狐と鶴とその他諸々
「ああああ、どうしよう……嫌われた。も、絶対嫌われた! 間違いない。駄目だ。死のう」
この冒頭からネガティブ全開で、頭抱えて床をごろごろ転げ回っているのは今作主人公ポジションの狐である。
「ここじゃない所で死んでくんねぇかなぁ……」
そして布団でうつ伏せになり背中に氷嚢を当てつつ遠い目をしているのは、狐の数少ない友人のようなものであり、基本苦労症の狸。
ちなみに、狐がブレイクダンスを披露しているのはこの狸の自宅であって、狐の家ではない。
狸は先日、山で偶然出会った思いの外アグレッシヴな婆様(鉈装備)に襲い掛かられ、危うく狸鍋にされるところだったのだ。しかも狸が繰り出される猛攻を避けた瞬間、婆様がその勢いのあまり派手に転倒するさまを、たまたまそこを通りかかった兎に目撃されてしまった。幸い婆様は捻挫ですんだものの、狸は婆苛めをする悪逆非道として認識されてしまい、間違った仇討ちに燃える兎のせいで背中一面に大火傷を負った。
狸の自宅に狐がカチコミをかけて早数時間。
その傷が未だ癒えておらず、動きたくても動けない病床の狸は狐を追い出すこともできずに、こうして愚痴を聞き続けざるをえないという状況である。正しく踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂。
「俺、見ての通り病人だからさ。愚痴りたいなら仲間の所に行ってくれないか?」
とっとと出て行ってはくれまいか、と言外に告げる。流石に口には出せないが。
狐は狸の言葉に、何故かもじもじと恥じらいつつ言った。
「お前なら、ちゃんと話聞いてくれると思って……」
「動けねぇんだよ!」
身動きできたらとっくに逃げている。
「だっでー」
ぐずぐずと鼻水を垂らす姿に呆れつつ、狸は先ほど狐が涙ながらに語ったことの顛末を思い出した。
始まりは些細なことだったらしい。
先日、狐は鶴を食事に招待した。何がどういう経緯を経てそうなったのか、は狐が語らなかったので窺い知ることが出来ないが、とりあえずそんなことがあった。その際、狐はまず前菜としてスープを出したのだが、そのスープを入れる器が問題だった。
狐は平たい深皿に熱いスープを注いで出したのだが、鶴はそれを見た瞬間に怒り出したのだ。
「私の嘴に対する当てつけですか!?」
そう叫んで鶴はちゃぶ台をひっくり返し、狐に弁解の余地も与えずに狐宅を文字通り飛び出してしまったのだそうだ。
よく考えなくても分かることだが、鶴は鳥である以上嘴の着脱は不可能である。
よって、平たい皿ではスープを飲めない。馬鹿にされたと思っても仕方がないだろう。
狐は、鶴が熱いものを食べられない――いわゆる猫舌であることを知っていたので、スープの冷めやすい平たい皿を出すという配慮をしたのだが、それが完全に裏目に出た。
それに気付いた狐は何たる凡ミス、と自分の額を肉球で叩いた。いつも今一歩で気遣いが足りないのがこの狐である。
しかも、話はそれで終わらなかった。
その後数日間音沙汰のなかった鶴から突然、先日のお詫びに今度は私が食事に招待したいと狐に連絡が入ったのだ。
狐ははて、と首を傾げた。
先日非礼を働いたのは自分であり、お詫びを入れるなら自分から、と思っていたのだ。かといって、折角の招待を断る方が失礼である。狐は快諾の返事をして鶴の家へと赴いた。
そして、鶴宅で供されたのは、首の細長い壺になみなみ入ったスープであった。
「さぁ、どうぞ召し上がれ!」
勝利を確信した顔の鶴に力強く言われ、狐はこう解釈した。これは鶴の仲直りしたいという精一杯の行動なのである。期待に応えねばなるまい。
狐は心の褌を締めて気合いを入れ直し、力強く行動に移した。
「はい頂きます!」
※ ※ ※ ※ ※
一方その頃、鶴は鶴で泣いていた。
ただし、悔しさで。
「やり返したら、更に一撃を繰り出したんです!」
