第1話 婚約破棄?――ええ、構いません
第1話「婚約破棄」
「お前との婚約は破棄する」
その一言で、広間の空気が凍りついた。
王宮の大広間。煌びやかなシャンデリアの下、貴族たちが息を呑む。
視線の中心にいるのは――私、リリアーナ・エルフォードと、第二王子カイル殿下。
(……やっぱり、来た)
胸の奥が、静かに沈む。
驚きはなかった。むしろ、遅いくらいだと思った。
「理由は明白だ。貴様は無能だ。王家の婚約者として相応しくない」
ざわり、と周囲が揺れる。
――無能。
その言葉は、もう聞き慣れていた。
魔法も使えず、社交も並。
貴族令嬢としての価値は、ほとんどないとされている。
「そして――」
カイル殿下は、隣に立つ少女の肩を抱き寄せた。
「私は彼女、エミリアを新たな婚約者とする」
歓声が上がる。
祝福の声。羨望の眼差し。
(ああ……なるほど)
視界の端で、エミリアがかすかに微笑む。
その笑みが、妙に作られているように見えた。
「リリアーナ。貴様にはこれまで王家から多くの恩恵が与えられてきた」
殿下は私を見下ろし、冷たく言い放つ。
「だが、それも今日で終わりだ」
――そう来るか。
「最後に一つだけ聞こう」
わずかに首を傾ける。
殿下は、少しだけ苛立ったように眉を寄せた。
「……なんだ」
「本当に、それでよろしいのですか?」
静まり返る会場。
「何?」
「後悔、なさらないとよろしいのですが」
その瞬間、空気が変わった。
ざわめきが止まる。
誰かが息を呑む音が、やけに大きく響いた。
カイル殿下の顔が歪む。
「はっ、負け惜しみか。無能の分際で」
(ええ、そう見えるでしょうね)
私は軽く頭を下げる。
「では、婚約破棄。確かに承りました」
その声は、驚くほど静かだった。
涙も、震えもない。
ただ――一つだけ。
(これで、自由)
胸の奥に、小さな解放感が広がる。
誰にも期待されず、縛られ続けた日々。
“無能な令嬢”として生きるために、力を隠し続けた時間。
それが、終わる。
「さっさと消えろ。王宮から追放だ」
冷たい命令が飛ぶ。
「承知いたしました」
私はドレスの裾を持ち、優雅に一礼した。
そのまま背を向ける。
――誰も、止めない。
(当然ね)
歩きながら、ふと思う。
もしも、ほんの少しだけ。
私が“無能”ではなかったとしたら。
もしも、この国にとって“必要な存在”だったとしたら。
――それでも、同じ選択をしたのかしら。
(……いいえ)
答えは、もう分かっている。
だからこそ。
私は、もう振り返らない。
大広間の扉が閉まる。
重たい音が、すべてを断ち切った。
その瞬間――
「……ようやく、ですね」
誰にも聞こえないほどの小さな声で、私は呟いた。
唇に浮かぶのは、これまで一度も見せたことのない笑み。
(さて――始めましょうか)
“無能”と呼ばれた令嬢の、本当の人生を。




