ボーイ・ミート・ガール
プロローグ ボーイ・ミート・ガール
ゆらりと蝋燭の明りが、少女を照らします。
僕はごくりと喉を鳴らしました。
少女は薄い肌着以外なにも身に付けていません。
透き通るような白い肌。ほっそりとした鎖骨の下には、肌着を慎ましやかに盛り上げる二つの膨らみが、僕の角度からはかなり際どいところまで覗いてしまっています。
目に鮮やかな金色の髪。円らな瞳は、熱帯の海のように綺麗な碧眼をしています。
まるで美の象徴のような少女ですが、オレンジ色の明りに浮かび上がったその肢体には無数の傷が刻まれています。
それさえも、背徳的な美に見えてしまうのですが。
とにかく、少女は全身の傷も意に介さず、僕に身をすり寄せてきます。
今から僕は、彼女とある行為をしなければなりません。
いや、正確には、彼女が僕に対して一方的に事を行う形になります。僕たちは安宿のベッドに横たわり、少女が顔を真っ赤にしながら、僕にまたがっているという状態です。
「お、お願い……痛くしないで…………」
思わず僕は、女々しい声で、彼女にそう懇願してしまいました。
「わ、わかってるわよっ! い、言っとくけど、ほんとはあんたと、こんなこと、したくないんだからねっ! 村の人たちを守るためにするんだから。勘違いしないでよね!」
少女は唇を尖らせて、そう言います。顔がさらに真っ赤になっていました。彼女は可憐な見た目とは裏腹に、その……『激しい』のです。僕は何度も唖然とさせられています。
少女は、つい先刻までこの村から少し離れた荒野で、異形の妖獣どもと闘っていました。
彼女の魔法力と戦闘能力は、極めて高レベルなのですが、いかんせん敵が多すぎました。魔力を使い果たし、体中に手傷を負い、這々の体で、村まで帰還してきたというわけです。
妖獣の群は、この村を襲うべく刻一刻と近付いてきているはずでした。残された手段は一つ。勇者である僕とエリザベートと言う名のこの美少女が、行為に及ぶしかありません。
その行為とは――無理です、この先はとても言えないっ!
「ちょっとあんた、なに一人で恥ずかしそうに身悶えしてんのよ? もう時間がないんだから、とっととヤルこと、ヤルわよ」
――待って、まだ心の準備が
僕はそう叫ぼうとしましたが、その時にはもう少女は僕の裸の胸に顔を埋めていました。
暖かな吐息が僕のむき出しの肌をくすぐり、少女の目が陶然と潤みます。
「ちょっとだけ……ちょっとだけだから……」
彼女が自分に言い聞かせるように呟きました。それを聞いて僕も覚悟を決め、目をぎゅっとつむって、行為に備えます。小さな桜色の唇が開き、僕の胸の肉を甘噛みしました。
そして、そのまま、僕の肉を食い千切りました。
ベリベリベリベリベリィィィーッ。
「ひぎゃああああああああっっっーッ!」
絶叫をあげる僕。あまりの激痛に手足が意識と関係なく、じたばたと動きます。
「イダイイダイイダイイダイイダイイダイイダイイダイイダイ、イダイィィィィーっ!」
しかし、少女はそんな僕の様子を気にせず――というかまったく眼中に入らないように、血が噴出し、ピンク色の筋繊維がむき出しになった胸に、さらに歯を立て噛み千切ります。
頭の中が真っ白になるほどの激痛。僕は白目をむいて首を激しく振りたてますが、少女は気遣いナッシング。肉を食い千切り、肋骨を掴んでへし折り、ついにはむき出しになってしまった僕の心臓にまで手を伸ばしました。
「ら、らめぇぇーっっ! そこだけは、らめえっ!」
僕の悲痛な駄目出しも、食人に夢中になった彼女の耳には届きません。
ブチブチブチブチブチィィーッ。
ついに、心臓が少女の手で引きちぎられ、体外に取り出されてしまいました。
「エリー! お願いだっ! 正気に戻ってくれ。頼む……」
僕の願いも虚しく、彼女は、あーん、と口を大きく開けると、僕の心臓を一息に飲み込んでしまいました。
「ごきゅん」
僕の心臓が、心臓が――
「なにやってんだよおッ!」
「ん?」と僕の怒声に、ようやく少女が返事をします。きょとんとした顔は非常に愛らしいです。口元が血でべったり染まっていなければ、ですが。
「『ん?』じゃないだろ! ちょっとだけって言ったじゃないかっ!」
「あはっ、ごめんごめん、一口でやめるつもりがつい、止まんなくなっちゃった」
『てへっ☆』と舌を出して、頭に握り拳を当ててみせる少女。
しかし、そんな仕草で誤魔化される僕じゃありません。っていうか、この女は僕の心臓を喰ったことをこんなお茶目な仕草だけでうやむやにできると思っているのでしょうか?
