罪を憎んで、人の肉不味ッ!(不味いなら喰うな!)①
リタワーズの事件があった数日後。
僕たちは、サンカレドニアの、とある裏通りを馬車で移動していました。
久しぶりの王都の夜は、やはり光に満ちあふれていましたが、ここらはメイン通りから遠く離れているためか、ひっそりと静まりかえっています。
「道は大丈夫だよな?」
エリーが御者台の雅さんに尋ねます。
「ご心配なく。彼らの地図は非常に正確でした。まず間違えることはありません」
雅さんは手綱を操り、細い路地を曲がります。
「カニバル・カーニバルの夜会か……」
ふいにエリーが呟きました。
これから成さねばならないことを思い、次第に緊張してくる僕。
そんなこちらの様子を察したのか、エリーは常にない真剣さで尋ねてきます。
「いちおう、もう一度だけ確認しておくわよ? いいのよね? 作戦どおりで」
「ああ」
「相手はマルタの捕食を常連で行っている奴らよ? 一筋縄ではいかないかもしれないし、いざなにかが起こったら、あんたを助けてあげれるという保証もない」
「わかってるよ」
僕はエリーに頷きます。
「でも、やらなきゃならないだろ。僕にしかできないことなんだから」
「……わかった」
しばらくの間、轍が石畳の上を滑る音だけが響きました。
辺りの建物は水底に沈んでいるかのように、無音で横たわっています。
雅さんは迷路のように入り組んだ路地を、迷いなく進んでいきます。
「夜会……」
僕はその言葉を口に乗せてみました。
これから、どれほどおぞましい饗宴をこの目で見なければならないのかと思いながら……。
◆◆◆◆◆◆◆
「夜会の行われる日時と場所が判明した」
ベオウルフさんがそう告げたのは、王都サンカレドニアに帰還して、二日後の夜でした。
「例の三人組は、カニバル・カーニバルの調達係として、各地で誘拐まがいのことをしていたらしい。定期的に行われる、集団マルタ捕食行為のためだ。それが夜会の正体だ」
エリー、雅さん、僕の三人は、宮廷内の彼の執務室にお邪魔していました。
室内の明かりは、テーブルに置かれているランプだけです。けして十分な光源とはいえず、部屋の隅に置かれている例の鳥かごの辺りには、重い闇がわだかまっています。
「尋問の結果、5日後に夜会が行われることがわかった。よりにもよってこの王都でだ。そこで私は、この機会に、不徳の輩を一網打尽にする妙案を練った」
彼の視線が僕へと向けられます。
「その要となるのが、お主だ」
僕も驚きましたが、なぜか僕以上にエリーが当惑した様子を見せます。
「ちょ、ちょっと待ってよ、兄貴。こいつになにをやらせようっていうの?」
「はっきり言って、大変過酷な任務だ。しかも、この者にしかできぬ」
それから、ベオウルフさんは、詳しい作戦の概要を説明してくれました。
確かにそれはとんでもない内容でした。
「いやいや兄貴、そこまで手の込んだことをしなくてもいいでしょ?」
エリーが、まるでかばうように、僕の半歩前に進み出ます。
「夜会の日時も場所もわかってんだから、王都警備隊を突入させればいいじゃない。なんなら、軍を動かすってのも有りでしょ?」
「駄目だ。事を表だって進めるわけにはいかぬ。今回の捕り物は極力少数で行わねばならんのだ」
「なんで?」
ベオウルフさんは目を伏せて、首をふりました。
「悲しい話だが、かの背徳集団に貴族が混じっている可能性が高いからだ。それも我々と同じく王宮勤めの者が……」
「ええっ!?」
エリーは驚愕の声をあげましたが、僕はやっぱりな、と思っただけでした。
馬車の中であの老人は言っていました。『やんごとなき身分の方々の宴のためにな』と。
やんごとなき身分というのは、そのままの意味だったわけです。
「お前にならわかるであろう? どれほど注意を払って警備隊や軍を動かしたとしても、王宮内に敵がいた場合、隠しおおせることは不可能だと」
「それは……そうだけど……」
