いきなりピンチ! それともミンチ?(1)
「おらっ! 五十万持ってこいや!」
ぼぐっ。僕の頬に拳がめり込みます。
「正義の味方君よお、自分が犠牲になって、お友達を助けたいんだろ? だったら、ダチの代わりに、お前がちゃんと金貸せやあ!」
口々に叫び、僕に暴力をふるう三人。彼らは三人が三人とも、制服の前をだらしなく開け、剃りこみの入ったパンチパーマをしています。
この人たちは、僕と同じ高校の三年生です。実は名前は知りません。
わかっているのは、先月、僕の友人を脅して、お金を巻き上げたということだけです。
「お金の貸し借りは、双方の合意の元に行われるべきじゃないですか?」
僕は殴られながらも言いました。
「片方が拒否しているのに、強要するのは、間違っていると思います」
僕の意見にかえってきたのは、さらなる強烈なパンチでした。
「うるせえんだよ!」
「これが俺の反論だ。文句あっか、こら!」
「だいたいお前、ほっぺたの穴がキモイんだよ」
あくまでも理知的に対応する僕に、先輩三人はますます怒気を強めたようです。ちなみに、ほっぺたの穴とは、僕の右頬に空いている丸い穴のことです。子供の頃の事故により、僕の頬には、十円玉くらいの穴がうがたれています。
「まあ、待ちなよ」
ふいに場違いなほど穏やかな声が響きました。
切れ長の目。さらりとした黒髪。声の主は少々冷たそうですが、凄まじいばかりのイケメンでした。
この人こそ、彼らのグループのリーダー、霧島雅人先輩です。
先輩三人組は、即座になにかを悟った顔になり、にやにや笑いながら僕から離れました。
「さて、曽根山君だったっけ? 僕たちの仲間に加わりたいんなら、なにをすればいいのかわかるよね?」
霧島先輩は、傍らに立っていた男子生徒に尋ねます。その生徒も崩れた格好をしていましたが、詰め襟のカラーからして、1年のようです。
「すいませんねえ、先輩。なんか先輩を殴んなきゃいけないみたいっす」
彼は僕の前に歩み出ると、頭をかきながらそう言いました。
僕は、あらん限りの力を言葉に込め、説得を試みます。
「君、よすんだ。暴力なんかで人を従わせようとしちゃいけない。今ならまだ間に合うから、まっとうな道に戻るん――ぺぐっ」
言葉が途切れたのは、喋っている途中で、彼にパンチをお見舞いされたからです。
「いや~俺もほんとはこんなことしたくないんすけどね、この先輩方って、学校の支配者でしょ? 強い者のルールには従わねーと、こっちも生きてけないんすよ」
どこか卑屈な笑みを浮かべつつ、そう告げる後輩。僕は無様に地面にくず折れます。
「でも、桐島先輩。こんな風に露骨に顔面をやっちゃって大丈夫なんすか?」
「大丈夫って?」
「いや、顔がアンパ○マンみたいになっちゃうと、さすがにまずいんじゃないかなーと」
後輩をのぞく全員が、失笑しました。霧島先輩が肩を竦めます。
「いいことを教えてあげよう。多田氏勇社君にはすばらしい長所があるのさ」
霧島先輩がそう言いながら、うなだれる僕の頭をぐいっと持ち上げます。
「ほら、顔が綺麗だろ」
「あれ!? ほんとだ……」
驚いた声をあげる後輩。ここでいう綺麗とは、間違っても僕がイケメンだという意味ではありません。僕の顔に傷がまったくないことを言っているのです。
「こいつ、なんでか知らないけど、いくら殴っても顔の形が変わらないんだよね」
ひどい発言ですが、実はそのとおりだったりします。最近、頻繁に暴力を振るわれることになった僕ですが、不思議なことに、僕の顔はどんなに暴行を受けても、腫れたり、青痣ができたりしないのです。しかも顔だけではなく、実は体も同様だったりします。
「どんなに暴力をふるわれても綺麗なまま。これがどういうことかわかるかなぁ?」
