エピローグ 肉、肉、肉
こうして一連の事件は幕を閉じました。
ベオウルフさんは重体だったもののかろうじて一命を取り留め、牢に拘留されることとなりました。
エリーにはつらい話ですが、いずれ厳しい処罰がくだるでしょう。
女王ネオテニアも間一髪で助かりました。こちらはすでに政務に就いています。
現在の僕たちはといえば、王都サンカレドニアの、とある宿屋に来ていました。
「いやー、大変だったわー」
エリーがいかにも疲れたという声を上げます。
本日は、女王の重大発表があるとのこと。
おそらく先日の事件についての正式な発表と無事な姿のお披露目でしょうが、都の広場まで足を運ぶ予定だとか。
その準備のため、エリーは、昨日からあちこちをかけずり回っていたのでした。
「もー、王宮の人員が……もぐもぐ……思い切り不足してるからさ……もぐもぐ」
どうもなにかを食べながら、話しているようです。いちおう「お疲れさま」と言おうと思い僕は振り返りました。
エリーが切断された僕の右腕を、食べていました。
「な――」
「ん? どーしたの? むしゃこら、むしゃこら」
「なにやっとんじゃ、おまえはぁぁっ!?」
「なにって、肉を食べてるんだけど」
「そんなの見りゃわかるよ! なんで僕の右腕を喰ってんだよ!?」
きょとんとした顔になるエリー。それから、自分の手にしている物をしげしげと見つめました。
「あ、ほんとだ」
「ほんとだ、じゃないだろ!」
「あはは……気付かなかったんだってば。忙しすぎて昨日の晩からなにも食べてなかったのよ。で、気が付いたら、あんたの腕、食べてた。あはっ☆」
「………………寝言も大概にしましょうね、ご主人様」
僕はこめかみをひくつかせます。
そしてなぜこの女はまだ僕の腕を喰うのをやめない?
ふいにぷいっとエリーが横を向きました。
「べ、別にあんたのことなんか、食べたくないんだからねっ!」
「じゃあ食うなよ!」
僕は全力で突っ込んだあと、彼女の隣に視線を転じます。
「雅さん」
「はい、なんでしょう?」
僕の呼びかけに怜悧な声がこたえます。
雅さんは執事のようにエリーと僕の間に立っていました。
「腕を喰われてるのに痛みを感じないってことは、僕に麻痺の魔法をかけたってことだよね?」
「はい」
「『はい』じゃないでしょ? なに勝手に人の痛覚を麻痺させてんの?」
「失礼しました。エリザベート様がひどく飢えた顔であなたのことをご覧になっていましたので、食い千切られる前に、気を利かせて麻痺させて頂きました」
「で、僕の腕が食い千切られるのを、黙って見てたわけね?」
怒りにぷるぷると震える僕。
「知らぬが仏という言葉が、向こうの世界にはありましたよね。ちなみに私は18歳です」
「あ、そうだったの――って、誰もまったくそんなことは聞いてませんから!」
雅さんは、現在、エリーに雇われるという形で行動しています。
僕は事件を解決した功労者ということで、マルタの身でありながら一つなんでも願いを言ってもよいという計らいを受けました。そこで、彼女に恩赦を与えて欲しいと頼んだのです。
「しかし、何度も聞きますが、なぜわたくしのことなどを頼んだのでしょう?」
「いや、僕も何度も言ってるけど、たいした意味はないんだって」
ただ、彼女を牢に送り込むというのは、罪の償わせ方としては間違っているような気がしたのです。
実際、彼女はカニバル・カーニバルのメンバーではないし、食人も一切行っていません。
なんでも雅さんは子供の頃にベオウルフさんに拾われたという話で、以来、それこそ奴隷のようにいかなる命令にも服従させられきたそうです。
『考えてみれば、彼女も被害者よね』
