第一章 チュートリアル
「よくぞ生き残った。お前たちには――」
一体何が起こったのか。
あまりにも唐突な出来事に、僕の思考は現実へ追いつけなかった。
目の前では確かに何かが起きている。理解しなければならない光景が広がっている。それなのに脳は現実を拒絶するように動きを止め、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
やがて遅れて理解が追いつく。
――だが、その時にはもう遅かった。
視界を焼き尽くすような眩い光が世界を覆い、僕たちの身体を容赦なく包み込んでいく。
逃げることも、叫ぶこともできない。
僕はただ、その光の中で一つだけ強く思った。
後悔だった。
もしあの時――彼を止めることができていたなら。
もし、あの瞬間に手を伸ばせていたなら――。
第一章 チュートリアル
①日常
朝日がカーテンの隙間から差し込み、柔らかな光が僕の身体を照らしていた。
まだ少し眠気の残る意識のまま隣へ視線を向けると、一人の少女が当然のように僕の布団へ潜り込み、気持ちよさそうな寝息を立てている。
いつもの光景だった。
最初こそ驚いたものの、今ではすっかり見慣れてしまっている。
彼女の名前はサクラ。
僕の家の隣に住む幼なじみだ。
父さんと母さんが亡くなってからというもの、彼女は何かと僕を気にかけるようになった。
朝になれば当たり前のように家へやって来るし、学校が終われば夕飯を持ってくることもある。
彼女なりに僕を心配してくれているということだろう。
父さんと母さんを失ってから、僕が一人きりにならないように。
そんな気持ちがあるのかもしれない。
もっとも、その結果として毎朝隣で寝ている理由については、やはり僕には理解できなかった。
僕は隣で寝ているサクラを起こさないよう慎重に布団から抜け出し、僕は静かに身支度を始めた。
制服へ袖を通し、鞄の中身を確認する。
教科書や筆記用具を一通り確かめ、忘れ物がないことを確認すると、僕は静かに和室へと足を向けた。
部屋の一角には、一枚の写真が大切そうに飾られている。
少し色褪せた家族写真。
優しそうに笑う父と母の姿は、今でもあの日のままそこに残っていた。
僕はしばらくその写真を見つめた後、小さく息を吐く。
「行ってきます。父さん、母さん……」
朝の静かな空気へ溶けるように言葉が消えていく。
その余韻に浸る間もなく、突然二階から慌ただしい足音が響き始めた。
ドタドタと騒がしい音が階段を駆け下りてきたかと思うと、次の瞬間にはサクラが勢いよく姿を現し、そのまま僕の元へ飛び込むように駆け寄ってくる。
「ちょっとハルト! なんで置いていこうとするの!? いじわるー!」
寝起きそのままのボサボサな髪に、制服の襟元は乱れ、リボンも半分ほどほどけていた。どうやら慌てて飛び起きてきたらしく、その姿は見ているこちらが心配になるほどだ。
僕は思わず苦笑を浮かべながら近付くと、乱れた髪を軽く整え、曲がっていたリボンを直してやる。さらに開きかけていた襟元まで整えていると、自分が兄というより保護者のようなことをしている気分になった。
「置いていこうとなんかしてないよ」
そう言いながら最後にリボンの形を整える。
「父さんと母さんに挨拶が終わったら、ちゃんと起こしに行くつもりだったんだから」
サクラはむぅっと頬を膨らませたまま僕を見上げる。
その表情は不満そうだったが、どこか安心したようにも見えた。
「ほら、いくよ」
僕は柔らかな笑みをサクラへ向けながら玄関へと向かった。
高校へ入学してから二週間。最初は慣れないことばかりだった学校生活も、ようやく落ち着きを見せ始めていた。新しい教室、新しいクラスメイト、新しい日常。その全てが少しずつ当たり前になりつつある。
春の穏やかな風を感じながら並んで歩いていると、ふと気になっていたことを思い出した。
「ところでサクラは部活は何にするか決めた?」
そう尋ねると、彼女は待ってましたと言わんばかりに満面の笑みを浮かべる。
「うん、私は弓道部にする!」
「弓道部!?」
予想外の答えに思わず声が裏返った。
中学時代は三年間ずっとテニス部だったのだ。高校へ入っても当然続けるものだと思っていた。それなのに、まさか弓道部とは。
驚き半分、納得半分で僕は小さくため息を吐く。
「……なんの漫画を読んだの?」
「なんでわかったの!? ハルトすごい!」
目を丸くして驚く姿を見て、逆にこちらが驚きたくなる。
「わかるに決まってるでしょ。何年一緒にいると思ってるのさ」
テニスを始めたきっかけだって漫画だった。