霧島先輩が、相変わらず穏やかな声で言います。
「つまり、どんなに暴力をふるっても、決して証拠が残らないってことだよ」
そう。一見、便利に思える特徴ですが、少なくとも現状ではこれっぽっちもいいことなんかありません。彼らからしてみれば、僕は格好のサンドバック。なにしろ、現行犯さえ注意していれば、いくら暴力を振るっても教師にばれる心配がないのですから。
「なるほど。でも、あんなに殴られたのに普通の顔とか正直かなりキモいっすね、この人」
「まあね。一つ言えるのは、体は丈夫でも、めちゃくちゃ弱いってことかな?」
どっと笑う先輩三人組。僕は唇を噛んで、屈辱に耐えます。悔しいですが、今は僕の悪口などより、大きな問題を優先して解決せねばなりません。
「先輩方」
「あん?」
「先月、内野君から借りた一万円は、もう返してあげたんですか?」
「また、その話かよ。お前もほんと懲りないヤツだな」
「まだなら、ちゃんと彼に――」
その先は続けられませんでした。先輩三人組の一人にアッパーを食らって、強制的に口を閉じさせられたからです。僕はそのまま、問答無用でぼこぼこにされます。
彼らは、気の済むまでリンチしたあと、笑い声とともに去って行きました。僕は地面に丸くなったまま、顔をあげることもできません。
「そうそう多田氏ちゃん。君に個人的な用があるから放課後に三階の空き教室まで来てね」
最後に、そんな霧島先輩の声が聞こえ、僕は無人の校舎裏に一人取り残されたのでした。
しばらくすると、昼休み終了十分前の予鈴が聞こえてきました。
僕はゆっくり立ち上がります。軽く体を動かして、どこかおかしなところがないかチェックします。あれだけひどい目にあったのに、今回も僕の体は無事なようでした。痛みの走る箇所はあっても、動かなかったり、違和感のある部分はありません。
しかし、気分は深く沈みました。
僕は暗澹とした気持ちのまま、校舎の中へ向かいます。昇降口を抜け、二階へ続く階段を上り始めると、ふいに慌ただしい足音が階上から聞こえてきました。
「多田氏君!」
小太りの顔が、踊り場から現れます。僕の友人、内野君でした。
「君が例の連中に連れて行かれるのを見たって、クラスの人が言ってんだけど」
僕は、なぜ彼が血相を変えて急いでいたのかを、理解しました。内野君は、僕の身を案じて、駆けつけようとしてくれたのです。
「その件なら、もう終わったよ。ごめん、内野君。今日も君のお金を取り返せなかった」
うつむいて告げる僕。対して、内野君は声を張り上げます。
「やっぱり、またそういうことをしようとしたんだね? 何度も言うけど、巻き上げられたお金はもう諦めてるから、取り返そうとしてくれなくていいんだよ。あの人たちが返してくれるはずないんだから。これ以上続けると、君が奴らのターゲットになっちゃうよ」
「はは……もうターゲットになっちゃってるみたいだけど」
「笑い事じゃないって」
「まあ、何度でも『返してくれ』って頼んでみるよ。彼らだって、しつこく言われ続ければ、気が変わるかもしれないし」
少なくとも今日は、気が変わる兆候がありませんでしたが。
ふいに内野君が口をつぐみました。じっとこちらを見つめます。
「なに?」
「君ってほんとにすごいなあ」
「はあ? 僕が?」
「うん。もし、ファンタジーフィクションに出てくる勇者が現実にいるなら、きっと多田氏君みたいな人なんだろうなあ…」
彼の言に、僕は思わず失笑します。
「おいおい、何言ってるのさ。僕なんかが勇者なわけないだろ?」
まったくお笑いぐさです。僕のどこが勇者なんでしょう。上級生から友人のお金を取り返すこともできない。あげく、返り討ちにあう始末。こんな勇者がいるでしょうか?