「止まんなくなっちゃった、じゃないだろ!」
「だから、ごめんってば」
「嘘つき! 駄目魔族! 食い意地張りまくり娘!」
「………………」
がっ。僕の顎が、鷲掴みにされます。
少女は、こんなたおやかな手のどこにそんな力が、と思うほどの握力で僕の顎を締め付けました。
「謝ってんでしょう? つーかさ、あんたちょっと調子こいてない? あたしは魔族よ? ま・ぞ・く。あんたはマルタでしょ? 奴隷であるマルタが、ご主人様である魔族を、なんで罵倒できるわけ? 有り得なくない?」
「くっ………!」
僕は歯軋りして、彼女を睨みつけます。
しばしの間、無言で対峙する僕たちでしたが、そのとき、淡々とした声が響きました。
「エリザベート様、御急ぎください。敵が村外れまでやってきたようです」
声の主は、ベッドの傍らに寄り添うように立っている女性でした。長い黒髪と切れ長の目が印象的な純和風の美女です。
しかし、僕の惨状を見下ろす彼女の目には、何の感興も浮かんでいませんでした。
僕は首をぎちぎちと回して、彼女に血走った目を向けます。
「あのねえ、雅さん……そもそも僕を捕食するときは、事前に雅さんが麻痺の魔法をかけてくれるって話じゃなかったでしたっけ?」
「ああ、そうでしたね」
彼女はどこかやる気のなさげな棒読みで、次のような文言を唱えます。
「我、古の獣なり。汝の肉体より痛みを奪い、それを飲み干さん――麻痺」
雅さんが呪文を唱え終えると、彼女の手前の空間に、光の帯のようなものが現れました。帯は、僕を目指し、宙を舞いながら進んでゆきます。光が僕の体に触れた途端、肉が引きちぎれた凄まじい激痛が、嘘のように霧散しました。
「ふう」
と、思わず息をつく僕。確認のために目線を下に向けると、垂れ下がった赤黒い肉やぶっとい血管が視界に――うぶっ、おぇぇぇっ!
「ちょっとぉ! いくらグロいからって自分の怪我を見て、ゲロを吐かないでよ!」
「誰にグロくされたと思ってんだよ? この――うぷっ」
「しかし、何度見ても、この肉体の再生能力には、驚かされますね……」
ぼそりと呟く、雅さん。彼女の言うとおり僕の胸から流れる血は完全に止まっています。
ふいに、無残に露出している千切れた筋肉が、ぴくぴくと動き始めました。だらりと垂れ下がった筋繊維がゆっくり持ち上がり、元あった胸の穴まで独りでに戻っていきます。
みるみる治癒する胸の傷。数秒後には、完全に再生してしまいました。
――勇者の不死性
そういえば申し送れましたが、実は僕、勇者なんです。かなり人間離れしちゃってますが、これでもれっきとした人間です。ただし、生まれつき勇者なので体が不死身なんです。
「ぶぶっ……! やっぱそれ、間抜けよねえ」
通称エリーこと、エリザベートが僕を指差し、吹き出します。
どんな重症を負っても死なず、たちどころに傷が癒える。こういうと便利そうですが、実はこの体にも欠点があります。普通なら即死するはずの重症を負った僕ですが、勇者の不死性のため、たしかに怪我は治りました。
しかしです。食べられてしまった胸の肉と心臓。こいつばかりは、さすがに元通りというわけにはいきません。なにしろ、エリーの胃袋の中に納まってしまっているのですから(笑)
結果、再生した僕の体には、そのぶんの欠落が生じてしまっているのです。
具体的には、胸にぽこんと円形の穴が開き、さらに覗き穴みたいなその奥には、あるべきはずの臓器――心臓が見当たらないというわけです。
心臓の周囲の大動脈や大静脈が空白に向かって、血管を伸ばしているのが侘しげです。シュール過ぎて、たしかにある意味ブラックユーモアっぽいかもしれません。
「さあ、エリザベート様、妖獣討伐に向かいましょう」
「わかってるって。――ん、きた!」
次の瞬間、奇妙な現象が起こりました。
エリーの体に刻まれていた無数の傷跡。それらが、一斉にふさがり始めたのです。
かすり傷が見る見るうちに消えてゆき、かなり深い裂傷も、周辺の皮膚が盛り上がって、塞いでいきます。
数秒後には、エリーの体は、初雪のようにしみ一つない元来の姿を取り戻していました。
「お~しっ」
そう洩らして、伸びをするエリー。
「エリザベート様、お体は?」
「完璧。音速で、妖獣どもをぶっ殺せそうだよっ!」
雅の問いに、ぶっそうなこたえを返すエリー。
「さあ、行くわよ雅!」
服を素早く着て、腰に剣を佩くと、エリーは躊躇いなく、宿屋の窓から飛び降ります。
窓から通りを見下ろすと、すでに飛翔の魔法を唱え終わった雅さんがエリーを抱えて飛び立とうとするところでした。雅さんの背中には、薄い皮膜の付いた翼が生えています。
もうとっくに承知のことと思いますけど、この2人は人間では有りません。人類とは異なる生物――魔族なのです。彼らの見た目はほとんど人と変わりませんが、生まれつき、全員が魔力を兼ね備えています。今、雅さんが出している翼も魔法の一種なのです。
彼女はゆっくり翼をはためかせ、僕が顔を出している窓辺まで上昇しました。その側頭部には、人間には有り得ない器官が付いています。
角です。真っ黒な円錐形の角が二本、髪の間から覗いています。エリーの方も、同様の物を頭からはやしていました。こちらはひつじのようにやや巻いた形状をしています。
これが人間と魔族を一見しただけで区別する特徴です。
「あんたはどーせ役に立たないんだから、このまま宿で待ってなさい。すぐ戻るからっ!」
そう僕に告げるエリー。
雅さんがばさばさ、と一際大きく蝙蝠の羽が羽ばたかせます。
二人はまっすぐ村外れを目指して、飛び立ってゆきました。今度はエリーたちが勝つでしょう。なにしろ僕の肉を食べて不死の体を得ているのですから。
僕こと、多田氏勇社は胸に風穴の空いた姿のまま、ぼんやり回想に浸ります。
すべてが始まったのは、あの日、放課後のことでした……。
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