恋愛について語り出す時は大抵恋愛ドラマを見終わった後だし、料理に興味を持った時も人気グルメ漫画が理由だった。
昔からそうなのだ。
何かに夢中になるとすぐ影響を受ける。
それが彼女らしいところでもあった。
「“きみまと”がとっても面白いんだよ! ドラマ化も決定したから絶対見た方がいいよ!」
案の定、熱弁が始まった。
通称『きみまと』。
正式名称は『君を見てると的が見えない』。
弓道部を舞台にした恋愛漫画らしい。
主人公とヒロインの出会いから始まり、ライバルとの対決や大会での成長、そして甘酸っぱい恋愛模様まで、彼女は身振り手振りを交えながら楽しそうに語り続ける。
僕は相槌を打ちながら話を聞いていたが、正直なところ内容はほとんど頭に入っていなかった。
それでも不思議と苦にはならない。
こうして楽しそうに話している姿を見るのは嫌いではなかったからだ。
「それでね、主人公が放った矢がヒロインの頭に刺さりそうになって――」
その時だった。
【――を開始します】
突如として頭の奥に声が響いた。
無機質で感情のないその声は耳から聞こえたものではなく、まるで直接脳へ流し込まれたかのような奇妙な感覚を伴っており、僕は思わず足を止める。
「え? 何?」
思わず漏れた声にサクラが首を傾げた。
「だから、主人公が放った矢がヒロインの頭に刺さりそうに――」
「いや、そうじゃなくて――」
【間も無くチュートリアルを開始します】
再び響いた声に背筋が冷たくなる。
そこでようやく確信した。それは隣を歩くサクラの声ではない。
僕は慌てて周囲を見渡した。
通学中の学生たちが談笑しながら歩き、自転車が脇を通り過ぎ、遠くからは車の走行音も聞こえてくる。そこにはいつもと変わらない朝の光景が広がっていたが、その中に声の主らしき人物だけは見当たらなかった。
「ハルト? どうかしたの?」
怪訝そうな表情を浮かべながら顔を覗き込んでくる。
その瞬間だった。
【所定の場所に移動します】
足元が眩く輝いた。
「なっ――」
視線を落とすと、見たこともない複雑な紋様が地面へ浮かび上がっていた。
幾重にも重なった線が淡い光を放ちながら広がり、まるで生きているかのように脈動している。
周囲の空気が震え、胸の奥がざわついた。
【5……4……3……】
無機質な声と共に数字が刻まれていく。
何が起きているのかまるで理解できない。それでも、本能が警鐘を鳴らしていた。このままそこに立っていてはいけないと、理由もわからないまま胸の奥が激しくざわつく。
気付けば身体は先に動いていた。咄嗟に隣へ手を伸ばし、彼女の肩を強く押す。
「サクラっ! 早くここから離れるんだ!」
サクラは小さな悲鳴を上げながらその身体が魔法陣の外へ倒れ込む。
次の瞬間、光が壁となって立ち上がり、僕の周囲を完全に囲い込んだ。
「なんだよこれ!」
拳で叩いてもびくともしない。
透明な壁の向こうでは、必死な表情でこちらへ駆け寄ってくる姿が見えた。
「ハルト!? 何これ、ハルトを出してよ!」
何度も壁を叩きながら叫ぶ声が聞こえる。
その姿を見ていると、胸の奥に得体の知れない不安が広がっていく。
【2……1……】
残された時間はわずかだった。
理由はわからない。
何が起きているのかもわからない。
それでも、このまま離れ離れになるのだということだけは理解できた。
「サクラ、ありがとう――」
【転送を開始します】
魔法陣から放たれた光が一気に空へ駆け上がった。
眩い光の柱は天を貫くように伸び、その異常な光景は遠く離れた場所からでも確認できるほどだった。
同じ現象は日本各地で発生していた。
後にニュースで大きく取り上げられることになるその事件では、百人を超える高校生が忽然と姿を消したという。
その光景は、二十年前に発生した集団失踪事件の記録と寸分違わぬものだった。
光に包まれた身体は浮遊するような感覚に襲われ、周囲の景色が白く溶けていく。音も気配も消え失せ、自分がどこへ向かっているのかすらわからないまま意識だけが世界を漂っているようだった。
どれほどの時間が経ったのかもわからない。
やがて光が収まり、ゆっくりと目を開く。
そこに広がっていたのは見渡す限りの草原だった。
どこまでも続く青空の下、風に揺れる草が波のように広がっている。建物は見当たらず、人の気配もない。聞こえてくるのは草を揺らす風の音だけで、つい先ほどまで歩いていた日本の街並みは跡形もなく消え去っていた。
僕は状況を理解できないまま、その広大な草原の真ん中で一人立ち尽くしていた。
現段階ではここまでしか書けていません。
一巻分書き終わり次第順次アップしていく予定です♪




