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バベルの街  作者: 凪咲斗
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1.出会い

俺がミルと初めて言葉を交わしたのは、アステュの人気のない階段上だった。

あの時、君は泣いていた。テレビの中では弱さなんて見せなかった君が、ひとり、声を殺して涙を流していたんだ。その姿を見た瞬間、俺の中から階級だとか民族だとか、そういうものが一気に抜け落ちた。

気づけば、何も考えないまま声をかけてしまっていた。


「あのっ…ミル様、ですよね。どうされたんですか?」

「え、…あぁ、ごめん。変なところを見せてしまったね」


顔を上げたミルは、目元を涙で濡らしながらも、すぐにいつもの朗らかな表情に戻った。


「心配かけてしまったようで申し訳ない。私は大丈夫。それより、君は私と話していて大丈夫なのかい?」

「ぁ、…そう、ですよね…。俺のようななラズームがあなた様に気安く話しかけるなんて、飛んだご無礼を……」

「っ、そんなことは…。そんなことは、言っていないよ。ただ、私のような者と話しているのを見られたら、叱られるのは多分、君だから」

その言葉に、思わず息をのんだ。

アグレスの中にも、ラズームの立場を気にかけてくれる人がいるなんて。意外と優しい人も居るのかもしれない。

そう思ったものの、以前、階上で浴びせられた視線や怒号が頭をよぎり、体はわずかに強張ったままであった。


「……大丈夫だと思いますよ。ここ、あまり人は来ないので」

「やっぱりそうなのかい?私もここに来るようになってから出会った人は君だけだったからね」


足の悪いミルは1人で歩くことが出来ない。そのためリハビリのために、よくこの場所に来ているんだと語った。

人前で、よろよろと歩いていれば何を言われるかわからないし、大人しくしていろ、と止められるのも目に見えている。だから誰も来ない静かな場所を探していたのだ、と。

手すりを頼りに、一歩一歩、慎重に階段を上るミル。

やがて階段の上に置いていた車椅子に腰を下ろし、深く息を整えた。

「……ごめんね、」

「ミル様も、大変なのですね…」

その姿を見て、少しでもこの人の力になれたらと思ったものの、何と言えばいいのか分からず、言葉が続かなかった。

その時、上の階から人の足音が聞こえた。

しかも一人じゃない。駆け下りてくるような、荒い足取りだ。

「今日は、人通りが多いみたいだね」

困ったような顔をしながらミルが言う。

足音に混じって、話し声がはっきりと聞こえてきた。

「ったく、なんで俺らがラズームのとこなんかに行かなきゃなんねーんだよ」

「仕方ねーだろ?チョウロウサマのご命令なんだから」

「いいご身分だね。無能な下っ端には穢れた階下がお似合いって訳か」

そんな会話が聞こえて、胃の奥がヒヤリとした。鉢合わせたら、確実に面倒な連中だ。

「……ミル様、行きましょう」

「え、どこへ?」

「とにかく、人が来ない場所に!」

そう耳打ちして、俺は車椅子を押し、走り出した。2人のどちらと会ったとしても、厄介そうであったから。

「はぁ……はぁ……」

久しぶりに走ったせいで、思った以上に息が上がる。

けれど、そんな俺とは対照的に、ミルは楽しそうに笑っていた。

「あははっ。君は、本当に優しいんだね」

「え……?」

「鉢合わせたら気まずそうだから私も他の場所に移動しようとは思っていたのだけれど、一緒に逃げようと言ってくれるなんて。君みたいな人は初めてだよ」

「ミル様にとっても自分にとっても、厄介そうな人だったのでつい…申し訳ありません…」

「いやいや、謝らなくていいんだよ。むしろ、ありがとう。助かったよ」


そう言って、ミルは少しだけ間を置いた。

そして、どこか迷うように視線を逸らしながら、ぽつりと呟いた。

「……ミルで、いいよ」

「えっ?」

思わず聞き返すと、ミルは少しだけ照れたようにこちらを見て微笑んだ。

「“様”はいらない。ここでは、ただのミルでいい。ミルが、良いんだ」

不意に鼓動が速くなる。

さっき会ったばかりの俺が許されていいことなのか。分からない。分からないけれどたまらなく嬉しい。

「あ、ありがとうございます……」

「ふふ。じゃあさ、君の名前も教えてよ」

「えっと……」

一瞬、言葉に詰まる。

名乗ること自体が、こんなに緊張するなんて思わなかった。

「……レイ、です」

「レイ」

ミルは、確かめるようにその名を口にした。

たったそれだけなのに、不思議と心が軽くなる。

「じゃあ、私のこともミルって呼んでくれるかい?」

「えっと……」

喉が鳴る。

名前を呼ぶだけなのに、まるで一線を越えてしまう気がして。

「……ミル?」

「なあに? レイ」

その返事は、あまりにも自然で、あまりにも楽しそうだった。


それから2人は、少しの会話を交わして別れることになった。

ミルがここに降りてくるのに使ったというエレベーターの所まで行き、ミルが振り返って言う。

「今日はありがとう。また、会ってくれるかい?」

そう言ってくれて心から嬉しかった。

もちろん、という俺の言葉に嬉しそうに笑いミルは帰って行った。


それからというもの、俺とミルはその階段でよく会うようになった。

誰も来ない、静かな場所で、取り留めのない話をした。


とても心地の良い時間が過ぎていった。



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