表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

呪いの水辺にて

作者: 羽子茉礼志

「お前達、本当に仲が良いな」


 幼い二人の子供が仲良く戯れる様を快い気持ちで眺めながら、その内の一人の少女の父親であったその男は、二人に声を掛けた。娘は花の様な笑顔で笑いながら、父に駆け寄る。


「そうだよ、私の一番の親友なんだから! ね?」


 問いを投げられた、その友達であるところの少女もまた、朗らかな笑顔を浮かべながら答えた。


「うん、そうだね。私達は仲良しだよね」

「ほらね! お父さん、分かった?」

「ああ、分かった分かった」


 父親は娘を抱きかかえ、そして、尚も言葉を交わし合う。

 それは親子二人が仲睦まじく触れ合う、何とも微笑ましい光景であった。

 その二人を、一歩間を空けて眺めていた友達である少女は、表情だけは笑ったままで、しかし、騒ぐ二人の親子に聞こえないような一段低い声音で、言葉を続けた。


「……そうだよ、貴方のことが頭から離れることなんて、私には片時だってなかったんだから」





「うーん、ホントにこの道であってるのかなぁ」


 青々と茂る大きな木々に両脇を囲まれた道路を、その景観には恐ろしく合わないピンク色の軽自動車を運転しつつ、片手に持った地図と前方を見比べながら、私は呟いた。

 目的地である館は、都会から離れた地方の村の外れに連なる山々の奥に存在する……筈だ。

 何せ初めて訪れる場所である。手元の地図通り、ここまでずっと一本道だった。

 山奥とはいえ、きちんと舗装された道があるのだし、迷うことも無く到着する筈なのだけど……。


「依然、目的地が見えてくる気配さえ無し、か」


 道を確認する気も失せ、地図を助手席に放った時に、席上に置かれたバッグが視界の端に映った。

 元々この地図は、あのバッグの中に仕舞っている招待状に同封されていたものだ。

 未だに見えてこない目的地にやきもきしながら、私はこうなるに至った経緯を思い返していた。




「愛佳、お前宛てに手紙が来ていたぞ」

「え、私?」


 私の勤めている会社の社長であり、そして父でもある政彦が声を掛けてきたのは、仕事を粗方片付け、そろそろ退社時間という頃合いになってからだった。


「会社の方に送られてきたものが、私のところに回ってきたんだ。読んでみたらどうだ?」


 父から受け取った凝った装飾のその封筒には確かに、


椿愛佳(つばきあいか)様』


と、私の名前が印字してある。

 社長の娘とはいえ、私個人宛てなのにどうして会社に送られてきたんだろうと疑問を抱きつつも、私は父の勧めに従って封を切り、中身に目を通した。


「晩餐会への……招待状?」


 手紙の内容をざっと要約すると、新設した会社の経営も波に乗って順調だということで、個人的に学生時代の友人達を招いて晩餐会を開くので、是非来ていただけないだろうか、という旨のものだった。

 しかしながら、この手紙には一番重要な情報が欠如していた。差出人の名前が無いのだ。


「誰からなんだろ。会社新設なんてことをした人だっていうのなら、私だって知ってそうなものだけど……」


 思い当たる節がない。大学時代の友人だろうか。それとも高校時代?

 そうなると一気に予想範囲が広くなる。

 もしかして、クラス単位、もしくは学年単位なんて広い範囲で招待状を送っているのだろうか。

 だったら、大して親しくなかった人物が差出人なのかもしれない。

 でも、わざわざ会社に送ってきたってことは、私がここに勤めていることを知っていて、ひょっとしたら、社長が私の父だってことも知っているかもしれないのよね?

 だったら、それこそ親しい人間に限られてきそうなものだけど、うーん……。


「なんだ、パーティーの招待状か? だったら行ってきたらいいじゃないか」


 思い悩む私を前に、父は気軽に言ってのける。


「そうは言うけど、仕事をほいほい休むわけにもいかないでしょ?」


 私が父の経営する、このそれなりに大きな会社に勤めているのは、子煩悩である父の言によるところが大きい。私は大学まで進学したけれど、結局着きたい職業も何も決められぬままであった。

 そんな時に、父に自分の会社で働くことを勧められたのだ。

 正直、親元で働くことに抵抗がなかった訳ではない。けれど、父の経営する会社も一端の企業だ。

 この職場で働くことで、新たな道が見えてくることもあるかもしれないと思い至ってから、決断までは早かったと思う。

 父は娘をいつまでも手元に置いておきたいと思っているぐらいに子煩悩だが、仕事面に関してまで甘いわけではない。それぐらいの分別は付けられる人だ。

 故に、先程の父の発言に私はああ返した訳なのだけど、私の気持ちに反して、父は笑みを湛えている。


「その手紙、何で出来ているか分かるか?」

「?」


 紙って木から出来ているんじゃなかったっけ?

 そんなことを頭に思い浮かべながら手紙を触っていると、何となく手触りがざらざらとしているような気がした。それに、薄い割には若干固い気も……。


「うーん」

「正解は羊の皮だ。羊皮紙だよ」

「へえ、これがそうなんだ」


 洋画などの映像媒体などではよく見るけれど、実物にお目にかかったことはない気がする。


「どこにでも売っているようなものではないし、普通の紙と比べれば値も張る。わざわざそんなものを用意して、更に会社経由で送ってきた。格式ばったやり方だ。それなりのパーティーなんじゃないのか?」

「確かに、そうかもしれないわ」


 家での父は見るに堪えないが、社長としての父が発揮する手腕には、目を見張るものがある。

 父には父でちゃんと考えがあるのだ。今回も私は感心しきりであった。


「私もそういった会には何度も招かれている。立ち会うには知識も必要だが、何よりも経験が大事だ。勉強するつもりで行ってきたらいい。一日二日ぐらいなら、お前が居なくても大丈夫さ」


 私の会社での立場は社長である父の秘書である。

 私は勿論新米だが、他にもベテランの人が何人もいる。

 ここは父の意を酌んで、仕事を休んで出掛けるのもいいのかもしれない。

 私は父の言葉にすっかりその気になり、差出人の件を忘れてしまった。

 そして気づけば、山中を運転していたのである。



「でも、やっぱり誰かに確認取った方が良かったわよねぇ……」


 そうしたかったが、出来なかった理由がある。

 招待状が送られてきた時点で、晩餐会の日は間近であり、更に、父はあんなことを言っておきながら、しっかり休みの分の仕事を上乗せしてきたのである。

 忙しさと疲れで、友人に確認の連絡を取ることも出来なかった。社長としての父は、本当に甘くない。


「あ、もしかしてあれかしら?」


 坂を登り切ったところで、前方に建物が見えた。道を真っ直ぐに進めば、もうすぐそこである。


「わあ、広いし綺麗なところ。こんな山の中に建っているだけはあるわね」


 洋風の大きな門を抜けるとそこは広い駐車場だった。

 何十台と車を駐められそうなそのスペースには、今は数台しか車は駐車していない。

 駐車場の先にはまた門があり、大きな煉瓦造りの塀で囲まれている。

 門扉は既に開け放たれていて、その先にはこの広さの割にはそこまで大きくない、だがそれでも立派な西洋風の御屋敷が建っていた。この御屋敷が今回の晩餐会の舞台の筈である。

 駐車場こそ広いものの、駐まっている車の数は少ない。

 まだ時間に余裕があるとはいえ、今の時点でこれだけということは、やはり少人数の集まりなのかもしれない。だとすれば、やはり主催者が誰なのか、大いに気になるところなのだけど……。

 車から降りた私は、山の清澄な空気を力一杯吸い込んだ。山中だとやはり寒いだろうかと思っていたけれど、実際はそうでもなかった。今が暑くも寒くも無い時期だったことが、幸いである。

 気分を入れ替えた私は、知り合いを探す為に、手っ取り早く一番近くに駐めてあった車に歩み寄った。 そして、そこで車に寄りかかって招待状らしきものを読んでいた人物の顔を見て、思わず声を上げてしまった。


「楓じゃない! 貴方も招待されてたんだ!」

「愛佳……? なんで愛佳がここに居るの?」


 楓は私を見て、大いに驚いていた。

 その驚き様は、私との出会いを全く予想していなかったもののそれであり、何だか腑に落ちない。


「なんでって、私も招待されたからだよ。楓が居るってことは、やっぱり主催者って高校時代の時の同級生なのかな。私に送られてきた招待状、差出人の名前が無くってさ」

「高校時代? 同級生? 愛佳、それってどういうこと?」


 楓は疑問符ばかりを浮かべ、困惑した表情でこちらを窺う。

 どうにもお互いの話が噛み合っていないようで、私は確認の為にも再び愛佳に訊ねた。


「楓も晩餐会に招待されたんだよね、招待状を貰って」

「うん、知り合いの会社の祝賀会。

 新しい規格に則った生産設備の開発が成功したから、その祝賀会に招待しますって内容。

 家の会社に送られてきたんだけど、お父さんには既に予定があったから、私が代理で来たの。

 ……私はそういう理由で来たんだけど、愛佳は違うみたいね」


 今度はこちらが困惑する番だった。

 差し出された招待状を読んでみると、確かに楓が今言った旨の事が記述されている。

 差出人はどこだかよく分からない会社の名前だ。

 私も招待状を取り出して楓に読ませ、そして二人で頭を抱えることになった。

 晩餐会が開かれるという部分を除けば、似ているようで、でも全く違う内容。

 その招待状でこの場所に招かれた私と楓。

 こちらを騙すようなやり口で、こんなところまで私達を呼び寄せた理由は何? 疑問は尽きない。

 楓はふっと息を吐いてから、屋敷を一瞥した。そして、思案顔で私の方に向き直る。


「とにかく、一回屋敷に行ってみましょう。先に屋敷に向かった人もいるみたいだし」

「……まあ、それもそうね」


 不安はあったものの、私は楓の提案に頷き、先に歩き出した楓の横に着いて、連れ立って屋敷へと向かった。

 横目で、久しぶりに会った親友を眺める。

 肩口で切り揃えられた、黒蜜の様に滑らかな黒髪に、それとは逆に、病的なまでに白い透き通るような肌を持つ彼女。何かを憂う様な沈んだ面持ちは、昔と何も変わっていない。

 四之宮楓(しのみやかえで)

 親同士が仕事関係で付き合いがあり、更には家がご近所ということもあって、私達は幼い頃から仲の良い幼馴染だった。

 高校までを供にし、楓は卒業後、親の経営している会社に就職。私は大学へ進学した。

 働き始めたということもあって、その後は稀にしか会うことはなかったのだけど、こんな場所で出会うことがあるなんて、不思議な縁だなぁと思う。

 駐車場を抜け、敷地内へと続く門の辺りに差し掛かった時に、車の音がして私達は揃って振り返った。


「うわぁ、凄い。リムジンじゃない」


 駐車場へと入ってきたのは、黒光りの光沢を放つ、いかにも高級そうなリムジンだった。

 そのリムジンは、私達にほど近い場所に停まった。

 運転席から執事服を纏った壮年の男が降りてきて、ドアを開ける。

 そこから降りた少女を見て、私は目を見張った。

 小柄な体躯に華美な白いドレスを纏い、腰まで伸びた黒髪がまるで滝のようにドレスの上を流れている。幼い顔立ちを引き締めたその表情を見て、思わずため息が漏れた。


「お人形さんみたい……」

「そうね」


 彼女が和服を着ていれば、等身大の日本人形と勘違いしてしまったことだろう。

 彼女と執事は二、三言葉を交わし、執事はそのまま車に乗ると、彼女を残しリムジンで再び山中に戻っていった。

 彼女は車体が見えなくなるまで見送って、それからようやくこちらへ歩み出す。

 そして、いの一番に私達に声を掛けた。


「ちょっと、そこの人。少しいいかしら?」


 彼女は私達に今回の晩餐会の内容について確認をした。だけど、やはりというか、話が噛み合わない。

 彼女も私達と違う内容の招待状を受け取っているようだった。


「なんてこと! 新ブランドの立ち上げに伴って、制作したドールの発表会を兼ねた晩餐会をやるというから、わざわざこんな山の中まで足を運んだというのに! 使用人も帰らせて、一人で楽しもうと思っていたというのに!」


