旅は肉(ミンチ)連れ、世は情け容赦なし(6)
「これはこれは。やんごとなき身分の方が、このような場所を訪れてくださるとは」
壮年の男が揉み手をしながらエリーに笑みを投げかけます。彼の頭に角はありません。
男性は、応接室の椅子を勧めると、自らは対面の椅子の前に立ちました。
「あなたも座ってくれない?」
「は? しかし、私めはマルタでして、魔族の方と同じ席に腰を降ろすなど――」
「こっちが座ってんのに、立たれたままだとなんか落ち着かないのよ。あたし的に」
「……さようでございますか。では、失礼いたします」
彼は慇懃すぎるほど頭を下げると、遠慮がちに腰を下ろします。
それにしても、痩せぎすといってもいいほど、痩身の男です。頬骨の突き出た顔には、それがデフォルトの表情だと言わんばかりに、終始笑みを浮かべています。
「あなたが、この孤児院の院長なのよね?」
「は。左様でございます」
深々と頭を垂れ、肯定する男。
彼らの会話どおり、ここはリタワーズのはずれにある孤児院の中でした。
といっても、魔族の子供たちは一人もいません。マルタ専門の孤児院なのです。
「あたしたちは、マルタ統治局の調査員なの」
「これはなんと! マルタ統治局の方だったのですか。それで、本日はどのようなご用件で……」
「二、三質問したいことがあってね。悪いけど、時間をもらえる?」
「もちろんよろしゅうございますよ。私めに答えられることでしたら何なりと」
「あたしたち、役場に行ってきたんだけど、ちょっと気になる話を小耳に挟んだのよね」
「はあ、どのようなことでしょう?」
心なしかエリーの目が細まりました。
「この孤児院で、よく子供が行方不明になるって話」
窓辺から、午後の日差しが室内に降り注いでいました。廊下を子供たちの走り回る音が、近く遠く響いてきます。
エリーはゆっくり言葉を続けました。
「まるで神隠しにあったみたいに、子供が突然いなくなる。そんな事件がここ数年、定期的に起こってるそうじゃない」
僕は院長さんの様子をそっとうかがいました。
彼は、悲しげに顔をうなだれて、テーブルの上に目を落としています。
「その件ですか……」
ぽつりと、色素の薄い唇から声が洩れました。
「最初にそれが起きたのは、今から五年ほど前のことです。ある夏の晩、四人の子供達が、忽然と姿を消しました」
院長さんの骨張った顔に、深い皺が刻まれます。
「もちろんすぐに周辺を捜索したのですが、二度と彼らを見ることはできませんでした」
「その事件のことは市役所の資料で読んだわ。子供達の集団脱走ってことになってたわね」
またしても、エリーの目が細まったのを、僕は見逃しませんでした。
院長さんは、しばしの間、無言でうつむいていましたが、ゆっくり頭を振ります。
「私としては、精一杯の愛情を込めて、子供達を育てていたつもりだったのですが、なにか不満があったのでしょう……」
「他に思い当たる原因はないわけね?」
「はい」
「以後の事件もすべて脱走だったと?」
「恥ずかしながら、その通りにございます」
窓から乾いた風が吹き込んできました。
院長さんは、目を落としたまま、悲壮な表情を浮かべています。
エリーはしばらくの間、そんな院長を見つめていましたが、ゆっくりと告げました。
「わかったわ。とりあえず、今日はここまでにする。辛い話を悪かったわね」
「いえいえ、滅相もございません」
再び卑屈すぎるほどの笑みを浮かべる院長さん。
ふと、窓の向こうを誰かがよぎるのが映りました。
そちらへ目を向けると、二人の少女が笑いながら追いかけっこをしていることに気付きます。
干した洗濯物の合間を縫って、走り回る子供たち。僕は質素ながらも清潔な服と、健康そうな少女たちを眺めます。
それから、ふと通りをうろついていたストリートチルドレンの魔族の子たちのことを、思い出しました。
◆◆◆◆◆◆◆
「なーんか、引っかかるのよねぇ……」
孤児院を後にした途端、エリーがそう呟きました。