……まあ、名前だけは勇者と同音異語ですが。
とにかく、彼にはよけいな心配をかけないよう、放課後、もう一度霧島先輩に呼び出しを受けていることを告げないほうが良さそうです。
僕は当たり障りのない会話をしながら、内野君と一緒に教室へと戻ったのでした。
◆◆◆◆◆◆◆
放課後。僕は校舎の最上階へとやってきました。
すでに大半の生徒が帰宅しているため、校内は閑散としています。目指すは、廊下の端にある空き教室。そこで、桐島先輩が首を長くして待っているはずです。
今度こそ、先輩を説得しなければ……そう思うと、僕の足は自然と速まりました。
ドアの前にたどり着きました。この辺りには、まったく生徒の姿がなく、墓場のような静けさが無人の廊下を包んでいます。僕は、大きく息を吸うと、軽く扉をノックしました。
「すいません、遅くなりました」
すぐに部屋の中から返事が届きます。
「ああ、入ってくれ」
桐島先輩の澄んでいるけど冷然とした声。
僕はそっとドアを開きました。まず目に入ったのは、雑然と積まれた大小様々な物です。どうもこの空き教室は物置代わりに利用されているようです。
室内には、霧島先輩の姿は見当たりませんでした。
「霧島先輩………?」
怪訝に思った僕は、教室に一歩踏み出します。おや? 扉のすぐ真横に人影が――
次の瞬間、側頭部にすさまじい衝撃が走りました。即座に、僕の視界が暗くなります。
いったいなにが起こったのでしょう、教室の風景が、どんどん傾いていきます。
ああそうか、これは教室が斜めになっているんじゃなくて僕の体が傾いでいるんだ……。
痺れた頭でぼんやりとそう思いながら、僕の意識は途絶えたのでした。
◆◆◆◆◆◆◆
「――氏ちゃん。大丈夫?」
どこか遠くからそんな声が聞こえてきます。頭が割れるように痛いです。
「おーい、多田氏ちゃーん」
言葉が鼓膜を震わせるたびに、こめかみを釘で打つような頭痛が僕に襲い掛かかってきます。誰だか知りませんが、これ以上話しかけるのはやめて欲しいです。
「多田氏ちゃん」
ふいに、それまでより鮮明に呼びかける声が聞こえました。ぐいと髪の毛を引っ張られる感覚がします。否応なく、頭を持ち上げられる僕。頭痛がひどすぎて気にも留めなかったのですが、僕は床に倒れ伏していたようでした。
「う……」
僕はうめき声を上げつつ、ゆっくり目を開きます。氷の彫像のように整った顔が至近距離から僕を覗き込んでいました。霧島先輩は口元に微かな笑みを浮かべ、再度尋ねました。
「生きてる? 多田氏ちゃん?」
なにが面白いのか、先輩は吹き出します。まるで自分が最高の冗談を言ったかのように。
「いったい…なにが……」
「多田氏ちゃんさ、椅子で思いっきり頭を殴られたんだよ」
「だ、誰にです?」
「俺にだけど」
あたかも当然のように告げる先輩。
しかし、そのこたえを予想していた僕は、ほとんど驚きませんでした。問題は――
「…なぜ?」
「なぜ……ね」
先輩は、僕の頭を片手で持ち上げたまま、もう一方の手を顎に添えました。
しばし黙考した後、女の子だったら惚れてしまいそうな微笑を浮かべ、こたえます。
「多田氏ちゃんってさ、いくら殴っても怪我一つしないだろ? どこまで耐久力があるのか、ちょっと思い切り試してみたくなっちゃったんだよ」
「……もしかして、用事って…」
「うん。お前を呼び出した理由は、それだけ」
嘘だ、と僕は直感的に悟りました。霧島先輩が僕に直接暴力を振るったことは、今までほとんどありません。いつも先輩三人組に任せ、自分は後方で眺めているだけなのです。
なぜ、今回に限ってこんな暴挙に出たのでしょう?