 彼女は(いた)くご立腹のようだった。

 しかし、頬を膨らませて拗ねる様は、見ていて大変微笑ましい。

 一(しき)り騒いで落ち着くと、自己紹介をしてくれた。


「恥ずかしいところをお見せしてしまったわね、ごめんなさい。私は神酒井麗華(みきいれいか)というの。貴方がたは?」


 私と楓が名を告げると、麗華ちゃんは先程とは打って変わって冷めた表情で、屋敷の方を睨め付けた。


「愛佳と楓ね。行きましょう、どんな腹積もりで私達を呼び出したのか、問い質さないことには腹の虫が治まらないわ」


 麗華ちゃんはそう言うと、私達を通り越して行ってしまった。

 慌てて後を追いかけつつ、楓に声を掛ける。


「中学生、もしくは高校生ぐらいかしら? 使用人にリムジンに乗せて送ってもらうなんて、やっぱりお嬢様だったりするのかな」

「あの年頃で好き勝手出来るんだもの。そうなんでしょ」


 楓はいつもの表情で麗華ちゃんの後ろ姿を見つめながら、そう言った。



 三人で門を潜り、手入れの行き届いた庭園に囲まれた石畳の広場を抜け、ようやくそこに辿り着く。

 屋敷は時代を感じさせる洋風な作りである。

 しかし、古そうな建物だと思わせないぐらいには、見た目は綺麗だ。

 屋敷の入口近くに、白と黒を基調した侍女服を来て、如雨露を片手に立っている女性が居る。

 この御屋敷の人だろうか。

 彼女はこちらに気付くと、手にしていた如雨露を地面に下ろし、腰を折って挨拶をし、私達を恭しく出迎えた。


「晩餐会にお越し下さったお客様ですね。お待ちしておりました」


 流麗なその一連の動作に、洗練されたプロの仕事とというものを感じる。

 やはり、その道の人なのだろうか。


「お名前と招待状を、確認させてもらってもよろしいでしょうか?」


 それぞれ名前を告げ、招待状を手渡す。


「椿愛佳様に、四之宮楓様、神酒井麗華様ですね、確認しました。私は今回侍女を務めさせていただく、花宮美里(はなみやみさと)です。それでは、お部屋にご案内します」

「その前に、ちょっと聞きたいことがあるのだけど」


 不機嫌さを隠さない、尖った声で麗華ちゃんが訊ねる。


「その招待状を確認しておいて、何故貴方は落ち着いていられるのかしら?」


 彼女の言う通り、花宮さんはあの別々な内容の招待状をきちんと確認したうえで、眉一つ動かさない。

 そんな様子にまた、プロの風格というものを感じたりもするのだけど、確かに彼女の様子はちょっとおかしい。

 花宮さんはやはり動じた様子もなく、きりりとした目で私達を見遣りながら答えた。


「先に到着された二人のお客様も同じことを仰っていました。ですので、また同じ返答を繰り返すことになりますが……ご心配なく。これは余興です」

「よ、余興?」


 花宮さんの口から出た言葉の意味が、今一理解できない。


「わざわざ人を騙してこんなところまで招いておいて、それが晩餐会の為の余興だと?

 それはそれは、一体どんな愉快な会を開いてくださるというのかしら?」


 麗華ちゃんはまるで冗談でも言う様な口調で話しているが、目は全く笑っていない。

 そうして、一転して低い声音で花宮さんに命じた。


「主催者を呼びなさい。この館の持ち主がそうなのでしょう?」

「申し訳ございませんが、ご主人様はここにはおりません」

「なんですって!」

「後からお見えになる手筈です。その時に事情の説明もあるでしょうから、どうかそれまでお待ちを」

「……貴方は、何か聞かされていないの?」


 憤慨する麗華ちゃんを尻目に、楓が訊ねる。


「私自身、お客様がお越しになってから、晩餐会までの手筈等、仕事の指示以外は何も詳しいことは知らされておりません」

「うーん……つまり、主催者さんが来るまでは、なんで私達がここに招かれたか、何も分からないってことね」


 何だか奇妙なことに巻き込まれたようで、怪しくはあるのだけど、ここまでお膳立てが整えられていると、逆に事の次第が凄く気になってくる。どうしようかしら?


「……もういいわ。ここまで来て帰るなんて、馬鹿馬鹿しい。最後まで付き合ってあげる。その代わり、最大限私を楽しませるように務めなさい。分かったわね?」

「尽力します」


 麗華ちゃんは一気に捲し立てると、そのまま屋敷の入口へと歩いて行ってしまった。


「楓はどうするの?」

「……私もあの子と同じ。様子を見てみようと思う」

「そっか。それじゃあ行きましょう」

「それでは、こちらへ」


 花宮さんの案内に続いて屋敷の入口を潜ると、そこは広いロビーだった。

 左右には大きな両開きの木の扉があって、真っ赤な絨毯の続く先、ロビーの中央には二階に続くこれまた大きな階段がある。


「お部屋は二階にあります。お時間になりましたら、このロビーまでお越しください。

 晩餐会は夕方からになりますが、それまでにお客さま方にお屋敷を見せて回るようにと、ご主人様から仰せつかっておりますので、私が案内いたします」

「それも余興ってことね」

「はい」

「そう。じゃあ、早く部屋に案内して頂戴」


 麗華ちゃんの後ろから私と楓も花宮さんの案内に続き、私達はそれぞれの部屋へと向かった。




「流石立派なお屋敷ねぇ。客室も、下手なホテルより立派だわ。こんなところに住んでみたいものね」


 自分に割り当てられた客室を見まわしながら、私はそんなことを呟いた。

 私の部屋と比べてみても、その差は明らかだ。


「さて、時間までどうしようかなぁ」


 気になることはたくさんあるけれど、部屋で一人考えに耽っていても、おそらく答えは出ないだろう。

 私は楓の部屋に向かい、時間は多少早いが先にロビーで待っていようと提案した。


「それもそうね。一人で待っていても、落ち着かないだろうし」


 二人並んで瀟洒(しょうしゃ)な雰囲気を醸す廊下を歩き、ロビーへと向かう。

 色々な出来ごとに流されてはしまったが、こんな場所で楓と会えたことは、やはり私の中では一番の驚きだったように思う。


「会社の方は、最近どう?」

「どうも何も、愛佳のお父さんがちゃんと仕事を回してくれるから、不況の波に呑まれながらも、何とかやっていけそうよ」

「そう、それは良かった」


 楓のお父さんが経営している会社は、私の父の会社の所謂下請け会社なのだ。

 仕事関係で親同士が知り合いだということは幼い頃から知っていた事だが、そういった事実を私がきちんと把握したのは、父の会社に勤めるようになってからだった。

 何だか似たような立場の二人だけど、秘書なんかをやっている私に比べ、楓は既にお父さんと一緒に経営の仕事に携わっているのだという。

 楓は頭も良ければ勤勉で努力家だ。いつも大変な日々を送っていることが、想像に難くない。

 そんなわけで、お互い仕事があって、更に仕事関係で会うことも滅多に無いとなれば、ご近所住まいの親友とはいえ、顔を合わせることも少なくなってくる。

 だからこそ、


「いやぁ、何だかお互い変なことに巻き込まれちゃったけどさ、でも、久しぶりに顔見ることが出来て、その上こんな状況でも楓が一緒だと思うと、なんだか安心しちゃった」

「……そうね。私も安心した」


 楓はふっと息を吐いて、淡い笑みを浮かべた。

 いつも少しばかり感情に乏しい楓が、私にだけ見せてくれる笑み。私は、楓のこの笑みが好きだった。




「おやおや、これは麗しい女性ばかりじゃないか」


 階段を下りてロビーに着くと、開口一番にそう声を掛けられた。

 ロビーの脇に設置してあるソファーには、既に麗華ちゃんが腰を下ろしていて、その対面には知らない男の人が座っている。


「どうも、神酒井嬢にお話は伺っていますよ。僕は草ヶ谷勤(くさがやつとむ)。貴女方と同じ招待客です」


 草ヶ谷さんは爽やかな笑みを湛えて私と楓に挨拶をした。

 歳の頃は私や楓よりも上だろうけど、見た目は若い好青年と言った印象である。

 更には細身で整った容貌だ。世の女性が放ってはおかない存在だろう。


「お掛けになったらどうです?」

「あ、これはどうも。私は椿愛佳です」


 挨拶をして、近くのソファーに座ろうとした。

 しかし、ふと隣を見てみると、何故か楓がいつになく険しい顔をしている。

 その視線の先に居るのは、件の草ヶ谷さんだ。


「知り合いなの?」


 二人の顔を見比べながら、訊ねる。


「いいえ、僕は初対面ですが? よければお名前をお聞かせ下さい」

「……そうね、間違いなく初対面だわ。私は四之宮楓です」


 人違いだったのかな? 楓は既にいつもの憂い顔に戻っている。


「いやはや驚いたよ。僕は探偵なんて職業についているんだけど、警察とは仲が悪くてね。

 その警察から仲を深めようなんてお誘いがかかったんだ。

 彼らからは滅法嫌われていると思っていたからね。

 これはいい機会だと踏んだはいいけど、来てみれば全く人が居ない。

 だからと偶然同じタイミングで到着した人と話してみても、上手く会話が噛み合わない。

 侍女さんに至ってはあんなだからね。いやー随分焦りました」


 本当に焦っていたのかと疑わしくなるくらいに、草ヶ谷さんは陽気な調子で話していた。

 それにしても、探偵か。探偵にお金持ちのお嬢様が居るなんて、何とも奇妙な面子だ。


「ということは、今この屋敷に来ている招待客は、全部で五人ってことですか?」

「ええ、そうですよ、椿さん。まだ部屋に居るであろう人を含めて五人です。……お、噂をすればってやつですね。おーい、定岡君!」


 草ヶ谷さんが声を掛けた先を見れば、そこには階段を下りてくる男の人の姿があった。

 草ヶ谷さんとは対照的に、小柄で黒縁の眼鏡を掛けた、何とも冴えない見た目の人だった。

 彼はこちらに気付くと、不審そうな顔をしながらも頭を下げた。


「さあさあ、定岡君もこっちに来て」


 二人は見た目の印象こそ違うけど、歳はそう変わらないように見える。

 知り合ったばかりでもう君付けで呼ぶのは、そういう理由からだろうか。

 何にしても、テンションの違いが顕著な二人である。


「こちらは定岡健次(さだおかけんじ)君。同じく招待客ですよ」

「……どうも」


 定岡さんもソファーに座り、これで五人の招待客が揃ったことになる。

 その後は雑談と相成ったのだけれど、基本的に話をするのは草ヶ谷さんだけだった。

 皆何だかんだ今回の晩餐会には不審を抱いているのだし、騙された者同士とはいえ、そうそうに仲良く話を出来るわけでもなかった。

 そんな様子で十分ほど経過しただろうか。

 玄関の扉の開く音がして、一同は会話を止めて視線をそちらにやった。

 入口に姿を現したのは、袴を着た、恰幅の良い老人だった。

 頭に白髪を携え、褐色の肌を持ち、彫りの深い厳しい顔つきでこちらを見据える。

 老人の後から花宮さんも現れ、私達を一瞥すると、彼と共にこちらに歩み寄った。


「皆さんお揃いのようですので、ここで報告させていただきます」


 突然の花宮さんの言葉に、皆は何事かと耳を傾ける。


「草ヶ谷勤様、定岡健次様、神酒井麗華様、椿愛佳様、四之宮楓様、そしてたった今お越しくださいました、高瀬屋尚三(たかせやしょうぞう)様。以上が今夜の晩餐会に出席なさる六名のお客様でございます」


