夜の居場所
それから、彼女は柳の下へ戻らなくなった。
正確には、「帰る」という言葉が、彼女には当てはまらない。
夜になると現れ、朝になるといなくなる。
その規則は変わらない。ただ、場所が変わっただけだ。
翌朝、目を覚ますと、部屋には誰もいない。
カーテン越しの光。
空のビール缶。
テーブルの上に残った、もう一つのコップ。
「行ってきます」
返事はない。
それでも、声に出すのが習慣になっていた。
夜になると、自然と足が早まる。
ドアを開けると、部屋の空気が少し違う。
「おかえりなさい」
キッチンとリビングの境目に、彼女が立っている。
「ただいま」
その言葉が、驚くほど自然だった。
「ここ、落ち着くね」
「そう?」
「うん。ちゃんと“誰かの生活”がある」
生活。
その中に、彼女が含まれていることを、僕はまだ言葉にできなかった。
「私、ここにいてもいいのかな」
「……いていいよ」
即答だった。
その夜、彼女はベッドの端に腰掛け、僕が眠るのを見ていた。
安心と、違和感。
二つが同時に胸に残る。
彼女の居場所が、少しずつ、僕の生活に根を下ろしていく。
そのことを、僕はまだ「問題」だとは思っていなかった。




