第6話 隣にいるだけの距離が、なぜか遠い
第6話「距離の変化」
公爵邸に戻ったのは、日が沈みかけた頃だった。
門をくぐった瞬間――空気が変わる。
(……早いわね)
視線が集まる。
昨日までとは、明らかに違う。
警戒ではない。
尊重と、戸惑い。
「お帰りなさいませ、アルヴェルト様」
使用人たちが一斉に頭を下げる。
そして、ほんのわずかに――私にも。
(完全に“客扱い”から変わった)
「風呂の準備を」
アルヴェルトが短く指示を出す。
「それと、こいつにも」
「は、はい」
(ついで扱いが雑ね)
内心で苦笑する。
部屋に戻ると、すでに湯が用意されていた。
(……待遇が上がってる)
つい昨日までは、ただの仮置きの部屋だったはずだ。
(仕事の成果って大事ね)
軽く息を吐き、身体を沈める。
湯の温かさが、じんわりと広がる。
(……少し、疲れてる)
戦闘の消耗よりも――
(あの人のせいね)
無意識に思い出す。
腕を引かれた感触。
離されなかった手。
(……距離が近いのよ)
ぱしゃり、と湯をすくう。
考えを流すように。
「リリアーナ様」
風呂から上がった直後、ノックが響く。
「どうぞ」
入ってきたのは、若いメイドだった。
「お食事のご用意が整っております」
「ありがとうございます」
(様、ね)
ほんの少しだけ、距離が縮まった呼び方。
食堂に入ると、すでにアルヴェルトが座っていた。
「遅い」
第一声がそれだった。
(安定の塩対応)
「申し訳ありません。回復に時間を要しましたので」
「……そうか」
短い返答。
だが、視線が一瞬だけこちらを確認する。
(状態チェック、ね)
席に着く。
食事が運ばれてくる。
「……普通に美味しい」
思わず呟くと、
「当然だ」
アルヴェルトが即答する。
「俺の屋敷だ」
(何その誇り)
少しだけ笑いそうになる。
「……今日は」
ふと、彼が口を開く。
「無茶をしたな」
(またそれ)
「必要な範囲です」
「違う」
すぐに否定される。
「限度を超えている」
視線が、真っ直ぐ向けられる。
(……やっぱり)
「心配していただいていると受け取っても?」
一瞬の沈黙。
「……違う」
だが、その言葉はわずかに遅れた。
(分かりやすい)
「戦力の維持だ」
「はいはい」
軽く流す。
その瞬間。
カチャン、と音がした。
彼の手が、わずかに止まる。
「……その言い方は何だ」
「いえ、事実を確認しただけです」
「……」
ほんの一瞬だけ、言葉に詰まる。
(珍しい)
「……食え」
話を切られた。
(逃げたわね)
食事を終え、席を立とうとしたときだった。
「待て」
呼び止められる。
「はい?」
近づいてくる。
そのまま、手首を取られた。
「……?」
「じっとしていろ」
指先が、触れる。
ほんの一瞬。
温度が伝わる。
(……何?)
次の瞬間。
ふわり、と微かな光。
「……回復、ですか」
「残っている」
短い言葉。
けれど、手は離れない。
(……近い)
距離も、視線も。
「これで動けるな」
「ええ、十分に」
「ならいい」
ようやく、手が離れる。
(……ほんとに)
無駄がないようで、無駄だらけ。
「ありがとうございます」
「礼はいらん」
いつもの返答。
だけど――
ほんの少しだけ、声が柔らいでいた。
部屋へ戻る途中。
廊下の向こうで、騎士たちの会話が聞こえた。
「今日の件、本当か……?」
「結界の修復に、敵の魔導陣の解析まで……」
「ありえないだろ、あの年で……」
(噂、広がってるわね)
足を止めずに通り過ぎる。
視線が集まる。
けれど、もう嫌な感じはしない。
(むしろ――)
評価されるのは、悪くない。
部屋の扉を閉める。
静寂。
ベッドに腰を下ろす。
(……変わったわね)
一日で、ここまで。
立場も、扱いも。
そして――
(あの人も)
アルヴェルト。
氷のような男。
なのに。
(……ちゃんと見てる)
必要以上に。
「……ふふ」
小さく笑う。
(悪くない)
むしろ。
少しだけ――
(楽しみになってきた)
目を閉じる。
そのまま、ゆっくりと意識を手放した。