 一瞬にして、場が痛い程の緊張に包まれたことが分かった。


「へえ……」

「そう、これで全員なのね」


 草ヶ谷さんは、何が楽しいのか不敵な笑みを浮かべながら、麗華ちゃんは落ち着き払った声で、それぞれ呟く。


「楓……」

「……ええ」


 雰囲気に飲まれた私は、思わず隣に座っていた楓の袖を握った。

 名前も知らない誰かが、何が目的で、私達を騙してまでこの地へ呼び寄せたのかは分からない。

 けれど、そう。揃ったのだ。

 全てが明らかになるであろう、晩餐会という名の舞台へ立つ、主役たちが。



 それから幾ばくもない内に、高瀬屋さんが部屋に荷物を置いて、ロビーに戻ってきた。

 挨拶を交わし、彼も私達の輪に加わったのだけど、大した話も出来ない内に花宮さんが現れ、屋敷を案内してもらうことになった。ただ、そうはいっても特に変わったものや場所があるわけでもなし。

 花宮さんに着いていきつつ、私達はただ飾りや置物を眺めるだけであった。

 そんなこんなで僅か二十分程で屋敷内を見学し終え、今度は外を見て回ることになる。

 屋敷前の庭園を粗方散策し、今度は屋敷の裏へと向かう。

 そこにも花壇や小さなプランターがたくさんあり、色取り取りの多くの花が育てられていた。

 見ていて詰まらないということもないけど、取り立てて感動するほど綺麗だとも思わない。

 そんな中、この洋風な風景の中には似合わないものを、私は発見した。


「これって……井戸、だよね」


 隣で、楓が静かに頷いた。

 私はテレビや本などでしか見たことはないけれど、それは間違いなく井戸だった。


「……井戸だって?!」


 出会ってから今までずっと暗い雰囲気を漂わせていた定岡さんが、控えめにだが声をあげた。

 私の前を抜けて井戸に駆け寄ると、興味深げに視線を這わせていた。

 そんなに気になるものだろうか?


「この井戸は昔から使用されているものです。

 屋敷には水道も引かれていますが、こちらの井戸もきちんと管理されているので、飲み水として使用しても問題はありません。晩餐会の食事も、井戸水を用いて調理します」


 花宮さんが傍らで説明してくれた。

 思えばこの井戸もそうだけど、この屋敷や庭園にしても、こんな山奥にあるわりに、充分に掃除などの手入れが行き届いている。

 避暑地として利用するのならば良い場所かもしれないけれど、永続的に住まうには立地的に心許無い。

 やはり別荘として利用されているのだろうか。その事を花宮さんに訊ねると、


「そのようですね。掃除等に関しては、定期的に業者に頼んで行っているそうです」


 と、彼女にしてははっきりとしない口調だった。


「ここでずっと働いているわけじゃないんですか?」

「ええ、私は今回限りの雇用です。ご主人様のことも、前から存じていたわけではなく、派遣所からの依頼を受けて、ということになります。数日前からこの屋敷に泊まり込み、今日の為に準備を行ってきました」

「そ、そうだったんですか」


 如何にも専属の侍女然としていたので、すっかり勘違いしていた。やはりプロだ。


「それでは、私はそろそろ晩餐会の支度の為に屋敷に戻ります。時間までご自由にお過ごしください。何かあれば、すぐにお申し付け下さいませ」


 花宮さんはそう言って、屋敷の方へ戻っていった。

 周りの反応を窺うに、各々思い思いに時間を潰すらしい。

 定岡さんは関しては、未だに井戸を注意深く見つめている。井戸の研究家?

 何はともあれ、私はもう外をうろつきたくはなかった。ロビーか部屋でくつろいでいたい。


「私は戻るけど、楓は?」

「……私も戻るわ。ここは観賞し続けるには、少し寂しい場所だもの」

「そうだね、綺麗だとは思うけど、ずっと居るにはね」


 他の皆を残し、二人でそんな会話を交わしながら戻る途中、たった今屋敷に戻っていった花宮さんと、いつの間にかあの場所から抜けてきていたのか、草ヶ谷さんの二人が話をしている姿を見つけた。


「あの人いつの間に……。何話してるんだろ」


 気になったものの、話はすぐに済んだようで、私達が近付く前に、花宮さんは去っていった。


「何話してたんですか、草ヶ谷さん」

「ああ、椿さんに四之宮さん。見られていましたか」


 草ヶ谷さんは特に慌てた様子もなく、おどけてそう言う。


「内緒話ですか?」

「まあ、ある意味そうだな。彼女、中々の美人だろう? お近づきになりたいと思ってね。まあ、素気無く断られてしまいましたが」

「こんな状況でナンパですか」

「こんな状況だからです。陥ってしまった状況を受け入れて開き直るのも、一種の楽しみ方というものですよ」

「前向きなんだか、後ろ向きなんだか……」

「もちろん、ポジティブですよ。お二方は屋敷に戻られるんですか? ではご一緒しましょう」

「はい。…………楓?」


 全く会話に入ってこようとしない楓が気になって、私は彼女の方へと振り返った。


「何?」


 しかし、楓の様子は至って普通だ。

 元よりそんなにお喋りな方でもないので、別におかしくはない筈なのだけど、何か違和感を感じる。


「どうしたの? 早く行こう」

「う、うん、そうね」


 何が気になるのか自分でも分からないけど、取りあえずは屋敷に戻ってから考えることにしよう。




 食堂に設置されたテーブルは、その長さと広さから、本来であれば十数人が同時に着くことが出来る筈である。

 しかし、現在はそんな大きなテーブルに対し、六人が十分すぎるほどの間を取りつつ対面で座っている。

 わざとそうしているのか、照明は灯っているものの、酷く薄暗い。

 そんな中、お互い何も喋らずに黙っているのである。

 何も知らない人が見れば、それは何かの儀式にでも見えてしまうことだろう。

 晩餐会は、そんな奇妙な雰囲気の中、始まった。



「それで、結局主催者さんは遅刻ってことでいいのかな。それとも、わざと遅れていたりするのかね」

「端っから来る気なんてなかったんじゃなくて?」


 花宮さんにより、全員分の食事が既にテーブルに並べられている。

 しかし、それは六人分だけであり、そもそも七人目の席自体が用意されていない。

 痺れを切らして口を開いた草ヶ谷さんに対する麗華ちゃんの返答は、そのことを示唆していた。


「お食事の準備が整いました。どうぞごゆっくりお楽しみください」


 そう告げると、花宮さんはさっさと出て行ってしまった。


「ふん、侍女さんも相変わらずってか」

「大した有能さじゃないか。ご主人様とやらの命を忠実に守っておるのだろう?」


 草ヶ谷さんの軽口に、高瀬屋さんが答える。

 だが、会話はそれきりで、誰も料理に口をつけようとしない。まあ、それも当たり前か。

 今までが余興だという話だったのに、結局本編は始まらず仕舞いなのだ。

 私も、肩すかしを喰らった気分だった。けれど、お腹がすいているのも確か。

 どうしたものかと周りを見渡しても、誰も動こうとしない。

 誰かが行動を起こすのを、皆して待っているのである。誰もが皆、慎重なのだ。

 そんな膠着状態を破ったのは、意外にも楓であった。


「頂きましょう。私はお腹がすいているの。これ以上待ってはいられないわ」


 周りの反応を窺うこともなく、楓は料理に手を出した。

 そんな楓を見て、皆もようやくフォークとナイフに手を伸ばす。

 よかった。とりあえず、嫌な膠着から抜け出すことは出来た。

 今思えば、楓は昔から控えめな性格ではあったが、偶にこちらが驚くようなタイミングで、大胆な行動を取ることがあった。

 先程のような話の息詰まったタイミングで、楓が一石を投じたことが幾らかあったような気がする。

 自覚してかしないでか、そんなことをやってのけた楓本人はといえば、何食わぬ顔で料理を口に運んでいる。

 しばらくは、皆見目も美しいコース料理の数々を相手に、黙々と舌鼓を打っていた。

 私も空腹を満たすために、父から教わった作法を思い出しつつ、味わうよりも先に胃に料理を送り続ける。

 しかし、無言の食事を味気ないと感じてか、やはり先んじて口火を切ったのは草ヶ谷さんであった。


「我々が何故この屋敷へと集められたのか、主催者が居ないことには答えを断定することは出来ないでしょう。しかし、これだけの人間が雁首を揃えているんだ。いくらか推理ぐらいは出来るんじゃないでしょうか。どうです、皆さん?」


 話は聞いているのだろうけど、誰も口を開こうとはしない。

 推理なんて私は得意ではないけれど、この余った時間を有意義に使うには、確かにいい手かもしれない。周りを見回す草ヶ谷さんと目があってしまい、私は慌てて今考えていたことを答えた。


「いいんじゃないですか。主催者さんが来ない以上、時間は一杯ある訳なんですし。本職の探偵さんがそう言うんなら、心強いです」

「お、そうきますか。まあ実際探偵なんていっても、業務内容なんて地味ものばかりですし、期待に応えられるかは微妙なところですがね。他の皆さんは?」


 やはりというか、返事は帰ってこない。

 沈黙を肯定と受け取ったのか、私以外からの返事は出ぬままに、草ヶ谷さんが話を始めた。


「まずは事実確認からといきましょう。高瀬屋さんは招待状の件はご存じで?」

「部屋に案内された時に侍女から聞いた。まあ、客は少ないわ、居るのも女子供ばかりだという時点で、これは掴まされたと思っとったがな」

「なるほど。他の皆さんが現状を理解出来ているかは、まあ聞くまでもないですね。我々は嘘の招待状の下に、こんな山奥の屋敷に集い、目的もお題目も分からない晩餐会に出席している。改めて考えると、僕も含め皆さん好奇心旺盛な方々ばかりのようだ」


 嘘だと分かった時点で帰ることも出来た。

 ここは絶海の孤島でもなければ、吹雪の中の雪山の山荘でもない。

 ただ「余興」という言葉だけに釣られて結局は今ここに居るわけなのだから、草ヶ谷さんの言うことも尤もだった。


「さて、僕だけが喋っていても退屈でしょう。気付いたことでも質問でもいい。何かありませんか?」

「えっと、それじゃあ私から皆さんに質問です」


 自身の経緯を振り返り、私はずっと気になっていたことを告げた。


「私が受け取った招待状って、送り主の名前も情報も書かれてなかったんです。ただ、そこまで不審を覚えるような内容でもなかったから、信じてここまで来ちゃったわけなんですけど……皆さんは?」


 楓の招待状には、どこかは知らないが会社の名前があった。

 他はどうなのだろうと、少し気になっていたのだ。


「あの……僕も送り主の名前はありませんでした」


 定岡さんがおずおずと告げる。それを皮切りに、皆はそれぞれ答え始めた。


「以前にも言いましたが、僕は警察からです。色々と面識のある部署からでしたし、疑いはしませんでした。今考えると、仲の悪いところから懇親会のお誘いなんて、疑って掛かるべきでしたね。いや、でも僕としては本当に嬉しかったんですよ」

