その先の距離
夜はすっかり長くなっていた。
会社を出るころには空はもう暗く、街路樹の影だけが歩道に重なっている。
駅前のイルミネーションは、例年より少し早く点いていた。
冬が来る合図みたいな光だ。
柳の下には、彼女がいた。
それはもう、確かめるまでもない習慣だった。
仕事を終えて、改札を抜け、川沿いの道を選ぶ理由も、
今では自分でも説明できない。
ただ、そこに行けば会える。
それだけで、足は自然と向かってしまう。
「こんばんは」
僕が言うと、彼女は少し遅れて頷いた。
「こんばんは」
会釈だけだった頃より、
言葉を交わすようになってからのほうが、
逆に沈黙が増えた気がする。
話題はたくさんあるはずなのに、
無理に埋めなくてもいい沈黙が、二人の間に残るようになった。
川面を渡る風が、柳の枝を揺らした。
彼女の輪郭は、夜の中で相変わらず淡く、
はっきりしているようで、どこか現実から浮いている。
「今日は、少し遅かったですね」
「うん。まあ、いつも通り」
嘘ではなかった。
けれど“いつも通り”という言葉が、最近は少し重く感じる。
仕事も、生活も、何も変わっていないはずなのに、
帰り道だけが違ってしまった。
彼女は、僕の手元をちらりと見た。
「それ、重そう」
気づいてみると、コンビニの袋を下げていた。
中には、ビールと簡単なつまみ。
「まあね。晩酌用」
「そう」
それ以上、何も言わなかった。
飲めないことを、もう分かっているからだろう。
しばらく、二人で同じ方向を見て立っていた。
街の音は遠く、
ここだけが少し切り取られたみたいに静かだ。
この時間が、どこまで続くのか。
ふと、そんなことを考えてしまう。
この距離は、ちょうどいい。
そう思おうとした瞬間、
なぜか胸の奥がざわついた。