「話自体には矛盾がないように思われますが」
「それはわかってるんだけど、なんかこう釈然としないっていうか……」
顎に手を当てて、呟くエリー。
そんな彼女に、僕は問い掛けてみます。
「やっぱりそのカニバルなんとかが、子供達の失踪に噛んでると思うの? 脱走に見せかけて攫ったとか」
「うーん……なんかそれも違うような気がするけど……。とにかくあの孤児院は要チェックね。もっと詳しく調べるわよ」
ふと、雅さんが僕の方をじっと見つめていることに気付きました。
「どうかしたの?」
「いえ、あなたの持つ荷物が一つ足りないような……」
「はぁ? あんた、まさか、あの孤児院に忘れてきたんじゃないでしょうね?」
「……たぶんそのまさかだと思う」
盛大に溜息を吐くエリー。
「ほんと使えないわねぇ、このマルタ……」
だから、そういうことを言うのは、自分で荷物を持ってからにしてくださいって。
と、そのとき、通りの向こうから一人の男が駆けてくるのが見えました。
「ん? あれってさっきの院長じゃない?」
エリーの言葉どおり、その人物は最前の院長のようでした。手になにかを抱えています。
彼は僕たちの前で足をとめると、荒い息をつきながら尋ねました。
「……これ…お忘れではないですか……?」
僕が起きっぱなしにしてしまった荷物でした。
「わざわざありがとう。ちょうど取りに帰ろうと思ってたところだったわ」
「左様でございますか。では、私はこれで」
くるりと背を向けた院長を、鋭い声が呼び止めます。
「待って!」
「はい?」
エリーの方を振り返る院長。
「せっかく忘れ物を届けてもらったのに、そのまま帰すのは、礼儀に反するわ。夕食をごちそうしてあげる」
「いや、そんな、マルタの私めごときに――」
手を左右に振り、固辞する院長さん。そんな彼に、エリーはさらに言い募ります。
「あら、そう思うなら、魔族の好意をつっぱねる方が無礼じゃないかしら? いいから遠慮せず、ごちそうになりなさい」
やはりエリーは先程の件が気にかかっているようです。食事の席で、色々話を聞き出すつもりなんでしょう。
院長さんは、困り顔になりながらも頷いてくれました。まあ、エリーが有無を言わさぬオーラを放っていたからでしょうが。
突然、怒声が聞こえてきたのは、そのときでした。
「くおのぉ、くそがきぃぃぃぃっ!」
怒鳴り声とともに、拳を打ち付ける鈍い音が響きます。
目を向けると、反対側の道の端にいつの間にか人垣ができていました。
群衆が遠巻きに見守る中、一人のがたいのいい魔族の男が誰かの胸ぐらをつかんでいます。
「わかってんのか、コラァ! てめえは貴族様の所有物を盗もうとしたんだぞ!」
小柄な人影が持ち上げられ、壁に力一杯押しつけられます。
「う……っ」
うめき声を洩らす相手。その顔が弱々しく持ち上がります。
恫喝されていたのは、少年でした。
「あの男の子って――」
「ええ。エリザベート様が、この街に着いたとき、花を購入した少年ですね」
雅さんの言葉に、僕は見間違えではないことを悟ります。
一見しただけで確証が持てなかったのは、顔の左側が紫色に腫れあがっていたからです。
「すいません…………」
か細い声がその口から流れ出てきました。唇の端から血が滴っているのが痛々しいです。
「すいませんじゃねえだろ、このくそ餓鬼!」
男が片手で少年を押さえつけたまま、もう一方の手を振りかぶりました。なんども校舎裏で、それをやられてきた僕には、男がなにをしようとしているのか、一目瞭然でした。
「やめ――」
「やめろっ!」
僕が叫ぶより早く、隣で制止の声が張り上がりました。
エリーが、野次馬の輪の中から、ためらいなく飛び出します。
いままで幾度も彼女の怒り顔を見てきましたが、ここまで怖い表情を浮かべていたことはありませんでした。
「ああ? なんか言ったか、お嬢ちゃん?」
ぎょろりと目を向ける男。
「ひ……」