「私は骨董品の蒐集を趣味としているのだがね、その伝手で知り合いが何人もいる。

 送り主はその内の一人だ。招待状の内容はオークションを開催するというもので、以降私は今回のことで数度そいつと連絡を取っている。おそらく、そいつは買収されるなり脅されるなりしたのだろうな。お前さん達のいう主催者とやらに。手の込んだことだ」

「送り主は知り合いの企業よ。新ブランドの立ち上げに伴って、製品の発表会を行うっていうから、私はここに来たの。使用人が招待状に書かれた連絡先に確認を行っているわ。偽装だったんでしょうね」

「父が経営する会社の得意先が送り主だったわ。新規格での生産設備開発に成功したから、その祝賀会を……という内容。宛名は会社で、本来なら父が行くべきなんだろうけど、既に予定が埋まっていたから、私が代わりに来たの」


 送り主の名前があった者が四人。そうじゃないのが二人。

 私のものはとにかく、送り主のあった四人の招待状の内容は、余程考えて作られたものなんだろうなぁということが、今までの話から窺えた。


「なるほどね。

 今聞いた話を元にするだけでも、主催者は今回の為に我々の細かなプロフィールや近況などを調べ上げたということが分かる。そうでなければ、これだけの内容の招待状を、しかも個別に作れる訳がない。

 侍女さんの言では招待客はこれで全員とのことだが、もしそうだとすれば、目標が数人とはいえ、実際に集めてみせたんだ。探偵並みの手腕だな。探偵である僕が言うのだから間違いない。

 考えるだに恐ろしいよ」

「思考が足りてないわよ、探偵さん。

 情報を集めただけじゃ無い。私達を騙しきる内容を考え、実行し、その後の対応も完璧にこなしている。見たところ、ここに居る人間はお馬鹿さんの集まりというわけでもなさそうだし、探偵どころじゃないわ、そいつの評価は。ああでも、差出人の名前も無いのにのこのこやって来た人も居たわね」

「あ、あはは。た、確かにそうねぇ……」


 麗華ちゃんの冷ややかな視線と言葉が、ぐさりと心に突き刺さる。私は縮こまるしかなかった。


「愛佳が受け取った招待状の内容、まだ私以外には詳しく話してないよね。話してみたら?」


 このタイミングでそんなことを聞いてくる楓を内心恨みつつ、私は掻い摘んで招待状の内容を答えた。


「――とまあ、大体こんな感じです。そ、そういえば、定岡さんの話もまだ聞いてませんよね! よければ教えて下さい」


 何か言いたげな麗華ちゃんを制すために、私は定岡さんに発言を求めた。


「…………」


 しかし、視線を下ろしたまま、彼は黙ったままだった。

 その様子は、何かを悩んでいるようにも見える。


「どうしたのかな、定岡君?」


 見かねた草ヶ谷さんが発言を促した。

 それでようやく決心がついたのか、ようやく定岡さんは視線を上げて、口を開いた。


「……今までの話を聞いていて思いました。……皆さんは、何も分かっていない」


 定岡さんの発言を受けて、皆の視線が彼に集中する。


「そいつは一体どういう意味だ? お前さんは我々がここに招かれた理由が、分かってるってのかい?」


 高瀬屋さんのドスの利いた声が、定岡さんを突き刺す。


「引いてはそうなったであろう理由なら。でも、僕が言いたいのはそういうことじゃないんです」


 要領を得ない回答に、段々と場の雰囲気が悪くなっていくのを感じる。

 私は彼自身に、話したい事柄を整理させる必要があると感じた。


「えっと、招待状の内容は何なのかって話でしたよね」

「ああ、はい、そうでしたね……。では、まずそこからお話しします」


 依然として場の視線が彼に集中しているのを、肌で感じる。定岡さんは一泊置いてから、続けた。


「お話しするといっても、僕が受け取った招待状に書かれていた内容は、皆さんのもの程長くはないんです。

『来る日に呪いは再び裁きを下す』

と、ただそれだけ……」

「…………本当に、それだけですか?」

「はい」


 余りに突拍子もない内容に、しばらく思考が飛んでしまった。呪い? 裁き?


「……貴方はその文面だけを見て、ここへ来る気になったの?」

「も、もちろんそうじゃありません! 晩餐会の行われるこの場所、このお屋敷に、僕は覚えがあったんです!」


 楓の問いに、定岡さんは声を上げて返した。

 その興奮した様子は、この地に訪れてから彼が初めて見せるものだった。


「定岡君、君は先程私達に分かっていないと言った。つまり、僕や他の皆が知らない、しかし君だけが知っている事実があるということだね?」

「ええ、そうです。

 さっき、この会の主催者は探偵並みの情報収集能力があるという話になりましたよね。

 実際その通りだと思います。

 そうでなければ、僕にこんな内容の招待状を送ってはこなかったでしょう」

「そんなことはもう分かっているわ。貴方が知っていることとやらを早く教えなさい」

「……僕の趣味の話から聞いてもらった方が、少しは分かりやすいかと思います。

 僕は、その……所謂オカルトが好きなんですよ。怖い話とか、黒魔術……つまりは呪いの話とかです。

 話を聞くだけじゃなく、実際に現地に行ったりすることもあって、そういった趣味を持つ人間の集まりに所属していたりもします。

 そして、このお屋敷のことですが、一時期話題に上がったことがあったんです。

 仲間の内の一人が話を持ってきて、得意げに話し始めたのが事の始まりでした」

「ほう、こんな山奥の屋敷の話がよく出てきたもんだな」

「山の麓に村がありましたよね?

 その村出身の友人から聞いたんだと彼は言っていましたが、本当のところかはどうにも……。

 それで、肝心の話ですけど、それはこの屋敷にまつわる〝呪い〟についてのものでした」

「呪い……」


 それが、定岡さんの招待状に書かれていたというもののことなのだろうか。


「ここにお屋敷を建てて住んでいたのは、鳥羽(とば)家の人間です」

「鳥羽家?」

「ええ。これに関しては、麓の村に住んでいる人に聞けばすぐに分かる事だと思います。

 歴史に名を残すほどではなかったようですが、鳥羽家は一代で財を成し、この辺りからどんどん商売の手を広げていった一族だそうです。

 しかし、その商売にも終わりは見えていたようで、何代目かの当主のときに、時代と共に廃れていくその商売に見切りを付け、家業を次代まで持たせる為に、新しい商売を考え始めました。

 そして、商売仲間であった男を協力者として外から呼び寄せ、今までにないものを生み出すことに、無事成功したんです」


 今までの話を聞いている分には、時代の移り変わりにはよくある話でしかないように思える。

 定岡さんは手元のグラスを取って水を飲むと、一息吐いた。


「……話はここからです。鳥羽家の人間の過ちは、協力者である男のことを信用し過ぎたことです。

 ビジネス開発により得る利潤は当然ながら鳥羽家の方が大きい。

 男には、この開発が端っから自分には旨味の少ないものだと理解出来ていた。

 そして開発後、今回の成功には自分という存在が不可欠だった事に気付いたんです。

 ビジネス開発の成功は、男の助力によるところが大きかった。

 更には、鳥羽家の人間は男を信用し切っており、つけ込む隙が幾らでもあった……。

 これだけの条件があって何も行動を起こさないでいられる人間は、少なくはないと思います。

 男もその内の一人だったってことです」

「……その後は、どうなったの?」


 楓が先を促す。


「お察しの通りだと思います。男は開発成功への自身の貢献を盾に、権利を独占したんです。

 鳥羽家は結局権利を勝ち取ることが出来ず、新ビジネスを独占され、廃業の見える商売を続けていくしかなくなった。

 更に悪いことに、当主の名前は大蔵というのですが、その大蔵が焦っていた折りに詐欺に遭い、家は取り返しのつかないところまで没落してしまったんです。……そして、狂った大蔵は呪いに手を染める」

「それはまた唐突な話だな。そいつが人生のどん底に居たのは分かるが、どうしてそこで呪いなんて半端な存在が出てくるんだ?」


 草ヶ谷さんの疑問に、定岡さんはむっとした様子で答える。


「僕は半端だなんて思っていませんが……そうですね。

 確かにその辺りは聞いた話の中でもあやふやな部分でした。

 大蔵に呪いを教え、手引きした存在がいる、なんて話もあったような気がしますが、そんなことはどうでもいいんですよ。大蔵はその呪いを使い、何人もの人間を裁き、殺しているんです!」


 ここにきて、定岡さんの興奮は最高潮に達しているようだった。身振り手振りまで行っている。

 それを聞く私はといえば、正直余り信じる気にはなれずにいた。

 やはり、呪いという存在がこの話において半端だった。呪いという要素だけが浮いて見えるのだ。

 周りの様子にしても、私とそう変わらないように見える。

 草ヶ谷さんなどは、隣に座る定岡さんを胡散臭そうに見ていた。

 自分一人が熱くなっていることを、雰囲気で察した定岡さんは、しかし冷める様子もなく続ける。


「待って下さい、話はまだ終わっていません!

 大蔵がまず最初に呪いで殺したのは、裏切って権利を独占した、協力者だった男です。

 和解しようという名目で今日の様に館の食事会に招き、男を呪ったんです。

 男は屋敷と村とを結ぶ山中の道路で、自動車の中で無くなっているところを発見されています。

 当然真っ先に疑われたのは鳥羽家の人間です。

 しかし、殺害方法が分からないのでは、捕まえることは出来ません。

 事件の後には、不気味さだけが残った。車内の中で見つかった死体は水浸しでした。

 そして死因ですがね、失血性ショック死だったんです。でも、ただのショック死ではありません。

 体の中に血液が、一滴も残っていなかったんですよ!」


 まるで尖った刃物で撫でられたような嫌な感覚が、背筋に走った。

 体内に血液が残っていない? でも、そんな死に方があるわけが……。


「血が一滴も残っていないと言いましたが、事件現場に水溜りはあっても、血痕なんてものは見つかっていません。他の事件も同じです。そこで僕や仲間はこう考えました。

 この呪いは、体中の血液を水へと変えてしまうものなのではないかと。

 遺体の沈む水溜りを作りだしたのは、死体から溢れだした水なんだろうと」

「馬鹿馬鹿しい。呪いなどと、何の根拠も無い話だわ」

「根拠ならあります! 鳥羽家の話はこの近辺に住むに人間に聞くなりして調べれば分かる事だ。

 この屋敷だって、今は知らないけど、元々鳥羽家の人間が建てたものだ。

 そして呪いによる死亡事件は、怪事件として当時の新聞の一面を飾っている。

 流石に実物は持っていませんが、コピーであれば僕の家に保管してあります」

「……今すぐここで証明できないのであれば、そんなもの根拠に成り得ないわ」


 麗華ちゃんは定岡さんの根拠を否定する。麗華ちゃんの言うこともその通りだ。

 けれど、否定している本人の歯噛みする表情が、心の内では全てを否定しきれていないことを物語っていた。私自身、定岡さんの鬼気迫る勢いに押されている。


「まあ、仮に定岡君の話を信じたとしよう。では、その当主が呪いとやらで人を殺して回った理由は何だ? そこも狂っていたからなんて理由で済ませるのかい?」

「いいえ。草ヶ谷さんも皆さんも、気付けませんか? 当主の大蔵と裏切った男。

 この場合、非はどちらにあると思います?

