4.友達
外の風の音さえも聞こえてきそうなほど静かな階層。
俺達はその一角の椅子(正確に言えば木箱が積み上がって椅子のようになっている場所)に座って途方に暮れていた。
探しても探しても上の階に行けそうな場所が見つからず、だからといって不用意に下に降りていく訳にもいかず、途方に暮れていた。
こんなことになったのは、遡ること数時間前。1つのエスカレーターを下ってしまったことにはじまる。
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「ねえ、見てよあれ」
いつもの如く、キョロキョロと興味津々に辺りを見渡していたミルの視線がひとつにとまる。
「随分と長そうなエスカレーターじゃない?」
「行ってみる?」
いいのかい、とキラキラした目で見上げられる。こんな目で見られちゃダメだなんて言えないよな……。
近づいてみるとそれは今までに見たこともないような長さをしていた。
普通エスカレーターとは1階ごとに降りられるようになっているはずだが、ここには到達地点がはっきりと見えないほど、長い一直線の動く階段があった。
「長い…」
思わず息を飲む。
横を見るとミルもうずうずとした顔でこちらを見つめていた。
「行って…みないかい?」
もちろん、と言ってミルを車椅子から降ろす。
最近は十数歩ほどなら歩けるようになってきていて、エスカレーターの昇り降りも少しの支えがあれば出来るくらいまで回復してきていた。
「せーの……」
畳んだ車椅子を片脇に抱え、ミルと歩調を合わせて乗り込む。
2人ともワクワクが抑えられないような表情をしていた。
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「着いた、けど…これは……」
ミルが口篭る理由は、降り立った場所に漂う不穏な雰囲気にあった。
もう殆ど見られなくなった蛍光灯がここでは使われており、チカチカと音を鳴らしながら点滅していた。
全体的に暗く窓もないようで淀んだ空気が流れ込んでくるだけであった。
上から見た時にはっきり見えなかったのもこれが理由だろう。
とにかく俺は、もちろんミルもここに来たことを後悔し始めていた。
「どこを見てもシャッターが閉められてる……。もう、ここは使われてないのかな?」
「きっとそうだろうね。私もここに人が住んでいるとは到底思えないよ」
「……だよねぇ」
そんな会話を交わしながら足を進める。
湿気を含んだ床と靴がぶつかり合う音のみが響き渡っていた。
ミルの顔を見ると思いの外この状況を楽しんでいるようだ。
俺は恐怖心を悟られぬよう、車椅子のハンドルを握る手をギュッと強めた。
「これってさ、帰れるのかな……?」
不安げな様子でミルが呟く。
確かに俺たちが降りてきたあの場所には上りのエスカレーターがなかった。
しかし、ここにはかつて人が住んでいた形跡がある。だからすぐに上へ戻る手段が見つかると思っていた。
数時間この場所に囚われることになるとは思ってもみなかったのだ。
こうして冒頭の場面に戻る。
ふう…と一息つく俺の横で、ミルは申し訳なさそうな表情をしながら車椅子を動かしだす。
「レイは歩き回って疲れたでしょう?私が探してくるからここで休んでいて」
「いや、ミルが行くなら俺も行くよ。何かあったら大変だし……」
そう言って立ち上がろうとする俺をミルは手で通せんぼをしながら座り直させた。
「心配しなくても大丈夫。そもそも私が行きたいって言ったんだから私にも探させてくれないかい?ずっと君に歩かせるのも心苦しくてね」
そう言って希うような顔をするものだから、その言葉に甘えて「じゃあ……」とミルを見送った。
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「なかなか帰って来ないな……」
体力も十分な程に回復して、そろそろ戻ってきてもいい頃合だというのに、ミルの姿は一向に見えない。
静まり返った空間に焦りだけが募っていく。
その時遠くの方で人の声が聞こえた気がした。
微かではあったが嫌な予感が胸を掠める。
すぐさま立ち上がり音のする方に走って向かう。
近づくにつれ話し声が大きくなっていくのが聞こえ予感が確信に変わる。
「お前、アグレスだろ。こんな所で何やってんだ?冷やかしかァ?」
曲がり角を曲がるとはっきりと声が聞こえた。
ミルが金髪の長身にがんを付けられているのが目に入る。
まずいと思って駆け寄ると、ミルは不安そうな様子でこちらを見つめてきた。
目つきの悪いその男をちらりと見て、ため息をつきながら話しかける。
「……おい、アリマ。その子は俺の連れだから、あんまビビらせんなよ……」
「お!レイ〜!ひっさびさだなァ。死んだのかと思ったぜ!」
声の主は、100階に住む友人――アリマだった。
今の今まで睨みつけていたくせに、俺を見るなりニカッと笑って駆け寄ってくる。
その様は先程とは打って変わってまるで大型犬のようだ。
ただ厄介なのは、アリマがアグレスを嫌っているということ。