ふいに目の前の人物が得体の知れない存在に見え、僕はぶるりと身を震わせました。
「でも、さすがの多田氏ちゃんも今回は無事じゃ済まなかったみたいだね。ほら」
先輩は明るい声で告げつつ、僕の首をぐいっと左に捻ります。
強制的に、左に向けられた僕の視線の先には、大きめの鏡がありました。演劇部の道具でしょうか。室内に保管されている大小様々な物の一つです。
鏡には、イケメンの男子生徒と彼に髪をつかまれている冴えない少年が映っていました。
僕はその格好のまま、凍り付きました。
鏡に映っている自分の頭部には、大量の血が付着していました。いや、付着しているなどという生易しい表現では語弊があるでしょう。こめかみより少し上くらいのラインに沿って、あたかも第二の髪の生え際のように、血の筋が垂れているのです。頭部をぐるりと覆った血の筋は、あたかも逆さまに王冠を被ったような様相を呈しています。
あまりの惨状に空いた口が塞がりませんでした。単に頭を強打されただけで、こんな怪我を負うでしょうか? いったい、先輩は僕が気絶している間に、なにをしたのでしょう。
霧島先輩は僕の髪から手を離すと、タオルを手渡してきました。
「これで血を拭え」
有無を言わさぬ口調に、無言で受け取り、血を拭き取り始めます。
そっと先輩の様子をうかがうと、彼は屈み込んで、なにかを拾い上げていました。タオルにくるまれた丸い物。大きさはメロンくらいでしょうか。異様なのは、タオルの内側から血が滲み出していることです。
「気になる?」
ふいにあがった霧島先輩の声に、僕はびくりと身を震わせました。
「これはまあ、あとでのお楽しみってことにしておこう。それより、俺はお前に聞きたいことがあるんだ」
霧島先輩は、口笛を吹きながら、タオルで包んだなにかを学生鞄にしまいます。
「多田氏ちゃんさあ、ずっと俺にお願いしてるだろ?」
「……なんのことです?」
「ほら『友達のお金を返してあげてください~』って」
たしかに僕がここへ来たのは、そのお願いをするためですが……。
「なぜ、急にそのことを?」
「いやね、俺、前から気になってたんだよ。お前がなんでそんな無意味な懇願を繰り返すのかってさ」
「無意味?」
「だって、そうだろ? 何回頭をさげられても、俺はお前の頼みをきくつもりは一切ないんだぜ?」
「そんな――」
「そんなじゃねえよ」
霧島先輩は、いまだ床に膝をついた状態の僕に目線を合わせます。
「いいか、よく聞け。強者が弱者から奪うのは、当然の権利なんだ。これは規則や法律がどうこういう以前に、自然の摂理なんだよ。シマウマが『助けてください』って命ごいしたところで、ライオンが哀れに思って見逃してやるか? やらないだろうが」
「そんな……人は獣とは違いますよ」
「同じだよ」
ふいに先輩が僕の顔へ手を伸ばしてきました。右頬の穴へ人差し指を突っ込むと、ぐいっと引っ張ります。
「人の方がもっと質が悪ぃんだよ。どうすればより効率的に奪えるのか打算を働かせるからな。いいかげんそれを悟れよ。お前みたいなのがいると、周りが迷惑するんだよ。黙って、自然の摂理に従え」
「いやです」
頬を引っ張る力が強くなります。痛かったものの、僕は、そんなことよりも、霧島先輩の浮かべている表情に目を奪われました。
先輩は、途方にくれたような顔をしていました。たとえるなら、深い森の中で迷った子供のような表情とでも言いましょうか。瞳の奥に疲労を浮かべ、目の前の僕が道標でもあるかのようにすがるような眼差しになっているのです。
おそらく本人も自分の表情に気付いてないのでしょう。それは初めて見る、霧島先輩の素顔のように思えました。
しかし一瞬後には、先輩の顔からその表情が消えました。
「まあ、いいや。もうすぐお前も否応なしに悟ることになるし」
どういうことですか? と尋ねようとした途端、空き教室のドアが騒々しい音を立てて、開きました。
「うーす」
現れたのは、おなじみの先輩三人組です。
チッ、と霧島先輩の舌打ちが聞こえました。
「馬鹿が……呼びもしないのに」
「え? なんか言った、桐島君?」
「そいつ、もうシメたの? まだなら俺らも混ぜて――」
その言葉が最後まで聞こえることはありませんでした。
なぜなら、その瞬間、室内が目も眩むようなまばゆい光に包まれたからです。
光は赤色でした。血のように赤く、普段は人間の意識のどこか奥深くに眠っている根源的な恐怖を喚起するような色調です。
一言で表すと禍々しい。その光は、質量を持つ水のように次第にうねり始めました。
先輩三人組がなにか喚いていましたが、よく聞き取れません。うねりに合わせて、教室全体が鳴動し始めたからです。
視界が激しくぶれ、室内にあるすべての物が二重写しになったように分離していきます。
最後に、僕自身に異変が起こりました。光の粒子となって、徐々に消え始める体。僕は呆然と、飛沫となって散ってゆく自らの両手を見つめます。
あまりの事態に恐慌をきたす暇もなく、僕はこの世界から消失したのでした。