 裏切った男の感情も分からないことはないですが、そんなことは昔も今もよくあることです。

 社会の中の組織に属す人間なら、それぐらいの覚悟は持っていなければいけない。

 男は、その困難に抗うこともせず、鳥羽家をどん底まで叩き落したんです。

 裁かれて当然だと思いませんか? 呪いで死んだ人間は皆生前、それなりの地位に着き、富や利益を得ていたんですよ。無論、不当にね」

「おいおい……。それじゃあ、罪を犯した者を呪いで裁いて回ってたってのか。何だって呪いが法律の代わりに働かないといけない」

「法が役に立たないからです。罪を犯しながらも、裁きを逃れてのうのうと生きている人間が世の中には跋扈(ばっこ)している。だから、法律が果たせないことを代わりにやってのけたんだ」

「そもそも、呪いのどこに人を裁く権利があるんだ?」

「……草ヶ谷さん、もういいでしょう。皆さんも、もうお分かりの筈だ。

 当主の大蔵は、何件かの事件を起こし、その後失踪している。

 自身も呪いに当てられたのか、あるいは呪いと一緒に消滅したのかとも当時は考えましたが、僕と皆さんがこの地に招かれたということは、つまり、呪いは生きているんです。

 もう分からない筈はないでしょう、皆さん。僕たちは――」


 定岡さんの言葉を遮り、食堂に無機質で無遠慮な音が響いた。全員の視線がそちらに集中する。

 扉を開き、入口に立っていたのは花宮さんだ。彼女は緩慢な動作で部屋の中程まで進み出た。


「……お話中に……失礼いたします。ご主人様からの手紙を預かっておりますので……失礼ながら、私が内容を読み上げ……ます」


 このタイミングでの手紙というのも気になったが、それよりも気になってしょうがなかったのが、花宮さんの様子だった。ふらふらとして足元も覚束無い。話す声にも張りが無かった。

 少し前までの彼女と、今の彼女の様子が違いすぎるのだ。

 まるで熱に意識を朦朧とさせる子供のようだった。そんな様子で、彼女は手紙を読み上げ始める。


「おそらく君たちは……まだ、事態を飲み込めていないの……だろう。

 だから、余興はここまでとし……本番を、始めるとしよう。

 今この手紙を読んでいる……彼女自身が、締めを演じてくれる……は……ず――」


 不意に、花宮さんは倒れた。その拍子に、べちゃりという嫌な音が響く。

 なんで、彼女は倒れたんだろう。余興? 本番? 呪い? 私達がここに来た理由って、何?

 頭の中という海を、要領を得ない言葉の群れがぐるぐると泳ぎ回っていた。声が聞こえる。

 でも、まるで水を通しているように、その声は濁って聞こえた。

 私が水の外へ、外へと近づいているのか、声は鮮明になっていき、気が付くと、定岡さんが花宮さんの傍にいた。


「やっぱり、やっぱり呪いだったじゃないか! これを見てもまだ、貴方達は信じられないと言いきれますか!?」


 倒れた花宮さんを中心に、既に小さな水溜りが出来ていた。

 薄暗いから気付かなかったけど、間近まで行って見てみると、彼女は酷く青白くなっている。


「毒殺で無い証拠が、どこにあるっていうのよ!?」

「ならば、体中の血液を全て水に変える毒の存在を、神酒井さんは知っているのですか?」

「っ!!」

「専門家でもない我々がその存在を証明できなくとも、無いとは言い切れんだろ!」

「本気で言っているのですか、高瀬屋さん」

「ぐうっ……」


 あれ程冷静だった二人が、激昂し、そして言い含められている。それはつまり?


「……僕がここに招かれた二つの理由が、理解出来ました」

「二つの理由……?」

「ええ。一つは余興を盛り上げる為の駒としての役割。事前に呪いや事件のことを知っている人物に、話をさせて場を温めておきたかったんでしょう」

「じゃあ、二つ目は?」

「まだ恍けるつもりですか、椿さん? それは僕を含めたここにいる全員が持っているものです」


 定岡さんの目が、ぎろりと私を見据える。

 草ヶ谷さんはその傍らで、花宮さんの読んでいた手紙拾い上げた。


「……手紙には、まだ続きがある。

『この地を探せば、あるいは呪いから逃れる方法が見つかるやもしれない。さあ行け、裁きの時だ』

……なんだ、二枚目もあるのか。

『告発。

 花宮美里は、自身の家政婦という立場を利用し、仕事先でスキャンダルのネタを掴んでは、その情報を売り、もしくは脅しをかけるなどして金銭を得ていた。花宮美里に人生を狂わされた人間は少なくない』

だとよ」

「どうです。この人だって、主催者の駒の一つでありつつも、やはり裁かれるべき罪人だったってことです!」


 定岡さんの声が食堂に響き、一泊も置かない内に、麗華ちゃんと高瀬屋さんがすぐに動いた。


「こんなところで死んでたまるもんですか!」

「探せばいいのだろう、探せば!」

「おい待て! 爺さんと餓鬼!!」


 あの陽気な様子からは想像もつかない怒気を孕んだ大声で、草ヶ谷さんが二人を止めた。


「闇雲に探してどうなる。この広い屋敷で、俺達は六人だけだ。効率を考えろ」


 二人は苛立ちを隠そうともせず、草ヶ谷さんを睨みつける。だが、結局は私達の下まで戻って来た。


「お前はどうするんだ?」


 気がつけば、座り込んですっかり意気消沈していた定岡さんに、草ヶ谷さんは訊ねる。


「僕がここに来た理由は、結局は皆と同じだ。知的好奇心。死への恐怖よりも、そちらの方が上回ったんだ。心の底で、どこか信じていなかった。……探すよ。ここにいるよりかはいい」


 そうは言うものの、定岡さんの表情を見れば分かった。彼は――――生きることを、諦めている。


「椿さん、四之宮さん。あんた達は来るよな?」

「は、はい」

「……ええ」


 私は、隣に居た楓を見た。

 楓が浮かべるいつにも増した沈痛な面持ちは、彼女の白く綺麗な顔を、醜く歪めている。

 それが、全てを物語っていた。

 この場にいる人間は、今まで自分を覆っていた虚偽や、高慢さ、威厳、プライド、そういった仮面を脱ぎ捨て、(なま)の感情のままに行動していた。それは、酷く醜く――――そして、私もそう。

 そうだ、私だって早々に分かっていたのだ。でも、考えないようにしていた。

 意識から追い出して、忘れようとしていた。でも駄目だった。

 私の紙のような仮面は、簡単に破れて消える。

 ここにいる者は、罪を犯しながらも、裁きを逃れた。故に今日、罰せられるのだ。

 私も例外では、ない。





「この食堂の他にも、広い部屋がいくつかあったな。まずはそこを全員であたろう。客室その他は、その後で手分けして探す。それでいいな?」


 草ヶ谷さんの指示に皆が頷く。今思えば、彼がこうやってすぐに的確な指示を出せるのも、花宮さんに屋敷の中を案内してもらったからだ。主催者はこうなることを分かっていながら、私達にわざわざ有利な情報を送ったのだ。彼、もしくは彼女は、一喜一憂する私達の様を見て、楽しんでいるのだろうか?


「その案には賛成だけど、その前に屋敷の裏手にある井戸を調べた方がいいかもしれない」

「そういえばお主、侍女からの案内時に、やたらと井戸に貼り付いておったな」

「呪いは、血液を水に変える。

 単純ですが、呪いと水が結びつかないか、ここに来る前から考えていました。

 井戸こそ、まさにぴったりな代物だと思いませんか?

 呪いが水に染み込むプロセスこそ分かりませんが、その呪いの水を生み出すのがあの井戸。

 侍女が食事にも井戸水を使用すると言ったのを聞いて、僕は確信しました」

「では何故もっと早く言わなかったのだ!? 我々は、既に全員食事に口を付けてしまっておるのだぞ!!」


 全員が全員食事を口にしたことに間違いはない。

 つまり、もう呪いの種は私達に根付いてしまっていることになる。

 果たして、それはいつ芽吹くのだろう。


「その時に僕が呪いだ何だと騒いで、貴方がたは信用出来たと思いますか?」

「!」

「今だから信じられるんですよ」

「もういい。井戸だな、早く行くぞ」


 これ以上聞いても無駄だと判断したのだろう。

 草ヶ谷さんは会話を切り上げ、走り出した。私達もそれに続く。

 屋敷に裏口があることを案内で把握していた私達は、そこを通って井戸のある場所まで辿り着いた。


「それで定岡君。君はここで何か見つけたのかな?」

「いえ。皆さんの手前もありましたし、入念に調べるようなことは……。見た感じ、おかしな点は何も無いですからね」

「確かにそうだな。だが、探す時間はその後もあったと思うが?」

「恥ずかしながら、一人でここへ来ることは躊躇われました。この場所、花こそ至るところに植えてありますけど、妙に薄暗くて寂しい雰囲気だと思いませんか?」


 案内の時には、見所の少ない場所だと思ったものだけど、あの時私がここを去りたかった理由は、定岡さんの言うところに起因するものもあったのかもしれない。


「まあそうだな。それじゃあ、俺と定岡君で井戸を調べる。他は周辺を頼む」

「何故貴方がいちいち指図するのかしら?」

「俺が的確だと俺自身が判断したからだ。違うかい、お嬢さん?」

「探偵風情が……」


 ぶつくさ文句を言いながらも、麗華ちゃんは辺りの探索を始めた。

 麗華ちゃん、それに高瀬屋さんにしても、人の下に付くようなイメージの人間ではない。

 今の状況を不満に思っているだろうけど、さりとて二人とも自身の場を仕切る能力が草ヶ谷さんを勝るとも思ってはいないのだろう。だから、最終的には従っているのだ。

 草ヶ谷さんに関しては、何とも柔軟性の高い人だと思う。冷静さもある。

 定岡さんは、火が付いてからの行動力には目を見張るものがあるけれど、火が付くまでと燃え上がってからが頼りない。

 私と楓は似ていた。場の流れを読んで、波風を立てないようにし、必要最低限のことだけをこなす。

 たった六人とはいえ、色々な人間が集まったものだと思う。

 ……でも、肝心の内に秘めた何かについては、誰もおくびにも出さない。

 私にだって、分かったものではなかった。楓に関してもだ。

 井戸の周囲といっても、傍には花壇とプランターしかない。そのどれにも花が植えてある。

 ……いや、プランターに関しては、使われていないものがいくつか積み重ねられていた。

 すぐ傍には、土に刺して使うアンプルがいくつか転がっている。

 薬品が空のものもあれば、まだ未使用のものもある。

 片付けが成されていないようにも思えるが、そういえば、ここに来た時花宮さんが如雨露を持っていたっけ。途中で他の業務に移って、それきりということも考えられる。

 いくらプロとはいえ、一人で出来ることにも限りがあるだろう。何にせよ、特段怪しいとも思えない。

 もう他に気になるものもなく、手持無沙汰になりかけているときだった。


「み、皆さん! これを見てください!」


 定岡さんの上ずった声が聞こえてきた。

 彼は釣瓶に繋がれている、木材で作られた桶を逆さにし、底を指差している。

 そこには明らかに他の材木と年季の違う、真新しい木材が一枚張り付けられていた。


「当たりってところだな。ご丁寧に文字が彫られてやがる。何々、

『呪いの破壊は、呪いを生み出す元となるものを破壊することによって成り立つ。それが成された時、散らばった因子も消え失せる』

おいおい、初っ端から欲しがってたもんを見つけちまったんじゃないのか?」

「元となるもの……要は触媒を破壊することによって、呪いも消える。

 因子というのは、ばら撒かれた呪いの種、つまりは我々が既に抱えているものを指すのでしょう。

 確かに、目的の情報は得ました。ですが、肝心な部分が欠けています」

「その触媒とやらが何なのか分からなければ、目的を達することは出来ないわね」

「触媒ねえ。この井戸はどうなんだ? これをぶっ壊したら呪いも消えると思うか?」

「しょ、正気ですか? 井戸を壊すなんて……」


 草ヶ谷さんの余りに短絡的なアイデアに、私は戦慄を覚えた。定岡さんも黙ってはいない。


「先程も言いましたけど、この井戸は呪いの種となる水を生み出すだけのものです。

 ここから汲まれる以前の段階で、ただの井戸水が呪いの水へと変わっている筈なんです。

 つまり、触媒は井戸の水に作用出来る何かなのだと思います。

 井戸を壊すのは、臭い物に蓋をするのと一緒ですよ」

「……では定岡さんは、その触媒が具体的にどの辺りに存在するか、分かりますか?」


 そう問うたのは楓だった。


「そうですね……普通に考えれば、井戸の近くということになるんでしょうが、何しろ呪いです。

 それを普通の物差しで測ることが正しいかどうか、僕には断定できません」

「なんだ、結局分からないんじゃないか。手っ取り早く井戸を破壊すれば、その触媒とやらも一緒に壊れてくれるかもしれないぜ?」

「野蛮人の考えね」

「そもそも、主催者とやらが用意したヒントってもんが、これだけとは限らんだろう。大人しく屋敷内で探したらどうだ」

「……壊せばいいって分かってんなら、いっそ屋敷中のものを壊して回るってのはどうだ?」

「おいおい、お前さん大丈夫か?