見た目に反して本の虫である彼はテリオさんの奥の方にあるアグレスを称えるような都合のいいことしか書かれていない本を読んでから、この階層社会に異を辞するようになった。
それからというもの、アグレスに対して突っかかることが増えたらしい。
「俺は死んでないし、この子はアグレスの中でも良い奴だから…。俺の友達なの!」
アリマは腕を組んで少し考えたあと、ぱっと顔を明るくする。
「…?そーなのか?……うーむ。まあ、レイがそう言うんだったらそーなんだろうな!じゃあお前も今日からオレの友達だ!よろしくな、ミル!」
「よ、よろしく……?」
ただし、アリマは単純でもあった。
「ところでアリマ、こっから上に行くエレベーターかエスカレーターがどこにあるのか知らない?」
「あァ〜?ここから6階ぶん階段上ればあるけどよォ、直通はねえな」
オレはここを知り尽くしているからな!もっと聞け!と自信満々に言うアリマを軽くあしらう。
「ミル、階段登れる?6階分あるらしいんだけど……」
「うん、多分行けるよ!あの階段で、いつもそれくらいは昇り降りしてるからね」
時間はかかっちゃうかもだけど……と不安そうに付け加えるミル。
「おう!車椅子は任せとけ!オレが持ってく!!」
「ところで、どこに階段が……?」
アリマに連れられて歩く道は、さっきまで俺たちが途方に暮れ、座り込んでいたあの場所である。
そんな俺たちの不安そうな表情を少しも汲み取れていない様子のアリマは「ここだけど?」とさも当たり前かのような顔をしながら、少し大きめなロッカーのような扉を勢いよく開けた。
冷たい冷気と共に現れたのは非常階段のような場所。
まさかこんなにも近くに道があったとは。
見つけられなかった悔しさを、ここを知り尽くしているアリマだから仕方ない、と無理やり飲み込む。
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「いや〜しっかし、お前がサチ以外の女連れ回してるとはなァ」
「ちょっとアリマ!言い方!!」
車椅子を片手で軽々と持ち上げたアリマがニヤニヤしながら言う。
「お前サチはどうすんだよ、好きなんだろォ?」
「ちっがうって、あれはただ慕ってるってだけで…」
「あのニートをか?」
うぐ…と言葉が詰まる。
「ほら、ミルも悲しそうな顔してるぜ?ごめんなァこいつ年上好きで」
「え…!? なに、私?いや、別に年上好きでもいいんじゃないかな…? 応援するよ…!」
にこやかにこちらの投げ掛け合いを眺めていたのに、突然話を振られミルがあわあわとする。
「ごめんね、混乱させて……」
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「今日はありがとう、2人とも」
無事に見知った場所に戻ることが出来た俺たちはゆっくりと歩きながら会話を交わす。
「いいってことよ!」
「そういえばアリマはなんであそこにいたの?」
「オレの親父が昔あそこに住んでてなァ、」
肩に担いでいた車椅子を降ろしたアリマは、どこか懐かしむように天井を見上げた。
「ガキの頃、よく連れてかれてたんだよ。あんなとこ、もうとっくに使われなくなってっけどな。構造はだいたい覚えてる」
「へえ……だからあんなに詳しかったんだ」
感心したように言うと、アリマは得意げに鼻を鳴らす。
「ま、オレにかかればあの程度の場所、庭みてえなもんよ」
「さっきまで途方に暮れてた俺たちはなんだったんだ……」
思わずため息が漏れる。
隣でミルがくすりと笑った。
「でも助かったよ、本当に」
そう言って、まっすぐアリマを見る。
その視線を受けて、アリマは一瞬だけ言葉に詰まったように目を逸らした。
「……お、おう。別に大したことじゃねえって」
らしくなく頬をかく仕草に、思わず少し笑ってしまう。
しばらくして、見慣れた通路の光景が広がってきた。
上層の空気は澄んでいて、さっきまでいた場所とはまるで別世界のようだった。
ミルもほっとしたように小さく息を吐く。
「……帰ってきたな」
ぽつりと呟くと、ミルが頷く。
「うん。ちょっとした冒険だったね」
「“ちょっと”で済ませていいのかそれ……」
苦笑しながら返すと、ミルは楽しそうに笑った。
その様子を横目に見ながら、アリマが口を開く。
「なあレイ」
「ん?」
「またどっか遊びに行くなら、今度はオレも連れてけよ。……行き先が上だったとしても」
意外な言葉に足が止まる。
「は?お前、あの場所嫌いなんじゃなかったのかよ」
「場所が嫌いっつーか、偉くねぇのに胸張ってるアイツらが嫌いっつーか……。まぁ、」
アリマは少しだけ視線を落としてから、すぐにいつもの調子に戻る。
「今日みてえに面白ぇことがあるなら、悪くねえだろ」
その言葉に、ミルが嬉しそうに目を輝かせた。
「じゃあ次は三人でだね!」
「おう!」
「……いや、次はちゃんと準備してからにしようね?」
二人の勢いに押されながらそう言うと、また笑い声が重なる。
静かだったはずの一日は、思っていたよりずっと賑やかなものになっていた。
そしてきっと、これからも——。




