第2話 拾われた先が、公爵様でした
第2話「氷の公爵」
王宮を出て、どれくらい歩いただろうか。
気がつけば、石畳は途切れ、人気のない裏通りに出ていた。
華やかな音楽も、貴族たちのざわめきも、もう遠い。
(……少し、無理をしすぎたかしら)
足元がふらつく。
視界が、わずかに揺れた。
――まずい。
そう思った瞬間、膝が崩れ落ちる。
「っ……」
地面に手をつく。
冷たい石の感触が、やけに鮮明だった。
(……ここで倒れるのは、さすがに格好がつかないわね)
自嘲気味に笑おうとして、うまくいかなかった。
体が、思うように動かない。
長い間、抑え込み続けてきた“反動”だ。
魔力の循環を無理に制限し続けた代償。
(……でも、今はもう)
抑える必要はない。
そう思った途端――
ぐらり、と視界が暗転した。
「……おい」
低く、落ち着いた声。
意識の底に、静かに響く。
「生きているのか」
(……誰?)
重たいまぶたを、わずかに持ち上げる。
そこにいたのは――
銀色の髪を持つ男だった。
夜の闇の中でもはっきりと分かる、異質な存在感。
整った顔立ちと、冷え切ったような蒼い瞳。
一目で分かる。
(……ただ者じゃない)
「意識はあるな」
男は、私を見下ろしながら淡々と言った。
その声音には、同情も焦りもない。
ただ事実を確認するだけの冷たさ。
(……随分と、無愛想な方ね)
「……ええ、一応は」
かすれた声で返すと、男はわずかに目を細めた。
「立てるか」
「努力はしてみます」
言いながら、体に力を入れる。
――が、無理だった。
そのまま再び崩れそうになった瞬間、
ぐい、と腕を引かれる。
「……っ」
気づけば、彼の腕の中にいた。
無造作に支えられているだけなのに、驚くほど安定している。
(力が強い……それも、異常なほどに)
「無理をするな。倒れるくらいなら最初から動くな」
淡々とした口調。
けれど、その手は離れない。
(……不思議な人)
「……助けていただいて、ありがとうございます」
一応、礼を言う。
男は短く「礼はいらん」とだけ返した。
そして、少しだけ私を観察するように見つめる。
「貴族の娘、か」
「元、ですが」
「……なるほど」
何かを納得したように呟く。
その視線は鋭い。
まるで、内側まで見透かされているような感覚。
(この人、気づいてる?)
一瞬、思考が走る。
――危険かもしれない。
「行く当てはあるのか」
「ありません」
即答した。
隠す意味はない。
男はわずかに眉を動かした。
「……そうか」
短い沈黙。
やがて、彼は静かに言った。
「なら、来い」
「……はい?」
「放っておけば死ぬ。少なくとも今の貴様は、使い物にならん」
(随分な言い方ね)
内心で苦笑する。
「ですが、見ず知らずの私を?」
「勘違いするな」
男は冷たく言い放った。
「助けるとは言っていない。利用するだけだ」
その言葉に、思わず目を細める。
(……正直でよろしいこと)
「使えないと判断したら?」
「その時は捨てる」
迷いのない即答。
(なるほど)
私は、小さく息を吐いた。
――悪くない。
少なくとも、王宮よりは。
「分かりました」
男の瞳をまっすぐ見返す。
「では、その“利用価値”を証明させていただきます」
ほんの一瞬。
男の目が、わずかに細められた。
「……面白い」
それが、初めて見せた変化だった。
「名前は」
「リリアーナと申します」
「そうか」
男は短く頷く。
「俺はアルヴェルトだ」
その名を聞いた瞬間。
胸の奥が、わずかにざわついた。
(アルヴェルト……まさか)
王国最強の騎士。
“氷の公爵”と呼ばれる男。
(……とんでもない人に拾われたわね)
思わず、口元が緩みそうになる。
「行くぞ」
彼はそう言って、私を抱き上げた。
「え、ちょ――」
抗議する間もなく、視界が持ち上がる。
「歩けないのだろう」
「それは、そうですが……!」
「なら黙っていろ」
きっぱりと言い切られる。
(……強引)
けれど、不思議と嫌ではなかった。
むしろ――
(面白くなってきた)
胸の奥で、小さく何かが動き出す。
王宮では決して感じなかった感覚。
「……ふふ」
「何がおかしい」
「いいえ、なんでもありません」
私はそっと目を閉じる。
この先に何があるのかは分からない。
けれど――
(少なくとも、退屈はしなさそうね)
夜の闇の中。
“氷の公爵”に抱えられながら、
私の新しい人生が、静かに動き始めた。