 井戸を壊すのも、屋敷を破壊して回るのも、案としてはどっこいどっこいだ。

 お前さんが自分で言っていた効率を重視するやり方を選ぶなら、まだ探し回る方が賢明だろうに」

「ったく。真っ先に答えにたどり着いたと思ったら、結局面倒な手順を踏まないといけないわけか」


 先程のリーダーシップもどこへやらという、冷静さを欠いた発言だった。

 皆が呆れるのも、仕方がないというものだ。


「……話は決まったわね。だったら、早く屋敷に戻りましょう。最初は食堂を調べるってことで、いい?」


 楓の提案に皆が一様に頷き、そのまま食堂へ向かう運びとなった。



 晩餐会の時は薄暗かった食堂も、今は十分な照明の光によって照らされている。

 やはり、単に光量を調整されていただけだった。雰囲気を出す為にそうしていたのだろう。


「食堂には、もう何も無さそうね」


 全員で調べ回っているが、収穫は何も得られていない。そうなれば、次に探すのは厨房だ。

 花宮さんが晩餐会の最中に引っ込んでいた場所だ。

 照明の電源もこちらにあり、一旦厨房で照明を操作した後、食堂を探索していた。


「あれ?」


 さっき食堂から厨房へ行く時には暗くて気付けなかったけれど、今改めて厨房へ続く扉を見てみると、『Close』と文字が彫られたプレートが掛けてあった。

 食堂の入り口ならばいざ知らず、厨房の出入り口にこれがあるのは何だか不自然だった。

 私は紐によって掛けられていたプレートを裏返しにしてみた。


「?! これって……」


 そこに彫られた文字を、私は思わず言葉に出していた。


「告発……」


 体の中を、何かがじわじわと浸食していくような感覚に陥る。


「……どうしたの、愛佳?」


 私の異変に最初に気付いたのは楓で、楓の呼びかけですぐに全員が集まった。


「これを、見てください……」


 私は手に持ったプレートを、皆に掲げて見せた。


『告発。

 高瀬屋尚三は、犯罪紛いの強引な方法で、数多くの者から骨董品を不当に奪ってきた。

 その尻拭いは自身が会長を務める会社に押し付け、本人は悠々自適の生活を送っている』


 肌を掻くようなピリピリとした沈黙が、その場を支配した。告発文。

 それは、花宮美里が死した時にも読まれたものだ。


「ば、馬鹿な! 私が罪を犯したという証拠が、どこにあるというのだね!!」


 沈黙を破ったのは、やはり高瀬屋さんだった。

 いや、彼の告発文が出てきてしまった時点で、彼しか弁明を叫ぶ者は存在しえない。

 そして、彼の言った通りここには証拠など無いけれど、それを信じることのできる人間も居なかった。


「くそっ、何をしているんだお前ら!! 早く呪いを壊す方法を探すんだ!」


 高瀬屋さんはそう言って、一人厨房へ駆け込んでいった。

 続いて私や皆も厨房へ入ったものの、入り口付近で立ち止まっているしかなかった。


「どこだっ、どこにあるんだぁ!」


 彼は、生に焦がれていた。手当たり次第に食器や調理器具を投げ飛ばす。

 しかし、それも長くは続かない。私達は、見逃さなかった。いや、見逃しようなどなかった。

 手当たり次第にものを掴む彼の手は、異常な程に震えていて、すぐに何も持つことが出来なくなる。

 彼は褐色の肌を持っていたけれど、それは褪せた土気色へと変貌していた。

 誰の目から見ても、明らかな最期が見えた。そして、止めを刺したのは、皮肉にも彼自身。


「な、なんだこれは?」


 高瀬屋さんは、変わり果てた自分にようやく気付く。

 その衝撃は、彼を生へと繋ぎ止めていた最後の糸を、容易く断ち切ってしまう。

 高瀬屋さんはそのまま倒れ、すぐに息絶えた。彼は、すぐに水溜りに沈む。

 はたして水は、彼をどこへ流すつもりなのだろうか。



 厨房を後にした私達は食堂からロビーを挟んだ向こう側にある、応接間に来ていた。

 部屋は食堂並みに広いが、家具は中央にテーブルとソファ、後は壁に暖炉が設置されているのみで、後は装飾が軒を連ねるばかりであった。


「定岡君」

「何ですか?」

「晩餐会で料理を口にしてから、爺さんが死ぬまでの時間、一時間もなかったぞ。ちっとばかし呪いの効力とらが訪れるのが早いんじゃないか?」

「僕には何とも言えません。ただ、高瀬屋さんは僕らの中でも一番高齢だ。単純に歳の順で死んで行くんだと考えると、次は恐らく僕か貴方ですよ」

「……あの侍女の場合は?」

「彼女なら、主催者の命令は何でも聞いたでしょうね。晩餐会が始まる前か、ある程度過ぎた段階か、僕達の話の進展如何でか、とにかく水を飲むことを命令されていたんでしょう」

「何にしてもタイミングが良すぎるがな。まるで見ているみたいじゃないか」

「あるいは、それも」


 二人の話を耳にしつつも、私は暖炉を眺めていた。

 煉瓦造りの立派なもので、最近使われたのか、灰が中に積もっている。

 それ以外に特に変わったところも無く、これといって怪しいものは無い。

 そう思い、場所を移そうとしたところを、誰かに袖を掴まれ、阻まれた。

 その手の主……麗華ちゃんは、私の袖を握って離さず、しかし、顔は暖炉をじっと見つめ続けている。


「どうしたの?」

「貴女こそ気にならないの? これを見ても」

「特には。だから、別の場所を探そうとしたのよ」

「……愛佳、貴女は目に見える事実を、そのまま事実としてしか受け取ろうとしないのね」

「……どういうこと?」

「見なさい」


 麗華ちゃんが指を刺すのは、灰の積もっている暖炉の中である。


「これがどうかしたの?」

「何故貴女は、灰がそのまま放置されていることに疑問を抱かないの?」

「え?」

「侍女は言っていたわね。ここは定期的に業者が管理を行い、侍女自身も数日前から泊まり込んで準備していたと。彼女には私達を案内する仕事だってあった。何故、ここの掃除を行っていないのかしら?

 彼女に案内された時点で既に灰は積もっていたわ。これは怠慢じゃなくて?」

「花宮さんが、そんなミスをするとは……」

「私もそう思うわ。ではミスではないとすると、今度は故意ということになる。彼女の場合、誰かから命令でもされない限り、やりそうにはないわね」


 麗華ちゃんは傍に立て掛けてあった火かき棒を手に取り、灰を漁り始めた。


「それに、この暑くも寒くも無い時期に暖炉なんて使わないでしょう。そもそも、この屋敷は全館冷暖房が利くように出来ている。厨房にもあったでしょう? 暖炉自体が、インテリアでしかない筈よ」


 灰の中からは、すぐに目的のものが顔を覗かせた。


「取りなさい、愛佳」

「わ、私が?」

「見つけ出したのは私。けれど、貴女に手柄を譲ってあげるわ」


 しぶしぶながら私は、灰に埋まったそれを素手で引っ張り出した。

 灰を払ってみれば、それは絵葉書だった。花畑の絵が描かれている。

 裏返すと、そこに文章が綴ってあった。既に、他の三人も集まっている。


「読みます」

『呪いの製造方法。材料は、新生児の臓物と血。そして、胎児を育んできた母胎の水。鳥羽大蔵は、妻である芳子が生んだばかりの子供を呪いの材料として使用した。命を守り、育んできた水を絶望の色で染め上げ、呪いは完成する』

「…………」


 胃がきりきりと痛む。何も言葉が出てこない。


「なるほど、これは狂ってるとしか言いようがねえな」


 草ヶ谷さんが言い終わるか終わらないかのタイミングで、麗華ちゃんが葉書を私の手から引っ手繰った。そして、躊躇いもなく破き去る。


「こんな情報、誰も求めてないわよ! 私は生きたいのよ!」


 激昂する麗華ちゃんの顔にあるのは、焦りの色。そして、怯えの色。

 定岡さんも、楓も、黙って麗華ちゃんを見つめていた。

 これだけの代償を払ってまで、人を殺す道具を得て、そうまでしてやりたかった事とは何なのだろう。

 私には、何も理解できない。


「……行きましょう」


 楓の呼びかけで、全員が応接間を後にした。



 大きな部屋を全て調べ終わった。残りは客室と他の小部屋だけだ。


「それじゃあ、俺とお嬢様は東、定岡君と椿さん、四之宮さんは西の方を頼む」


 草ヶ谷さんの案により、私達は二手に分かれ、そこから更に分担して部屋を探し回ることにした。

 広い客室を見て回り、もう何もないだろうと次の部屋へ移る事を考え始めた時に、それが視界に入った。ただのランプ……なのだけど、遠目からだと一部が黒ずんでいるように見える。