とは、エリーがぽつりと僕に洩らした言葉です。
ベオウルフさんを裏切って以降のことは、僕とエリーの胸にしまっておくことにしました。
「わたくしは借りを作るのが嫌いです。なので、必ずこの恩は返させてもらいます」
「好きにするさ」
「主に体で」
「!?」
などというやりとりをやっていると、突然、ファンファーレが鳴り響きました。
僕たちは二階の窓から、外を眺めます。
眼下に広がるのは、サンカレドニア一の大広場。普段、露店や売り子の姿で賑わうこの場所に、大勢の市民がひしめいています。
魔族だけではありません。マルタの姿も同じくらいあります。
今日、ここに集められた者たちは、皆女王の紹介状をもらったものです。
魔族とマルタが半々なのは、彼女の計らいによるものというわけでした。
「静粛に」
噴水の前に演壇が作られており、その手前にいた男が大声で言いました。
「女王陛下のおなりである!」
再び響くファンファーレ。
ネオテニアが静々と現れ、演壇に向かいます。
静まりかえる一同。ちなみに僕たちがこの宿にいるのは、広場を一望できるからです。
今日の僕らの仕事は警備。エリーも雅さんも不審な者がいたらただちに行動に移れるよう目を光らせています。
まあ例によって役立たずの僕は普通に女王の話を聞くだけですが。
「本日は私の話を聞いてくれるために集まってくれて、ありがとう」
女王が喋り始めます。
「皆さんに重大なご報告があります。私は先日、ある事件によって不死を失ってしまいました」
しーんと静まりかえる群衆。
それからどよどよと動揺した気配が、そこかしこであがり始めます。
「そして、危うく殺害されそうになってしまいました」
一気に大きくなるどよめき。再び「静粛に」という声が飛びます。
「しかし、今日本当にお話したいことはそのことではありません。なぜ私が他の魔族より、マルタを優遇するのか、その理由をお伝えしたかったからです」
当惑するような気配。女王は群衆を見回し、言を続けます。
「それは私が幼少の頃に交わした、ある約束のためです。私は戦災孤児でした。両親の顔も名前も知りません。物心ついたときには、焼け焦げた街で、食べる物がないかうろつき回っていたのです」
水を打ったように、広場が静まりかえりました。
「ある日、私は飢え死にしかかっていました。そこにマルタの少年がやってきました。彼は空腹を訴える私にこう言いました『自分を食べてもいい』と」
一同が固唾をのんで、女王の次の台詞を待っています。
「彼は去り際に『魔族もマルタもお互いに助け合える、そんな世の中になったらいいね』と私に洩らしました。以来、私はその言葉を実現するために腐心してきたのです。まず戦争を速やかに終結させ、それから自ら女王となってマルタと魔族が共存できる社会を作る。それが私の目標だったのです。残念ながら、現実はそううまくいかず、仲間がマルタを捕食することを禁じるのが、精一杯だったのですが」
女王は悲しそうに首をふりましたが、すぐに顔を上げます。
「でも、今回、私はまたしてもマルタに命を助けられました。その者は文字通り身を削って、私を助けてくれたのです」
たしかに、死にかかっている女王の口に、削った自分の肉をねじ込んだのは事実ですが。
「私は再び決意しました。魔族とマルタが助け合う社会を作ろうと。そこで、私はその者と婚姻の契りを交わすことにしました!」
…………………………………………………………………………は?
「実は、私と彼の体は、すでに二回も一つになっているのです!」
いやいやいやいやいや、違うでしょ? それは摂取した肉が合体しただけで、そんな言い方したら誤解されちゃうでしょ?
