第14話 近すぎる距離が、逆に触れられない
第14話「近すぎて遠い」
公爵邸に戻ったのは、日が落ちた後だった。
(……静かね)
いつもと変わらないはずの廊下。
けれど――
(違う)
空気が、妙に落ち着かない。
原因は分かっている。
(さっきの、あれ)
「……」
隣を歩くアルヴェルトも、無言。
(珍しいわね)
いつもなら、短い指示くらいはあるのに。
(……距離)
ふと気づく。
(近い)
触れてはいない。
けれど、肩が触れそうな距離。
(昨日より近い)
意識してしまうと、余計に気になる。
(……やめましょう)
視線を前に戻す。
「……リリアーナ」
先に口を開いたのは、彼だった。
(来た)
「はい」
「……その」
言葉が止まる。
(詰まった)
ほんの少し、驚く。
(この人が?)
「……何でしょう?」
あえて、少しだけ柔らかく返す。
すると――
「……いや、いい」
(逃げた)
「……そうですか」
それ以上は追わない。
けれど――
(気になる)
気になってしまう。
(これは良くない)
食堂に入る。
使用人たちの視線が、一斉に集まる。
(……やっぱり)
昨日までと違う。
完全に――
(確信してるわね)
席に着く。
向かい合う。
(……近い)
テーブル越しなのに、妙に距離を感じない。
(おかしい)
「……体調は」
アルヴェルトが口を開く。
「問題ありません」
「……そうか」
短い会話。
だが――
(ぎこちない)
明らかに。
食事が運ばれる。
ナイフとフォークの音だけが響く。
(……静かすぎる)
いつもより。
ずっと。
「……アルヴェルト様」
耐えきれず、声をかける。
「何だ」
「静かですね」
「……」
一瞬の沈黙。
「いつも通りだ」
(嘘ね)
「……そうでしょうか」
少しだけ、笑う。
すると――
彼の手が、わずかに止まる。
(分かりやすい)
その時。
指先が、触れた。
「……」
(……あ)
テーブルの上。
ほんの一瞬。
指と指が、触れる。
すぐに離れる。
だが――
(……熱い)
そこだけ、感覚が残る。
「……」
アルヴェルトも、動きを止めている。
(……意識してる)
「……失礼しました」
小さく言う。
「……ああ」
短い返答。
だが――
声が、少し低い。
(……これは)
危険だ。
(距離がバグってる)
食事を終える。
立ち上がる。
その瞬間――
「待て」
呼び止められる。
(また?)
振り返る。
「何でしょう?」
一歩、近づく。
すると――
「……」
彼が、こちらを見る。
(……)
そのまま、数秒。
沈黙。
「……何でもない」
(またそれ)
「……そうですか」
軽く流す。
だが――
(逃がさない)
少しだけ、距離を詰める。
「……アルヴェルト様」
「何だ」
「今日は」
視線を合わせる。
「変ですね」
「……」
沈黙。
(……)
数秒。
「……そうかもしれん」
ぽつりと落ちる。
(認めた)
「原因は?」
静かに聞く。
逃げ道は与えない。
「……」
また沈黙。
(……)
心臓がうるさい。
「……お前だ」
低く、はっきりとした声。
(……来た)
「……私、ですか?」
「そうだ」
即答。
(迷いなし)
「……何をしたのでしょう?」
少しだけ、声を落とす。
「……分からん」
(正直ね)
「だが」
一歩、近づく。
距離が、ほぼゼロ。
「……意識する」
(……)
完全に。
息が止まる。
(これは)
まずい。
「……それは」
なんとか声を出す。
「私だけですか?」
「……違う」
一瞬も迷わない。
(……終わりね)
「……アルヴェルト様」
名前を呼ぶ。
少しだけ、顔を上げる。
「何だ」
「それは」
一拍。
「ずるいです」
「……何がだ」
「全部です」
それ以上は言わない。
沈黙。
けれど――
空気が、変わる。
「……リリアーナ」
名前を呼ばれる。
今度は、少しだけ強く。
「はい」
「……」
言葉が出ない。
(……あと一歩)
分かる。
「……まだ、言わない」
低く、抑えた声。
(……またそれ)
「……そうですか」
小さく頷く。
(でも)
分かっている。
(もうすぐ)
「……おやすみなさい」
背を向ける。
「……ああ」
短い返事。
歩き出す。
だが――
(背中)
視線を感じる。
(……見てる)
扉の前で、止まる。
振り返る。
まだ、そこにいる。
「……アルヴェルト様」
「何だ」
「逃げませんから」
一瞬。
空気が止まる。
「……ああ」
低い声。
それだけで、十分だった。