 近くで見た時はそうでもなかったのだけど……。私は部屋の電気を消して、ランプを付けてみた。

 電球の眩しいばかりの光が、笠を通して辺りへ淡い光を投げかける。

 そして、黒ずみの正体も明らかになった。非常に薄くではあるが、笠に文字が書かれていたのである。

 ランプを付けることで、電球の光が笠に書かれたその文字をはっきりと照らし出した。

 最初の単語を目にし、私は思わず唾を飲み込んだ。


『告発』

「…………」


 覚悟を決めるしか、ない。私は残りの文章にも目を通した。


『告発。

 定岡健次は、黒魔術の実験と称し、幼馴染である女性に薬を飲ませ、死に至らしめた』


 人を一人、殺した。

 それだけのことをして尚あの人がここに居るのは、裁きから逃げおおせたからなのだろう。

 胸騒ぎを感じ、私は客室を出た。

 廊下に仰向けに倒れる定岡さんを見つけたのは、それからすぐだった。


「定岡……さん」

「……椿さんですか?」


 白を通り越し、最早青いといえる程の肌をした定岡さんは、もう視力もおぼろげなのか、天井を見上げながら呟いた。


「僕はね、椿さん。花宮さんや高瀬屋さんのように何回も罪を重ねているわけではないんです。

 ……ただ、一回だけ。でも、その一回は決定的な一回でした。

 僕は犯人だとばれることもなく……罪から逃げることが出来た。

 でもね、彼女の顔が僕の頭から離れることは……無かった」

「…………」

「僕は色々な気持ちを抱えて……ここへ来ました。その中には……素直に裁きを受け入れる気持ちも……あったのかも……しれません」


 その言葉を最後に、彼の口から言葉が紡がれることは、もう無かった。


「……愛佳?!」


 こちらに駆けてくる足音が聞こえる。楓だった。

 へたり込む私と、青くなった定岡さんを見て、楓は表情を曇らせる。


「……そうだ、楓! さ、定岡さんが死んだってことは、次は草ヶ谷さんが……」

「もしくは、既に……」


 私と楓は、草ヶ谷さんが探索を行っている範囲の場所へ走った。

 客室を見て回るが、草ヶ谷さんも、麗華ちゃんも居ない。

 隣を走っていた楓が、トイレの前で立ち止まった。


「……楓?」


 楓は悩む素振りも見せず、男性用の方へ足を踏み入れた。私は慌てて楓の後を追い、そして、見た。


「草ヶ谷……さん……」


 草ヶ谷さんは個室の中に倒れ込んでいて、上半身が見えない。

 しかし、着ていた白いスーツを見れば、それが彼であることは明らかだった。

 既に、彼を囲う水溜りが出来ている。

 一旦足を止めていた楓が歩き出し、思わず私は楓の腕を握って、彼女を止めた。


「う……」


 上手く言葉が発せず、私はひたすらに首を横に振った。

 今まで見た死に顔が、頭をちらつく。もう、死体なんて見たくは無かった。


「……そうね」


 納得してくれた楓に安堵を覚えつつも、私の目は床に転がっていたトイレットペーパーに吸い寄せられていた。最初は汚れが付いているのかと思ったけれど、違う。ペーパーに、文字が印字してあったのだ。

 私は文字が書かれた部分まで、紙を広げた。


『告発。

 草ヶ谷勤は、探偵という自身の職業を利用し、依頼者から得た情報や、それを元に自身で知りえた情報を使い、依頼者やその関係者を脅迫するなどして、不当に利益を得てきた。その数、一つや二つなどではない』


 短い時間とはいえ一緒に過ごす内に、どこか彼には自身を演出する術を心得ている節があると感じていた。探偵という職業がそうさせるのかとも思ったけれど、それは違うのかもしれない。

 彼は、私達の中で一番多く、自分を偽る仮面を被っていたのだと思う。

 結局、一番下の素顔を見せぬままに、彼は逝ってしまった。



 楓と一緒にトイレを出た。もう、頼れる人達は、その全員が裁きによって死していた。

 どうしようもないという絶望感が、ひしひしと心を締め付ける。


「……私は近くの部屋を見て回る。愛佳は?」

「私も……そうする」


 楓の目には、まだ幾ばくかの気力が残っているように感じられる。……正直、私はもう限界だった。

 楓が近くの客室へ入ったのを見て、私は別の客室へ入った。

 でも、ただ呆然と部屋の中を眺めるぐらいしか、もう気力は残っていない。

 しばらくそうしてから、楓の下へ戻ろうとした。客室を出て、気付く。

 楓の入った部屋の扉が閉まっている。ノブを握って力を込めても、扉はうんともすんとも言わない。

 内側から鍵を掛けているんだ。


「ど、どうしたの、楓!」


 呼び掛けながら扉を叩き続ける内に、私は気付いてしまった。

 扉の一部分だけ、同じ模様の壁紙が張り付けてあったのだ。

 私は躊躇した。ここに何があるのか、何となく予想が付いてしまったのだ。

 しかし、答えを求める心の声が、私を内から後押しする。

 私はその声に言われるがままに、壁紙を剥ぎ取った。そこには、文字が彫られていた。


『告発。

 四之宮楓は、父親共々ある男と結託し、その男が不当に買い入れた設備を、その男の望む値段で購入。

 生産が終わり、手に入る筈の無かった設備を会社の利の為に得た。

 その後は善意の第三者を装い、罪から逃れている』

「そ、そんな……」


 楓が、そんなことをしたというの? あの真面目な親友が……?

 ……いや、この地に楓が居る時点で、そんなことは分かっていたことじゃない。

 でも、心のどこかでは、それを認めたくない自分がいたんだ。


「……愛佳?」


 扉の向こうから、楓の声が聞こえた。


「か、楓?! そこに居るの?」

「……うん」

「あ、開けてよ楓! 何で鍵を掛けたの!」


 私の必死の呼び掛けにも、しかし楓は穏やかに応じる。


「……愛佳にね、私の死ぬ姿も、死んだ後の姿も見せたくない。愛佳に心配なんて掛けたくないの」

「そんな……」


 私は必死に扉を開けようとした。けれど、手に力が入らない。そうしてようやく気付いた。

 手が小刻みに震え、肌が薄っすらと白くになっていることに。

 私と楓は同い年で、楓の方がわずかに生まれが早い。私と楓の差なんて、それぐらいのものだった。

 ああ、死ぬ時は一緒なんだな。


「……愛佳。私、愛佳には生きてほしいの」

「楓?」

「これ、部屋の中にあったわ」


 その言葉の後に、扉の下の隙間から、真っ白な紙がこちらに出てきた。


「……愛佳、貴女は……生きてね……」


 どさり、という音とともに、扉の下から水が染み出してくる。


「楓……そんなぁ……」


 親友まで、失った。そんな状態で、どうやって生きろっていうのよ……。

 視界が霞む。それは、際限無く流れる涙だけが理由ではないのだろう。

 ふと、真っ白な紙が視界に入った。

 今は扉の向こうから溢れる水と、私の涙の所為で、すっかり濡れてしまっている。

 ……いや、それだけじゃなかった。濡れた部分に、文字が浮かび上がっている……?

 一瞬の躊躇いの後に、私は水に紙を浸した。それで、文字が全て浮かび上がった。

 そこに書かれていたのは……呪いの、解呪の方法。

 触媒の破壊だけが、呪いから逃れる方法ではなかったのだ。

 ……でも……でも。


「こんなことって……」


 解呪は、今すぐにでも行うことが出来た。そんなに難しい行為ではない。

 でも、生きる為とはいえ、こうまでしないといけないだなんて……。

 楓の、最期の言葉が頭を過ぎった。


〝貴女は……生きてね〟


「ごめん……ごめんね楓……」


 私は、何回も何回も楓に誤って、這いつくばって、そして、楓の体から溢れた水に、口を付けた。




 屋敷の裏の、井戸の前。そこに佇む彼女を、月明かりが照らし出す。

 彼女は、まるで慈しむような穏やかな表情で、それをずっと眺めていた。

 しかし、その平穏な時間もすぐに終わりを告げる。


「灯台下暗しってやつですね。案外、僕が言った井戸を壊すって提案、的を射ていたんじゃないですか?」


 突然響いた声を聞いて、彼女――四之宮楓は飛び上がった。

 声のした方向を向き、そこにいた男を睨みつける。


「お前……」

「そんなに睨まないで下さいよ。お互いに大芝居を終えた後じゃないですか」


 楓はその言葉にも、微塵も油断は見せなかった。


「まあいいでしょう。

 四之宮さん、貴女が先程までずっと眺めていた、地面に刺さった中身の満ちている、園芸用のアンプル……それが触媒ですか?」


 楓は答えない。しかし、そのアンプルを庇うように前へ出た時点で、肯定しているようなものだった。


「なるほどね。中身の減らないからくりは……まあ呪いだからで済ませるとして、それが水に作用して、汲み上げる水を呪いの種へと変えると……。本当に単純だな」


 男の言葉に、更に楓の視線が強くなる。


「まあ落ち着いて下さいよ。僕は別に貴女に危害を加える気もなければ、呪いをどうする気もありません。少しは信用して下さい」

「……信用して下さいなんて言葉、貴方がよく使えたわね。名前ぐらい名乗ったらどうなの?」

「ああ、その分じゃ僕が〝草ヶ谷勤〟ではないことはばれていたんですね」

「主催者が、招待客の顔も把握していないと思って?」

「大変だったんじゃないですか、あの人の顔を把握するのは。

 とにかく写真に移りたがらないし、極力外に出ない人ですからね。

 基本自分は指示を出すだけで、後は全て数十人もの助手に仕事を任せている。

 こんな人、そうそう居ませんよ」

「……相手が探偵なんだから、探偵を使っただけよ」

「まあ、そんなところでしょうね」


 男は間を一つ置いて、話を続けた。


「勤は気まぐれな男でね。

 この招待状に関しても、金になりそうもないのは分かっていただろうに、色々と調べ始めたんだよ。

 まず最初に、警察から送られてきたものではないということを突き止めた。

 そして、舞台となる場所を元に、呪いのことも調べ上げた」

「!」

「悪いが定岡君と同程度のことは、僕も勤から聞いて知っていましたよ。

 いやぁ、知らないふりをするってのも大変だが、面白くはありました。

 それでね、貴方の名前も上がりましたよ、四之宮楓さん。祖母の美津子の旧姓は、鳥羽なんでしょう?

 つまりは、貴女は呪いを生み出した鳥羽家の子孫に当たるということだ。

 主催者としては中々箔がついているんじゃないですか?」

「…………」


 楓はひたすらに口を引き結んで、男の話に耳を傾けていた。


「で、勤が調べ上げた情報は実はこんな程度のもんです。

 タイムアップですよ。晩餐会の日が迫っていたわけです。

 それで、勤がどうしたかという、ここまでやっておいて飽きてしまいました。

 気まぐれと言われる所以です。そこで僕に話が回ってきました。

 ちょっとした知り合いなんですよ、僕と彼は。

 定岡君とはまた違いますが、僕も呪いにはちょっと興味があってね。

 初っ端彼と会ったことは話しましたよね?

 彼の招待状の内容を見て、そこで今回の晩餐会の趣向を理解しました。

 後は貴女の知る通りです。僕は大分上手く立ち回ったと思いませんか?」


 喋り続ける男を睨む楓の表情には、苛立ちと、そして焦りが浮かんでいた。


「……貴方、何で……」

「先程からずっと聞きたそうにしていましたね。貴女が知りたいのは、何故僕が生きているのか、でしょう?」

「…………」

「簡単な話ですよ。四之宮さん、貴女と一緒です」

「……そんなわけが」

「おやおや、覚えてらっしゃらない? 僕が侍女さんと二人でお話しているところを、貴女もご覧になった筈では?」

「?!」

「あの時に、健康上の理由があるので、僕の分の料理の調理には、水道水を使って下さいとお願いしたんです。貴女も事前にそう指示していたんでしょう?」


 楓は歯を食い縛って、屈辱に耐えている。

 楓はきちんと念を押して、私の料理は水道水で、他の客の料理は井戸水で調理するよう言い付けていた。だが、申し出があれば却下しろ、とまでは流石に言っていない。これは彼女の落ち度であった。


「それにしても、偉いもんだ。借金抱えて、名義人を詐称してまで館と呪いを守り続けるなんてね。

 一族に生まれた宿命ってやつか。

 そういえば、四之宮さんはこの晩餐会に客としても参加しているんですよね?