「最後にもう一度言いますが、私は魔族とマルタが平等に暮らせる社会を作ります。以上、ご静聴ありがとう」
しーんと静まりかえる広場。女王が登場したときと同じように静々と壇上から降ります。
拍手一つない退場は、とても女王の演説の直後とは思えない盛況ぶりですが、まあ、あの話の内容では仕方がないでしょう。
僕は広場を見渡しました。
魔族はもちろんのこと、マルタも当惑した表情を浮かべています。
魔族の中には露骨に憤りや嫌悪を浮かべている者も少なくありません。
パチパチパチパチパチ――
突然、隣からそんな音が聞こえてきました。
目を向けると、雅さんが無表情で手を叩いています。いつもの感情のうかがえない顔でしたが、一瞬だけこちらにはにかんだような笑みを見せたのは、僕の気のせいでしょうか。
パチパチパチパチパチ――
今度は反対側から拍手の音が響きます。
エリーがぶすっとした顔で、乱暴に手を叩いています。どこか雅さんに対抗するように大きな音を出していました。
「でれでれするな。あたしの奴隷なんだから、あたしだけ見てなさいよ!」
なにか言ったような気もしますが、よく聞き取れませんでした。
女王のいう理想社会への道はとてつもなく長いでしょうが、案外最初の一歩はすんなりと踏み出せたのかもしれません。
僕は、かすかな微笑を浮かべ、窓を閉めました。
「まあそれはそれとして」
僕は微笑みを浮かべたまま、その声に振り返ります。
ぷす。
「いだっ!?」
突然、手に走った激痛に、僕は叫び声をあげます。
見ると、左手にフォークが刺さっていました。
「よかったわねぇ、女王陛下に気にいってもらえて。超逆玉じゃない? あたしの奴隷がねぇ」
そう言いつつ、ぷすぷすと何度も手の甲にフォークを突き立ててくるエリー。その顔はなぜかものすごく不機嫌そうでした。
「やはりあなたは鳥かごの中に閉じ込めておくのが正解のようですね。今度は脳だけではなく、頭ごと閉じ込めるとしましょう」
平坦だけど、微妙に黒い声も響きます。
「大丈夫。わたくしが責任を持って一生お世話してあげます」
雅さん……お願いですから、真顔で鳥かごを磨くのはやめてください。本気で怖いです。
「婚姻の契りだって?」
「すでに二回も体を一つにしているそうですよ?」
「き、君たち、なに言ってんのさ? わかってんでしょ? 女王の言ってることはただの間違いだってば!」
僕は言い訳がましく抗弁しますが、考えてみれば、なんで僕がこんなことをしなくちゃいけないんでしょう。
「っていうか、あんたら、いつになったら、僕を元の世界に帰してくれるんだよ? もういいだろ、ここまで色々やったんだから」
「あーはいはい、その話ね。だからぁ、兄貴の部屋にあった魔方陣の描き方を記した紙が、騒ぎでどっかにいっちゃったんだってば」
「だったら、必死に探してくれよ!」
「わかったわかった。すぐに探し出してあげるわよ。それより―」
ふいに部屋の扉がばたんと閉まりました。雅さんが音もなく移動し、閉めたようです。
……なんのために? なにかものすごく嫌な予感がするんですが。
僕は正面に視線を戻します。エリーが両手にナイフとフォークを握りしめていました。
「今日はあんたにお願いがあるのよ」
「はあ?」
「ちょっと完食させてくれない?」
「はあ!?」
「完食よ。か・ん・し・ょ・く。いっぺん、あんたの頭の天辺から足の先まで全部食べてみようと思うんだ。そこまでやって、あなたという存在がどうなるのか、見てみたいし」
にこっと満面の笑みを浮かべるエリー。
「だから、完食されて♪」
「……………………………………冗談だよね」
エリーは笑顔を浮かべたまま、無言でにじりよってきました。その後ろには、やはりフォークとナイフを手にした雅さんの姿もあります。
二人とも顔の下から光が当たっていて、すごく怖いです。
「「あんたの肉なんてほんとは食べたくないんだからねっ」」
瞬間、僕は背を向けて、部屋の奥へと駆け出しました。
願わくば、窓から飛び降りる前に二人につかまらないことを祈りつつ……。
終