37歳時点で覚えている最初の記憶
僕は2026年現在、37歳になった。
ここにそれまでの軌跡を残そうと思う。
「なぜただのおじさんがそんなことをするのか」
理由は「すぐには死なないが、そんなに長くも生きないから」である。
「なんで?」
読者にはその疑問が浮かぶかもしれないが、最初にネタバレをしたら僕の大したことない人生を語る意味がなくなってしまうので、興味があるのなら我慢して読み進めてほしい。そこだけを知りたい読者は途中で読み飛ばしてもいい。これは本当に唯々、一人のある人間が37歳になるまでに体験したことを唯々書き連ねるだけである。
出社して仕事をしていると平日に自由時間なんてないと思っていたが、その環境に慣れれば効率的になり、自由時間を捻出することがたやすくなってくるが、どうせその捻出した時間を持て余し酒を飲む時間が増えるだけである。酔って陽気に歌ってYoutubeのお気に入りのチャンネルをはしごして寝るだけで毎日のお楽しみ自由時間が過ぎ、魔女に言われるまでもなく自分が定めたシンデレラタイムまでになったら寝るだけに浪費するのならば、記憶にある自分自身の経験を思い出しながら指を動かして、もし楽しんで読んでくれる読者が1人でもいたら、自己肯定感ブチアガリってものだ。
さて、さっそく一番古い、つまり自分自身の最初の記憶について。
それは幼稚園に入る直前の記憶だ。
前提として僕の家族構成について説明しなければならないと思う。
埼玉県川口市。一軒家。貧乏ではないが裕福でもない。父、母、兄、僕の典型的な核家族だ。
父と母は11歳差のプチ歳の差夫婦で僕が物心ついたときから夫婦仲が悪く、母がご飯の準備ができたら父の部屋に向かって「ごはん」といい、当然返事もなく暫く経ったら父が台所兼リビングへ向かうというコミュニケーションしかなかった。当然、幼いころの僕はそれが家の当たり前だと思っていたのでなんの疑問のなく我が家の日常として受け入れていた。この会話は2026年現在も続いている。
兄は僕と年子で1年半しか離れていない。さっき述べたように倦怠期の両親しか僕は見ていないけど、兄と僕が生まれるまではラブラブだったんだろうなと。
徒歩10分程度の近くに母方の祖父、祖母が住んでおり、叔父、叔母も同様に近くに住んでいた。
そして、叔母の子供つまり僕にとってのいとこが僕の同い年に姉、四つ下に弟がいる。
この物語で出てくる親族は基本この辺りだ。都度、説明はするけどなんとなく覚えていてほしい。
そしたら幼稚園に入る前、つまり最初の記憶に戻ろう。
そう。それは小春日和の眩しくはあるが、暑くはない。ただただ眩しい昼下がりの黄金色が思い出させる。
僕の家は目の前が大きい幼稚園がある。三階建て。温水プール付き。送迎バスあり。園庭およそ30x50mくらい。当然、その徒歩10秒の幼稚園に通うことになるのだが、当時いや現在でもその大きさの幼稚園は珍しいほうだと思う。
その幼稚園を最初の記憶では見つめていたのだ。ガヤガヤザワザワとお迎えの声が響く。ピーピーガーガーと幼稚園バスが往復していくその様を。
僕は兄が先に通っていたのでその帰りを家の父の部屋の窓から見ていたのだ。
そのとき、母がケロケロケロッピのお弁当箱を急に見せてきて、
「あんたも今度これ持ってあそこにいくんだよ」
と言われた。
そのことだけは覚えているし、ワクワクした感情も覚えている。ただその後の記憶はしばらくなくなっている。
続く。