「すでに準備は整っておる。あとはお主たちの覚悟次第だ」
ベオウルフさんの目が射貫くように僕を見ます。
「特におぬしのな」
◆◆◆◆◆◆◆
馬車が止まりました。
「あれです」
雅さんが目で道の少し先を示します。
夜闇の中、半円形の屋根が浮かび上がっていました。かなり大きい建物ですが、高さはそれほどないためあまり目立った印象はありません。
まるで擬態するように周囲に溶け込んでいる建物には、鉄製の門が据えられていました。
「では、行きます」
いつも通り平坦な声で告げる雅さん。内心はどうか知りませんが、今はこの人の落ち着き具合が、頼もしいです。
彼女が手綱を操り、門の正面まで馬車を進めました。
ゆっくりと門の陰から人影が現れます。
二人の男です。手に長い槍を持っています。
「見せろ」
一人が短く御者台の雅さんに言いました。もう一方は、槍先を彼女に向けて、油断なく構えています。
雅さんは無言で、ある物を手渡します。それは銅板でした。ノートと同じくらいのサイズで、表面に奇妙な絵が彫られています。角のある怪物が大きく口を開けている絵。
これは例の老人たちの馬車から回収した物です。彼らの証言では、組織の売人であることを証明する認識票のようなものということでしたが……。
見張りは手渡された物を一別すると、懐からなにかを取り出しました。
銅板です。こちらの物とそっくり同じ形状をしています。
ただし、掘られている絵は異なりました。角のない家畜の絵が彫られていたのです。
彼は二つの銅板を宙に並べました。まるで最初から一つの物であったかのように、かちりと音を立ててつながります。
二つの絵が繋がると、ちょうど怪物が家畜を食べようとしている図が仕上がりました。
「よし、本物のようだな」
そう言って、銅板を返す男。
ちなみに、エリーも雅さんも素顔を見られないように、フードを目深にかぶっていますが、この認識票に信頼をおいているのか、そちらについてはなにも言及されませんでした。
「積み荷はなんだ?」
エリーが強いて乱暴に僕の腕を引っ張ります。
「こいつだけだ。急遽追加で商品を用意したんだが」
「いいだろう、行け」
見張りがそう言うと、音もなく門が開き始めました。
僕はモスクめいたドーム状の建物をそっと見上げます。
とりあえず第一関門は突破したようです。
ここからが正念場なのですが……。
◆◆◆◆◆◆◆
ベオウルフさんの提案を受ける際、僕は一つだけ条件を出させてもらいました。
――可能な限り、捕らわれている人間を助けること
本来、僕の立場では条件など出せるわけがないのですが、意外にもエリーが僕の後押しをしてくれ、すんなり受け入れてもらえました。
彼女いわく
『別にあんたの味方してあげたわけじゃないんだからっ! 作戦を成功させるために、ご主人様としてあんたのやる気を出させないといけないってだけなんだから』
とのこと。
僕たちは中庭に馬車を止めると、建物の入り口に向かって歩き出します。
マルタを売りに来たという状況を装っているため、僕の両手は縛られていました。前後をエリーと雅さんに挟まれ、あたかも強制連行のように、一列になって進んでいきます。
入り口までたどり着くと、ドアがまたしても音もなく開きました。
うまくいくだろうか……。僕の胸中に不安が兆してきましたが、いまさらあとへは戻れません。ベオウルフさんの立案を信じるしかないです。
僕たちは内部へと足を踏み入れました。
先頭の雅さんの足取りに迷いはありません。事前に得ていた情報通りに、どんどん建物の奥へと進入していきます。
彼女は、あるドアまでたどり着くと、足を止めました。躊躇いなく扉を押し開きます。
恐怖で心臓が痛いほど打っていましたが、僕は雅さんに続いて室内へと入ります。
そこは調理場でした。
事前に覚悟していた最悪の状況――今まさにまな板の上で人間が捌かれている――ということはありませんでしたが、事を行った形跡は至るところにありました。
