………」

「あ、あれ? なんで言うことをきかないんだろ? マニュアル通りやってるのに」


 エリザベートは慌てた顔で、なにかの書類をめくります。書類の表紙には『初めての奴隷 ―マルタのしつけ方マニュアル☆初級編―』と記されていました。


「ええと、マルタがなかなかご主人様と呼ばない場合……『プライドが邪魔をしている可能性が高いので、まず自分に屈服させましょう』か。うん、いいこと書いてあるわ~」


 依然として硬直している僕に、再び満面の笑みが向けられます。


「『とりあえず、土下座させて靴を嘗めさせてみましょう』…ってことで、ほら、あんた、あたしの靴を嘗めなさい」


 どんと片足が突き出されます。


「ふざけんなっ!」


 全力で拒否する僕の頭髪を、問答無用でわしづかみする少女。


「いいから! 四の五の言わずに! あたしの靴を! 嘗めなさいって!」


 ぐいぐいとたおやかな外見からは信じ難い力で、僕の頭が押さえつけられます。あっという間に、顔が彼女の腰のあたりに達してしまいました。

 このままでは、本当にエリザベートの靴を嘗めさせられてしまいます。あの小さくてきれいな足の収まった、美少女の靴に……


 ………………………


 あ、あれ? なぜかちょっとだけ『それも悪くないかも』なんて、思っちゃったぞ? 

 いけない、多田氏勇社! しっかりするんだっ! 人としての尊厳を(色々な意味で)捨てちゃ駄目だ!


「う、うおおおおおおおーっっっっ!」


 僕は全力でエリザベートに抗いました。


「こ、こらっ、暴れるなっ」


 慌てて、僕を押さえようとしますが、狂ったように頭を振り回します。


「ち、ちょっと――」


 僕たちは絡み合うようにベッドに倒れ込みます。

 いつの間にか、僕はエリザベートの胸に抱きかかえられるような格好になっていました。  

甲冑を脱ぎ、部屋着しか着ていない胸が、僕の顔に押しつけられます。今にも透けそうなほど薄い布地。その着衣越しに、温かな少女の肢体を感じます。ふんわりと蕩けるような甘い匂い。起伏が乏しいながらも、それなりの弾力を伝える胸元。


「うおおおおおおおおお」


 僕は全力で、顔を左右させます。すでに頭をつかんでいる手がはずれているような気がしましたが、全力で顔を動かし続けます。


「ちょ――あ、あんた、いい加減に…………………………う、う、うう!?」


 唐突に、彼女の声が途切れたかと思うと、くぐもったうめき声が取って代わりました。

 ぞくり、と背筋が凍り付くような寒気。

 僕は顔を上げました。

 そして、目の当たりにしてしまいました。愛くるしかったエリザベートの顔が一変しているのを。ぎらぎらとこちらを見つめる両眼。大きく開かれた口――その瞬間、僕の頭に浮かんだのは『顎』という言葉でしたが――は、歯をむき出しています。


 それは、紛うことなき、捕食者の姿でした。

 

 爛々と輝く一対の目に射貫かれ、全身が硬直します。

 小さなエリザベートの口が、信じられないほど大きく開き、一気に僕に迫ってきました。

 肩に激痛。歯が容赦なく、肉に食い込んでいくのを感じます。


「ぎゃああああああああああああっ!」


 僕は首をのけぞらせ、絶叫します。

 顎が万力のように肩を締め付けて、そのまま後ろに勢いよく引かれました。

 ぶちぶちぶちいっ


「―――――」


 これまでとは比較にならない痛み。声をあげることもできません。

 僕は口から涎を垂らし、ただ灼熱の激痛に焼かれ続けます。

 そんな僕を一顧だにせず、少女は噛み千切った肉をくちゃくちゃと咀嚼しました。

 

 ごくん。


 肉が……僕の体の一部が飲みくだされてしまいました。

 僕は痺れたように感覚のない右肩に、おそるおそる視線を向けました。

 瞬間、見たことを後悔しました。肩の肉は根こそぎ食い千切られていました。筋繊維が申し訳程度に付着した骨が、剥き出しになっています。

 僕は込み上げてくる吐き気と戦いながら、呻くように漏らします。


「な、なんで……」


 しかし、怒りと恨みの眼差しは、すぐさま恐怖へと取って代わることを強いられます。

 エリザベートは、いまだにぎらぎらした目で僕を見つめていました。

 真っ赤に染まった口元から、くぐもった唸り声が響いてきます。

 恐怖のあまり凝固する僕に、素早く腕が伸ばされました。がっしりとつかまれる僕。痛みさえ忘れ、懸命に身を振り解こうとしますが、びくともしません。


「いやーっ、やだやだやだやだやだやめてやめてやめてやめてやめて」


 再び、僕の眼前で大きく顎が開かれます。

 今度は左肩に激痛が走りました。


「ぎいいいいぃぃぃーっっ!」


 それからは正に地獄でした。僕の体は容赦なく、食い千切られ、引き裂かれ、抉り出され、そのすべてが一切の斟酌なく、飲み下されてゆきました。


「エリザベート様、いかがいたしましたか?」


 永遠に思えるような苦痛と恐怖のあと、騒ぎに気付いた忍者の女性が、ようやくドア越しに声をかけてきます。

 扉が勢いよく開かれました。


「これは――」


 常にクールだった彼女が、ドアの前で立ち尽くします。それも無理はありません。

 全身を血に染めた少女がくるりと振り返りました。瞳には理性が欠片も残っておらず、完全に一個の捕食マシーンと化しています。

 忍者さんが音もなく、動きました。カーペットの上を滑るように移動し、瞬く間に少女の元に辿り着きます。

 ぱあん。乾いた音が響きました。エリザベートの顔が弾かれたように横向きになります。


「エリザベート様、お気を確かに」

 そう呼びかけながらさらに往復ビンタをくらわせる彼女。少女の顔が激しく左右します。

 何度、乾いた音が響いたでしょうか。ようやく、エリザベートの目に、戸惑ったような光が戻りました。


「み、雅?」


 驚いた顔は、すぐさま怒りの表情へと変化します。


「なにするのよ、痛いじゃ――」


 彼女の抗議の声は、最後まで続きませんでした。


「な、なによこれ………血塗れじゃない……」


 目を丸くして、赤く染まった両手を見つめる少女。次いで、その視線が自らの体へと降りてゆきます。純白だった部屋着は、あたかも最初から染められていたかのような赤い服へと変容しています。

 目で問いかけるエリザベート。

 そんな彼女に、忍者さんは首を振って、視線を床の上へと向けました。そこには


 生首だけになった僕が転がっていました。


「………………」


 無言で、彼女を見つめかえす僕。

 エリザベートは口をぱくぱくさせ、そんなぼく生首(ぼく)を指さします。


「あ、あんた、どうしたの? なんでそんなになってるのよ?」

「おまえのせいだろうがっ!」

「はあ? あたし? なに言ってんのあんた、げぷっ………………え? げぷっ?」


 エリザベートは、はっとした顔で、口元を押さえました。あたかもたった今、衝撃的な事実に気付いたかのように。


「ま…まさか……やらかしちゃったの?」


 目を伏せる忍者さん。気まずい沈黙が降ります。


「嘘……」


 激しく動揺する少女。いや、嘘と言いたいのは、僕の方なんですが。

 青ざめるエリザベートとそれを黙って見つめる忍者さん。そして、床に転がされたまま、放置されている僕。

 いまだどういう状況なのか、まったくわかりません。

 でも、一つだけ言いたいことがあります。

 ……………頭が逆さになっているので、せめて直してください。

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