「そうなの……」
ゆったりとした仕草で鶴の相手をしているのは、鶴先輩。彼女はその名の通り、鶴の先輩に当たる。
鶴先輩は先日、自分の羽根を毟って機を織るという物理的に無理な行いをしてきたばかりなので、自慢だった羽はいまや見る影もないほどにばさばさのボロボロである。
殆どが抜けてまるで山芋のようになっている手羽からそっと目をそらしつつ、鶴は鼻息荒くことの顛末を説明した。
目には目を。やられたらやり返すが信条の鶴は、狐にやられたことをそのまま仕返してやろうと狐を自宅に招き、鶴専用の細長い首の壺にスープをたっぷりと注いで出した。
「さぁ、どうぞ召し上がれ!」
ここで自分には出来ません、先日は大変申し訳ありませんでしたと狐が土下座のひとつでもしてくれれば八方丸く収まり、これにて一件落着。と相成るはずであった。
が、しかし。
「それを、あの狐はこともあろうに……!」
なんと狐は壺の細首部分をガッと掴み、豪快にらっぱ飲みしやがったのである。勿論腰に肉球を当てて。そしてスープを最後の一滴まで飲みつくすと、狐は無駄に爽やかな笑顔でこうのたまったのだ。
「鶴さん、すごく美味しかったよ!」
当時の気持ちが蘇り、一気にボルテージが上がった鶴はキーと奇声を上げた。
「……もう私、悔しくて悔しくて!」
その後、鶴は何が何やら分からぬ様子の狐を悪鬼の形相で叩き出し、布団に突っ伏してしくしくと泣き出した。
折角やり返したと思ったのに、これではこちらが敗北してばかりではないか。あの狐は鶴の気持ちも分からぬ狐の皮を被った鬼だ、悪魔だ、エイリアンだ。しかし、受けた恨みを晴らすにはこうして布団で泣き暮らしていても仕方がない。雪辱は必ず果たして見せようぞ。
まるで武将のような覚悟を決めた鶴はこうしてはおれぬと猛然と家を飛び出し、こうして鶴先輩の元へ飛んで来たというワケだ。
「で、ですね」
そこまで説明して、鶴は漸く本題に入った。
「あの狐に復讐を果たすため、どうか私に変身する方法を教えて下さい!」
この場合の変身とは、動物が恩返しなどをする時に用いる人間に姿を変える方法である。
「それは……いいけれど」
あくまでおっとりと鶴先輩は頷いた。
可愛い妹分のためなら、人間になる方法を教えることもやぶさかではない。
「人間になって、どうやってその狐さんに復讐をするの?」
「それは勿論、あの狐めの皮を剥いで首に巻くなどしてですね……」
グロい。
鶴先輩は笑顔のまま固まった。
「あの……それは、いくらなんでも可哀想じゃない?」
スープ皿を間違えたにしてはやりすぎではないのかと。過剰にもほどがある。鶴先輩の常識的な言葉に、鶴は暫く考えてから答えた。
「では、尻尾で妥協するとしましょう」
狐の運命はスープ皿ひとつでデッドオアデッドである。
※ ※ ※ ※ ※
自分の身に死亡フラグが立っているとは露知らず、狐は山を駆けていた。
「もうここまできたら、誠心誠意謝るしかないんじゃないか?」
という狸の投げやりなわりには的を得た言葉を受けて、鶴に会うべく彼女の家に向かうつもりである。
狐は、あの時鶴にきちんと謝罪しなかったことを猛烈に後悔していた。
あの時、スープをらっぱ飲みする前に平謝りすべきだったのだ。鶴の気持ちも考えずにとんでもないことをしてしまった。仲直りしようとして溝を深めるなんて最低じゃないか。自分は鬼だ、悪魔だ、エイリアンだ。
そして、そんなことばかり考えていたせいだろう。
「――ギャン!」
突如として狐の足に激痛が走った。慌てて足元を見ると、狐の足にがっちりと古式ゆかしいトラバサミが喰らいついていた。
「……」
狩人はどうするべきか、暫し悩んだ。
罠にかかっているのは狐である。普段の狩人ならば諸手を上げて喜び、即座に皮を剥いで売りに走る所なのだが、今日は事情が少々違う。そもそも本日は猪の肉をムッシャリやりたい。という妻のリクエストに応えるべく仕掛けた罠なのである。
