いきなりピンチ! それともミンチ?(2)
ひんやりとした感触。鼻腔を抜ける空気には、きな臭さが混じっています。
僕はゆっくり目を開きました。
視界を壁のように覆う灰色。どうやら堅い石の上に横たわっているようです。
視線を徐々に遠くへと向けていくと、床は二十メートルくらい離れた壁まで続いていました。壁もまた石造りで、一定の間隔を置いて、かがり火が炊かれています。
ぱちぱち……と音を立て、オレンジ色の光を周囲に投げかけているかがり火。
きな臭いようなにおいは、それらが作り物ではないことを如実に物語っています。
いったい、ここはどこなんでしょう……。間違っても、教室ではないのは、明らかです。
僕は思いきって、がばりと立ち上がり、四方に顔を巡らせてみました。
「なんだ……ここは…」
思わずうめき声を上げてしまいました。
僕は石でできた巨大な部屋にいました。一辺が、目測で50メートル。天井も高く、優に20メートルはあるでしょう。どこもかしこも灰色のみですが、唯一左手の壁に、長方形の茶色い部分があります。よくよく目を凝らしてみると木製の扉のようです。
その部屋(これほど広い空間を部屋と呼ぶのは、違和感を覚えますが)には、なにもありませんでした。ただ広大な空間がのっぺりと広がっています。
――墓所
真っ先に浮かんだのが、それでした。ピラミッドの特集番組で、王の棺が収められた密閉された部屋を見ましたが、まさにこの部屋のイメージはそれにぴったりだったのです。
僕の恐怖は、刹那に極限に達しました。駆り立てられるように左手の壁まで全力疾走すると、ただ一つの出入り口と思われる扉を拳で叩きます。
「誰か! 誰かいませんか! 閉じ込められてるんです!」
ぴたりと動きをとめ、扉に耳をくっつけますが、なんの物音も伝わってきません。
ふと扉を見ると、取っ手の類がまったく付いていないことに気付きました。
生き埋め……?
ここはどこなんだとか、そもそもなんでいきなりこんな場所にいるんだ、という疑問は、閉じ込められるという原初の恐怖を前に、まったく思い浮かびませんでした。
誰でもいい。ここから僕を出してくれ。もし助けてくれるならどんなことでもするから。
そんな虚しい祈りを捧げながらながら、ただひたすら扉を見つめますが、もちろん、そんなことで扉が開くわけが――
ばたん。
「さ~て、そろそろあたしのマルタは、目覚めたかな~っと」
何の前触れもなく扉の向こうから、眩い光が差し込んできました。
「おおー? 扉の前で待機してんじゃん? もしかしてご主人さまが来るのに気付いたとか?」
「エリー、それはないと思うぞ? たんに閉じ込められたと思い込んで、出口を求めただけであろう」
上機嫌な声と、それを冷静に諭す声。上機嫌な方は女性の声音で、それもかなり若そうです。声だけで判断するなら、僕より年下かもしれません。一方の冷静な声の主は、おそらく二十歳を超えているでしょう。知的な印象を受ける男性の声音でした。
「さてと――ん? あんたなんでガン飛ばしてんの? あたしはあんたのご主人さまだよ。ご・し・ゅ・じ・ん・さ・ま」
「エリザベート様、彼は睨んでいるのではありません。おそらく、目が暗順応していたので、わたくしのライトを見てくらんでしまったのでしょう」
少女とは異なる女性の声が、またしても勘違いしている彼女をいさめました。
次第に、目が慣れてきます。
白い視界に浮かび上がったのは、予想通り、男性一人に女性二人の姿でした。
左に立っている男性は、紺色の足首まであるワンピースみたいな服装をしています。布の表面には金色の刺繍が施されており、幾何学模様を思わせる複雑な文様を描いています。
彼の右隣には、小柄な少女が立っていました。
彼女は、白を基調とした薄っぺらい服を着ています。肩にはショルダーパッドが、胸元には剣道の胴のようなものが、腰の周りには細長い垂れがつなぎ合わさったスカート状の防具がそれぞれ装着されています。ただし服の丈が異様に短く、足が付け根の辺りまで見えてしまっていました。
でも、なんと言っても目を引いたのは、一番左に立っている女性でした。
彼女は全身黒尽くめでした。黒い足袋に、上下が一枚につながっている黒い服。腰に締めた帯も黒帯です。唯一、胸元が大きく開いており、そこから覗く雪のように白い肌が、他と見事なコントラストを成していました。まるで、これから泥棒に入るような服装です。
ざっくばらんに言うと、
男性は僧侶。
少女は魔法戦士。
泥棒風の女性は忍者。
要するに、コスプレをしているようにしか、見えませんでした。三人とも、頭に角のような飾りを付けているのは、オリジナリティを出すための演出というやつでしょうか。
「そろそろ目が慣れてきたみたいね」
中央に立っている少女が言います。威圧するように腕を組んでいますが、気の毒なくらい胸が扁平です。
「ん? こいつ、頬っぺたに穴が開いてるわね…。なんだろう、これ? ゆうしゃの印みたいなやつかな」
「いえ、文献にはそのような印があるという記述は見当たりませんでした。おそらく、このマルタの生来の特徴なのでしょう」
少女と忍者さんが、わけのわからないやりとりをしています。
忍者の女性は短い杖を松明のように掲げて、僕を照らしていました。杖の先端には、光球のようなものが浮いています。まるで人魂かエクトプラズムのようです。
「あなたたちはいったい……」
僕は搾り出すように声をあげました。
「我々は魔族だ」
青年が室内に足を踏み入れ、朗々とした声をあげます。
「マルタの支配者にしてこの世界を統べる者なのだよ。もっとも、お主の世界には、我が種族が存在せんのかもしれんが」
「マ、マルタ?」
「お主らのことだ。ここではそう呼ばれている」
人間のことでしょうか?
しかし、この人はなにを言っているのでしょう? 頭がおかしいんでしょうか。
「ここはどこですか?」
「召還の儀を行う部屋だ。お主は我々の手によって、召還されたのだよ。正確にはこの子の魔法によってな」
ちらりと傍らの少女に目を向ける青年。
魔法……そして召還……。意味がわかりません。
「まあ、よい。質疑応答は、あとでとしよう。ここからはお主を試させてもらう」
青年が告げました。
なんの話かわかりませんでしたが、僕はとてつもなく嫌な予感を覚えます。
とにかく今は、この人たちに従うしかなさそうですが……。