血にまみれた包丁。なにかの筋のようなものがへばりついている鋸。洗い桶の中では、赤黒い物体がゼリーのように不気味な光沢を放っています。
そして、調理場に漂っている馥郁たる香り。
いいにおいだなと感じてることに気付いた瞬間、僕は調理場の床の上に反吐をぶちまけそうになりました。
「あら、いらっしゃい」
調理台の前にいた魔族の一人が振り返りました。
恰幅のいい中年の女性です。定食屋のおばちゃんを彷彿とさせます。
「食材の追加です」
雅さんが僕を示して告げます。
おばちゃんは前掛けで手を拭きながら、言いました。
「はいはい、それじゃこっちの扉から奥に連れて行ってくれますか?」
「奥?」
「あら、初めていらっしゃった方かしら? 奥に貯蔵室があるんですよ。とりあえず、そこに閉じ込めといてくださいな。次の料理のときに使いますから」
おばちゃんは、屈託のない笑みを浮かべて、脇の扉を示します。
もっともぞっとしたのは、会話の内容自体ではなく、おばちゃんの口調でした。 まるでごく普通の世間話でもしているように喋っているのです。崩された相好には、どこにも悪意が見当たりません。
これが本来の魔族の姿なのでしょうか……。人が魚や鳥を調理している最中、なんの罪悪感も抱かずお喋りができるように、人間を平然と捕食の対象として捌ける……。
「ぐずぐずするな。歩け!」
その言葉に、僕は、はっと我に返ります。エリーが口調とは裏腹に、そっと僕の背中を押しました。
僕たちは調理場の扉から奥へと進みます。
短い廊下は、すぐに地下へ降りる階段に変わりました。
階段の下には分厚い鉄の扉が鎮座しています。
雅さんが、ノブに手をかけ、手前に引っ張ります。軋んだ音をたてて、扉が開きました。
「これが貯蔵庫か……」
エリーが呟きます。
僕は嫌悪感に顔を歪めました。
ドアの向こうには、人が閉じ込められた牢屋が並んでいたからです。
◆◆◆◆◆◆◆
「眠り雲」
雅さんの魔法をうけ、二人の男が倒れます。
調理場にいた連中が一斉に振り返りました。
僕たちは、扉の前に構えたまま、室内を見渡します。
先程、確認したときには、見張りとおぼしき魔族の姿は、今倒れた二人だけでした。他はすべて料理人の格好をしています。
「え?」
例のおばちゃんが間の抜けた声をあげました。
「全員、動くな!」
鋭い声でエリー。
「あたしたちは統治局の者よ。この建物でなにが行われているのかは全部調べがついてるわ!」
息を飲むおばちゃん。他の魔族も凍り付きます。
「これからあたしたちは、夜会の潜入捜査を行います。けっして大声を出したり、騒いだりしないで下さい。この屋敷はとっくに王都警備隊に取り囲まれていますから」
もちろんはったりです。実際は、万一に備えて、建物の裏手にベオウルフさんが待機しているだけです。
しかし、エリーの堂に入った口調に、すべての者が口を噤みました。
「……わたしたちは雇われていただけで……実際にマルタを捕食していたわけでは……」
弱々しい声でおばちゃんが、抗弁します。
「でしょうね。なんらかの弱みを握っている魔族ばかりを集めて、強制的に働かさせてるってところかしら? だから、今回だけは、大幅な情状酌量を保証します」
「ほ、ほんとかい?」
「ただし、あたしたちの捜査に協力するのが、条件よ」
エリーは凛とした口調で告げます。
これはベオウルフさんの立てた計略です。
作戦を遂行するためには、どうしても料理人たちの協力がいります。だから、あえて彼らの罪には目を瞑り、首謀者たちを捕らえることに的を絞る――
果たして、おばちゃんは口を開きました。
「……わかりました。でも、いったいなにをしたらいいんでしょう?」
エリーはその質問にこたえず、僕の方へ目を向けます。最終確認。
――いいんだな
僕は彼女に小さく頷きました。それから、大きく息を吸い、おばちゃんに言います。
「僕を料理してください!」