この前、妻は狸を追いかけ回した揚句にすっ転び、その時こさえた捻挫の治りが思ったより遅く、体力をつけたいのだそうで。要するに猪以外はお呼びではないのだ。とはいえ、逃がすのも自分の職業的にどうかと思う。だが、まだこの狐はそこまで大きくないので仮に皮を剥いで売ったとしても大した稼ぎには、いやしかし。
「あのう……」
思考の袋小路に陥っていた狩人の背中に、唐突に声が掛けられた。
「!?」
驚いて振り向くと、そこに立っていたのは一人の女性だった。黒い長い髪に白い肌。身に纏っている着物も、これでもかというほどに白い。
どこからどう見ても、こんな山中には相応しくない出で立ちである。
「その狐、どうなさるおつもりですか?」
「……は?」
あまりに存在がありえないので、狩人はその娘さんの言っていることが暫く理解出来なかった。
「狐」
「あ、ああ、キツネ。狐ね」
若干ビビりが抜けない狩人である。彼は幽霊とかが苦手だった。しかし、次の娘さんの発言に度肝を抜かれた。
「その狐、譲っては頂けませんか」
「ええ!?」
口調は丁寧だが、言っているのは暴論である。しかもこうして言われると、たとえ売る気が薄かったにしても、ちょっと惜しいと思ってしまうのが人間である。
「いや、それはちょっと……」
流石に無理だ、という空気を醸し出す狩人。しかし、娘さんは諦めなかった。
「私は、その狐にどうしても果たさねばならぬ用があるのです」
まるで、この狐が不倶戴天の敵であるような口ぶりである。一体何をしたのだろうか。それにしてもこの娘さんの口調は娘さんらしからぬ、と狩人は思った。しかし、それでは事情が違ってくる。ちょっとした生活の糧と、不倶戴天の敵では狐に対する重みがまるで違う。
「……」
ならば、と狩人は駄目もとで条件を出した。
「じゃあ、お嬢さんが猪のよくいる場所を知っていて、そこを教えてくれるなら、この狐を譲ってあげてもいいよ」
「存じ上げております」
「ええ!?」
狩人、本日三度目の驚きである。
狩人が狐を捕えている姿を見た時は、本当に焦った。冗談ではない、狐の皮を剥ぐのはあくまで自分であり、他者にそれがなされたとあっては、それは勝ち負けで言うところ負けである。
猪の場所は以前使われていたが、現在は使用されていない場所なので問題はない。まんまと狩人から狐の奪取に成功した鶴は、狩人からある程度の距離を取ると狐をそっと地面に下ろした。怪我を負っている狐の皮を剥いだところで楽しくもなんともない。むしろ、今の鶴が人間の姿である以上、狐がこの一件を恩に着て恩返しに来るかもしれない。それはそれで大変気分が良い。というか、そっちの方がいいかもしれない。
けれど、鶴のそんな考えは狐の一言で一蹴されてしまった。
「鶴さん、ありがとう」
「!」
どろん、と火のないところに煙が上がって、ばさり、羽音が響いた。そこにいたのは紛れもないツル目ツル科の鶴である。
昔話の予定調和として人間に身を窶した動物は、それを見破られると元の姿に戻ってしまうのだ。たとえ見破る側が動物でも、それは変わらないらしい。
「やっぱり」
してやったり顔をする狐。
「どうして……」
何故見破れたのかと疑問に思う鶴に、狐はあっさりと言った。
「いくら姿が変わっても、鶴さんのことは分かるよ」
「狐ったら……!」
鶴は狐のちょっといい言葉にキュンとくる。
とりあえず、皮を剥ぐという選択肢は消えた。尻尾も勘弁してやろう、と思う。
「だって鶴さんが何になっても、匂いは変わらないからね」
「……」
やはり、尻尾程度は貰っておくべきだろうか。と鶴は考え直した。
<めでたしめでたくもなし>
色々な昔話をちょこちょこつまみ食いしました。ほぼ有名どころです。しかしこれは二次と呼ぶべきか参考と呼ぶべきかはたまたオマージュと呼ぶべきなのでしょうか。