院長さんが、短い悲鳴あげます。彼の反応もむべなるかな、男の顔は、たしかにこちらに向けられただけで十分恐怖を感じるようなものでした。
しかし、エリーは物怖じした様子もなく、つかつかと男の手前まで歩を進めます。
「やめろと言ったのよ」
「ふん……なかなか度胸のある嬢ちゃんだな。けど、オイタはそこまでにして、さっさと消えな。そうしたら、聞き間違いってことにしといてやるぜ」
「オイタをしてるのは、そっちの方でしょ? 今すぐその子を離しなさい」
静かな、しかし抗うことを許さない恫喝を孕んだ声が、通りに響きました。
どさりという音ともに、少年が地べたに落ちます。
少年から手を離した男は、エリーの方へゆっくり向き直りました。
「どういう事情があって、その少年に暴力をふるってたの?」
自分より遙かに背の高い男を見上げて、問いかけるエリー。
まったく臆していない様子の彼女に、相手は、わずかにたじろいだ表情を見せました。おそらく、自分が凄味を聞かせて萎縮させることができなかった経験がないのでしょう。
「……こいつが盗みを働こうとしたんだ。だから、焼きを入れてたのさ」
「なにを盗ろうとしたの?」
男は首を巡らせて、背後を目で示します。
路肩に一台の馬車がとめられていました。ひらひらと荷台の布が風で揺れています。
ふいに強い風が吹いて、幌を大きくはためかせました。垣間見えた積み荷を見て、僕は思わず息を飲みます。そこには、大勢の人間が立ち尽くしていました。
「奴隷を盗もうとしたのね?」
「そうだ。このマルタどもは、今日、貴族の旦那に届けるように言われた大事な商品だ。それを、俺が馬車をとめて、ちょっと飯を喰ってる間に、この餓鬼が荷台に潜り込んで、盗んでいこうとしやがったんだ!」
説明しているうちに怒りがぶり返してきたのか、男は人を殺せそうな目で足下の少年を睨みます。
「ひ……」
また院長さんの悲鳴があがりました。
しかし、エリーは動じた風もなく、かがみ込んで少年に問いかけます。
「本当なの?」
「…………はい」
「そう」
立ち上がって、男に向き直ります。
「話はわかったわ。でも、これ以上の暴力沙汰はなしよ」
「なにぃ?」
「私的制裁は本来、御法度のはずよ。もう気は済んだでしょ? このへんでやめないと、あたしも断固とした処置をとるわよ?」
「ふざけてんのか……っていうか、てめぇ、なにもんだ?」
さすがに、相手がただの小娘ではないと気付いたらしく、男が警戒した声音で尋ねます。
「統治局の調査員だけど」
「と、統治局だぁ?」
露骨に動揺する男。彼はなおも噛み付かんばかりの表情でエリーを睨みつけますが、「チッ!」と舌打ちすると、背を向けました。
そのまま、歩き去り、馬車に乗り込みます。鞭がしなる音が聞こえ、乱暴な動きで馬車が走り出しました。すぐに加速し、視界から去ってゆきます。
「逃げたのか……?」
「そのようですね」
そう呟く僕に、雅さんが淡々と声を返します。
「大丈夫?」
エリーが少年に手を差し伸べます。
彼はおずおずと彼女の手を握り、立ち上がりました。
見世物が終わり、すでに野次馬たちの姿は跡形もあれません。
「なんでマルタなんか盗もうとしたの?」
少年に尋ねるエリー。
「マルタを所持するためには、役場に届け出をださなきゃいけないことは知ってるでしょ? 盗んだマルタなんか、役場に登録できないよ?」
少年は唇を噛み締めて、俯きます。よく見ると、微かに拳をふるわせていました。
「なにか理由があるんでしょ?」
優しく尋ねるエリー。
少年は、なおも無言を貫き続けましたが、やがてぽつりと洩らしました。
「所持したかったんじゃない……」
「え?」
「別に奴隷が欲しかったわけじゃないよ! ただ食べさせてあげたかったんだ!」
――食べさせる?
僕たちは顔を見合わせました。それから少年の方へ目を戻します。
彼は目に涙を浮かべて、言いました。
「妹が病気なんだ……だから、どうしてもマルタを食べさせてあげたかったんだ」