 告発は読みましたよ。貴女の罪は裁かれなくていいのですか?」

「……あれは装ったのではなく、本当に善意の第三者だったの。事実を知ったのはしばらく経ってからだったわ」

「ほう。だから裁かれなくていいと?」

「父と何日も話しあって、大金を叩いて買ったんだもの。私達のどこにも非は無い」

「見方を変えればまた違うと思うが……まあいい。

 呪いについては僕が望む程のものではありませんでしたし、ここらでお暇させていただきますよ。

 椿さんを生かしている理由が、ちょっと気になりますがね。

 彼女なら、今頃ロビーで変わり果てたお嬢さんと対面している頃でしょう。それでは」


 男はそう言うと、その場から去っていった。

 楓はようやく一息吐けた気分だった。

 結局のところ、今回の晩餐会は大体が上手くいっているが、最初から最後までイレギュラーであったあの男の存在がネックだったのである。

 楓は屋敷に向き直る。


「……後は貴女だけよ、愛佳」


 白磁のように白い肌が、月明かりの中で蠱惑的に輝く。口端に微笑を湛えながら、楓はそう呟いた。




 私がロビーへ行くと、そこでは麗華ちゃんが仰向けに倒れており、そのすぐ傍に、取り外され、裏返しにされて放り出された肖像画があった。

 麗華ちゃんは、もう虫の息だ。肖像画の裏には予想通り、文章が書いてある。


『告発。

 神酒井麗華は、自身の住まう豪邸の敷地へ友人を強引に遊びに連れ出し、立ち入りを禁じられていた区域へ足を踏み入れさせた。

 その友人は、工事の為に地盤が緩くなっていた場所で崩壊に巻き込まれ、死亡。

 しかし、本人は罪を認めず、親の隠蔽工作に乗じ、金により罪を揉み消して事故死に仕立て上げた。

 非道の行いである』


 麗華ちゃんは、涙を流しながらか細い声で喋り続けていた。


「仕方なかったのよ……ああするしかなかった……私は何も悪くないわ……運がなかった……貴女の運がなかっただけよ……それに、貴女の家族には……一杯お金を握らせてあげたじゃない……幸せでない筈がないじゃない……誰も何も困ってない……そうよ……そうでしょう……ともえ……」


 彼女の声は、そこで途切れた。彼女の体から、じわじわと水が溢れ出す。


「ごめんね……ごめんね……麗華ちゃん」


 私は貪るように、彼女の体から溢れる水を啜った。でも、仕方がないのよ。

 麗華ちゃんも言っていたように、仕方がないの。生きるためには、こうするしかないの……。


「愛佳」

「……え?」


 聞き覚えのある声に、私は顔を上げた。そこには、楓がいた。死んだ筈の、楓が。


「楓……なの? ……生きてるの?」

「……ええ」


 私は楓の太腿に飛びついた。すべすべの肌は冷たいけれど、そこには確かな実体があった。


「よかった……私、楓が死んじゃったと思って……」

「……貴女は生き延びたのね、愛佳。今の貴女…………堪らなく醜悪よ」

「……か、楓?」


 聞き間違いかと思った。そんな言葉を楓の口から聞いたことなど、私は一度も無い。


「楓、今――」

「醜悪だって言ったわ」


 醜……悪?


「さっきまで生きていた人間を、自分が生きる為に文字通り食い物にしているじゃない。本当、あさましいわ」

「そ、そんな……」

「でもいいのよ? 生きるってそういうことだもの」


 楓は私の髪を掴んで、頭ごと死体に押し付けた。


「どうしたの? それを飲まないと生きれないのよ? 這いつくばって、たくさん飲めばいいじゃない」


 私は楓にされるがままに、水を飲み続けた。お腹が膨れるまで、ずっと。

 何が起きているのか、私には分からなかった。

 ただ、気が付くと、私の前に楓が立っていて、ずっと微笑んでいる。でも、違う。違うのだ。

 私は見たことがない。ニタニタと絡みつくような笑みを浮かべる、楓なんて。


「私はね、愛佳。鳥羽家の子孫に当たるんだよ」

「……呪いを……生み出した?」

「うん。呪いは人を殺せる。でも、それは鳥羽家の人間も例外じゃない。

 だから、呪いを便利に使いつつも、それを恐れ、自分たちに牙を向かないよう、代々管理してきた。

 その管理が私に託されたのは、いつの事だったかな」

「ちょっと待って! それじゃあ、これは……この晩餐会は――」

「やっと気づいたの? そうだよ、主催者は私」

「で、でも! 楓はずっと私と一緒にいて……」

「察しが悪いのね。ここに来た時点でお膳立ては全て整っているの。後は侍女が呪いの籠った料理を用意し、貴方達が食べて、そして死んでいくだけ」

「どうして……」

「それはもう分かっているでしょ? 法で裁けない罪人を、私が裁いているのよ」

「違う、楓がこんなことをしなくちゃいけない理由だよ」

「……付いてきて」


 ほとんど楓に引っ張られるようにして連れてこられたのは、屋敷の裏にある井戸の前だった。


「愛佳、これが呪いの元となっているものよ」


 楓がそう言って指差したものは、地面に突き刺さった園芸用のアンプルだった。


「これが……こんなものが……」

「鳥羽家の人間はこれを利用しつつも、ずっと怖がっていた。でもね、私はそうは思わない」


 そう言って楓は、アンプルを慈しむように眺める。


「こいつはね、生まれ生きることを許されずに、いつまでも母胎の中で揺蕩(たゆた)っていないといけない。気の遠くなる時間を、ずっと。哀れだと思わない?」

「私は――」

「だからね、壊すなんて方法じゃなく、呪いが生まれるに至った本来の用途で呪いを使い続け、鎮めてやらないといけないの。誰に言われたわけじゃない。私が望んでやっているのよ」

「そんなことして、浮かばれる筈がないじゃない!」

「浮かばれはしないでしょう。でもね、彼らを満たすためには、それをし続けないといけないのよ」


 そんな馬鹿な話があるだろうか。ただただ使われることに意義を見出すなんて、絶対に間違っている。

 まだ壊してしまった方が増しだ。


「貴女にそれが出来る?」


 楓が見透かしたように言う。


「場を盛り上げる為にね、色々と嘘をついたの。何だか分かる?」

「…………」

「この触媒を破壊すれば、確かにもう呪いは生まれなくなる。……でもね、既に根付いた呪いの因子は、消えないの」

「で、でも、既に私の呪いは解呪されてる筈よ」

「愛佳、それも嘘なのよ」

「!!」

「呪いによって体から溢れ出る水は、その者の罪を浄化して清められたもの。それを取り込んだら少しは呪いの進行が遅くなるでしょうけど、どれだけ取り込んでも根本的な解決には至らない」

「そ、そんな!」


 生きれると、生きれると思ったから、私はあんなことをしたのに……。

 ……いや、ちょっと待って。楓は今生きている。じゃあ、私が飲んだ水は――


「もしかして、この晩餐会以前にも、もう……」

「ご名答。その時の水をね、保存していたのよ」

「なんてことを……」

「忘れないで、愛佳。貴女はこれがないと生きられない。これが無くなったら、次に貴女が取らないといけない行動は何だと思う?」


 背筋が凍った。楓は、私に何をやらせるつもりなんだ。


「もちろん、別の手だってあるわ」


 楓は急に真面目な表情になり、そして告げた。


「告発」


 楓の、罪を告げる声が辺りに響き渡る。


「椿愛佳は、父と共謀した。取り壊す予定だった建物を放火に見立てて燃やし、火災保険で不当にお金を得た」

「違う! 私はやっていないわ! 父が火をつけるところを見つけてしまって、黙ってろって言われたから、黙り続けて……。知らなかったのよ。こうなることを知っていれば、私意地でも止めてみせたんだから!」

「愛佳、犯行を黙認した時点で、それは共犯なのよ」


 楓の無情な声が、胸を締め上げる。


「それにね、愛佳。それだけじゃないでしょ? 私にとっては、貴女の罪は一つだけじゃない」

「楓、何を言っているの? 私達、昔から仲良かったじゃない」

「……貴女の父の会社と私の父の会社、繋がりを持つに至った経緯を、知らないわけはないわよね?」

「…………」

「……そう、知らないのね」


 楓の手が伸び、その細い指が私の首に食い込んだ。


「かっ――や――めぇ――」

「あのお金持ちが言っていた通りね。貴女は事実を事実としてしか見ていない!」


 手が、離れる。私は酸素を求めて、荒い呼吸を繰り返した。


「……話してあげるわ、愛佳。

 鳥羽家の残した借金は膨大でね、私が生まれた頃になっても、相当な返済額が残っていたの。

 細々と返していくことへの限界を感じた父は、新ビジネスを立ち上げることを決めた。

 勝算はあったのよ。でもね、借金まみれの人間に投資してくれる人なんてそうそういない。

 当然、銀行も充てにならない。

 そんな時に父の話を聞いて、進んで投資してくれたのが、愛佳、貴女のお父さんよ」

「…………」


 商売関係にあることは知っていた。でも、そんな経緯があったなんて、私は知らなかった。


「経営は順調だった。何よりも気を付けなければいけなかったのは、貴女のお父さんからの投資を打ち切られること。その要素と成り得たのが、私。そして、貴女よ」

「私と……楓が?」

「社長令嬢だもの。私と貴女が仲良くすることは、ある意味友好の印でもあり、そして、そこから綻びが生じる可能性もあったということよ」

「そんなこと――」

「嘘じゃないわ。私は両親から散々そのことを言い聞かされた。私は貴女と友達として接したかっただけなのに、その意思は通らなかったの。両親は人を雇ってまで私の愛佳に対する行動を逐一観察しては、気に入らないことがある度に……折檻したのよ」


 耳を塞ぎたかった。楓の本音を聞きたくなかった。でも、楓はそれを許してくれない。


「だっていうのに貴女は……何の遠慮もなしに私に接してくる。何も知らないからって、暢気に私に話しかける!」


 楓の怒声が耳を(つんざ)く。


「私が分別の付けられる年頃になれば、流石にそんなことも減ったわよ。会社だって、十分な地盤を築けていた。でもね、それでもやっぱり何も変わらない貴女の事を、私は親友として好きな以上に、憎くて憎くて仕方がなかった」

「ごめんなさい……ごめんなさい……知らなかったの、私……」


 涙と懺悔の言葉が、私の中から零れ出る。


「知らなかった? 貴女はそればっかり言ってる。知らなければ、犯罪を黙って見過ごしてもいいし、友人を傷つけてもいいっていうのね」

「違う、違うのよぉ……」

「顔を上げて。さあ、選びなさい。呪いに裁かれるか、それとも……」


 私には……私には……もう、こうすることしか出来ない。





「そう、それでいいのよ、愛佳」


 愛佳は楓に縋り付いた。呪いをその身に受けながら、生きていくことを決めたのだ。


「いつまで泣いているの? 貴女にはやらなければいけないことが山ほどあるのよ? これだけの人間が死んだんだもの。手は尽くさないと」


 楓はそうは言いながらも、縋り付いてくる愛佳の頭を、優しくそっと撫でつけた。

 楓の心は悦びに満ちていた。

 これから一生、彼女は愛佳の苦悶する様を、傍らで見続けることが出来るのだ。

 それが、愉しみで愉しみで仕方がなかった。

 それと同時に、楓の頭の中にはこれからの裁き――――鎮魂の計画が、頭を巡っていた。

 今回は愛佳という存在が目的の大半を占める形になってしまってはいたが、元々はそうではないのである。裁きはこれからも続けなければいけない。

 その過程で愛佳をどう使おうか、その思考へ至る度に、様々なアイデアが浮かび上がっては、楓の心を震わせた。結局、思考は愛佳の事へと脱線していってしまう。

 夜はひっそりと更けていく。

 楓にとっては、今夜は始まりの夜。終わりが来ない限り、水辺での鎮魂はいつまでも続く。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